あ~どうしたものか

ライフコースとやらを外れ、一応(← 抗うつ剤で持ち上がるということで、さように説明されたか?)「うつ病」ということで低迷する日々の書き散らし。
記事URLの表示:「コメント」をクリックして表示されるアドレスから末尾の「#cbox」を除くと記事 URL。

このブログは、ごたごた訳の分からんことを排泄しておりますが、こんな面倒くさいことになったのは、元はと言えば20歳のときに自分で行った精神科で、死に損なった(自死は止めてもらえた)ことは感謝しますが、根掘り葉ほり、あれこれ訊かれて私なりに真面目に応答したのに、全然よくならず、そのうち精神科医に会うのが当時の生活のなかで最大の負荷になったので、通院をやめたという経緯があったのでした。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10941499962.html
> いつかも書いたが、「精神科にかかっ
> たら、いきなり副作用で大変な目にあ
> った」というのは避けたい。初診時の
> 精神科医療の心証を良くしておくのは
> その人の予後を左右する。
精神科にかかって、いきなり薬物の副作用で大変な目にあったわけではありませんが、初診時の精神科医療の心証は決して良くなかった(← 精神科医に会うのが当時の生活のなかで最大の負荷になった)ため、通院を中断して、こじれました。

自我構造さえも個人差があるとかなんとか言いつつ迷走するうち、これは平たく言うと「頭が弱い(器質性疾患)」ってことで、落ちたのは「心因反応」と考えるほうが合理的と(素人の自分が勝手に)判断(← 「診断」は医師がするもの)。ついでに周期性嘔吐症、過敏結腸との関連から腹腔の状態に重要性を実感、やはり中華文化圏に属する日本人は丹田を重視して身を修めるべしなどと考える次第です。また、「主治医に依存」はダメで、自分の感覚を研ぎ澄まして、主治医にフィードバックするのが大事のようです。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10028523900.html

私個人は、主治医に対して「ちぇっ! 一杯食わされたか~」
と後になって思ったりする程度の距離感で OK です(← おそらく大きな個人差がある)。少なくとも言えることは、患者が “No” を言えない状況に追い込まれてしまうようでは「治療共同体」とは言えないということです(← 一方的に処方されて、薬害に陥ったりする結果になりがち)。

「『種』よ,人の望みの喜びよ」ならば、カモノハシ問題の罪ではなく、「physical eventsは解釈に依存しない」という科学的信念を顧み、私たちに平和と一致をお与えください。脳のエイジングに個体差があるせいか、いろいろ起きる不都合と、パキシルで治った確認強迫と両方あるのは、カモノハシの罪ではありません。なお脳のエイジングに個体差があっても、犬や猫もなる PTSD、誰でもなるそうです。アッパラパ~な人は神経症にはなりにくいかも知れないけど。全然、ならないわけではないということです。

「神経症にならない最高の方法はあらかじめ統合失調症と診断をつけられておくこと、と書いたことがある。ブラックユーモアです。大事なのは鑑別診断ではなくて、今この人に何をするとよいのかということです。分類して焦点化するのは、対処法を考えるためであって、分類戸棚にしまうためではない」(© 神田橋先生『療育技法マニュアル 第18集』p.80)



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コメントしようとしたら、できなかったので、こちらに貼り付けておくことにした。他人の褌で相撲を取るのはよくないとも反省した。

「精神科医療がこのままでは存続が疑問視される」(http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-129.html)ことは、現時点での持論や立場を超えて広く共有できる事実かと存じます。私は、DV親父殿が多重人格として理解できるのは意味のあることだと考えますが、息子にとっては、そんなふうに理解したところで、「落ち着きがないADHD傾向のお前が悪い。解離した親父殿は気の毒で保護する必要がある。お前が死ね」と言われるだけなので、さような精神医学に何の意味も見出さず、反精神医学です。「発達障害」論に検証に耐える内容がないのは仰るとおりで(← “You know every world will have its test” http://youtu.be/-HrOjyltyEM)、そういう精神科は『悪霊にさいなまれる世界』(http://bit.ly/JhTWxQ)になっています。 http://amba.to/IPlAvS の議論に参加する時間は割けませんが、反精神医学です。


2012年5月31日追記:ADHDに関連して、何が精神科の治療対象になり得るか?——について。

http://now.ameba.jp/aya-quae/1141656836/
また「発達障害脳」と科学めかして殊更ラベリングして、教育的かどうかは、私個人は非常に疑問だ。特に「善玉ADHD」などというのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判る。 http://amba.to/KkkRr0 のKO男子学生は「勝てば官軍」と了解した未治療PTSD

http://now.ameba.jp/aya-quae/1141659643/
と言えるだろう。ところが「発達障害脳」として観れば「悪玉ADHD」ということになるのだろう。このほか「危ない橋を渡るのはバカだよね」「猪突猛進、ただのバカ」と思いつつ、表面上は静かにしている「日和見ADHD」というのがいると仮説を立てることができるだろう。まあ、いいけど、それって

http://now.ameba.jp/aya-quae/1141663609/
一体、何の意味があるのだろうか? > 長沼先生のファンの皆さま。仮説を立てるのは自由だが、社会的に機能しないという意味で、臨床現場や教育現場では、あまりにもナンセンスな仮説に思えてならない。違うのか? 落ち着きがないクソガキが「悪玉ADHD」にならないように、PTSD予防学習を…

http://now.ameba.jp/aya-quae/1141663966/
するほうが実際的だと私個人は考えている。

「落ち着きがないクソガキが『悪玉ADHD』にならないようにするPTSD予防学習(http://bit.ly/LHUesl)」は「学習」だ。学習させることは「教育」の一環だ。

一方、「発達障害脳」と科学めかして殊更ラベリングして「善玉ADHD」(©長沼先生)などというのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判るから全然、教育的ではない。ADHD治療薬(http://bit.ly/KY3fNe)と称する薬物で一時的にであれ、あわよくば集中力を上げる——つまり「ドーピング」して数学オリンピックにでも出すというのは国威発揚のためには結構かも知れないが、教育とは「本人が本人なりに発達するように支援すること」だとすれば、教育とは言えない

繰り返しになるが「善玉ADHD」というのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判る。 http://amba.to/KkkRr0 のKO男子学生を「悪玉ADHD」と診断しても(仮説を立てるのは自由という意味で)自由だが、「悪玉ADHD」が「善玉ADHD」になるように治療するには、「勝てば官軍」という「勘違い」を治療することになるのだから、ご本人が向かい合わなければならないのは「発達障害脳」ではなくPTSDなのだ。要するに、「悪玉ADHD」が「善玉ADHD」になるように治療するのが精神医学だというなら、PTSDを診なければ話が始まらないということになる。

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2012年5月20日追記:同年同月24日、引用したブログ記事の変更に伴い改訂。
http://bit.ly/L4tG7v 「ホクガン説というのがある」には、精神科の「早期介入」(http://bit.ly/KgVtkm)に大きな人道上の問題があることを変な譬え話で否認(←PTSD の症状)して、臨床現場で迷いつつ模索していくべきなのに、迷うのをやめて(躁的否認←PTSDの症状で)生きていくことに決めた精神科医(←何じゃそりゃ? 躁的否認で生きる精神科医? 理系バカな私には理解できないよ~)の姿が書き留められている。このような態度に、死の恐怖を味わった患者もいたようだが、気になさらないらしい。患者に死の恐怖を味わわせるのは治療的でないという配慮はないのだろうか。サリヴァンは男性患者が萎縮しないように男性病棟は全員、職員も看護師も男性のみとしたという(加藤澄『サイコセラピー面接テクスト分析』p. 16)。萎縮しないように配慮するどころか、患者に死の恐怖を味わわせても意に介さないのでは、医療行為そのものがPTSD患者を作ってしまう「医原病」としてのPTSD発症ではないか。以下のブログに

http://ameblo.jp/kyupin/entry-10941499962.html
> いつかも書いたが、「精神科にかかっ
> たら、いきなり副作用で大変な目にあ
> った」というのは避けたい。初診時の
> 精神科医療の心証を良くしておくのは
> その人の予後を左右する。

とあるのは、医療行為そのものがPTSD患者を作ってしまう「医原病」としてのPTSD発症を避けないと拗れるというケースも含まれているのではなかろうか。


それとも「わかっちゃいるけど止められない」(©植木等 http://bit.ly/KC7uDu)のか? もし、そうなら、それはPTSDの症状だぞ。メンヘラの私に言われたくないだろうけどな。

こちら、お奨め。→ http://youtu.be/JGf_gs2320o

日本の文化程度も上がってきましたなぁ。おフランスもあるでよ。↓

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なお、YouTube にも出ているが、息子もまだローティーンだし、直接リンクするのは遠慮した。ご覧になりたい方は、
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でネット検索(http://bit.ly/K6Ey5w)なさってくださいませ(2012年5月22日追記)。



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他所さまのブログ記事 『その行為、贈与or貸付?』 http://amba.to/Ixpc9A「溢れ出る疑問符に対し、たいていの人は怒りを返してきます。それはやむを得ない反応ではありますが、怒られたところでわかるようにはならない」——これは、現代の核問題についても当てはめられる普遍性のある問題。核問題をどうにもできずに、ここまで引きずってきながら、原発推進派は次世代に対して「豊かさを贈与してきた」と無自覚に騙して(←悪気はなく自己欺瞞)、結果的に問題のツケを次世代に押し付けてきた。

この贈与でも貸付でもない詐欺——「我とそれ」の関係(http://bit.ly/JqZalG)に気づいてしまった若い人はPTSDになる。しかし、“For True Story”(http://bit.ly/JOHEYW ←定冠詞が付いていないことで統一見解に達することはあり得ないことが示されている)で各人が “I struggle against despair” という以外に出口はない。そういう状況で同時代の地球上で生きていくのが現実。少なからぬ人が解離して、その結果、テロや暗殺、犯罪や事故が起こるのも無理はない時代だが、それでは解決にならない。それでは、状況の囚人であることに甘んじることになる。

http://now.ameba.jp/aya-quae/1092999682/
> 野草、キノコや山菜、川魚まで生活環
> 境で食べられるものが食べられなくなっ
> て大打撃ですね。これは誰も贖うこと
> ができません(涙)。300年くらい待
> つしかないのです。
と書いたが、こうなってしまたことの衝撃は大きく、ときどき私も茫然自失という状態になる。気をしっかり持って、PTSDの悪化を予防する必要がある。つまりは修行であり、日本人の多数派にぴったりくるのは平生業成(©親鸞)だろう。


また別のブログに付いたコメント http://amba.to/IKym4W では「(薬物を)飲まされた当事者が報われることはない」というのが特に問題だろう。親から子どもが薬物を受け身に「飲まされた」段階で、親子関係は「我とそれ」(http://bit.ly/JqZalG)になりPTSDどうしになっているから、そのあとは PTSD解離人格どうしで傷つけ合うことになってしまうのだ。

野村進『救急精神病棟』(講談社文庫)pp. 363-375 のケースは、そもそも「超早期教育」(p. 368)をやる母親がPTSD患者ではなかろうか。母親本人が自分の人生に行き詰まっていて、娘も自分のように健康に平生の暮らしを重ねてゆけば、結婚して子どもを産んで幸せに暮らせると普通に考えることができない。このご夫婦は「モラルについて」(http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10844003083.html)で書いたように「『配偶者が自己実現し損ねてきたことを、自分が置かれた境遇のせいだと恨みに感じること』を回避する現実的な対処が必要」なのに、それができなかったためか、主婦の奥さまがPTSDになっているのだと推察される。我が家は親父殿が重症のPTSD(← おそらく多重人格。つまり解離が常態化、慢性化した重症PTSD)なんだが……。ともあれ、母親本人が自分の人生のあり方に傷ついているからこそ——自分のようなツマラナイ主婦にならず「個性」を開花させることにしか目が行かないPTSD性の視野狭窄に陥っていたからこそ——子どものその後の発達に如何なる影響が出るか判らない侵襲の大きい「超早期教育」をやるのに、何ら躊躇することがなかったものと考えられる。そのことに対して、やられた側のお嬢さまは、
> 彼女の記憶が始まる幼児期にまでさか
> のぼって、母親が彼女にしてきた無理
> 強いをひとつひとつ具体的にあげては、
> 執拗になじる。無力な幼い自分を「人
> 工生命」に改造して、「精神病院にぶ
> ちこむ」まで滅茶苦茶にした張本人は、
> 母親の「アンタだ」と言うのである。
> (上掲書、pp. 371-372)
なお、この段落は「センターへの通院が、いつのまにか彼女の中では『入院』にすり替わってしまった」という一文で締めくくられているが、この文は余分な一言だ。上に抜き書きしたように、母親がPTSDだから自分の人生に満足できず、娘に自分のようなツマラナイ主婦にならず、「個性」を開花させるべく侵襲の大きい「超早期教育」をやり、その結果、娘である「彼女」が「彼女の記憶が始まる幼児期にまでさかのぼって、母親が彼女にしてきた無理強いをひとつひとつ具体的にあげて」抗議することになったのだから、これは「トラウマ返し」であり、親が受け止めてやるしかないものだ。

「センターへの通院が、いつのまにか彼女の中では『入院』にすり替わってしまった」という一文で、娘である彼女の認知が細部においては事実から外れていることを指摘して、「トラウマ返し」に相当する抗議内容まで「執拗になじる」と表現しているところに、親側というか大人側の自己正当化に加担している著者の姿勢が如実に表れていると私個人は考えている。

細かいところは事実誤認があるにせよ、この女子高校生は判っているのだ——自分の自己統制感をダメにしたのは、母親が「超早期教育」を無理強いしたことと、覆面投薬でハリペリドール(セレネース)を服用させた(上掲書、p. 371)ことだ——と。つまりPTSDなのだ。

そういうわけで、他所さまのブログに付いたコメント http://amba.to/IKym4W では「(薬物を)飲まされた当事者が報われることはない」というのが特にポイントになるのだ。親から子どもが薬物を受け身に「飲まされた」段階で、親子関係は「我とそれ」(http://bit.ly/JqZalG)になりPTSDどうしになっているから、そのあとは PTSD解離人格どうしで傷つけ合うことになってしまう。そういう状況なのだと観察して、出口を探さないと、死人が出る。上掲書のケースでは娘さんが自殺して話が終わってしまっている(上掲書 pp. 385-387)。娘さんが内容的には
(1)自分の自己統制感をダメにしたのは、母親が「超早期教育」を無理強いしたことと、覆面投薬でハリペリドール(セレネース)を服用させた(上掲書、p. 371)ことが原因だ。
(2)服薬を続けても良くならない。
——と2つのことを訴えているのに、周囲は薬物で鎮静することばかり考えている。そのような状況に置かれて絶望しないのは難しい。


こう考えると、発達の問題に対処するにはエピソード記述(http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/psychol/kyoin/kujiraoka.html)という現象学的アプローチ、拗れないためにはPTSD予防学習(http://ameblo.jp/raingreen/)、既に拗れてしまったらPTSDキュア(http://ameblo.jp/phantom-nightmare/)ということになるだろう。




テーマ:
心身一如の身体意識が残っている中華文化圏に属する日本人が、肉体と精神を分ける西洋医学でしかあり得ない「精神科」と遭遇して、混乱してきた歴史を思い起こし、他所さまのブログ
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11232210410.html
に長大なコメントをしたので、ここに貼り付けておくことにする。なお、誤変換の消し忘れは訂正した。

「治療ストーリー」
「覚せい剤は、タダの興奮剤」かどうかは、議論の余地があるかも知れないと思いました。パロキセチンは頭をはっきりさせる点で「覚醒剤」の一種です。パロキセチンは頭をはっきりさせるから、耐えられないトラウマを引きずり出してアクチベーション・シンドロームに繋がってしまう場合があるというS先生(http://ameblo.jp/phantom-nightmare/)の説に私は賛成です。つまり、毒になるものは薬にもなり、「薬あればとて、毒をこのむべからず」(©八木晃介『優生思想と健康幻想』2011年、批評社——の副題)というのがポイントではないでしょうか。

「結論として、精神科医は、精神疾患を治療できると言うのはただの概念的事実」——というか、それが「治療ストーリー」というものでしょう。今朝、『合併症のない虫垂炎では抗生物質が外科手術の代替に』(http://amba.to/Igr8Qj)にコメントしたように、合併症のない虫垂炎の治療についても少なくとも二つの治療ストーリーがあります。いわゆる「精神疾患」には、言語や文化やら何やら人間精神の多様性に依存して、数限りない治療ストーリーがあり得ます。中井久夫先生の言葉をお借りすれば「不精密科学」すなわち「精神の自由度の大きさに対応する科学」(『世に棲む患者』2011年、ちくま学芸文庫、p. 277)ということになるでしょう。

結局は、『医者は現場でどう考えるか』(© グループマン、2011年、石風社)ということ、どういう医者に、患者が治療契約を結ぼうとするかということです。したがって、医療社会学がポイントになります。つまり、八木晃介『優生思想と健康幻想』(2011年、批評社)が参考になるでしょう。

もともと肉体と精神を分けない東洋医学によって立つと、「精神科」という概念そのものがあり得ません。それで、見たことも聞いたこともない精神作用を持つアヘンに、清がやられてしまい(←「無知は怖い」の一例)、アヘン戦争になりました。現代日本で起きているのは、あのアヘン戦争のパロディでしょう。それを止めようとしておいでなのが東洋医(『精神科は今日も、やりたい放題』2012年、三五館)ではないでしょうか。

あ* 2012-04-25 07:41:29


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http://now.ameba.jp/aya-quae/1059799184/ 以下に書いた「なう」のまとめ。
障害児が生まれたとして、その子を育てるインセンティヴを親が持てないのは、親自身がどうにかしないと、どうにもならないという意味で親の問題だ。しかしながら、周りの近しいヒトビトは、様々な態度を取り得る。(1)優生思想に浸りきって親御さんに「間引き」を実行するように誘導することができる、(2)可哀想にと見くだしつつ、親が悲劇の親を演じるように誘導することもできる。……いろいろだと思う。

それでも、子どもを育てるインセンティヴが維持できる親であれば、そうした周囲の人々の言動は車窓を流れる風景のようなものに過ぎない。彼らは色々な思いを、親、特に母親にぶつけるだろう。さらには何とか支援しようとする身近な医療関係者にぶつけるだろう。そうして、母原病だの、医原病だの、いろいろ言われる。何を言われようが一人ひとりの子どもを見れば「病気を診ずして病人を診よ」(© 高木兼寛)なのだから、 “Help more, judge less!” を具体的に実践して行くだけだということが分かるだろう。

2012年4月21日追記:「子どもを育てるインセンティヴが維持できる親であれば」と書いたが、「子どもを育てるインセンティヴが維持できるように親が持ちつ持たれつ暮らして行ける環境が必要」ということだ。親当人が置かれた人的物的環境が如何に過酷なものであれ、常に子どもを育てるインセンティヴが維持できる超人である義務を課して懲罰を強化して責任を持たせようとしても(虐待に走るとき、親は大概、解離しているため)実効性がなく意味がないからだ。2012年4月24日追記:「『べし』は『できる』を含意する」という倫理学の基本テーゼ(©伊勢田哲治『誇り高い技術者になろう』参照)に立ち戻って考えるとよいだろう。

http://now.ameba.jp/aya-quae/1059802964/ 以下に書いた「なう」のまとめ。
多重人格障害を「医原病」と私が考えない理由は、当の本人が「行動障害」に陥り、社会生活が送れないからだ。別に、精神科医が当人に多重人格のレッテルを貼ったから、解離性健忘を生じるようになったわけではないのだ。主人格だけ見ていると解離性健忘だが、欠落していると見られる記憶は交代人格が担っており、支離滅裂に見える言動を整理して行くと、交代人格もまた、十年以上の期間にわたって安定した「人格」であることが理解できる。

我が家のDV親父殿の場合は「障害のある息子を間引きしたい」「障害の元凶たる日本人一族を抹殺したい」意思で、(交代人格としての)言動に統一性があると私は見ている。さように観察、了解したので、私はDV親父殿に憎しみは感じない(← 身体を共有していても悪気のない主人格が本人なのか何なのか、どう考えていいのか今のところ私にも分からない)。このような人物の身元を保証する能力は、私にはないので、もう一生、顔を合わせないようにしたいだけだ。

http://now.ameba.jp/aya-quae/1059807271/ 以下に書いた「なう」のまとめ。
親父殿は、結婚する前、欧州にいたとき、光熱費だったか上下水道料金だったか何か公共料金を払うのに Postbank に行くというから、職場が同じだった私は郵便局に用事があって車に便乗させていただいたことがある。主人格は気さくで親切なのだ。ところが、 Postbank の窓口で長い待ち行列に並んでいるうち、何かあったのか、そのときは筆跡が違っていて(印鑑ではなく署名が必要な欧州の銀行)、預金がおろせず、支払いができなかった。筆跡が少なくとも二種類はあるのだ。日本に来てから出したクリスマスカードを回収すれば、主人格の筆跡は安定していることが確認できるから、筆跡が安定していなかったわけではない。

筆跡の違いが人格——アイデンティティの違いを示す一つの目印になっていると同時に、筆跡が違って社会生活に支障を生じた現象は事実であり、当の本人が社会生活に支障を来すことだ。精神科医が多重人格とラベリングしたから生じた障害というわけではない。医原病などと言っては精神科医に気の毒だろうと思う。当の本人が社会生活に支障を来す状態を社会的に病気と認定するのだとすれば、病気と言えるのだ。「健康幻想」(八木晃介『優生思想と健康幻想』参照)で無理に病気を作ったわけではない。

2012年4月21日追記:「筆跡の違いが人格――アイデンティティの違いを示す、一つの目印」になる件については、服部雄一(著)『多重人格者の真実』(http://amzn.to/HXiyum)p. 83 参照。

2012年4月24日追記:多重人格障害の薬物療法に関しては、ロス(著)服部雄一(訳)『オシリス・コンプレックス』(http://amzn.to/H7Q68p)pp. 135-138 参照。著者である精神科医は
> 抗精神病薬は多重人格に鎮静効果だけ
> を持ち、人格システムを弱らせると考
> えていた。私の知る限りでは分量が正
> しくないためなのか、抗精神病薬はほ
> とんどの多重人格患者に効果は無い。
> また他の多重人格患者の場合には、抗
> 精神病薬が精神的な混乱状態を起こす
> 場合もある。
>  ロッシェルのケースから学んだこと
> は、抗精神病薬が心の分離を抑える場
> 合があることである。
なお、多重人格と分裂症の誤診、多重人格と分裂症両方を併せ持つ中間的な病気についても言及されている。


それでもなお、当の本人が多重人格「現象」を「障害」と認めず、これが私の社会適応のありかただ、この私の人格構造と共存できない人とは棲み分けするから、医療に繋がる気はない——と言うなら、それは当人の選択として尊重されるべきだろう。私は反精神医学の立場にあるヒトの人権も尊重するので、そういうヒトビトとは棲み分けを行ない、これまでのような暴言・暴力が今後は息子や日本人一族にも私自身にも振るわれないようにしたいと考えている。誰であろうと、私人が「私刑」を行なう権利を持たないはずだ。家長が家族メンバーの生殺与奪の権を持っていたのは、旧民法までの話なのだ。

息子も殺されかけてきて、親父が相手を殺しても構わないという態度で暴力を振るうことを身をもって知っているが、「親父=多重人格」説には懐疑的だ。心から親父は悪い人で、普段は表面的に取り繕っているだけなんじゃないかと言うのだ——その可能性はもちろんある。何にせよ、離婚調停が不調で訴訟ということになっても、民事であるかぎり、相手方の精神鑑定は要求できない。現状では私が精神科通院歴があるというだけで、不利な扱いを受けてきた。DV保護法を機能させるために「物証」が要るというのなら、私の死体を提出する所存だ。

2012年4月22日追記:
ADHDに「父原病」(http://bit.ly/I2JPtX)を付けるなど、もう何でもいいらしい。不毛な議論だ。「母原病」のほうが「父原病」より言われるのは、新生児は生存のため母親に完全に依存しており、乳児に「母子分離不安」があるのは当然なのだが、そのまま「母子癒着」では社会に出られないから当然の成り行きだ。男女差別は取り合えず関係ない。

かつての東欧でもそうだったのだが、現代日本でも女性の働く権利が強調されるあまり「母子分離」を急ぐ傾向がある。一時期、離乳(断乳)も急ぐ傾向が酷かったが、今は卒乳を待つことが許されるようになってきたと思う。それでも「母子分離」を急ぐ傾向は依然として強い。「母子分離」を急ぐと早く自立できると勘違いしているかのようだ。

「母子分離」を急ぐ傾向と、子どもの子どもらしい言動に対する社会の非寛容が「母子癒着」を助長する傾向と両方あって、その狭間で、右往左往させられているのが普通の母親たちではなかろうか。そんな社会環境に放置しておきながら、何か子どもが少しでも平均からズレていると、「母原病」と烙印を押せば全部が母親の責任にできる(“Mamma mia!”)わけで、父親も含め、周囲は本当にお気楽なものだと思う。

ゆえに、「母原病」なんて言って、片が付くかのように錯覚させてはいけないと、善意の心理学者が考えるのは無理もない。その善意は理解できるけれども「母原病」を否定するために、子どもの側に「発達障害」があると認定するようにしようというのは、善意でも何の解決にもならず、子どもの可能性を潰してしまう行為だ。

http://now.ameba.jp/aya-quae/1059824531/ 以下に書いた「なう」のまとめ。
善意の心理学者が「母原病」を否定するために、子どもを潰す例は、枚挙にいとまがないだろう。そんなふうにならないように、何ができるのかと言えば、おそらく現象学的アプローチ。保育という観点からはエピソード記述(http://bit.ly/tZFxz1)ではなかろうか。ヒトは悪気がなくても間違えるのだ。このことは、お互い様だ。ゆえに、誰しもが互いに多かれ少なかれ「理解不能の異質な他者」であると「無知の知」がないと、『精神科は今日も、やりたい放題』(© 内海聡)ということになるのだ。

精神科は今日も、やりたい放題/内海 聡

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2012年4月24日追記:アマゾンに見に行くと、いろいろカスタマーレヴューが出ていて、それはそれで参考になる。が、この本のキモは『優生思想と健康幻想』(© 八木晃介)こそ精神科問題の根源であることを指摘した点にあるのではないか。そういうコメントはなかった。

優生思想と健康幻想―薬あればとて、毒をこのむべからず/八木 晃介

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ちなみに、健康幻想の歌→ 「クリープ」
http://ameblo.jp/kyupin/entry-11157341037.html

http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-118.html
のコメントにご紹介があったブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yatuasagitarou/MYBLOG/yblog.html
では、少なくとも「優生思想」が問題となる点には言及されていた。この先生がアマゾンにもカスタマーレヴューをなさると良いかも知れない。

なお、精神科医が「健康幻想」に搦め捕られてしまう件については、
中井久夫(著)『世に棲む患者』p. 34 に指摘がある。
> 第二には、「健康人とは、どんな仕事
> についても疲労、落胆、怠け心、失望、
> 自棄などを知らず、いかなる対人関係
> も円滑にリードでき、相手の気持がす
> ぐ察せられ、話題に困らない」という
> 命題である。患者の持つ超健康幻想は
> つとにオランダの精神科医リュムケも
> 指摘しているが、精神科医もこの幻想
> を分有しているかも知れない。
現状、「精神科医もこの幻想を分有しているかも知れない」どころではなく、環境の過酷さによって、ちょっと落ち込んでいるヒトを捕まえて「健康幻想」に囚われた精神科医が「精神疾患」と決めつけ、放置していれば良くなったかも知れないヒトに、処方薬で薬物依存症や後遺症を生じさせているケースがあまりにも多いと指摘しているのが上掲書『精神科は今日も、やりたい放題』だ。

また、中井久夫(著)『世に棲む患者』p. 277
> ハーバード大学では外来の初診の予約
> に大体数カ月かかるそうで、ウェイテ
> ィング・リストに名前を記載するが、
> その最大の効用は、七割はその間に治
> るか、もっと悪くなって他の病院へ行
> き、結局三割くらいしか診なくて済む
> ということだそうである。
とある。数カ月待たされれば、結構、何もしないで治ってしまうヒトがハーバード大学の精神科外来の待ち行列に並ぶということだ。これと対照的に、日本では、数カ月待てば何もしないで治ってしまうようなヒトを、精神科で「早期発見」して捏ね繰り回して、こじらせているケースが結構あるということだ。こういうのは、上述した多重人格とは異なり、医原病と言って差し支えないだろう。

なお、多重人格とは、重症のPTSDが慢性化、解離が常態化したものと考えれば良いはずだ。解離が常態化して、解離状態の際に体験したことを交代人格が担うようになっているからだ。主人格だけ観ていると、解離性健忘バリバリに見える。PTSDについて、アメブロでは、
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/
http://ameblo.jp/raingreen/
が勉強になる。




テーマ:
“radioactive dust in Minami-Soma”
ネットで検索(http://bit.ly/tU4dwA)すると、トップでヒットするのが
Result of radiation monitoring at parks in MinamiSoma city
http://radioactivity.mext.go.jp/en/1000/2011/09/1000_0922_2.pdf
で、放射性セシウムしか検出されていない。しかし、サンプルを集めたのが2011年7月21~22日、公園であり、“dust” と言っても水溶性のセシウムが染み込んだ土埃だけだった可能性が高い。つまり元々サンプリングが偏っているのだ

上記の公式発表を見て、γ線核種であるセシウムだけ気をつければよいと考え、γ線の空間線量だけ確認して安心してきた人がほとんどなのではないだろうか。私自身も迂闊にもそうしていた。

2012年4月12日追記:南相馬の市議さんのブログによれば、土壌調査でサンプリングの偏りがあることは、南相馬市現地の人々の間では周知であり、詳細な土壌調査を昨年7月の段階で要求していたようだ。
http://mak55.exblog.jp/15698196/
> 過去の核実験では理由にならない 高
> い反応。
> 土壌の詳細調査をしない桜井市長。
>
> あなたは市民の生命財産を守る義務が
> あるが契約不履行 。 無責任だ。
>
> 昨年7月の署名運動「土壌の詳細調
> 査」を無視した。
> 首長失格だ!!

昨年7月は、
http://ameblo.jp/kunotakayoshi/entry-10970206684.html
『2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦―わかりますか?』
世間様で何故か大ウケ(?)していた児玉先生の熱弁があったときでもある。そこのコメント欄にも書いたが、「ジャーゴンで熱弁するのは印象操作の基本」なのだ。私は児玉先生という方を存じ上げないが、ああいうのは、どこのどなたさまがなさるにしても「ジャーゴンで熱弁するのは印象操作の基本」であり、専門家として誠実な姿勢とは言えない。そうではなく理系バカは『誇り高い技術者になろう』(拙ブログで他にも引用→ http://bit.ly/II4SRG 理系バカの必読書)

http://youtu.be/f1U4ApE7spU 8:24「遠隔操作でできるのであればその場所にどんな物体があるのか知りたい」――排気筒の下の部分に当たる瓦礫を撤去したら出てきたという10シーベルトの場所は使用済核燃料が飛び散った跡か? 調査として何が可能か?後の作業として何が可能か?——素直に考えれば誰しも思うことで、私も自分の「なう」にそう書いた(http://amba.to/HCJ9K8)。これはγ線だけで10シーベルトの計器が振り切れ、危険だからと鉄板で蓋をしてしまい、周辺でα線、β線の空間分布は測らなかった(←測ったけど公表しなかったのかも知れないが)とされていた。

誰がどこで、どのような情報隠蔽や情報操作を行なっているのか不明である混乱した状況のなかで、一人ひとりに何ができるのか?——『誇り高い技術者になろう―工学倫理ノススメ』しかないのではなかろうか(『モラルについて』http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10844003083.html)。

誇り高い技術者になろう―工学倫理ノススメ/著者不明

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この「工学倫理」は、金融工学や内部統制(← いずれもシステム運用に不可欠なテクノロジー)を専門とするヒトにも要求される。「癒着」とか「○○ムラ」の利権で談合といった問題も、システム運用のテクノロジーを実務家が誇り高い技術者として活用して行くことで、現実的に解決される。何となれば、ヒトは悪気がなくても間違えるものであり、AIJの問題も恐ろしいことに悪気はないのだ。

ちなみに、印象操作にやられにくいタイプのヒトがいることは、
『思い込みには気をつけよう』
http://ameblo.jp/alien-mind/entry-10170373820.html
にコメントした。


以下、引用したブログの改訂に伴い、書き直した(2012年1月30日)。2012年4月12日現在、引用したブログは存在していないが、私が考察した経緯には不可欠だったので、書き直さないでおくことにする(2012年4月12日)。

ところが、こうした土埃とは異質な黒っぽいダストがアスファルト上(http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11147423088.html)に偏在し、マイクロホットスポットになっている。見た目も近所の畑の土とは異なるという(http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11149093176.html)。しかも、簡易測定器での結果ではあるもののα線核種が含まれていると示唆される。

こうした放射性ダストは、上述した公式の調査(http://radioactivity.mext.go.jp/en/1000/2011/09/1000_0922_2.pdf)から明らかに欠落している。

ダストのサイズ分布は調べられておらず不明だが、風で舞うような微細なものも含まれており、マスクをすれば防げるサイズのものもあるだろう。

また、原発事故以前は殆ど存在しなかった放射性の微量ミネラルが生活環境にばらまかれているのだから、差し当たり、爪ミネラル検査(http://bit.ly/sIYGnb)で取り込んだミネラルをチェックするのがよいかも知れない。セシウムの尿検査、ホールボディカウンター(WBC)だけではチェックしきれない核種があるからだ(http://bit.ly/vl88gQ)。

放射性ダストをドイツ語でも検索してみたらトップでヒットしたのは大甕小学校に取材した2011年12月23日付ツァイト紙の記事(http://bit.ly/rMiiHm)だった。(1)隣の幼稚園は再開できない、(2)校庭の土を剥がして空間線量を何とか1mSv/yr にしたが、剥がした汚染土は校庭の隅に置いてある、(3)保護者の不安が払拭できず、学校への送り迎え、長袖長ズボン着用、外遊びは1日2時間以内と決め、(4)口や鼻の防護(要するにマスク着用)を励行、(5)こうした現状にある大甕小学校を政府やマスコミは放置しないで欲しい——とある。つまり校長先生は「放置されている」と感じているわけで、PTSD になる危険性が高い(PTSD については http://ameblo.jp/phantom-nightmare/ 参照)。当事者が「放置されている」と感じる状況を少しでも緩和するには、一人でも多くの人が少なくとも心に留めておく(rememberfukushima http://bit.ly/u62Foy)ことだ。

状況は混乱しており、ハザードに対する心得――「想定に捕らわれるな」「最善を尽くせ」「率先避難者になれ」——と片田先生(http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/)が仰っていたことは、実践されないまま今に至っている。この状況から脱するには、「『学者』『行政』『マスメディア』『住民』…の間には健全な緊張関係が存在してしかるべき…密室における馴れ合い…ではなく,その災害にかかわるすべての情報を四者全員が迅速に公開して共有し,互いに競争しあう関係が望ましい。そのときインターネットが情報交換のための有力なツールとなろう」(© 早川由紀夫先生 http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-65.html)。


ところで、世間一般の人は結構、不摂生なので「公衆被曝による影響が疫学的に見えなくなる」(http://amba.to/tR783H)可能性は高い。しかし、そのように高をくくっても公衆被曝の事実そのものが消えるわけではない。「同じ英国内でもウエールズ(http://bit.ly/u2vR9u)は目立つ」ことが福島で確認される可能性が高い。特にα線核種(http://bit.ly/tufHk2)を実測することが重要ではないか。

その際、気掛かりなことは、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34121?page=5 ここに列記された行政側の問題点だ。このように情報の公開を阻んでいると、将来に禍根を残す。これは、思想信条とは無関係だ。「行政が学問を支配すると、行政の都合でデータの隠蔽や歪曲が生じてしまいます」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34121?page=6)——ということを、これ以上、看過してはならないということだ。


ダスト・サンプルの採取からやり直す必要がある。“radioactive dust in Minami-Soma”(http://bit.ly/tU4dwA)の偏ったサンプル検査がトップでヒットして皆、結果的に騙されてしまう。上述した黒っぽいダストはサンプルに初めから含まれていないことに注意が必要だ。


なお、「水溶性でなく染み込まずに残る放射性核種」でα線を出すのはプルトニウム。「水溶性で染み込んで井戸水などに行ってしまう放射性核種」は主にセシウム、ストロンチウム。

つまり原発がどうとか言う前に、(住民に限らず)今、そこにいる人たちは、(今のモニタリングからは漏れている)α線核種を含むと思しき “radioactive dust” を吸い込まないように、せめてマスクをする必要がある。あれこれ運動したり議論したりして結論を待たなくても、予防的にマスクをすることは可能だろう。

ハザードに対する心得――「想定に捕らわれるな」「最善を尽くせ」「率先避難者になれ」と片田先生(http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/)が仰っていたことを放射能汚染に関しても「実直にやってみよう」。

率先避難まではできないなら、「マスクをせよ」が現時点の「最善を尽くせ」に相当する人も多いだろう。マスクくらいはして、風で舞っているらしい放射性降下物を吸わないようにしたほうがいいのは、除染ボランティアや警備の警察官、現地を励ますために訪問なさる芸能人も同じだろう。「風評被害」と言われて困る立場の人ならば「オシャレマスク」(http://bit.ly/yEkPOP)をすればいい。


2012年1月4日追記:福島市のアスファルト上に溜まっている砂について。
「これは普通の砂でした。南相馬市のとは違います。」とのこと。
http://now.ameba.jp/rvf400-1014/810540052/

これは、普通の砂でも、砂があることによって表面積が大きくなる結果、付着するα線核種の密度が相対的に高くなるのかも知れない(← α線でカウント数が高いらしい観察結果[http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11126088237.html]の解釈)。高圧洗浄機で取れないようなので、普通の砂に付着したα線核種も雨水が流れたくらいでは洗い流されないのだろう(← 仮説)。データが揃っていない現時点では、あれこれ可能性は考えられるが、今、大事なことは

(1)南相馬でも福島市でも(おそらく郡山市や他の地域でも西風が山林から吹き下ろす所は同様の危険性があるだろう)広報で、取りあえずマスクをして埃(放射性ダスト)を吸い込まないように呼びかけること、

(2)調査面ではダストのサンプリングをやり直すこと。

特に(2)のためには現地で歩き回れる人に中性子線も測定できるような計測器が必要だ。今回、公式の放射性ダスト検査(Result of radiation monitoring at parks in MinamiSoma city)ではサンプルから漏れていたと思しき「茶色いダスト」が見つかったのも、上述のブロガー氏がα線とγ線の相対強度を見て回ったからだ。


2012年1月27日追記:
http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11147423088.html

> 例の黒い物質が沢山あった!
> ……(中略)……
> 放射性物質が拡散し雨で地表面に落ち
> !更に雨で現在は、アスファルト上の
> 偏った所に集まっています。

たくさんあるというので、立入禁止にして装備をした専門家が採集、分析したほうがよさそうだ。


これとは別に、ほこりっぽい「山の地表面」http://ameblo.jp/rvf400-1014/entry-11150115184.html
も、別の放射性ダスト発生源のようだ。これも風で舞うため、要注意ということだ。また、南相馬市から見ると西風が吹く季節には風上でもあり、水源でもある飯舘村で「除染」をしたり、そこに「仮置き場」を設置したりしたら、一体、どういうことになるのかも懸念される。


参照:http://bit.ly/tj84SC から「本(日本原子力)学会として、一般市民の方々の放射線測定活動は、普段人間の五感に触れない放射線を実感していただき、放射線のリスクを正しく理解いただく上で、おおいに推進し、ご希望に応じて、適切な助言・技術支援を行っていく所存である」

元が反原発だろうが、あとから脱原発を目指そうが、あるいは原発存続であろうが、廃炉技術や核物質管理技術の研究は、どんどん進めなければ話にならないのだ。実態の把握が重要だ。


2012年3月11日追記:神戸大学大学院海事科学研究科山内知也教授が放射性セシウムを定量したサンプルについて、まとめが書いてあるブログ・エントリ ↓
http://nucleus.asablo.jp/blog/2012/03/10/6370090
コメントにも注目。

2012年3月26日追記:
http://mak55.exblog.jp/15623674/
によると、放射性物質を生物濃縮した藍藻が乾燥して胞子を飛ばし、その胞子が黒い物質の正体であり、セシウムだけでも非常に高い放射性を示す。呼吸による内部被曝も危険。最初、南相馬市で確認された「黒い物質」だが、浜通りだけでなく福島市はじめ中通りにもあるという。

こうした藍藻は関東でも存在するという話なので、それなりに生物濃縮が進んでいるだろう。また、乗用車のフロントガラスに「黒い物質」がたかったのを目視したことがあるという人もいるので、車で出かけたときには洗車が重要だ。

なお、このほかにプルトニウムが原発から32kmほどまで飛んでおり、豆類への蓄積が危惧されているというニュースも出た。
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY201203080724.html

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120309/scn12030900590000-n1.htm

原発事故の際に近くの高濃度汚染地域にいた人については、プルトニウム肺沈着(http://bit.ly/yVpqke)も検査して、対処が必要だ。



テーマ:
『◆悪くない、と言われても困る気持ち』(http://amba.to/tL194P)「まずは、『自分は悪くない、と思えない自分』を受け入れることが大事なんだな、と思います」と拝読して——息子にひとつだけ念押しをすべき点は、善悪はさておき、息子が親父に気に入られるように(“Yes”-man を)していたら家庭は壊れなかったか?——というと、それは違うということだ。地雷原で日常生活は送れないからね。いちど地雷原になってしまったら、本人がほじくらないかぎり地雷原のままだろ? そっとしておこう。親父の人権に乾杯して!

さて、「(未治療のPTSD患者なのか?如何なる些細なきっかけでも何回も殺人未遂まで行ってしまった危険な)地雷原(つまりDV親父のいる家)では日常生活は成立しない」——このことは、息子は実感も理解もしている——と考えられる。なんとなれば、息子は(我がDV親父の「怒り」は或る種の絶望の表現かという私の仮説に異を唱えて)親父の暴言・暴力は、相手からオファーされていないものを毟り取るための攻撃性だと喝破したからだ(11月28日)。相手からオファーされていないものを毟り取るための攻撃性を日々、些細なことで剥き出しにする人物とは(それが生物学的には親であれ)共同生活は成立しない。この息子の説が正しいとすれば、親父が穏やかなときは、相手からオファーされていないものを騙し取る策略が奏功しているときに限られ、体よく騙し取れないときには暴言・暴力が出て、相手からオファーされていないものを攻撃によって毟り取ろうとしているに過ぎない。この点に関しては人格のスプリットはなく穏やかなときも恐慌状態のときも「相手からオファーされていないものを何らかの手段で搾取する」という姿勢が通奏低音のように常に貫かれていることになるのだ。こうした親父の態度に対して抵抗した息子は勿論、「悪くない」。

しかしながら、相手方は地雷原の自覚もなく、息子から上述のように見透かされていることにも気づいておらず、あくまでも精神科通院歴のある母親である私の悪影響の所為で息子が「良い子」役を果たせない問題が生じたとしたいらしい。そもそもは家計維持の責任を私ひとりに担わせ、家事についても大概は命令や指示とダメ出しだけ、さらに些細なことで恐慌状態に陥る相手方の病的な状態が十年以上続いた——というのが我が家族が機能不全に陥った第一の原因なのだ。その一例は息子が生まれて1週間目、相手方は不安が強すぎて近所のドラッグストアに紙オムツを買いに行くことすらできなかったことだ。このように息子が誕生して以来、12年以上にわたって相手方の言動による異常事態があることに相手方が思い至ることはない。

こうした相手方の脳内では「自分は何も悪くない」という呪文が被虐児のティーンエイジャーだった頃から繰り返されているだけだ。おそらく、そうしないと自分を保てないくらい弱いのだろう。このことと併せて、些細なことで恐慌状態に陥る(← ストレスに極度に弱い)ことも、未治療のPTSD患者と考えれば説明がつく。この私の考察がもし当たっているとしても、相手方本人は一切の治療を受け入れないため、S先生(http://ameblo.jp/phantom-nightmare/)のような医師と診療契約を結ぶことはない。

どのような医療を受けるかは相手方の人権に属することであり、生前の父は相手方の実母が結婚式当日に「物盗られ妄想」で悶着を起こしたことも、相手方が日常生活に支障をきたすほど不安障害に囚われていたことも直接、指摘したことはないし、何とか病者として保護して差し上げるようにと私に話しただけだ。兄にさえ口外していない。ましてや自ら心身ともにケアを必要とする状態だった余裕のない母(=父からみれば妻 ← 癌になる前はキッチン・ドランカーの長女として強迫神経症タイプで病的、癌になってからは癌に罹患したゆえに心身ともにケアを要した人)に話したことはない。これまで直接に指摘しなかったといって、相手方母子(私が離婚しようとしている配偶者とその実母=私から見れば姑)に異常性がなかったということにはならない。彼らの異常性を指摘しなかったのは我々の心から出たもので(szívesen)、それを踏みにじることは許されない。

後述するベッドの件で実母を罵倒していた時点で、相手方は一切、ドラッグをやったことも精神薬を服用したこともなかったので、こうした言動が薬害による攻撃性でないことは明らかだ(“Nem ettem bolondgombát” というわけ。→ http://amba.to/ocNkDM)。

息子が相手方とともに本国に行ったあとは、私はDV親父を保護するための過度の緊張が一気に緩んだため少々調子が狂った。しかし、初めのうち——最初の彼らの悶着は半年くらい経ってからのベッドの件(後述)だったわけで、その前は相手方母子も息子もうまくいっており、私は、そうした状況を確認しつつ、相手方に家の修繕費、光熱費、食費を提供するために稼業だけでなく、帰朝時に息子の居場所があるように状況を維持するのにPTA役員をやったりして忙しかった。それなのに「空きの巣症候群」と言われたりした。DV親父留守でほっとしているのに「寂しいから調子が狂った」とか、とんちんかんな憶測を投げ掛けられたりもした。こうしたことは社会的マイノリティの悲哀だ。真面目に申し開きをしていたら毎日、それだけで終わってしまうため、現実問題、放置するしかない。人の口に戸は立てられないと割り切ることが重要だ。

一方、息子は相手方の本国でADHDのスクリーニングにかかり(← 息子の伯父=私の兄や、息子の祖父=私の父も引っかかるだろう。一方、私はADHDっぽいところもあるがAQ——自閉症スペクトラム指数——41のほうが際立つタイプ。おそらく私の祖父=息子の曽祖父もAQスコアの高いタイプ)、それが相手方に「母親の家系に問題あり」とする論拠を与えたようだ。確かにドパミン出過ぎが疑われる変な人が多い理系バカの家系というのもあり、30年ほど前に「キチガイの家系」などと罵られたこともあることは否定できない。相手方が本国に連れて行ったあと息子に側湾症の疑いがかかったとき、私の血筋が側湾症に違いないと相手方は罵倒。側湾症はいないけど…すると、次は姑(=夫の実母)が用意したベッドの所為だと姑を罵倒。「う~ん、ベッドの所為なのか?」と私は疑問に思いつつ真相は当時、薮の中だった。いずれにせよ、現場に行って事実を確認しないと真実がわからない器質性妄想(http://bit.ly/tK8kX4)だからだ。

その当時の息子の側湾症傾向は相手方が原因だと昨秋になって(息子からの聞き取りが進んだことで初めて)判明した。相手方は、息子のことが心配だとして、毎晩、息子を抱きしめて寝ていたというのだ。息子は親思いなので窮屈で苦しいと感じながらも我慢したという。そのように同じ向きに半年も寝かせて寝返りも一切打たせないのでは、背骨が曲がってくるのは当然だろう。こんなふうに、不安神経症の親が子どもを壊していく実例だ。それでも相手方は自分の行為(=毎晩、息子を抱きしめて寝ていたこと)が結果的には虐待になっていたと自覚することは全くなく(←「隠れ虐待」© 東洋医)、全部、自分の母か妻の私が悪いという記憶しか残っていない(← 経験から学習できない「学習障害」様の症状)。ここでも「自分は何も悪くない」という被虐児時代からの呪文が繰り返されただけだったせいで、表面的には経験から学習できない「学習障害」様の症状に見えるわけだ。

このような事態から相手方が脱却する道があるとすれば、それは「自分は何も悪くない」を「病気になったことに責任はなく、各依存症(← 私の相手方の場合は暴言・暴力依存症)になったことを非難されることもありません」(http://ameblo.jp/makiko0106 ← 非常によい表現だったので引用したが、残念ながら、このブログは現在、存在しない)と言い換えることだ。なんとなれば「自分は何も悪くない」というだけでは、自分の人生に対する責任感を取り戻すことができず、 http://amba.to/scYsdzにあるように「『ケッ!かわいそう過ぎる私をどうしてくれるのよ!』って感じ」で終わってしまうことがあるからだ。この点、両者は似ているようで、全然、違う。

残念ながら、相手方は「『ケッ!かわいそう過ぎる私をどうしてくれるのよ!』って感じ」(http://amba.to/scYsdz)のまま現在に至る、未治療のPTSD患者のようだ。出口は「病気になったことに責任はなく、各依存症になったことを非難されることもありません。しかし、回復(癒されるため)の義務と責任はあります」(http://ameblo.jp/makiko0106 ← 非常によい表現だったので引用したが、残念ながら、このブログは現在、存在しない)と理解して、将来的にも解離性の犯罪を犯さないように、相手方が本国に送還されて・母・語・で・(← 本人の身体意識と実感が伴うセッションで)PTSDの治療を受けることだろう。そうして初めて、本人は、ただの被虐児から、自分の人生に責任を持つ人間になることができるはずだ。

実父から殺人未遂の憂き目に遭った息子は、今なお「安全の確立」(生存を脅かされない人的・物的環境)を求めている段階だ。何しろ、相手方は自分の本国で息子と二人きりのときにやらかした殺人未遂をはじめとする児童虐待を全面否認。物証がなく立件されないので「『ケッ!かわいそう過ぎる私をどうしてくれるのよ!』って感じ」(http://amba.to/scYsdz)のままで、私の離婚申立も拒否している。私は離婚調停が不調に終わっても、訴訟に移行させ、今後、二度と相手方と関わり合いにならないで済むように全力を尽くすつもりだ。さもなければ、相手方が既遂の「一族皆殺し」の脅迫が早晩、現実になるだろう。これは悲劇でも何でもなく、一方的な執着と支配欲を本人が「愛」と勘違いしても、そんなものは誰も受け取れないということに過ぎない。

ここに、「虐待の連鎖」という現象の一例が確認されると私は見ている。

2012年5月15日追記:↑ 個別例は常に特殊とはいえ、一例として参考にするには何だか話が特殊すぎるようにも思うし、これで終わっては「じゃあ、どうすりゃいいのよ?」という話になってしまうので、気になってはいたのだが、日本における児童虐待への取り組みは現在進行形。「こうしましょう」というメインストリートは、まだ、ない。それで、今日、アップされた拝読ブログのエントリを挙げておくことにした。↓
http://ameblo.jp/yuzu-waifu/entry-11070339270.html


2011年12月10日追記:
削除されてしまった上掲ブログで紹介されていた論文2編。
http://www.jamas.or.jp/service/service_o/service/copy
論文複写サービスにて、

誌名「広島医学」発行年「2006」「59巻11号 pp.814-830」
論題「東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆の両方を経験し複雑性外傷後ストレス障害(complexPTSD)を呈した1例」と、

誌名「広島医学」発行年「2007」「60巻3号 pp.193-203」
論題「元帝国陸軍兵士が複雑性外傷後ストレス障害(complex PTSD)を呈した1例」を併せてメール便にて複写を依頼すると、合計2,730円

2006年の論文は、被爆後何十年も原爆障害調査委員会と放射線影響研究所の検診を近年まで受け、身体的な異常は指摘されなかったのに、不眠症状、めまい、意欲低下、抑うつ感、後に記憶障害、見当識障害が出たが、複雑性 PTSD として治療して治ったという話。この患者は平和記念式典は回避していた。← ここがミソ。自然回復が起きるような環境にいないと何十年経っても発病する。

一方、自然回復が起きる状況については、中井久夫先生がお書きの記事から抜き書きしてある(http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10136937371.html)。しかし、全員、自然回復で何とかなるわけではない。それで、PTSDのデータベースが機能してくれないと困る。


2011年12月12日追記:パロキセチン(=パキシル)の効果。
「長期治療患者がパロキセチン服用後に広島原子爆弾による北西山間部黒い雨を浴びたトラウマを想起した複雑性PTSDの一例」
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-11104763926.html

誌名「広島医学」発行年「2004」「57巻5号 pp.479-485」論題「児童期虐待の被害経験者が複雑性外傷後ストレス障害(complex PTSD)を呈した1例」は
http://www.jamas.or.jp/service/service_o/service/copy
論文複写サービスにてメール便なら997円。

註:私個人の服用体験では、パキシルは頭をはっきりはさせるようだ。「コーティング効果」(http://ameblo.jp/kyupin/entry-10112962082.html)もあると感じられる。

2012年5月10日追記:「コーティング効果」の正体は、私個人の体感をよく考え直してみると、音に対するSN比(← 信号と雑音との比)が低くても信号が拾えるようになる「覚醒」効果なのではないかと考えられる。これは、あくまでも私個人の場合であり、他の人の場合はまた話が全く別だ。

パキシルはクオリアまで変わってしまう人がいるというので、要注意な薬物だ。

2012年5月10日追記:さらに、パキシルに対する忍容性は非常に低く、パキシルを抗うつ剤として用いた場合の有効性ランキングで見ても極めて低いことは業界では常識らしい。→ http://ameblo.jp/kyupin/entry-10994381279.html
そういうわけで、こういう薬物を “Russian”(http://amba.to/Ljz34w)roulette風に運試しに使うのはお奨めではない。パキシルを使いこなせる精神科医に掛からないとダメだ。

なお、パキシルによるアクチベーション・シンドロームと解離性健忘は切っても切れない関係にあるという。《上掲ブログ内の検索結果》http://bit.ly/sX92x3

2012年5月14日追記:拝読ブログのエントリ
http://ameblo.jp/sting-n/entry-11250498181.html
に、SSRI一般の長期服用によって、感情の平板化はじめ不可逆な変化がある点、注意すべきことが纏められている。SSRIでは私はパキシルの服用経験があるものの、それほど長期ではない。


いずれにしても、ほいほい服用するような薬物ではなく、リスクと便益のリスクトレードオフを慎重に検討すべきだ。




テーマ:
Giovanni Francesco Anerio - Requiem - Kyrie (Missa pro defunctis)
http://youtu.be/0NhrUkI3X30





悼みつつ、できることを模索しつつ。
合掌。

付記(2011/06/28):特別に ↓ 会員でなくても全ページ読めるそうです。
自分の目で被災地を見て、何かを感じてほしい

↓ 前々から南三陸町の写真を掲載しているブログ
http://usmletoer.exblog.jp/

↓ 南三陸町を支援するブログ。支援物資の集積場所などの情報。
日本の復興を応援しよう!
http://www.tonozuka.net/SHIEN/TOP.html


仙台311後
http://www.brainhackers.org/archives/2011/07/4465
> 最初は何とも無かったのだけど、そう
> いう中に立っていると段々重苦しさが
> 酷くなって来て、とても苦しい気持ち
> になった。周りに何も無いからという
> より、何かあったはずだから感じる何
> かは、気持ちと身体に直接やって来る。
> そんな中にいると、単純に自然って
> 怖いなとやっぱり思う。ヒトは自然が
> 怖いから科学してきた。少なくとも僕
> はそう思う。そして、どんなに科学し
> たって克服出来ないものがあるってい
> うのは、やっぱりいつもどこかに覚え
> ておかないといけないんだ。一方で、
> こういう話をすると、自然が怖いから
> 科学するっていうのに同意してくれな
> い科学者が多いのには結構驚く。きっ
> とそういうヒトは、きっと自分も自然
> の一部だって言う実感がないまま生き
> ているんだと思う。僕は、それは明ら
> かに間違いだと思うんだ。


http://usmletoer.exblog.jp/15002185/
にご紹介のあった本
吉村昭(著)『三陸海岸大津波』(再々刊 2004年、文春文庫)
中学生のとき、一度、読んだ本です。再々刊の文庫を買って再読しました。「《吉村記録文学》の傑作」と帯にあるだけの貴重な内容です。ついでに、
吉村昭(著)『関東大震災』(再々刊 2004年、文春文庫)
pp. 344-345.
>  年が明け、大正十三年を迎えた。
>  その年の四月二日に一回、翌々日に
> はさらに強い地震があった。
>  その度に、地震学教室の今村明恒の
> もとに新聞記者が訪れた。が、かれは
> 東京に近い将来大地震の襲う恐れは全
> くないと告げ、それ以外のことについ
> ては人心の混乱を恐れて口をつぐんで
> いた。
>  かれは、その二度の地震が東京の直
> 下を震源地としたものであることを知
> っていた。かれの知識によると、東京
> の直下または数里以内を震源地とする
> 有感地震は、十年に数回しか起こって
> はいなかった。それが、わずか三日間
> のうちに二回も起ったということは異
> 常であった。安政二年の大地震は、江
> 戸の真下を震源地として起った。それ
> によって、東京の真下の地震エネルギ
> ーは消耗されているはずなのに、地震
> が続発したことは不気味であった。
>  かれは、新たな大地震が起るのでは
> ないかと危惧した。そして、激しい不
> 安を感じながら日を過したが、地震計
> の針は動かず、ようやくかれの不安も
> 薄らいだ。
>  しかし、五月二十一日午前十時三十
> 二分に、またも地震計の針が大きく揺
> れた。その地震は、二秒ほど地鳴りが
> つづくと、急に上下動がやってきて、
> 三秒ほどすると横揺れが数回繰り返さ
> れ震動がやんだ。
>  かれの観測によると、その地震も東
> 京の真下が震源地であった。
>  かれは、うつろな目を窓外に向けた。
> かれの得ている学問的知識は、過去の
> 地震を調査し研究した結果得ることの
> できた統計が主となっている。地震の
> 予知も統計から推定したもので、それ
> は科学の初歩的な段階にある。
>  無力感がかれの胸にしみ入ってきた。

あの当時より地震学も大きく進んだとはいえ、予知はできていません。対策を立てるには、想定する必要があるわけですが、想定は外れることがあります。それでも、ただ怖がっているのではなく、できる限り研究して、困難に備えようとするしかありません。

付記(2011/12/23):参考になる記事を今さらながら知ったのでリンクしておく。
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-65.html

> 「学者」「行政」「マスメディア」
> 「住民」が,同じゴールを目指して協
> 力し合うことは,現実には起こらない。
> それは幻想である。四者は,実はそれ
> ぞれ異なるゴールを目指している。四
> 者が互いに相手を敵とみなして憎しみ
> あうのは論外だが,四者の間には健全
> な緊張関係が存在してしかるべきであ
> る。密室における馴れ合いで災害に対
> 応するのではなく,その災害にかかわ
> るすべての情報を四者全員が迅速に公
> 開して共有し,互いに競争しあう関係
> が望ましい。そのときインターネット
> が情報交換のための有力なツールとな
> ろう。


付記(2011/08/27):
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65760061.html
(1)福島の放射能汚染は深刻だ。目をそらして、どうする? 地下水系を汚染から守るために早急に地下プールを作る必要がある。
(2)「今回の東日本大震災での大津波は想定外とされてきましたが。東京電力は昨日、福島第一原発で10メートルを超える津波が押し寄せる可能性があると、いう試算結果を3年も前にまとめていたことを明らかにしました。えーそして、あくまで も試算結果だから信用しがたい、ということで具体的な対策は何も取ってこなかったということ」「原子力安全基盤機構は、もう何年も前に、津波の高さごとに、えー、ブラックアウトになる確率までも計算して出していた、という事実もあります。そ れらをまあ自分たちにとっては都合が悪いということで、出来るならば無視してしまいたいと思いながらここまで来てしまった」

http://news.ameba.jp/hl/20110825-192/
「10メートル超の大津波」想定するも対策とらず 東電や保安院に「大変遺憾」と枝野長官

こうしたリスクがあるのに「出来るならば無視してしまいたいと思いながらここまで来てしまった」のは、↓ PTSD で解ける問題なのかも知れない。 PTSD の「場当たり」。その根柢には「無力感」がある。
震災ショックで浮上したキーワード【場当たり的】はPTSD解離用語
http://ameblo.jp/raingreen/entry-10877572723.html

PTSDは流行ってないけど【その場しのぎ症候群】は流行しているらしい
http://ameblo.jp/raingreen/entry-10996376130.html
「その場しのぎ症候群」とはまた、変な名称をつけましたね。「その場しのぎ」は必要です。火事場の馬鹿力なしに、そこで焼死してはオシマイなので、ともかく生き延びないと。しかし、「火事は火事場の馬鹿力で凌げばよいので 、防火システムは不要」というわけはありませんね。

http://ameblo.jp/kyupin/entry-10214552453.htmlの R.E.M. “Why Not Smile?” の歌詞から
“I feel like a cartoon brick wall”
↑ 根柢にある「無力感」
これにヒトは屈することなく、どこまでも科学するしかない(“Daysleeper”を経て“Walk Unafraid”)と私は思う。 ↓ それが “cōnscientia”


藤井先生がブログに
> 自然が怖いから科学するっていうのに
> 同意してくれない科学者が多いのには
> 結構驚く。
とお書きのように、怖いのだけれども、できる限り研究して、困難に備えようとするしかないのだと私個人は考えております。そう考えると、やはり、
「私に今、できることはなんだろう」
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10892257403.html
で孫引きさせていただいたように、大隅先生がブログのエントリ
http://nosumi.exblog.jp/13526851/#13526851_1
で紹介されている
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/?date=110503_1
> 高村:私たちが今できるのは
> 逃れられない(その)現実(を)に
> 耐えて見つめ続けるか
>
> あるいは(もう)目をそらして
> なかったことにするか
> 逃げるかなんですね
>
> 私は逃げてはならないと思います
>
> 現実に(その)福島で(もう)生まれ
> 育った土地
> 仕事も家も子どもも(何もかもこう)
> ある土地を追われて
> 現実にきょう明日(に)も逃げていか
> なくてはならない方たちがおられる
>
> それを(その)なかったことにして
>
> (まあ)時間がたてば元どおりになる
> という(その)根拠(は)
> どこにもない
>
> 大越:これだけのことがあっても
> 今のこの豊かな電力供給を
> 原発が担っている以上は
> 私たちはそこに乗っかって生きていく
> という道を
> 何気に(こう)無意識に選択している
> 人たちも実は多いですよね。
>
> 高村:これまでと同じように生きると
> いう選択肢はないんだというふうに思
> っています。
>
> 私自身は今すぐには無理ですけれども
> 十年とかいうスパンで考えたときには
> 日本は(原発から)脱却をして
> 次の(その)エネルギー社会へ進んで
> 行くべきだと思っています。
>
> 原子力発電という技術を否定するもの
> ではありませんけれども
>
> 日本は地震国なので無理だと
> そういう理由です。

つまり、事は、日本の技術力を信じるかどうか?——ではないのだと私個人も考えます。浜岡原発を「安全を確立した上で再開」というのも画餅でしょう。安全は確立できないでしょう。なぜならば——武田 斉紀氏の記事:
原発事故が100%起こらないなら、今日から私も推進派
安全な会社は「人は悪気がなくても事故を起こす」と考える

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110602/220368/?P=1
にもあるように、

「原発事故が100%起こらない」ようにすることは、「リスクをゼロにするのは不可能なのでそれは求められない」(© 伊勢田哲治「『誇り高い技術者になろう』に関する『科学・社会・人間』誌上の討論」)ことであり、思想信条にも立場にも寄らず、原理的に誰も保証できませんから。

それを、「安全だと言え!!」と強要してきたのは誰なのか? 私の知るかぎり、中曽根元首相は、明らかに札束で研究者の顔をひっぱたいて無理強いしました。でも、他の人は、どうなのでしょう、そこまで確信犯なのでしょうか? KY の私個人は感じないけれど、多くの人が感じるという「同調圧力」のせいで、「安全神話」と呼ばれるものが結果的に形成されたのではないでしょうか。もし、そうだとすれば、犯人探しをして、誰かを断罪しても意味がありません。

吉村昭(著)『関東大震災』(再々刊 2004年、文春文庫)p. 344.
>  年が明け、大正十三年を迎えた。
>  その年の四月二日に一回、翌々日に
> はさらに強い地震があった。
>  その度に、地震学教室の今村明恒の
> もとに新聞記者が訪れた。が、かれは
> 東京に近い将来大地震の襲う恐れは全
> くないと告げ、それ以外のことについ
> ては人心の混乱を恐れて口をつぐんで
> いた。
というのですが、戦々恐々だったのですね。何か、原子力安全・保安院の皆さまみたいで、実に、お気の毒です。原子力安全・保安院を「原発推進活用」の経産省から独立させる組織いじりをしても、人心の混乱を恐れて不用意なことは言えない状況に変わりはないのであり、大した効果は期待できないと私は考えます。

玄海原発の危険性を評価するに当たっても、「現基準は満たしているから危ないというのは風評にすぎない」というのは、明らかな詭弁です。「現基準を満たしている」と主張できても、それで「原発事故が100%起こらない」ことにはならないからです。「リスクをゼロにするのは不可能なのでそれは求められない」(© 伊勢田哲治「『誇り高い技術者になろう』に関する『科学・社会・人間』誌上の討論」)ということで、「原発事故が100%起こらない」ことは誰も保証できません。「リスクは、これだけ小さい」と確率的に言えても、原発の場合は「製品の目標次第ではリスクと便益のトレードオフがありうる」(© 伊勢田哲治「『誇り高い技術者になろう』に関する『科学・社会・人間』誌上の討論」)に該当しない——
原発の場合、フクシマに見るように、消費者や市民にとって受け入れ不可能なリスクトレードオフしかない——と市民が考えるならば、玄海原発は、やはり止めるべきなのです


ついでに、「自分も自然の一部だって言う実感」(© 藤井先生)がある人は、何でも(強迫神経症みたいに)完璧にコントロールしようとは思わないでしょう。複雑系(← 人体というシステムを含む)に対して「カオス・コントロール」と言うのはドクター・エッグマン(← セガのゲームに出てくるマッド・サイエンティスト)だけにしてほしいところです。

(2011/07/06 付記)




テーマ:
IBS(過敏性腸症候群)でパキシルを処方されるケースは少なからずあるようですが、怖いかも?——という感想を持った拝読ブログのエントリ
古いタイプの抗うつ剤とSSRI
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10910162681.html
> 3環系および4環系抗うつ剤
> >>主に身体に副作用
>
> SSRI>>主に精神に副作用
>
> だったからである。SSRIは精神への副
> 作用を利用して効果を発現している面
> がある。だからこそ、SSRIの処方は慎
> 重にすべきなのである。
>
> 精神科医は「この人にSSRIを処方した
> ら非常に危険」というのを初診時に直
> 感する。(そういう感性がない人は、
> 最初から扱うべきではない)
>
> 一般科の医師が、起立性低血圧や心電
> 図異常などの副作用が診られやすい旧
> 来の抗うつ剤を避けていたのに、あま
> り抵抗なくSSRIを処方できるのは、精
> 神症状をよく診ることができないこと
> が全てである。(←重要)

危ない話ですね。

私は、パキシルで古典的な確認強迫(← 平均して日に2時間もガスの元栓だの、玄関の鍵だのを確認していると、いい加減、普通の生活に支障を来す我ながらアホい症状)が治ったのと、ついでにコーティング効果(← ? これこそ副作用なんでしょうか? クオリアが変わってしまう人もいるそうなので要注意)で暮らしやすくなってラッキーと思っておりましたが、ここで「運がいい」と言うのは主治医に失礼でして、処方なさった主治医が真当な精神科医だったから良かったということですね(← 私の場合はトレドミンで希死念慮がなくなってから確認強迫が前景に出てパキシルにスイッチしている)。


2012年4月21日追記:「パキシルを子どもに使いたいというのは、どうかしている」と思うので、参考になる他所さまのブログ・エントリ→ http://bit.ly/JroneV


皆さまも、お大事に。




テーマ:
サイエンスカフェ
「再生をめぐって
~生命科学と、デザインの立場から
- 大震災を越えて」

http://nosumi.exblog.jp/13652571/#13652571_1

・主催 :日本学術会議科学力増進委員会、東北大学脳科学グローバルCOE、文部科学省
・協力 :一般社団法人サイエンス・メディア・センター
・日時 :5月27日(金)19時~20時半(予定)
・演者 :
本江正茂
(東北大学大学院工学系研究科都市建築学専攻都市・建築デザイン学講座 准教授)
大隅典子
(東北大学大学院医学系研究科発生発達神経科学分野 教授)

Ustream中継
http://www.ustream.tv/channel/brain110527

付記(2011/05/27):
録画が見られます。
http://www.ustream.tv/recorded/14986034


以下は私のメモなので、講演者の発言を再現したものではありません。録画をご覧になったほうがよいと思われます。

> 津波について——身も蓋もないがリア
> ルなこと。こうあるべきというのは、
> うまく行かない。リアルな生きるとい
> うことを直視しないで、高地に移転す
> るというのでは解決にならない。高地
> に移転しても、海辺で豊漁があって漁
> 港が活気づくと、海辺に別宅を造り、
> 高地の本宅に戻らなくなっていって、
> 何十年かすると元の木阿弥になる。
>
> いろんなレベルで阪神の経験は生きて
> いる。それでもなお、違いがあるとい
> うのが見えてきているだけ。今も厳し
> いけれども、阪神の経験が活かされて
> いなければ、もっと酷かったと思う。
>
> 全体のグランド・デザインにどう繋げ
> るか?
> 復興の主体は誰になるのか?
> それぞれが自分の持ち場を守り、その
> 間口を拡げて助け合うようなことをや
> っていけるコミュニティは生き残る。
> それができなかったコミュニティは滅
> びる。
——という話でした。いや~やっぱりモーリス・ブランショですね(← 纏め過ぎ?)。

明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)/モーリス ブランショ

¥987
Amazon.co.jp


やはり、纏め過ぎでした。大隅先生は、個人の再生についても話しておいででした。大人の脳にもタネの細胞があり、神経細胞が新たにできるという話です。ストレスなどで新しい神経細胞ができない状態が続くと古い記憶が残って PTSD になるのかも知れないという仮説も立てられるそうです。私個人としては、そうか、オバサンも諦めないでビジョントレーニングをすると若返るという話か?——と納得しました。ましてや子どもについて、修行する前から「どうせダメだろう」とか「せいぜい、こんなものだろう」とか言うのは何ら根拠がありません。さように腐して育てれば、子どもが腐るのも当たり前という感じですよね。

修行が大事です。



次回サイエンスカフェ
「身心一体科学で120歳まで元気に生き生きと」
http://stw.mext.go.jp/110617s/

6月17日(金)18:30~20:30
「国民の体力と数学のテスト」
講師:田畑 泉(日本学術会議連携会員、立命館大学教授)
ファシリテータ:跡見 順子(日本学術会議連携会員、東京大学名誉教授)



数学のテストだってさ~というわけで、正しい(?)計算間違いの歌





2 + 2 = 5 /Radiohead

¥150
iTunes
※モバイル非対応


↓ すみません、以下のようなアニメーションを貼り付けるとブログが18禁になるかも知れないそうです。非教育的かも知れませんので、残酷なのは嫌という方は、ご覧にならないでくださいませ。




リアリティは、ぬるくない
福島第一原発の周辺地域でドキュメンタリー新作の撮影を企画している御仁のブログ
http://toshifujiwara.blogspot.com/

付記(2011/06/01):拝読ブログのエントリ
南相馬のこどもたち
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/9a12d6b7f08b61690bb6072084035736?fm=rss
「切迫する南相馬市の医療」
http://medg.jp/mt/2011/05/vol175.html

相馬公立に入院してしまった爺ちゃんは・・・
には書かれていない踏んだり蹴ったりで、ほとんど棄民状態というのが分かります。


付記(2011/06/11):上掲ブログの最新エントリ
え?計画的避難区域じゃないの?
http://ameblo.jp/housyanou-taihen/entry-10920039180.html
計画的避難区域になっている飯舘村の会社から6月8日付けで求人が出ていた話。

現地の混乱は収束に向かっていません。
個人的な意見ですが。。
http://ameblo.jp/kingstone-t/entry-10919709192.html
支援や補助が足りていない上に、行政の対応がまずいため、起きている混乱の例:
(1)「避難所に届いた物資を在宅の人にも分け与えてあげるか否か」で立場によって意見が対立する。
(2)仮設住宅に入ると支援を受けられないため、抽選に当たっても入居できず、鍵だけ貰って支援が受けられる場所に居続けて、仮設住宅の抽選に外れた人と摩擦が生じる。

付記(2011/07/07):
仮設入居者らに「ごはん応援箱」を
http://www.alterna.co.jp/6076

> 思う事。
> 被災地以外の方々は、どうか自粛を止
> めて下さい。
> 今の状況は『自粛』ではなく『萎縮』
> です。
>
> 行政の方々、ぜひ被災地で生活をして
> みて下さい。
> 現場をきちんと知って下さい。



付記(2011/05/30):ネットを見ていたら
山本太郎さん俳優をやめてPTSD予防教育に貢献
↑ どこのどなたかは存じませんが、ネット上で随分、中傷されておいででした。しかし、福島、郡山あたりの「学童疎開」もやらないかぎり、当然、その母親(妊産婦も少なくない)や弟妹(乳幼児)だけ保護するのは現実的に不可能です。ゆえに、この俳優さんの主張にも一理あるのであり、「危険厨」というのは誹謗ではないでしょうか。

チェルノブイリ事故調査結果を基に長崎大の山下俊一教授が明言
「放射性セシウム汚染で疾患は増えない」

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201104/519274.html
> 「福島第一原発の原子炉が今回の地震
> で損傷なく生き延び、日本の科学の粋
> をもって緊急炉心停止が行われたのは
> 不幸中の幸い。今後大爆発は起こらな
> いだろうし、炉心の中のくすぶりを抑
> えるため、いま懸命な努力がなされて
> いる。ただ、チェルノブイリの100分の
> 1程度の放射性物質が環境中に放出さ
> れたと推測されるため、今後長期的な
> モニタリングと健康影響調査が必要だ
> ろう。今回は、過敏と思われるほど情
> 報が公開されており、また、農産物の
> 出荷停止などの対策も講じられている。
> いまの日本人に放射性降下物の影響は
> 皆無に近く、起こり得ないことだ」と
> 山下氏は述べた。
とうことではありますが、その一方で、
> 山下氏は講演の中で、1000mSv以上
> の被曝線量を一度に浴びると急性放射
> 線障害を引き起こし、100~
> 1000mSVだと中長期的な放射線障害
> を確定的に受け、線量依存性に発がん
> リスクが上昇することが広島・長崎の
> 原爆被爆者の調査で証明されていると
> したが、100mSv以下の低線量の影響
> についてはよく分かっていないと指摘。
> 「その低線量領域でも危険だという人
> もいれば、証明できないのだから危険
> はないという立場の専門家もいて、ま
> さに低線量やその慢性被爆の影響につ
> いては専門家の間で議論が行われてい
> る領域だ」と述べた。
と、公正な意見を述べておいでであり、この先生を辞めさせろというのは暴論ではないかと私個人は考えます。

低線量と慢性被曝の影響はオープンな問題なのです。したがって、もしかしたら悪影響があるかもしれないということで、大事を取って妊産婦と乳幼児だけでも保護しようというのは理に適っています。

付記(2011/07/16):やはり、妊産婦と乳幼児は低線量・慢性被曝から保護したほうがいい。
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-10954924331.html
しかし、「脳障害」はデータが公表されていないため、一見、認知症——実は PTSD という話と区別がつきません。「一見、認知症——実は PTSD」の論文、私も昨年12月2日に、以下のブロガー氏に倣ってコピーを依頼、 ↓
http://ameblo.jp/makiko0106/entry-10723884211.html
すぐ送っていただけました。

ウクライナあたりは、政治的対立候補にプルトニウムを盛って毒殺するなどの問題が起きていたことを思い出します。温室効果ガスの排出権取引でも利権と政争で大変な地域。ロシアもそうなんだけれど、本当に殺すか殺されるかで、日本のように「空気を読みあって責任者が曖昧」みたいな世界とは全然、違うのです。

菅総理の「脱原発」が「打ち上げ花火」だと言うだけなら、そんなのは印象操作の一種でしょう。
日本の経済的な崩壊までは引き起こさず、経済的な停滞程度に留めるようにして、地震でいちばん危ない浜岡原発は再開せず、あと玄海原発はじめ危ない老朽化原発から順次、何機まで停止できるか?——現実的に検討するのが急務ではないのかと思います。

日本はロシアだのウクライナだのベラルーシだのではないのだから、政治的対立を暗殺合戦にしないで、思想信条にかかわりなく、現実的な道を探っていくことができるはず。政争に陥らず、実際的な段取りを考えましょう。

http://youtu.be/NCPDiEz-GcE



ギターに “PROTECT CHOICE” の文字(何でも処方)。

「大事を取って妊産婦と乳幼児だけでも保護」するのに併せて「学童疎開」という選択肢も、皆にオープンであるべきです。そこまでは要らないのではないか?というご意見 ↓ も勿論あります。
http://blog.goo.ne.jp/yi78042/e/90b3c9d7b16ba37a6b6e3ce1b14dd4b3?fm=rss

やはり、水俣を連想してしまいます。ね、雅子さま。
『映画は生きものの記録である』
http://toshifujiwara.blogspot.com/2011/06/blog-post_15.html

さて、申すまでもなく、米ソに限らずフランスも含め、大国の大気圏内核実験で 137Cs は地球全体を被っており、海洋生物は前々から汚染されています。
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=radioisotopes1952&cdvol=48&noissue=4&startpage=266
海産物の汚染ということでは、水銀もあり、私も妊娠する気のあった頃および妊娠中、授乳中はキンメダイは大事を取って食べませんでした(← 子どもを産み終わったオバサンは解禁~)。大事を取るということでは、白血病を避けるのに、高圧送電線の真下に住むのは止めたほうがいいかも知れないし。話は戻って、大国の核実験による海産物の 137Cs に、今回のフクシマで、どれくらい上乗せが起きるのか?——は未だ不明でしょう。

さらに追記:気仙沼のカツオ漁をテレビ・ニュースで観て、今はまだ私は買わないなあ——と思っていたんですよ。このニュースの記憶があって、上掲の濃縮係数の論文を引っ張ってきました。

そのあと、感染症の先生のブログ・エントリ
子どもがいてもいなくても
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/8869f8579e2c608c4800cde53e5cda22?fm=rss
から辿ったウェブページ
http://katukawa.com/?p=4549を拝読、

> 「日本には1960年代の核実験で大量
> の放射性物質がフォールアウトしてい
> る。そのときに皆健康だったのだから、
> 福島の事故も心配いらない」という発
> 言をしばしば耳にします。水産学会の
> 勉強会でも、放射能の専門家が、その
> ように断言していました。

これ、開いた口が塞がらない詭弁そのものです。一体、聴衆は誰なんです? 我が家まわりのクソガキ(小中学生)だって、そんな勉強会、拝聴しませんよ? 空気読んで拝聴するのが大人なんですかね? 「1960年代に日本は大丈夫だったとか言っても意味がないので、それを言うならムルロア環礁の実験で何があったか、今、どうなっているか教えてください」と即、質問が出るでしょう。あるいはアルジェリアがどうなっているか? ——ついにフランスも補償する方向に動きつつあるらしいけれど、先は長いでしょう。今のフクシマ現地と比較すべきは、1960年代とその後とで OK ですが、日本とではなくて、そのときのムルロア環礁近辺の現地とです。たとえば、1997年でも、
http://www.yashinomi.to/katayama/kaku.html

今はフクシマに近いところで獲れた魚介類は、妊婦(つまり胎児)、授乳中の母親、乳幼児、育ち盛りのお子さまは食べないほうがよいでしょう。私も妊婦(つまり胎児)、授乳中の母親、乳幼児、育ち盛りのお子さまに出すには、根室沖の鰊はまあよいとして、宮城沖、千葉沖は微妙、茨城はなるべく避け、福島は論外と考えております。

話はhttp://katukawa.com/?p=4549に戻って、

> 日本全国の水産物が一律に汚染されて
> いるわけではありません。

当然のことです。そうして、薄まりはするものの、その後の「濃縮」の問題について、上述の論文
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=radioisotopes1952&cdvol=48&noissue=4&startpage=266
を挙げました。海洋生物で単に硬骨魚類と括っても、ブリ、カツオ、スズキは濃縮係数が高く、それに比べると、マガレイは濃縮係数が4分の1ということです。つまり、311以前のカレイ・ヒラメは、311以前のカツオより137Cs は低いわけです。

気仙沼のカツオ漁をテレビ・ニュースで観て、今はまだ私は買わないなあ——と思っていたんですよ。「普通、そう思わない?」 ——と私が思うことって、大概、平均から外れているんですよね。「常識」がズレているせいです。これを認識しないと、コミュニケーションは、うまくいきませんね(← 反省)。それとも、皆さま、「言っては悪い」と空気を読んで、「濃縮係数が高いカツオを気仙沼で今、買わない」なんて言わないのでしょうか? 何か、「東京は臭くて辛い」と「言っては悪い」と空気を読むべき——というのを思い出しました。東京もね、昔は臭くなかったそうですよ。敗戦直後は23区内でも西のはじっこのほうはタヌキがいたりしたそう(← 亡き父が当時、腹を空かせたタヌキを捕獲、かわいそうなので動物園で飼えないか?訊いたところ、「エサがないからダメ」と言われ、ついでに、「こういうご時世だから君がタヌキを食べたら?」——と言われたらしい。十代の終わりに栄養失調で歯がぼろぼろ抜けていたのに、父は食べずに逃がしたという。要するにボンボンというか育ちがいいのだ。私だったら迷わずタヌキ汁を作って、「タヌキさん、ごめんね」と言いながら皆で食べたと思う)。

付記(2011/07/21):
> 海産物の汚染ということでは、水銀も
> あり、私も妊娠する気のあった頃およ
> び妊娠中、授乳中はキンメダイは大事
> を取って食べませんでした(← 子ど
> もを産み終わったオバサンは解禁~)。
なんて書いていましたが、猪苗代、那須、日光あたりに観光に行くのも「子どもを産み終わったオバサンは解禁~」です。オジサンもどうぞ。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/21/gemdai-jul-18/から
> また、京都大学原子炉実験所の小出裕
> 章助教は「放射線の影響を受けにくい
> 大人がこうした観光地に足を運び、少
> しでも復興の手助けをするべきでは」
> と提言する。「子どもはともかく、放
> 射線の影響というのは年齢とともに少
> なくなっていき、50歳では30歳に比
> べて実に50分の1程度まで低下します
> から、放射線の影響はほとんどなくな
> ると言えます。米国のデータによると、
> 放射線被曝によるがんの死者数を比べ
> た場合、50歳の死者数は30歳の50分の
> 1にまで低下するのです。ですから50
> 代以上の人は、福島や栃木などの観
> 光地に足を運んでも問題ないでしょう」

大人の休日倶楽部ミドル:JR東日本割引情報(← 「ミドル」と言いつつ、割引は50歳から。やはり、30歳代でオッサン自称はおこがましいということか)。
http://active-silver.seesaa.net/article/102998703.html
で交通費の割引もあります。

那須、森林ノ牧場カフェ再開 高齢者や障害者が手伝い
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/economics/news/20110722/570153
> 牛舎を持たず完全休業も検討したが、
> 那須町の佐久間牧場の牛舎で牛を預か
> ってもらえることになり、再開のめど
> が立った。「放牧した牛の牛乳」でな
> いことを取引先に理解してもらい、原
> 乳の検査をした上で6月中旬に製造販
> 売を再開した。
> …(中略)…
> 山川社長は「震災をきっかけに、地域
> のつながりを再認識した。地元に元気
> を発信する牧場にしたい」と感謝する。
> カフェの営業時間は金、土、日曜と祝
> 日の午前10時~午後4時。

ここのアイスクリームは美味しいので、お奨め。



「大事を取って妊産婦と乳幼児だけでも保護」すること、実現するには、「学童疎開」が必要です。「学童疎開」をやらないかぎり、当然、その母親(妊産婦も少なくない)や弟妹(乳幼児)だけ疎開させて保護するのは現実的に不可能だからです。

以下のブログ・エントリも参考になります。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2493.html

付記(2011/06/20):「低線量と慢性被曝の影響はオープンな問題」と言って、それでは、どうすればいいのか?——について、現地で起きている問題 ↓ 6月16日付け東京新聞の記事だそうです。
「放射線と関係不明」
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/06/16/_0002
「学童疎開」を進めたいところです。

付記(2011/07/04):
ふくしま集団疎開裁判;第一回裁判7.05直前のお願い
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-10943384289.html

付記(2011/07/09):
(13296)郡山市の子供たちに放射能トラウマPTSD
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-10947692486.html
雑誌記事の見出しコピー「郡山市で急増!謎の体調不良に苦しむ子供たち」があります。

上述のように、「低線量と慢性被曝の影響はオープンな問題」で、すぐには「放射線と関係」が明らかにできない体調不良が出ます。——この「放射線と関係不明」の体調不良は、
(1)意識の側から見て「無意識」である身体に、現存の検査では分からないくらいの微小な放射線による損傷があって、結果として「心因」に見えている可能性もあります。こういうケースは免疫系が揺すぶられて、免疫と関係の深い腹腔の具合が悪くなったりするのではないかと私個人は勝手に考えたりします。一方、
(2)『東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆の両方を経験し複雑性外傷後ストレス障害(complex PTSD)を呈した1例』のように、身体的な損傷がどこでどう起きているかは不明で「心因」と捉えて治療するのが適切なケースもあるのかも知れません。

両仮説の接点は、いずれの仮説を採用しても、薬物療法としては、
(a) IBS (過敏性腸症候群)にも効くパキシルなど SSRI や、
(b)駆瘀(お)血薬でもある四物湯と桂枝加芍薬湯(← 過敏性腸症候群にも効果)の合方など漢方薬
が有効ということです。

ただし、パキシルなど SSRI は、 kyupin 先生によると、身体よりも「主に精神に副作用」があり、
> 精神科医は「この人にSSRIを処方した
> ら非常に危険」というのを初診時に直
> 感する。(そういう感性がない人は、
> 最初から扱うべきではない)
参照:「古いタイプの抗うつ剤とSSRI」
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10910162681.html
と注意書きがあり、
SSRI は精神科でもらおう
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10910866517.html
を書きました。

また、 kyupin 先生のブログには、「ベンゾジアゼピンの嗜癖状態とも言える状況に、更にSSRIを処方するのは事態を複雑化する」と注意書きがあり、そのことは
本日の音楽(2010/08/24)
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10629124517.html
に書きました。

なお、上述の仮説(2)について論文『東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆の両方を経験し複雑性外傷後ストレス障害(complex PTSD)を呈した1例』は、インターネットから申し込み可能な複写サービスで入手できます。私は医学は素人の、ただの元患者なので、皆さま、ご自分でお読みになって、判断なさるのがよろしいかと存じます。
拝読ブログのエントリ
http://ameblo.jp/makiko0106/entry-10723884211.html
にあるように、著者名を知らなくても複写サービスは利用可能です。

2012年5月26日追記:
削除されてしまった上掲ブログで紹介されていた論文2編。
http://www.jamas.or.jp/service/service_o/service/copy
論文複写サービスにて、

誌名「広島医学」発行年「2006」「59巻11号 pp.814-830」
論題「東京大空襲被災と広島原子爆弾被爆の両方を経験し複雑性外傷後ストレス障害(complexPTSD)を呈した1例」と、

誌名「広島医学」発行年「2007」「60巻3号 pp.193-203」
論題「元帝国陸軍兵士が複雑性外傷後ストレス障害(complex PTSD)を呈した1例」を併せてメール便にて複写を依頼すると、合計2,730円

2006年の論文は、被爆後何十年も原爆障害調査委員会と放射線影響研究所の検診を近年まで受け、身体的な異常は指摘されなかったのに、不眠症状、めまい、意欲低下、抑うつ感、後に記憶障害、見当識障害が出たが、複雑性 PTSD として治療して治ったという話。この患者は平和記念式典は回避していた。← ここがミソ。自然回復が起きるような環境にいないと何十年経っても発病する。

一方、自然回復が起きる状況については、中井久夫先生がお書きの記事から抜き書きしてある(http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10136937371.html)。しかし、全員、自然回復で何とかなるわけではない。それで、PTSDのデータベースが機能してくれないと困る。



(11611)原爆ぶらぶら病
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-10832095677.html
> 精神的な影響を放射能のせいにする人
> 間が出るのではないかと誰かが書いて
> た。まだみなが「うつ病」を信じてい
> た頃に「悲しくないのに体が動かな
> い」という書き込みをよく見た。
> PTSDの「麻痺」である。かって「原
> 爆ぶらぶら病」と言われたものもそう
> だろう。検査的に異常がなければこの
> 場合、そういうもんなんだとあきらめ
> てじっとすること。二次的な不安や焦
> りが症状を悪化させるのである。



付記(2011/06/01):子どもを育てるにも、コミュニティを育てるにも、何を育てるにも、通じるところがある部分を抜き書き。
「まどか☆マギカ」で考える「インキュベーター」の役割
http://www.yomiuri.co.jp/job/entrepreneurship/isozaki/20110531-OYT8T00567.htm
> 「希望を信じた起業家を、私は泣かせ
> たくない。最後まで笑顔でいて欲し
> い」というのが、私の祈りであり願い
> です。そして、それを実現するために
> 必要なのは、「煽(あお)るのでも悲
> 観するのでもない、正しい情報」であ
> り、「うまくいかなくても最悪の事態
> に陥らないための正しい知識」だと思
> います。それが世の中に広く伝わって
> いくよう、引き続き努力していきたい
> と思います。

子どもに一目瞭然の障害があろうとなかろうと、外から見ても分からない障害があろうとなかろうと、

必要なのは、

 あお
「煽るのでも悲観するのでもない、正しい情報」
「うまくいかなくても最悪の事態に陥らないための正しい知識」
(©磯崎哲也氏)


「当事者として、保護者として、教師として、自閉症スペクトラムや発達障害についての理解啓発活動に取り組んでいきたいと思っている」とお書きの先生のブログ
http://ameblo.jp/autist/entry-10902903349.html



皆さまも、お大事に。




テーマ:
「私に今、できることはなんだろう」
——常に現実検討能力の維持と向上を目指して——

拝読ブログのエントリ
鎮魂と復興と:311震災から2ヶ月の今、できること
http://nosumi.exblog.jp/13560985/#13560985_1
> さて、震災後に市民向けイベントとし
> て、サイエンスカフェ@文科省情報ひ
> ろばを開催する。
> 私に今、できることはなんだろう、と
> いうことをいつも考えている。

自己の心身の状況と自分が置かれた人的・物的環境(← 与件もしくは初期条件も含めた境界条件)を観察しつつ「私に今、できることはなんだろう」と私も常に考えて参りました。できる限り柔軟に可能性を検討します。

ときどき、柔軟に可能性を検討しすぎて(?)「変な人」とか「奇行」の人とか言われるかも知れませんが、私は KY なので、大丈夫(?)です(← これぞ KY の効用。本当か?)。

日本からまだ出ていなかったとき、私が夜、遅くまで居残って仕事をしていると、「ご主人が可哀想。帰って家事をしなくていいのか」と言われ、たまに早く帰って亭主孝行をしようとすると、「そんなことでは一人前になれない」と言われました。心配してくださっているのですね~。そこで、「遅くまで仕事をしている私は良い職業人、早く帰って家事をする私は良い奥さまだから、ご心配には及びません」とご説明申し上げたところ、皆さま、安心してくださったのでしょう、どなたも何も言わなくなりました(← 「呆れて見捨てられた」説を立てることも可能)。

そもそも某短大新設の際、教養の物理学担当で名簿に載せていただき(← つまり「内定」をもらったようなもの)、食いっぱぐれずに済んだかなぁ~と思っていたら、実際に講義を始める前に教養の自然科学は数学、物理、化学の3つのうち2つを設ければよいことに大学設置基準が緩められ、それじゃあ物理学を外すか——ということになって、いきなり「内定」取り消しの憂き目に遭ったのでした。何の研究であれ、研究でない臨床でも医療や福祉も、政治リスクがでかい分野なのよね~。どしたらよかんべ~と思っていたところ、国際会議で面白いデータを見せてもらい、そこで知り合ったドイツ人に、彼らの持っているデータの何がいいかをつい熱弁したところ、「そんなら自分で来て解析しろ」と奨められ、自分でリサーチ・プロポーザルを書いて国外へ出るきっかけを得ることができ、食いっぱぐれずに済んだので、私はラッキーでした。

ところが、行ってみると、なぜか「ボスと寝た」などと言われておりました。お前らのボスは、そんなに趣味が悪いのかよ?——と内心、思ったのですが、それを言うと失礼かと思って黙っていました。また、私に面と向かって「ボスと寝て、ポスト(← ただのしがないポスドクだってのに! そんなもののために「ボスと寝る」ヤツがいるのか? ん~?)を獲った」と言われれば、「ボスは良い人だと思うが、私の趣味ではない」と、はっきり言ってやるのに、面と向かって言ってくるヤツはいなかったのでした。その後、よ~く観察すると、男の子にしか興味がない教授が可愛い(と言われる ← 私には判定能力がない)院生(♂)やポスドク(♂)を集めていて、皆さま、片耳にピアスをしているグループもあったりして、世界の風紀は乱れている(?)と言われる情況なのでした(← 性別によらず気をつける必要があるかも。しかし、そんなのは個々人の趣味の自由ではないのか?)。私は、観測データが見られればよいので、あとの細かいことは気にしませんでした。そこの研究部門は、長期滞在の日本人は初めてだったので、私が日本人だと知らない人からは「ペルー人」と間違えられ(← 相手の母語に合わせてイタリア語などラテン系の言葉で挨拶したりしたのと外見のせいか?)、私が日本人だと知っている人からは、いちいち「日本人は、そう考えるんだ~。やはり日本人は違う」とか言われて、内心、「すごい勘違いだな~」と思ったものですが、私の問題ではないので、そのままにしました。

そのうち、同じ研究部門にぼちぼち日本人が来るようになり、そのなかの一人は、日本にいる定職のある何某先生から変なイチャモン(← 某望遠鏡の観測プロポーザルにイタリア人は食い込んでいるのに日本人は食い込んでいない、不甲斐ない!などと言われたという)をつけられていたので、私は FKK(← ヌーディストビーチ)に誘ってあげました(← 断られちゃったんだけど)。「人脈をつなげてあげようと思ったのに、何だよ~」と内心、思いましたが、嫌なものはしょうがない。私は “zielbewußt” なタイプなので、無駄なことはしないのです。後になって思えば、そういうことをしたのも、「変な人」とか「奇行」の人というレッテル貼りにつながったのかも知れません(← 「後悔先に立たず」というか、そういうことに予め気が回らないところが KY たる所以かも?)。

ちなみに、 FKK に行くからといって、必ずしも自分も脱がなければならないわけではありません。お互い「理解不能で異質な他者」がたくさん観察できる、よい機会です。アフリカからの留学生は、ムスリムの村がご出身で、村の友達に FKK の存在について話しても誰からも信じてもらえず、「バカ言うなよ、証拠写真を持ってこい」と言われたため、 FKK に行って事情を説明し、「記念写真を一緒に撮らせてください~」って、見知らぬ人に頼んでいました。性別に関係なく、「嫌だ」という人、「いいけど、それならお前も脱げ」という人、何の条件もなく「写真、撮ってくれるの~ありがと~焼き増し2枚ちょうだいね」という人までいました。『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(©森達也、晶文社の単行本は2003年、 ちくま文庫は2008年)。そして、デュルケムの孫引き。あとは
「多様性こそ最終的にいちばん安全の保障になる」、つまり「変な人」もしくは KY な人も、たくさんいると困りますが、多様性を支え、安全の保障になるはず(?← 本当か?)。

話は戻って、 FKK にて私は全裸でビーチバレーをしているヒトビトを発見したので、「どうして、そんなことをなさっているのですか?」と質問したところ、「解放感があって気持ちいい」ということでした。「解放感があって気持ちいい」ことなら他にもありそうなのに、転んだら痛そうな出で立ちでスポーツをする必然性がどこにあるのでしょうか? ずっと不審に感じて気掛かりだったので、訊いたら偏見なく答えていただけそうな御仁を kyupin 先生のブログ・コメント欄で発見、お訊ねしてみたところ、やはり FKK でのビーチバレーは転んだら痛そうで、さようなことをするのに何ら合理性は感じられないようでした(← そう感じるほうが「普通の人」ということが確認できた。つまり、私の非常識も大したことないのよね)。

まあ、人生、いろいろありましたけどね~、やりたいことは feasibility をチェックして、できることをやってきて今があるので、特に不満はありません。

「変な人」もしくは KY な人は「情況の囚人」にはなりません。そうして、
“We are scientists”


先の拝読ブログに戻って、

> サイエンスカフェ 「再生をめぐって
> ~生命科学と、デザインの立場から -
> 大震災を越えて」 を開催致します。
・主催 :日本学術会議科学力増進委員会
     東北大学脳科学グローバルCOE
     文部科学省
・協力 :一般社団法人サイエンス・メディア・センター
・日時 :5月27日(金)19時~20時半(予定)
・会場 :文部科学省情報ひろば
==================
(以下略。詳しくは上掲のエントリをご覧くださいませ。面白そうですね)

もうひとつ、同じブログのエントリ
http://nosumi.exblog.jp/13526851/#13526851_1
で紹介されている
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/?date=110503_1

> 高村:私たちが今できるのは
> 逃れられない(その)現実(を)に
> 耐えて見つめ続けるか
>
> あるいは(もう)目をそらして
> なかったことにするか
> 逃げるかなんですね
>
> 私は逃げてはならないと思います
>
> 現実に(その)福島で(もう)生まれ
> 育った土地
> 仕事も家も子どもも(何もかもこう)
> ある土地を追われて
> 現実にきょう明日(に)も逃げていか
> なくてはならない方たちがおられる
>
> それを(その)なかったことにして
>
> (まあ)時間がたてば元どおりになる
> という(その)根拠(は)
> どこにもない
>
> 大越:これだけのことがあっても
> 今のこの豊かな電力供給を
> 原発が担っている以上は
> 私たちはそこに乗っかって生きていく
> という道を
> 何気に(こう)無意識に選択している
> 人たちも実は多いですよね。
>
> 高村:これまでと同じように生きると
> いう選択肢はないんだというふうに思
> っています。
>
> 私自身は今すぐには無理ですけれども
> 十年とかいうスパンで考えたときには
> 日本は(原発から)脱却をして
> 次の(その)エネルギー社会へ進んで
> 行くべきだと思っています。
>
> 原子力発電という技術を否定するもの
> ではありませんけれども
>
> 日本は地震国なので無理だと
> そういう理由です。

「日本は地震国なので無理」というのは、立場を超えて共有できそうな認識です(← 私個人も「日本は地震国ゆえにリスクが高すぎ、結果、住民に受け入れ可能なリスクトレードオフがあり得ない」と考えている)。中国の人でも(日本に限らず)世界中で天災や紛争で危険な地域に原発を設置するのは止めるという国際的な取り決めが必要なのではないかという人がいました。一理あります。「紛争で危険な地域に原発を設置するのは止める」ことにすると、中国、北朝鮮、中東地域のみならず、米国やロシア、英仏はじめ多くの EU 諸国も原発を放棄すべきでしょうね。そもそもテロの危険がないところって、今の地球上にあるのか?——ほとんど、ないような……(← ひょっとして、南極大陸くらいか?)。国連機関だってテロの標的になります。

番組のインタヴューに戻って、

> 大越:これだけのことがあっても
> 今のこの豊かな電力供給を
> 原発が担っている以上は
> 私たちはそこに乗っかって生きていく
> という道を
> 何気に(こう)無意識に選択している
> 人たちも実は多いですよね。

というのでは困ります。これだけのことがあったのに、

> 逃れられない(その)現実(を)に
> 耐えて見つめ続ける
——たとえば「原子力発電所と共に生きるということ」
<仮題「No Man's Zone」英文の企画書はこちら>
を見つめ続けるほうを選ばずに、

> あるいは(もう)目をそらして
> なかったことにする
のでは、「過去を清算してポジティブに生きよう」というのと同じで、現実検討能力を放棄することになります。

Λήθη(レーテー)
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10346199377.html
> うつ状態にある人を対象とした研究で、
> 過去を清算してポジティブに生きよう
> とする姿勢を持つ人は、自分の人生も
> 清算(つまり自殺)してしまう確率が
> 高いという調査がありました。

生き延びなきゃ。危機に際して芥川龍之介の真似をしても問題は解決しません。これ、暗い世相には関係するけれど、
「うつ病誤診」とは無関係ではないでしょうか。

福永武彦の引用を少々書き換えて—— “in situ” ということ。
>  私がこれを書くのは私がこの現代日
> 本にいるからであり、ここにいて私が
> 何かを発見したからである。その発見
> したものが何であるか、私の過去であ
> るか、私の生きかたであるか、私の運
> 命であるか、それは私には分らない。
> ひょっとしたら私は物語を発見したの
> かもしれないが、物語というものは人
> がそれを書くことによってのみ完成す
> るのだろう。ひょっとしたら私はまだ
> 何ひとつ発見せず、ただ何かを発見し
> たい、私という一個の微小な生きもの
> が何を忘れ何を覚えているか、もし忘
> れたとしたらそこに何の意味があり、
> もし覚えているとしたらそこに何の発
> 見があるかを知りたいと望んでいるだ
> けのことかもしれない。

こうしたことに何ら意味を感じられないので、私は私の「物語」を書きません。私の人生は斯(か)くかく然(しか)じかであった――と思い込んで安心しようとするのは無意味な欺瞞としか感じられないからです。さように安易な思い込みに逃げずに、天寿の尽きるまで問い続ける営為こそが現実検討能力を維持する科学的な良心(cōnscientia)であろうと私個人は考えます。つまり「よく生きること」(そうして拙ブログのエントリにても参考にした岩田靖夫(著)『よく生きる』(ちくま新書、2005年)の精神)。

そういうわけで、申し訳ないのですが、どなたと話そうと、「何で私があなたに治療ストーリーをフィックスされないといけないんだ~」という不遜かつ深い疑問が湧きそうなので、どなたに対しても、やはり今のところ何も言うことはないのでした(← これは私の個人的な心的情況に過ぎません。話をするのが好きな人は話すことによってご本人なりの心身一如を tune なさったらよいでしょう → 「生物学的に診るという意味」)。

陰極まって陽に転じて(?)いきなり人の首を絞めたりして、まるでキョンシーみたいな夫とも私は初めから今に至るまで「理解不能な異質な他者」どうしであり、夫が息子や私に今またメールをしてきて「私は、あなたを理解している。やり直そう」という態度を取られても、「それは勘違いですよ」としか言いようがありません。初めから今に至るまで「理解不能な異質な他者」どうしであり、これからも「人間どうし分かり合ったりしませんので、ご安心ください(← 分かり合わないから誤解もしない)」と思います。「あなた(=私のこと)からキリスト教について学びたい」と言われても、「こっちに擦りよって来るな~気持ち悪いな~自分の頭で考えて己れの考えを練り上げろ」としか言えません(← これは子どもに対しても同じ。基本的に私から学んではいけない。私を真似てもいけない。なぜならば、あなたと私は異なる心身を持ち、異なる環境(境界条件)にあるのであり、猿真似は無意味だから。私だってディスカッションの台くらいにはなれるかも知れないけれどね……それも怪しいかな?)。


「私に今、できることはなんだろう」――常に現実検討能力の維持と向上を目指して、問い続けるエネルギーが生きる原動力です。それが枯渇して、ある行為について「もう、そうするしかない」としか考えられなくなってしまったとき、「乞う、諸君よ、これを諒とされよ」(© 江藤淳)という方向に行って、この世に踏みとどまることができなくなるのではないでしょうか。

「私に今、できることはなんだろう」と考えて、取りあえず、一時退却して雌伏のときに甘んじて、臥薪嘗胆で再起を図るのが妥当という場合もあるでしょう。つまり、万策尽きたように思えるなら「三十六計逃げるに如かず」で一時退却というわけ。そこで、

うつ状態
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10816425903.html
佐々木 信幸(著)『自殺という病―毎年3万人の自殺者を減らすために、あなたができること』
> を拝読し、機会を捉えて著者に直接、
> 「三十六計逃げるに如かず」とはいか
> ないものなのか?――質問してみたと
> ころ、「そういう風には考えられなく
> なってしまうんですよ」というお返事
> でした。

結局、現実を検討する能力を維持することが鍵なのですが、それが維持できていれば精神的に健康ということなんでしょうから、トートロジーなんですよ~。私個人は、音楽でかなりチューニングができるタイプのようです。オンライン DJ の先生(?)に感謝する次第です。


一方、「ラポール」の先生(?)のブログは、私には難読で、ほとんど役立たない内容です(← 私にとってそうだというだけで、誰にとってもそうだというわけではない)。何が食えるか、何が消化できて自分の身になるか?——は個人差(← 生物学的個体差が反映されている)があります。ゆえに、私には難読というのが事実であっても、これは「ラポール」の先生の表現がよくないと批判しているわけでもなければ、私個人がおバカで生きるに価しないことを意味するわけでもありません。何が食えるか、何が消化できて自分の身になるか?――を考えて今、何を自分が採り入れるかを一人ひとり自分で観察し判断するようにと子どもらにも教えています。もっとも世間一般から「食えないヤツ」とされるヒト個体も観察されます。一方、食い物になりがちなヒト個体も観察されますよね。「ラポール」の先生(?)がどういう御仁なのかは各人、ご判断なさるとよいでしょう。私には判断いたしかねます。ひとつだけ言えることは、

福島県の方の安否ほか
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10828761549.html
に、

拝読ブログのエントリ
(11611)原爆ぶらぶら病
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-10832095677.html
> 精神的な影響を放射能のせいにする人
> 間が出るのではないかと誰かが書いて
> た。まだみなが「うつ病」を信じてい
> た頃に「悲しくないのに体が動かな
> い」という書き込みをよく見た。
> PTSDの「麻痺」である。かって「原
> 爆ぶらぶら病」と言われたものもそう
> だろう。検査的に異常がなければこの
> 場合、そういうもんなんだとあきらめ
> てじっとすること。二次的な不安や焦
> りが症状を悪化させるのである。

と引用させていただいたように、これは、これから増えそうな症例で、注目に値するということでしょうか(← 私個人の勝手な考え)。また、
拝読ブログのエントリ
http://ameblo.jp/makiko0106/entry-10723884211.html
にて入手方法が紹介されていた論文は拝読しました。アホ~な私は「ラポール」(← 大体、何でフランス語なの~? どなたか頭のいい人、日本語になさってくださいな~)が理解できず、取りあえず脇に置いてではありますが、それでも勉強にはなりました。なので、お奨め(← 私が薦めても何の意味もないけど)。このほか、私は読んでおりませんが、先生ご本人はアクチベーション・シンドロームに関する論文を自薦なさっています。


ところで、「ラポール」も「感情」と同じように ↓ どなたか定義してくだされば、私にも分かるかも知れないのに~と思っているのでした。

自然言語の表現
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10302351673.html
に引用した、「便所の落書き」の先生(?)がお書きの定義:
> 情動性はそれ自体としては気づくこと
> ができない身体的な傾向性であるが、
> 運動感覚と複合して表出されると感情
> 表現となり、この表出への気づきが感
> 情であると定義できる(村上靖彦『自
> 閉症の現象学』、勁草書房、2008年、
> p.206)。

「表出への気づきが感情である」つまり「思う」というのは、こういうことだったのです(← 感動~!!)。この手の定義があると助かります。
参考:「考える」「思う」「感ずる」
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10619148679.html



皆さまも、お大事に。



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