”青年劇場第121回公演「つながりのレシピ」の感想” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

リブログ元記事の冒頭を転載:

2019年は、正念場の年です。

憲法9条を中心とする憲法改悪を断念させ、沖縄の辺野古新基地建設をストップさせ、「自己責任論」を背景に進行し続ける社会保障切り下げに歯止めをかけ、特定秘密保護法・戦争法・共謀罪法などの悪法の廃止を求め、「働き方改革」一括法に含まれている毒を制し、よい部分を生かし、労働者をはじめとする99%の人たちのいのちと健康と働く権利を守るために行動し、憲法が活きる社会となることを目指し、声を上げ続ける…

諦めたところで…

ヤツらの思う壺ですよ!

“《なかったことにする》ストラテジー”

カルト組織の阿漕なところですからね。

いつも当たらない星占い』へのコメントに加筆&リンクを付けました。

https://ameblo.jp/aya-quae/comment-12454266954/
  • aya-quaeさんのサムネイル
    Re:無題
    >cheyenne-chalon2さん

    「観察眼=人生経験」というのは少し違って、
    「《観察主体》が損なわれていると、《主体性のある学び》ができない」
    と表現したほうが精確です。

    例を挙げますと、ひと頃、話題になった《オムツ女子》という現象があります。職場で席を外すと、その間に自分だけ何か見聞し損ねたことによって、キャリア・パスを着実に進んで出世する上で足を取られたり職場でイジメのターゲットになったりしないように、オムツをして(自分一人がトイレのため)職場で席を外すことがないようにする勤労女性がいる…ということでした。トイレ休憩も自由に取らせないセルフネグレクト強要を受容させる職場環境のなかで、トイレ休憩を自分だけ取ったら後で足を取られた事実を目撃したなどの外傷体験によって鋭い
    「観察眼=人生経験」
    が身についた…と言えば、言えなくもないことです。しかしながら、
    「トイレ休憩も自由に取らせないセルフネグレクト強要を受容させる職場環境によって、《観察主体》が損なわれているため《主体性のある学び》ができない」状態に陥っているのです。これがCPTSD患者さんが作られていくプロセス(←PTSD現象)であり、感情を解離しています。感情を解離していない人は、「トイレ休憩も自由に取らせないセルフネグレクト強要を受容させる職場環境」を《悲心》を持って反省するので、勤労者の一人として職場の精神衛生を改善するように声を掛けていくでしょう(→組合を作ったり一人で入れるユニオンに加盟したりして労働運動に参加する流れ)。
    感情を解離している人は、同じ状況に置かれても《悲心》を持たず《非情》になって
    “《なかったことにする》ストラテジー” で生き地獄の形成/拡大に勤しむ
    ようになります。

    「CPTSD患者さんはその人生経験を積んだ時空間が解離状態だった」
    …解離しているのは《感情》です。

    「ASは解離してたせいで人生経験が普通の人よりも少ない」のでしょうか?
    何を解離していましたか?
    感情を解離して《非情》になっていたのですか?
    良心を解離して香山リカさんのようになっていたのですか? ←《良心の解離》状態で年齢相応の「人生経験」を積んで “clever” になったと評価する世相は問題がありませんか?

    コメントありがとうございます。
    2019/04/15 08:17:15


“ātman animated by soul”


皆さまも、お大事に。