アサーティブに生きよう。 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

他所さまのブログ記事
http://ameblo.jp/momocat1010/entry-12082303644.html
にコメントしたので記録。
http://ameblo.jp/momocat1010/entry-12082303644.html#c12778834821

4. 性別によらずアグレッサーが問題

「エロに関する男と女の認識の差は、簡単に言うと女性には「この世には歓迎出来ないエロがある」と思う人が多くて、男性にはそれが無い人が多いのか」
と言うと、違うと思います。

露出度に関しては大きい文化依存性があるのでさておき、
世界のどこへ行っても、男性にも「歓迎出来ないエロ」が明確にあり、それは男性が性的虐待の被害者になるケースです。つまり、性別によらず
「自分の性が性的虐待のターゲットにされるアグレッシブなエロ」は歓迎できないということです。こう書くと、あまりに当たり前ですが。

(1)子どもがいる日常生活に「ポルノ」はダメ。
(2)子どもを性的虐待のターゲットにするアグレッシブなエロはダメ。
(3)大人も性別によらず、性的なマイノリティであろうとなかろうと、
誰かを性的虐待のターゲットにするアグレッシブなエロはダメ。

ということになり、「アグレッサーはダメ」と纏められます。
例えば、奴隷男児がお姫さまを見て「綺麗な人だなあ」と思っただけで、
お姫さまが家来に命じて奴隷男児の目をえぐりとらせる権利を持つハムラビ法典みたいな世界は、どこかの伝統社会には残っているかも知れませんが、現代国際社会には適合しません。この場合、お姫さまがアグレッサーですね。

註)アグレッサーとは
aggressor すなわち「(心理学)友好的でなく、相手に加害行為をする人」ゆえ、
加害者PTSD=触法精神障害者
とも言い換えられます。


要するに、お互いにアサーティブであればOKということになるでしょう。

そして、性の切り売りによって収入を得ることは、「社会参加の権利」などではなく、自ら人格権を手放し、PTSD発症リスクを取ることになるため、それをやらざるを得ない状況に他者を追い込む場合があることは、社会の構造的暴力として是正していく必要があると言えます。社会の構造的暴力を容認する社会学者は、個人主義を詐称していますが、「自己中」な人々です。

https://twitter.com/franoma/status/651685113881739264
構造的暴力を維持・拡大する個人主義者の例は、
http://ameblo.jp/minshushugi/entry-12034176263.html#c12732415360
コメントNo. 27. 「保護ぬき平等」 、
コメントNo. 31. 「行政を悪用して年金システムを崩して若い世代の負担を減らそうという…姥捨運動」に書きました。
…と一昨日、ツイートしました。

あ* 2015-10-09 18:55:24


皆さまも、お大事に。