依存症を克復した方たちに辛かった頃のことを振り返ってもらうと、あの頃は、「誰にも甘えずに生きていた」「何でも話しているつもりでも、本当の気持ちは誰にも話せていなかった」「頑張ることは当たり前だと思っていた」「(本当は頑張っているのに)頑張っていると思ったことがなかった」「頑張ること以外の解決法を知らなかった」「丁度良い(△)がなかった」とおっしゃいます。
これは、依存症を克復した人たちは今、「甘えられる人がいる」「本当の気持ちを話せる人がいる」「頑張ることは当たり前じゃないんだと気づいた」「頑張ること以外の解決法を学んだ」「丁度いいと感じる」ということでもあります。
今日お会いしたクライアントのAさんも、過去を振り返り、上記のようなことをおっしゃっていました。
Aさんは、過食症とアルコール依存症を克復して6年が経つ今も定期的にカウンセリングにいらしてくださっています
彼女曰く、断酒は一生なので、そのためには上記の条件(ピンク色の部分)を全て満たせる私のカウンセリングが必要なのだとのこと。カウンセラーとして冥利に尽きる思いです
最初は「カウンセリングを受けたところでなんになるの」と思っていたそうです。当時は他人に頼りたくないくせして他力本願(自分以外の何かのせいにする)だったと苦笑いするAさん。
今は、「あ今思ったこと、次のカウンセリングであやさんに話そう」と思うんだそうです。感じたことをその都度ノートに書き留め、カウンセリングに持ってきてくださいます
他人を頼れるようになると、自力本願(自分がどうするか、どうしたいか)になるんですよね~
Aさん、ご自分のことを(ノートに書いて)客観視する癖も身についていて素晴らしいデス
主観で生きている人は、生きづらく、依存症にもなりやすいです。
でも、そういう方ほど、ご自分が主観で生きていることに気づかれてなかったりもします
話す(放つ)ことは気づくこと。気づくから変われるんだなーと思います