人事の仕事をしながら
心理学・コーチングを学んでいます aya です。
コーチングはワタナベ薫さんが主宰している#MCCの2期で学びました。
現在は、自分の資質・能力・タイプについて深堀りしています。
ここでは、私が学んだこと、感じたこと、
忘れないでいたいことをアウトプットする場所として活用したいと思います。
「自分の思いを伝える」ということ
私の日課に
ワタナベ薫さんのブログを読み、コメントを残す
ということがあります。
薫さんのブログでは最後に質問があり、
その質問に対する自分の考えや答えを
アウトプットする形で
コメントを残しています。
本日(2023年12月26日)のタイトルは
『わかってくれる人がいるだけで』
最後の質問は
あなたは今誰の理解者でありたいですか?
あなたの理解者はあなたの
どの辺を理解してくれていますか?
でした。
私がすぐに思ったことは
「自分自身も理解できていないのに、
誰かを理解することなんて
できるんだろうか?」
→自己理解・自己分析真っ只中の今、
理解者なんて…。
「特定の誰かを理解することが
できていないのに、
私を理解してくれている人なんて
いるんだろうか?」
→そもそも、他人のことは分かりっこないけど、
分かろう、知ろうとする気持ちを
忘れないでいようとしている私は
質問の土俵にも立てていないのでは?
「そもそも理解者が欲しいと思っている?」
→中学生の時にそういうことは諦めた。
人はひとり。
相手のことをどう頑張っても
100%理解することはできない。
自分のことも100%理解してもらおうと
思わない。
でも、相手を知りたい、
分かりたいと思うことが、
自分を知ってほしい、
分かってほしいと思うことが、
生きていくために必要なこと??
というようなことです。
でも、この考えに自信がなくて。
直感で浮かんだ思いが
質問の前提条件と合っていない気がして。
私の考える「理解者」という言葉を
うまく伝えられないような気がして。
少し考えて、以下のような内容をコメントとして残しました。
【私は自分自身と 私の周りにいる人の理解者でいたいと 思いました。
理解できなくとも 理解しようとしてくれる人 でありたいと思います。
私の理解者… 特定の人は思い浮かびませんが 周りの方から 理解したい、
困っているなら助けてあげたい と思われる人でいたいと思っています。
理解者… 深い言葉です。 もう少し考えてみます。 】
私が最初に思ったことを
シンプルで分かりやすい言葉でコメントされていました。
今日の学びを結ぶ
私が最初に思ったことも、
少し考えてコメントに残したことも
どちらも本当の自分の気持ちです。
でも、私は自信をもって伝えることができませんでした。
なぜでしょうか…。
(この点はじっくり向き合う課題のようです)
一部を抜粋してご紹介させていただいた方の
コメントを読んだとき、
「あぁ、分かる…」と強く感じました。
色々な考えを削ぎ落していくと
「あぁ、分かる…」に集約されるのかもしれません。
「あぁ、分かる…」をその相手に伝えることが
その方の支えになることもある。
それを「理解してくれた者」と
することもできるのかもしれない。
そんなことを感じた一日でした。
最後までおつきあいいただき
ありがとうございました。
健やかで楽しい時間が過ごせますように。