「精神科医療がこのままでは存続が疑問視される」(http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-129.html)ことは、現時点での持論や立場を超えて広く共有できる事実かと存じます。私は、DV親父殿が多重人格として理解できるのは意味のあることだと考えますが、息子にとっては、そんなふうに理解したところで、「落ち着きがないADHD傾向のお前が悪い。解離した親父殿は気の毒で保護する必要がある。お前が死ね」と言われるだけなので、さような精神医学に何の意味も見出さず、反精神医学です。「発達障害」論に検証に耐える内容がないのは仰るとおりで(← “You know every world will have its test” http://youtu.be/-HrOjyltyEM)、そういう精神科は『悪霊にさいなまれる世界』(http://bit.ly/JhTWxQ)になっています。 http://amba.to/IPlAvS の議論に参加する時間は割けませんが、反精神医学です。
2012年5月31日追記:ADHDに関連して、何が精神科の治療対象になり得るか?——について。
http://now.ameba.jp/aya-quae/1141656836/
また「発達障害脳」と科学めかして殊更ラベリングして、教育的かどうかは、私個人は非常に疑問だ。特に「善玉ADHD」などというのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判る。 http://amba.to/KkkRr0 のKO男子学生は「勝てば官軍」と了解した未治療PTSD
http://now.ameba.jp/aya-quae/1141659643/
と言えるだろう。ところが「発達障害脳」として観れば「悪玉ADHD」ということになるのだろう。このほか「危ない橋を渡るのはバカだよね」「猪突猛進、ただのバカ」と思いつつ、表面上は静かにしている「日和見ADHD」というのがいると仮説を立てることができるだろう。まあ、いいけど、それって
http://now.ameba.jp/aya-quae/1141663609/
一体、何の意味があるのだろうか? > 長沼先生のファンの皆さま。仮説を立てるのは自由だが、社会的に機能しないという意味で、臨床現場や教育現場では、あまりにもナンセンスな仮説に思えてならない。違うのか? 落ち着きがないクソガキが「悪玉ADHD」にならないように、PTSD予防学習を…
http://now.ameba.jp/aya-quae/1141663966/
するほうが実際的だと私個人は考えている。
「落ち着きがないクソガキが『悪玉ADHD』にならないようにするPTSD予防学習(http://bit.ly/LHUesl)」は「学習」だ。学習させることは「教育」の一環だ。
一方、「発達障害脳」と科学めかして殊更ラベリングして「善玉ADHD」(©長沼先生)などというのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判るから全然、教育的ではない。ADHD治療薬(http://bit.ly/KY3fNe)と称する薬物で一時的にであれ、あわよくば集中力を上げる——つまり「ドーピング」して数学オリンピックにでも出すというのは国威発揚のためには結構かも知れないが、教育とは「本人が本人なりに発達するように支援すること」だとすれば、教育とは言えない。
繰り返しになるが「善玉ADHD」というのは「勝てば官軍」と言っているのと同じだと中学生でも判る。 http://amba.to/KkkRr0 のKO男子学生を「悪玉ADHD」と診断しても(仮説を立てるのは自由という意味で)自由だが、「悪玉ADHD」が「善玉ADHD」になるように治療するには、「勝てば官軍」という「勘違い」を治療することになるのだから、ご本人が向かい合わなければならないのは「発達障害脳」ではなくPTSDなのだ。要するに、「悪玉ADHD」が「善玉ADHD」になるように治療するのが精神医学だというなら、PTSDを診なければ話が始まらないということになる。
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2012年5月20日追記:同年同月24日、引用したブログ記事の変更に伴い改訂。
http://bit.ly/L4tG7v 「ホクガン説というのがある」には、精神科の「早期介入」(http://bit.ly/KgVtkm)に大きな人道上の問題があることを変な譬え話で否認(←PTSD の症状)して、臨床現場で迷いつつ模索していくべきなのに、迷うのをやめて(躁的否認←PTSDの症状で)生きていくことに決めた精神科医(←何じゃそりゃ? 躁的否認で生きる精神科医? 理系バカな私には理解できないよ~)の姿が書き留められている。このような態度に、死の恐怖を味わった患者もいたようだが、気になさらないらしい。患者に死の恐怖を味わわせるのは治療的でないという配慮はないのだろうか。サリヴァンは男性患者が萎縮しないように男性病棟は全員、職員も看護師も男性のみとしたという(加藤澄『サイコセラピー面接テクスト分析』p. 16)。萎縮しないように配慮するどころか、患者に死の恐怖を味わわせても意に介さないのでは、医療行為そのものがPTSD患者を作ってしまう「医原病」としてのPTSD発症ではないか。以下のブログに
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10941499962.html
> いつかも書いたが、「精神科にかかっ
> たら、いきなり副作用で大変な目にあ
> った」というのは避けたい。初診時の
> 精神科医療の心証を良くしておくのは
> その人の予後を左右する。
とあるのは、医療行為そのものがPTSD患者を作ってしまう「医原病」としてのPTSD発症を避けないと拗れるというケースも含まれているのではなかろうか。
それとも「わかっちゃいるけど止められない」(©植木等 http://bit.ly/KC7uDu)のか? もし、そうなら、それはPTSDの症状だぞ。メンヘラの私に言われたくないだろうけどな。
こちら、お奨め。→ http://youtu.be/JGf_gs2320o
日本の文化程度も上がってきましたなぁ。おフランスもあるでよ。↓
Sudara Bushi - Single /作者不明

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なお、YouTube にも出ているが、息子もまだローティーンだし、直接リンクするのは遠慮した。ご覧になりたい方は、
Clémentine Sudara Bushi
でネット検索(http://bit.ly/K6Ey5w)なさってくださいませ(2012年5月22日追記)。









