”新型コロナ騒動のおかしさ” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

いつも記事をありがとうございます。

「国政にでてる有名な政治家が誰も死なないという不思議……」
ドイツでは死んでいますよ、要職に就いていた政治家が突然死です。

日本で要職に就いている政治家が何故、死なないのか?は謎とも言えますが、好きなだけPCR検査を受けて陽性になったら直ぐさま[血栓]対策を徹底するVIP待遇だから…なのかも知れません。他にも色々何故か日本人は罹患しにくい(?)とか、よく判らないけど弱毒化しているのかも知れない(?)とか諸説ありますね。我が家でも、息子と私で「どの仮説が有力か?」話し合うと、同じ意見にはならないのですが、
①取り敢えず、今まで通り、感染症対策を続けて、
②公衆衛生[行政]では、ローカルなグリーン・ゾーンを極力、維持しつつ流行が去るのを待ち、
③ワクチンは、内容が不明なので、接種を希望しない。←ワクチン[行政]への信頼は国際レベルで回復していないから。
という3点、すなわち「具体的にやること」では、意見の齟齬はありません

「具体的にやること」で対立がなければ、問題は起きませんので、弓場清孝さんも katsuko さんと絶交しなくても良いのに…と個人的には思いますが、「陰謀論者」は軽蔑すると決めて生きるのも当人の自由ですので、幸多かれと祈ります。

「何で大丈夫な人が結構、多いのだろう」というのは、後でゆっくり研究すれば良いことで、当面は、医療現場で[ヒポクラテスの誓い]をかなぐり捨てずに済むように、重症化する前に治療スタート、重症化した人の救命&後遺症の軽減に取り組めるように、政府が医療[行政]を進めれば済むことです。

記事タイトル[新型コロナ騒動のおかしさ]と書いてくださったように本当に「おかしい」ことが沢山あるのは、やはり率直な情報交換ができていないからでしょう。何故、率直な情報交換がなされないか?というと、[ショック・ドクトリン]で庶民の制圧&支配強化を進める心理戦が背景にあるからでしょう。

自分の「濃厚接触者」からPCR検査陽性者が出た場合、スマホで教えてくれるソフトウェアが善意の技術者によって開発されたそうですが、私は使いません。
 私が日常、出会う市井の人々は、①感染症対策など考えていない中年以上の人は、そもそもスマホを持たない、②プライバシー侵害に注意深い人々は、感染症対策にも注意深い人々であり、かつスマホを持たない…といった具合で、折角のソフトウェアですが、役に立つ状況ではないでしょう。
 その上、第一次安倍自公政権による平成18年=2006年の “教育基本法の骨抜き” 以来、常に[政治弾圧]が先行して今があるのですから、 “2大カルト組織” ベースの安倍自公ある限り、あのソフトウェアも、第一に[政治弾圧]目的で運用されるであろうことは、想像に難くありません。

註)プール授業のあり方について当事者である自分たち高校生どうしで率直に話し合うため生徒自治会を設立しようとした高校生が私人逮捕の憂き目に遭った模様です。あの高校生の将来も明るくないでしょう。

兎にも角にも、これ以上、グチョグチョにされませんように祈りつつ。

どうも、長々とお邪魔しました。
♡おまけ♡

コメレスありがとうございます。

Q:マスク着用無しで免疫力が上がるのが、今回の新型コロナによる感染防御でしょうか?
A:そんなことはありませんね。

ワクチンは、あまり期待していない人は接種を希望しないでしょう。私個人は、小学校に入学後、中学生まではインフルエンザの予防接種を受けていました。そのあと、45年間はインフルエンザ予防接種は受けず、老親の介護中に一度、インフルエンザ流行期に人混みに行かざるを得なかったので、抗ウィルス薬タミフルを予防的に服用したものの、何も起こりませんでした。60年ほどの人生でインフルエンザに罹患したのは2回で、最後の罹患が28年前です。そういうこともあり、インフルエンザの予防接種には、あまり期待していません。環境弱者になった場合には予防接種をするのと、抗ウィルス薬を使うのと両方で行くのと、どれが良いのかは、環境と当人の歴史的身体に依存するので、ケースごとに当人が判断するしかありません。

「集団免疫とは感染症に対して多くの人が免疫を持っていると、免疫を持たない人に感染が及ばなくなるという考えのことを指します」ので、ケア・ハウスで集団生活を送るような環境弱者のケアや施設の掃除などで、ローカルなグリーン・ゾーンであるべき場所に出入りする業務を行う人々が[感染源]になってはいけないでしょう。そんなことになってしまうと、その人々が[職業倫理]を守れなくなってしまいます。行政のレーゾンデートルは、職業を通して社会参加の権利/義務を果たす人それぞれが[職業倫理]を守れるようにすることです。ところが、平塚正幸さんも安倍自公政権も、
«職業を通して社会参加の権利/義務を果たす人それぞれが[職業倫理]を守れるようにする»ように行政を行うことは[念頭にない]困った政治家&政治家集団なのです。安倍自公の場合には、どうも[政治弾圧]を進めて[私腹を肥やす]ことが第一になって[医療の商品化]を進めて日本人がビッグファーマの餌食になる流れを強化しています。一方、平塚正幸さんは、「マスクをするのは合点がいかない」という我意を通しているだけで、そうして良いのだという後付けに、大橋さんの話を援用しているだけでしょう。後者の場合、ウィルスの存在については実はどうでも良く、スウェーデンのアプローチと同じことです。しかし、スウェーデンのアプローチは、一気にローカルなグリーン・ゾーンが消滅する結果をもたらし、環境弱者が大量に亡くなった=命の選別をしてしまう[非人道的=inhumane]なものでした。しかも獲得された免疫は期待したほどでもなく、経済の停滞も殆ど避けられなかった…そういうことを[観察]して[反省]し、命の選別をしてしまう[非人道的=inhumane]な不幸を回避しようと思わない人は、政治家になってはいけないでしょう。反省して、
policy、philosophy、governance 3つ揃った政治家にならねば、支持者は増えません。


皆さまも、お大事に。