”給食に頼る子どもたち(とその保護者)” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。


元記事:

『給食に頼る子どもたち(とその保護者)』

http://ameblo.jp/sannriku/entry-12297999068.html

に、コメントしようとしたら、長大になったので、リブログ。

 

戦中・戦後の食糧難では、所得の過多は関係なく、

いわゆる「闇米」など闇の食品にアクセスできるかアクセスするかが子どもたちの栄養状態を左右しました。

 

ヤミ米を食べないと決めていた裁判官が餓死したという話もありましたね。

https://duckduckgo.com/?q=%E3%83%A4%E3%83%9F%E7%B1%B3+%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98+%E9%A4%93%E6%AD%BB&t=ffsb&atb=v60-5__&ia=web

私事でアレですが、私の父方の祖父は、あの裁判官に近い謹厳実直居士だったのですが、家族が多かったから一家全員の配給は頭数だけあり、庭を使って、ありとあらゆるものを作付けし、ドジョウ、フナ、シジミだのカエルだのイナゴだの…食べられるものは何でも捕って食べたので、餓死者は出ませんでした。

 長子である父の兄は既に海軍に行っていました。父も理系センスなので工兵になるか海軍に行くかと思っていたら、お前みたいなのは、橋に爆薬を仕掛けて逃げる時も逃げ遅れて、背中から撃たれて負傷して、見捨てて逃げるわけにいかない戦友にとって足手まといになって、ついでに真っ先に無駄に死ぬから駄目だと却下されてしまい、弾に当たらないように医学部に行くことにしたそうです(←理由が変)。伯父くらい普通に身体能力があれば、走るのが遅くても水兵さんになる道があったのに、それも駄目でした。

 公平に家族で分け合って食べていたつもりが、祖母はトリ目(←ビタミンA不足)になり、ミドルティーンだった父は勤労動員に出ていて給食があったから旋盤回してハッピーだったけどビタミンC不足で歯がボロボロ抜けてしまいました。

 そこで父が決断し、「陛下が宮城におわします限り東京を放棄せず」という祖父を説得して、女子ども=祖母と姉、弟妹だけでも岡山に疎開させましょう…と、なったのです。その「女子ども」は、もう鉄道が走っていないところは徒歩で西へ西へと逃げました。伯母は、トリ目で少しでも薄暗くなると何も見えない母親(=私の祖母)の手を引いて鉄道用の鉄橋を歩いて渡ったことが一番、怖かったそうです。落ちたら死にますから(←PTSD発症リスク)。しかし、一人も脱落せず岡山に到着。父の弟妹は、疎開先では疎開者なりの苦労もあったかも知れませんが、父と違って栄養失調にはならず、よかったと思います。

https://duckduckgo.com/?q=%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0&t=ffab&atb=v60-5__&ia=web

いつも直立不動で聴く『海行かば』

https://youtu.be/C2-vYrMd4kY

これで、いつも頑張れるけど…

「『海行かば』…右から読んだら「バカゆく海」だろう」と思いつつ、

こうして、困難な中、家族が一丸となって難局を切り抜けたので、

艱難、汝を玉にす

で、よかったという話です(←難局そのものがよかったのではなく、「さっさと戦争やめろよ…」って皆が思っていたそうです)。

 

話は、給食に戻って、今の給食の問題は、元記事にお書きいただいたように、放射能汚染ですね。なので、食べる当人たちが「第三者機関でセシウムやストロンチウムを実測していないようなものを食べるように強要しないでください」とアサーティブに言って、セルフネグレクト強要を受容しないことがPTSD予防&克服の唯一の道です。それをしないと、首都圏レベルの汚染地でも女子高生が「仁王立ち」鉄道自殺をしてしまいます。文部科学省は、PTSDの専門家に教えを請い、日本全国津々浦々の教育委員会が放射能恐怖トラウマPTSDで子ども達を死なせないように対処するよう、PTSD予防学習を組織せねば出口はありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さまも、お大事に。