レヴィナス | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。


⒈ いかなる?ひらめき?も最初は「“Il y a …” のざわめき」(©︎ レヴィナス)ではないでしょうか?

⒉ それを言語的に表現したものを通常、“pensée” と称します。
pensée kmomoji1010 – Google 検索
https://bit.ly/2Jt9ONF

⒊ 西洋世界では「はじめにロゴスあり」=言語として発せられたとき初めて存在を認識されます。

⒋ ムスリムは「読め!」からスタートします。

⒌ 母語や思考言語に無関係かつ数学リテラシーで数学的な表現をする以前の「思考実験」は多次元ムービーのようなイメージであり、
「考える時って言語が関係あるのかな?」
「全然、ありません…」

…というわけで、気が合うと自然科学者どうしは母語も思想信条も無関係に幸せに共生できます。

そこへ文系人が現れて「理系人は極端な男性脳だ」などと言い出し、日系男児を実験動物として利用すべく暗躍し始めるのです。「女性の悪用CIA方式」「ヤさん方式」を駆使して(アングロサクソンの)「妄想性障害の周囲に信じさせる力」(©︎ kyupin)を発揮する専門家が跋扈し、学会員や心理職が「隠れ虐待」や集団ストーカー行為を企画・実行して、自分らの妄想=“explanatory science” の仮説を証明しようとします。その一人がレイシスト杉山登志郎さんでしたね。2005年9月11日に愛知にて911シリーズの企画に講師として参加されたのですよ。
『ある種の「専門家」に対する不信』
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-10188711190.html
に書きました。
 今やっと、浜松医科大学の受験志望者が4割くらい減ったそうで(それがもし本当なら)素晴らしいことです。愛知で2005年に開かれた講演からして「当事者本が出揃い…」という「なんちゃって研究」でしたから「勘弁してください…」だったのです。その上、人道上の罪です。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12390681581.html
一体、どういう医療を提供なさるのでしょうか…浜松医科大学は?
杉山登志郎 site:.ameblo.jp/aya-quae/ – Google 検索
https://bit.ly/2zIEMlm

話は戻って、上述の⒌ですね、
気が合う自然科学者どうしは母語も思想信条も無関係に幸せに共生できます。ちょうどMPEにお世話になった際には隣室が Schwentker さんだったので…ちょちょと話を聞きに伺うといつも何かクラシック音楽を聴いて、時として指揮しておわしまして、チェリビダッケも歳をとってバラツキがあるからコンサートに行くより名演奏の録音を聞き込んだほうが勉強になる…とか助言され…一理あるものの、私は指揮の勉強にコンサートに行くわけでもないし…そもそもROSAT(X線天文観測衛星)のデータについて質問するために来たのに、どうして音楽の勉強の話になるのか?…というか、まあ、いいのですよ、皆さま熱烈に音楽ファンですから。

神田橋医師らは、折衷案とも言うべき仮説をお出しになりましたが、
⒈ 科学は科学哲学なしに成立しない。
⒉ 系統を考えない分類は間違える。
⒊ 科学的な仮説を立てるのであれば、どうしたら仮説の真偽を検証できるか?…を論じ得る科学哲学の裏付けがないとダメ。
という3つとも外していました。

結局、“explanatory science” の仮説には目もくれずに臨床現場で専ら “descriptive science”=観察&記述に徹した末田耕一医師が来談者中心の面接によって、来談者が「意味のある言葉」を発するようになるアプローチがあることを見い出したのです。その臨床知見によって逆に、これまでの心理職や精神科医の多数派が「なんちゃってラポール」状態であることを
露呈してしまいました。つまり我々=人類社会の構成メンバーは、人類史が「PTSDの世紀」に突入した=人類社会がフラット化した社会現象を事実として共有せねば、現在、医療がぶち当たっている「バカの壁」(©︎ 養老孟司)=「PTSD否認」状態に対処しようがない…ということです。

「PTSD否認の医療は
本当に罪ですよ」©︎ 翠雨先生
”たとえば「命の教育」……”
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12390865159.html

実は、兄がアドラー心理学で止まっている身体医なので、誠心誠意、患者さんの不定愁訴を聴いて、患者さんは「言いたいこと全部、聴いてもらって、気持ちはスッキリ」でも、実は身体疾患の診断に意味がある情報は殆ど含まれていないわけです。しかしながら、「言いたいこと全部、聴いてもらって、気持ちはスッキリ」ということは、気がすんで精神衛生にはプラスですよね。でも、アドラー心理学で止まっている身体医だから、無意識の病=PTSDは治せないし、泣くに泣けない状態に陥って緑内障になりました。なってしまったものは後戻りできない(←歴史に “if” はない)という意味で仕方ないので、「泣くに泣けない状態」(←心因)に対処して緑内障の悪化を緩めつつ眼科医で身体的な処置=“treatment” を受けるのみです。
“treatment”、“healing”、“cure” については
https://bit.ly/inDieKur2nehmen
に書きました。

「アドラー心理学で止まっていると、無意識の病は治らない」という点がキモです。

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皆さまもお大事に。