神々しいお嬢

 

 

ちょっ、前回の記事6月て!!!

時の経つの速過ぎん???

ってかサボりすぎちゃう???

と焦った9月の朝、みなさま、おかわりないですか?

 

 

あのーあっちの方(占いのブログ)は相変わらず真面目に更新はしてるんですよ。

Xもやってるし。

 

たまには貼っておこか(;^ω^)

ブログ

 

X

 

ミネコス@数秘術相談員(@3necos)さん / X

 

 

占いの方でも最近はすっかり「地」を出せるようになったので、あえてこっち(プライベート)と分ける必要がなくなったというのも、こっちの更新が滞ってる理由かも。

 

 

見捨てず覗きに来てくれてる人にはほんまゴメンやで。

 

 

★★★

 

 

そんななか、日常は淡々と過ぎていき。

 

 

今日はなぜか朝からサンドイッチ食べたい欲が高まり、近所のパン屋さんへ。

 

 

小麦は控えようと思ってて最近はパンやパスタを食べる機会が減ってるけど、今日は「おもくそ食べたろ」という気分だったのよ。

 

 

だから朝と昼の分としてサンドイッチ含め3点購入し「めちゃ贅沢してしもた」と思ったけど、お会計900円ほどで2食分としたらそんな贅沢でもないかもね。

 

 

同じパンでもスーパーで買うのとパン屋さんで買うのではテンションが変わるね。

 

 

お値段も倍ぐらい変わるけどもw

 

 

★★★

 

 

長男猫の小次郎もこの夏18歳を迎え、さすがに「年取ったなぁ」という感じになってる。

 

 

元々ほっそりタイプやったけどますます痩せて、たまに寝姿など見ると「生きてるか?!」と心配になることもある。

 

 

うっかりセンチメンタルな日には「もうあとどれぐらい一緒に居られるのか・・・」と涙目になるけど、別に今のところ大きな病気もなく、偏食と赤ちゃん返りでむしろうるさいぐらい。

 

 

当たり前やけど18年前私は39歳で、あの頃は人生最大級に傷ついた失恋があったなぁとか、地獄のようなマンションで暮らしていたなぁとか(激狭、騒音、G問題)、走馬灯のように浮かんだりもして、そんな私の人生にずっと寄り添ってくれていたんやなぁと思ってまた涙目になったり。

 

 

今も私は「何者」にもなれてはいないけど、もう「何者」かになろうという野望も消え去り、随分穏やかで居心地のいい場所にたどり着けた。

 

 

コジ(小次郎)も一緒にここに来れてよかった。

 

 

★★★

 

 

たまには「受ける側」になってみようと占ってもらったら、「そもそも自由極まりない人」と笑われた。

 

 

ガチガチの「こうでないといけない」という枠にはめてくる親の元で育ったので、自分なりにはその枠からはみ出して「自由気取り」でいたけれど、数秘で自分を知ってからは自分の自由度の基準がそんなもんではないことを知った。

 

 

たとえば「(高卒で)公務員になればいいのに」という親に対して「(ほぼ自力で大学行って中退後)クラブのホステスする」みたいな自由度はあったけども、もしかしたらほんとうはそれすら「組織に所属して決まった時間に出勤してルールを守って働く」なんて観点では同じことやったかも。

 

 

今にして思えばずっと「作家になりたい」なんて言ってたのは、「誰にも雇われず自分の好きなことを好きなように表現したい(それで食べていきたい)」の現れやったんかもね。

 

 

そういう意味でも今は随分自由になって楽になった。

 

 

自分のスキルを提供して波長の合う人と関わって、そこでお金が発生して、仕事量もスケジュールも全部自分で決められる。

 

 

もちろん何の保証もないというリスクはあるとしても、伴侶が真面目な会社員であればそんなリスクも恐れるほどのものでもない。

 

 

ありがたいこと。

 

 

★★★

 

 

無自覚にスピリチュアルな旦那はんは「今の人類はもうちょっとしたら全滅するやろ」なんてボソッと言う。

 

 

「それは自分たちが生きてる内には起こらんかもしれんけど、あと100年やそこらで」らしい。

 

 

彼は全然「陰謀論」とかも見ない人なので、多分なんらかの肌感覚なんやろな。

 

 

私も数年前に「あれ? なんで過去の文明が全部今より劣ってる前提で考えてたんかな?」と「気づいた」んよね。

 

 

エジプトのピラミッドの建築方法がわからない→当時の技術の方が今より進んでたから今の人にわからんだけ

 

 

の方がいっそ考え方として自然では?ってなった。

 

 

だってさ、教科書で習った歴史なんてさ、多少の「証拠」があったとしても、その「証拠」を手掛かりに「推測」したことが「事実」かどうかなんてわからんやんね。

 

 

そこになにか「そういうことにしておきたい人」の意向があれば尚更。

 

 

なんて思うようになって。

 

 

だとしたら地球上の歴史において高度な文明は何度か消失してる可能性があって、今回のこの文明がまた消え去るとしてもなんの不思議もないかもね、という気持ちになったんよね。

 

 

このあたりはあっち(占いの方)で書く方がいい話題かもね。

 

 

そんなこんなで生きてます! なんだったら全然痩せてませんw!

 

 

次回の記事はまたいつになるのか?

 

 

気まぐれに明日更新してる可能性もあるが(それはかなり確率低い)。

 

 

長い目で温かく見守り続けている人々よ、ほんまにありがとう!

病院に連れて行かれたヒト

 

 

暑いしじめっとするしなんかもう! って日々の中、ベランダでどんどん色づくプチトマトが心の支え。

みなさま、おかわりないですか?

 

 

先日、冒頭の画像のヒトを動物病院に連れて行ったんですよ。

 

 

夜鳴き(昼にも鳴くことがある)が急に酷くなって、しばらくあれやこれや(マタタビ、フェリウェイ、アンチノールプラスなど)試したけどおさまらず、何か病気だったら心配と思って。

 

 

このヒトは前の家で私が10年以上にわたってご飯をあげてた地域猫で、引っ越しの際に思い切って保護したヒト。

 

 

うちのコになって2年弱。

 

 

保護の際には地域猫の会の方にお世話になり(捕獲は一人で頑張った!)、最初の検査のための病院は会の方が連れて行ってくださった。

 

 

なので自力で病院に連れて行くのは今回が初めて。

 

 

あのさ、私は実はもうなるべく猫を病院に連れて行かないでおこうと思ってるん。

 

 

怪我とかの外科的処置と、明らかに病気で痛み苦しみがある際の緩和以外は。

 

 

5年前に愛猫を看取る際、最後何度も病院に連れて行き、最期の日も病院から帰った30分か1時間後に亡くなった。

(治療自体には不満もなく、とても良い先生だった。)

 

 

愛猫の体からは薬の匂いがして、「こんなことならもう嫌な病院になんか行かずにずっと家に居ればよかったよね」ってすごく思ったので。

 

 

呼吸が荒いのとか苦しそうなのも病院に行ってもあんまり変わらなくて、「何かしてやりたい」「出来ることは何でもしておきたい」という私のエゴで行ってただけかも、と気づいたから。

 

 

なので本当はこのヒトも病院にはあまり連れて行きたくなかったけども、どこかしんどくてあんなに鳴いてるなら原因を取り除いてやりたくなって行った。

 

 

結果的には「もう行かない」とまた思った。

 

 

初めての病院で先生もスタッフさんも感じがよかったし、治療に関しても不満はない。

 

 

ただ。

 

 

猫が異常に怖がったから。

 

 

キャリーバッグの中で口を開けたまま荒く呼吸してよだれはダラダラ垂れ続け、バッグの中に大量におもらししてた。

 

 

鳴くとか暴れるとかも大変だけど、ほとんど鳴きもせず(夜鳴きはあんなに酷いのに)ひたすら怯えている様子を見て、「こんな想いをしてまで病院に来なくてよかったね。ごめんね」と思った。

 

 

きちんとした医療を受けさせるのも飼い主の責任だとは思うけど、私は今後も余程の場合以外は病院には行かないでおこう、と改めて思った。

 

 

ちなみに結果的に夜鳴きの原因はわからず(去勢してるけど発情の可能性はあると言われた)、血液検査の結果ちょっとだけ引っかかった数値の対策のお薬をもらって終わり。

 

 

点滴は辞退した。

 

 

今考えたら薬も不要だった。

 

 

今回の病院行きで良かったのは、このヒトが長い外猫生活の中で奇跡的に猫エイズなどの感染する病もなく(これはわかってた)、血液検査の結果もちょっとだけ数値が高い程度でほとんど問題がないとわかったこと。

 

 

そしていざとなったら徒歩圏内に感じの良い動物病院があるとわかったこと。

 

 

問題の夜鳴きは、病院がよほど怖かったのか当日夜は静かで、そこから徐々に本調子(?)に戻りつつある。

 

 

まぁでも数日経った今も前よりはマシなので、本猫的にも何か思うところがあるのかもしれない。

 

 

★★★

 

 

陰謀論が本当だった、みたいなことが次々暴露されているこの頃。

 

 

私としては外資にあちこちの水源が買われているという事実がとても怖い。

 

 

こんなに科学技術が発達したって未だに水を一から作り出すことは出来ていない。

 

 

そして日本の水資源の豊かさは実は世界に類を見ないもの。

 

 

それが狙われて買われていってる。

 

 

私たちは(自覚は無くても)、先人がきちんと山に手を入れて守ってきてくれた豊かな天然の資源を次々壊したり売り渡したりしてしまっている。

 

 

結構のほほんと暮らしてる私でも、水に関してはとても気になる。

 

 

★★★

 

 

家で仕事をするようになったのはとてもありがたいことやけど、集中するのは環境的に難しい。

 

 

いま、仕事のことでアイデア出してまとめたいことがあって、家では集中できないから近所のスタバへ行ってみた。

 

 

結果的にはそこそこ仕事は進んだけど、多分もう行かない。

 

 

集中できないのは同じだったので。

 

 

HSPやからかな?

 

 

満席の中、次々来店して席を探しウロウロする人たちが目に入るだけで気が散るんよ。

 

 

あと、席で電話してる人とか、椅子が足りなくて無理やり子供用の椅子に座る人とか、ひとりで大きな場所を占領する人とか、マナー違反な人たちにもいちいちムッとしたりして。

 

 

なので次回は家の近所のホテルに自主的に缶詰めになってみるのはどうだろう、なんて考えてる。

 

 

私んち、5分歩いたら奈良の観光ゾーンなんで近所にホテルはいっぱいあるんよ。

 

 

そう考えれば恵まれてるよね。

 

 

缶詰めとか言いながら、ちょいちょい家の用事をしに帰れるし。

 

 

猫のごはん、旦那はんのご飯の用意とか。

 

 

忘れ物もすぐ取りに行ける。

 

 

でもそれやったらがんばって家で集中する方法見つけるといいんかしら。

 

 

よくわからんなw

 

 

ま、こんな感じで低気圧にやられながらもなんとかやっております。

 

 

今後、梅雨も嫌、真夏も嫌、と季節的には辛い流れですが、よう考えたら冬も風邪ひくし春も花粉症やし、元気なのは5月と10月11月ぐらいやったわ。

 

 

とりあえず秋まではなんとなくやり過ごします。

 

 

みなさんもご自愛くださいな。

平和でよろし

 

 

晴れてるとめっちゃ元気やけど雨降るとなめくじみたいになるこの気質。

もうすぐやってくる梅雨との向き合い方をどうしたもんかと思うこの頃。

みなさま、おかわりないですか?

 

 

ちょ、5月一回も更新してないことに今気づきました。

もはやツキイチ更新ですらないやん。驚き。

 

 

最近は自分の生活の変化に驚いております。

 

 

ものすごちまちましたこと言いますが、3万円ぐらいのものを迷わず買えるようになった自分に驚いてんの。

 

 

時給900円台の肉体労働系(販売)パートだった頃は、1万円超えるものはかなり家計のことを考えないと買えなかった。

 

 

もちろん今だって80歳まで住宅ローンがあるのに欲しいものをポンポン買える身分ではないけれども。

 

 

それでも一応オシャレ家具屋さんに行って「このラグいいね」と言って、金額についてはさほど引っかからず買える「気分」になった(買える「身分」ではないとこに注目w)。

 

 

ちっともお金がなかった頃、私の夢の一つに「冷蔵庫なんかの大きな家電が壊れた時、躊躇なく買い替えできるぐらいの生活レベルになりたい」というものがあった。

 

 

極貧の頃の私は当時の彼氏がリサイクルショップで見つけてきてくれた、前面の扉に凹みがある古い冷蔵庫をありがたく使っていた。

 

 

20万円ぐらいしそうな大きな冷蔵庫に憧れたし、必要であればああいうものをささっと買うことが出来る経済状態になりたかった。

 

 

それも可能であれば自力で。

養ってもらうとかじゃなく。

 

 

そこに近づきつつある今を思うと感慨深い。

 

 

昔描いた夢がひとつひとつ叶ってきている。

 

 

・結婚(再婚)してパート主婦になる。

 

 

・自分のスキルでお金を稼ぐ

 

 

・誰にも何にも縛られず(誰にも理不尽に頭を下げず)仕事をする

 

 

このあたりはすでに叶った。

 

 

すごくしょうもないものでは「いつも財布に1万円以上入っている」なんて夢もあったw

 

 

それも叶った。

 

 

ありがたいなぁ、と感じる日々。

 

 

同時に、よくここまできたよ、と自分を労う日々でもある。

 

 

★★★

 

 

そんなわけで数秘術家としての仕事は順調そのもの。

 

 

「仕事」としてはほぼ満点。

 

 

けれどもそれが「魂が喜び人生を豊かにする私の主軸」かといわれるとそうではない。

 

 

やっぱり私は書いたり歌ったり創ったりしたい。

 

 

今の仕事にはそれに近いニュアンスがあるから、というかそういう風に持って行ったから楽しく出来てるわけやけど。

 

 

それでもやっぱり「ライフワーク」ではなく「ライスワーク」ではある。

 

 

だからこそ、私なりの責任感で向き合えてるし多少の緊張感もあって野放図にならずに済んでるわけやけど。

 

 

★★★

 

 

実は今、車の運転のリハビリ中。

 

 

私は初めての就職先が自動車販売会社(営業職)であったし、車も運転も好きやった。

 

 

自分ではそこそこ運転は上手い方ではないか? ぐらいの気持ちでもいた。

 

 

だから結婚後に義父の見舞いなどで必要となり家で古い軽自動車を買った時には、嬉しくてどこへ行くにもひとりで車で出掛けた。

 

 

なのにその軽自動車の後、急にこれまた古いとはいえサイズが少し大きい外国車に買い替えたら運転できなくなった。

 

 

納車後すぐ、借りていた駐車場内で自損事故を起こしてしまったのだ。

 

 

ぶつけただけなので事故と言うほどではないかもしれないが、一応JAFを呼ぶぐらいではあった。

 

 

HSPだからかもしかしたらそれ以外の要因かわからないけど、私は「いつもと違う」が苦手。

 

 

「いつもと」というよりは「自分の思ってるのと」と言った方がいいか。

 

 

外国車に買い替えたとき、車のサイズ感以外にも操作方法がそれまでと違うのが嫌だった。

 

 

つまりウインカーとワイパーの位置が逆とかシフトノブが私の思ってる形と違うとか、そういうこと。

 

 

そういう違和感を持ちながらの事故であったので「ほらな、だから嫌やねん! 無理やねん!」ってなってしまい、それ以降その車を所有していた3年ぐらいの間数えるほどしか運転しなかった。

 

 

その後また車を買い替えた。

 

 

今度の車も外国車で、サイズは前より少しだけ小ぶりだがスポーツタイプで車高が低いから死角も多い。

 

 

おまけにブレーキが繊細で少し踏むだけで強く反応する。

 

 

初めて運転したとき「扱いにくい」と正直感じた。

 

 

でも、買い替えの際には一応私も運転するという前提での車選びをしたから、やっぱり全然運転しないというのは気が引ける。

 

 

旦那はんしか運転しないなら、もっとサイズの大きな車だって買えたから。

 

 

大体それ以前に、私にも運転して好きなところへ行きたい気持ちもあるし。

 

 

なので今リハビリをしてるところ。

 

 

街中でおばあさんが同じような外国車を運転してたり、若いママが大きな車を運転してるのを見ると、「私にもやれないわけはない」と思うけど、やっぱりまだ怖い。

 

 

あの事故の、ぶつけた瞬間の焦りやJAFを待ってる間の心許なさなんかを思い出すと(その後の修理費もw)、「運転こわい」となってしまう。

 

 

仕事でたくさんの人の悩みを聞いて、大抵は「心の持ちようやで」って話なんやけど、自分のこれもまさにそう。

 

 

車と仲良くなって、突然思い立って高速飛ばして遠くの友だちに会いに行くとか海を見に行くとか、そういうことがしたい。

 

 

独身時代にはドライブしたくて休日にわざわざレンタカー借りてひとりで遠出したりしてたのに。

 

 

そのときは年に2~3回しか運転しなくても、その都度車種が変わっても、平気でどこへでも行けたのに。

 

 

またあんな風に怖いものなしの自分になりたいけど、考えようによってはあのままずっと行ってたらどこかで人さまを巻き込んだ事故でも起こしてたかもしれんから一回戒められたんかも。

 

 

そう思えば、事故すらいい経験ではあったかもしれん。

 

 

と、綺麗にまとめておこかなw

 

 

★★★

 

 

そんなこんなでいい感じに暮らしております。

 

 

次回更新もまたいつになるやら約束は出来ませんが、気まぐれにアップしたら気まぐれに覗いてもらえると嬉しいです。

 

 

みなさまもご自愛くださいましね。