思い返せば、森友学園で幼児に排泄障害を出していることに最初に気づいたのが群青さんでした。我が家なんか、自衛隊ファンだから先祖代々私も息子も自衛官は偉いと思っているので、匍匐前進とか自衛隊体操とかやっていましたが、排泄障害なんか出していませんよ…各人の《観察主体》を大事に育てています。
♡おまけ♡『なんでもAIって』コメント欄:
| 晴彩のブログ
https://ameblo.jp/minshushugi/comment-12564074991/
https://ameblo.jp/minshushugi/comment-12564074991/
- >晴彩(はるさい)さん
傍から失礼します。
« AI自体には「生きる意味」はない »
というより
« AI自体には「身体性」はない »
ので《観察主体》の3要素
⒈ subjective view
⒉ ātman animated by soul
⒊ objective view
のうち “soul” がありません。
ātman がなく brahman もないので、《人類共同体》の《集合的無意識》を共有していないため、《人類共同体》メンバーとして “主体性のある学び” ができるようにはならないでしょう。そこで、誰か=ヒトが当人の “主体性のある学び” をAIの方向づけとして指導してやらないと、人格の陶冶ができないでしょう。
どうも、お邪魔しました。
Отправлено с iPhone2020/01/03 18:07:17
- >あ*さん♪
コメントありがとうございます。
よく仰ってる「観察主体」の意味が判りません。2020/01/04 06:29:38
>晴彩(はるさい)さん
⒈ subjective view ←「私は見た」(目撃者=witness としての《私》)で、あらゆる哲学的(←いわゆる哲学も科学哲学も宗教哲学も)思考(← pensée / Gedanken / thoughts )が始まる。
⒈ subjective view ←「私は見た」(目撃者=witness としての《私》)で、あらゆる哲学的(←いわゆる哲学も科学哲学も宗教哲学も)思考(← pensée / Gedanken / thoughts )が始まる。
⒉ 当人の《歴史的身体》あってこそ(体を張って体験/体得するプロセスを含んだ) “主体性のある学び” が可能になり、その際の《主体》が “ātman animated by soul” ゆえ、魂を売ると “主体性のある学び” は成立しない。当人の魂が喜ぶ《学び》が大事で、ルイ・アラゴンのいう
étudier fidélité
学ぶとは誠実を胸にきざむプロセスになり
étudier fidélité
学ぶとは誠実を胸にきざむプロセスになり
⒊ objective view ←他者と共有できる視座を獲得。例えば《PTSDの視座》
この3要素で構成されるのが《観察主体》です。
2020/01/04 07:46:32
Отправлено с iPhone
皆さまも、お大事に。