両性が尊ばれ、誰も酷使されない社会のために、今、安保法制に反対しよう。 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

他所さまのブログ記事
『男尊女卑とか』
http://ameblo.jp/momocat1010/entry-12070467896.html
にコメントしようとしたら、長くなったので記事にしました。
コメント内容:
お書きになった記事は、『オレの所為か?』©藤岡藤巻を思い出させます。話は、そういうレベルの問題ではありませんね。奥さまが「子どもがいじめられた」話をしたいとき、ご主人は、疲れて帰って明日、仕事が早い場合、「オレは疲れているんだ、お前は気が利かない女だな」というのは、You-message が含まれておりアグレッシブで相手の人格を傷つけるためダメです。疲れている旨を奥さまに説明し、仕事のないときに話し合おうとアサーティブに提案することができます。「それでは間に合わない。子どもが殺害される危険性がある」というなら緊急性があるので「たかが子どものいじめ」という判断にはならないでしょう。互いにアグレッシブにならず、アサーティブにストレス・コーピングをするのが「ハラスメント」を避ける方法でしょう。

男性も尊ばれ、女性も尊ばれ、誰も「酷使」されない社会を目指すことが大事ではないかと精神が正常な人であれば、誰しも思います。ゆえに、
社会参加としての奴隷労働
社会参加としての苦役
社会参加としての売春
この3つは、いずれも「社会参加」にはなり得ず語義矛盾だと気づきます。ところが、売春を「セックスワーク」と言い換えて「セックスワーカーの働く権利」などと言い出す「インテリ女性」が出現しました。これこそ男尊女卑の最たる形態です。「管理売春ならば、性を切り売りすることは本人の人格を傷つけない」という事実誤認があるからこそ、売春が男尊女卑の最たる形態であるにも関わらず、それが認識されていません。「管理売春ならば、性を切り売りすることは本人の人格を傷つけない」と勘違いするのは、性を切り売りした女性の「自己放棄」を認識しないPTSD否認社会だからです。

http://lite-ra.com/2015/05/post-1127_4.html
「本当の貧困は『風俗後』に突然訪れるかもしれないというリスクは女性たち、そして社会も認識しておくべきだ」
というのは、生活を全体として見ると、
http://bit.ly/petitKairi
の患者さんのように(英気を養うなどと言い訳しつつ)「息抜き」にエネルギーを浪費してしまい、仕事ができないなど「言い訳ができなくはない」=自己欺瞞が酷くなっていき、言い訳が成り立たなくなって、「困ったらまた風俗にいけばいい」と思っても、どんどん条件の悪いところで働かざるを得なくなり、最後は、心身がついていかなくなって風俗をやれなくなり、「風俗後」に本当の貧困が突然訪れる…ということであり、人格の解離が少しずつ進んでいるPTSDです。
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12030803229.html
に書きました。
PTSD否認をやめ、貧困、性差別、人種差別など構造的な暴力に抵抗するため
今は安保法制に反対することが焦眉の課題です。
http://inabatsuyoshi.net/2015/07/06/1796

http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12066302284.html
で紹介しました。


2015年9月8日追記:
http://ameblo.jp/minshushugi/entry-12034519548.html
にご紹介のあった一曲、こちらにも貼っておきます。
https://youtu.be/B8uXhGTY_qE



リアリスト
http://bit.ly/1QkPyw3
ならば、
「正式な命令がないのに誰かが最初の一発を撃つ——というのが怖い」
(© http://ameblo.jp/sannriku/

『国をダメにする「専門家」』
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12037138376.html
に書きました。

ベトナム戦争が実際に、そうでした。
マクナマラの教訓については、
http://bit.ly/1IBc43k
映画もあるし
http://www.sonyclassics.com/fogofwar/
http://amzn.to/1S15AMH
邦訳もあるし
http://amzn.to/1FOcQD1
洋書もあります。
http://amzn.to/1dZWhy3

現在、やられているリアリティ(現場=in situ)から離れた机上の空論は危険です。
それだとトラウマの再演をやってしまうからです。



https://twitter.com/masanoatsuko/status/640269144101814272
まさのあつこ
@masanoatsuko
昨夜のテレ朝番組で池上彰さんがわざわざベトナム取材をしたのに取り上げなかった件をこちらで振り返ろう→トンキン湾事件、攻撃されないなら、攻撃を捏造すればいいじゃない?【集団的自衛権】 https://shibari.wpblog.jp/archives/5692 via @yukinoshibari

この方は、トンキン湾事件は「捏造」の可能性もあると仰っているようです。その可能性も十分にあり、否定できません。真相は藪の中ですが、集団的自衛権でも同じことがやられるでしょう。それを考えないように誘導する池上彰氏は、ジャーナリストとしてはアレです。


解離性不注意」で「正式な命令がないのに誰かが最初の一発を撃つ」のも、
「攻撃を捏造」して戦争の口火を切る(←「加害者としてのPTSD」が無法エリアを形成・拡大する)のも、
PTSD問題があるがゆえのトラウマの再演なのです。



皆さまも、お大事に。



2015年9月10日追記:
コメレスしようとしたら、長くなったので、記事に追記することにしました。

私はフォークソングを歌った世代よりは多分、数年から15年くらい年齢が下で、
私の父は昭和一桁生まれ、母は大正末期の生まれなのでフォークソング世代より年上です。

原発が止められないのも、戦争に巻き込まれるのも、「意気地なし」だからです。
私たちは、庶民だからこそ「意気地なし」ではなく誇り高く生きることができます。「真性庶民」は、簡単に自分が神様になったようなつもりにはなりませんから。



エージェント
http://bit.ly/1KaWQ4q
に、してやられないだけの哲学を個々人が持つことが必要なのですが、
心理職や精神科医の多数派は、頭(の調子)が悪い(=PTSDで認知機能の歪みが激しい)ようで困ります。簡単に自分が神様になったようなつもりです。
『ヤコブの梯子』
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12009211719.html
に書きました。

そうして他者の人生をかき回しておきながら、
•意気揚々として(←躁的否認をして)いたり、
•意気揚々とまではできないので権威にすがっていたりします。指摘してあげても理解できずに、未だに東大精神科のオキシトシン・プロパガンダに流されたりしています。

東大は権威にすがるタイプが多いという特徴があります。これは私ら先祖三代の観察結果です。どこにもスクールカラーというものがあるので、仕方ありません。
「精神は操作の対象ではない」と極めて常識的なことを京大のどなたかが仰ってくださったようで、良かったと思います。

「精神を操作の対象にしない」精神医学は、
http://bit.ly/Ssensei
が臨床で実践なさったタイプのPTSD治療のみでしょう。すなわち、
「傷ついた人が自然にトラウマを受容していく様子との『ずれ』」に着目し、
「ずれ」を来談者中心(←“client-centered”であって“client's ego-centered”ではない点に注意)にして修正するのが唯一、精神医学が「患者」の心理操作に陥らず、「患者」の人格権も生存権も守りつつ精神障害を治癒させる道です。

「ずれ」(http://bit.ly/1F8rpFl)を感知して修正をかけることです。「修正をかけること=介入」であり、介入の内容が薬物を使わないで済むケースは精神科医が処方する必要がないため、整体師、心理職だけでなく、親はじめ養育者、教育者、近所のおじさん、おばさん、友達同士…皆さま、「修正をかけること=介入」を多かれ少なかれなさっています。宗教者、占い師も、そういう役割を担っています。

以上のことに関連して、他所さまのブログ記事にコメントしました。
『PTSD否認の精神医学が問題』
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-398.html#comment6524

同じブログで
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-396.html
のコメントにニーチェの引用があったので、
日本人なら高村光太郎だろうと思って、
『ヒトが歩いたところで道が開拓されます。』
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-396.html#comment6529
とコメントしておきました。
この詩は、息子が小学校の卒業前に、卒業文集に何か書けと言われて困っていたので、私が「この詩は爺さんが好きだった」と教えたところ、作文もできて、
図らずも、児童虐待オヤジ&仲間たちからの独立宣言みたいな内容になってしまいました。息子について「オマエは天才だ…」とか言いながら、自分たちの思い通りに息子の精神を操作しようとして、氷点下の屋外、コンクリート打ちのベランダに半袖半ズボンで30分以上、直立不動で居させるとか、食べさせない、寝かさない… そして気に入らないときは、後ろから足をひっかけて転ばせるとか、殴るとか…さらに、死ねと言いながら首を締めるとか、二階から投げ落とそうとするとか…やりたい放題をして、父子関係を破壊した「加害者としてのPTSD」がオヤジです。そういう加害行為を全部やられた息子を嘘つき呼ばわりし、「加害者としてのPTSD」が支配する異常な世界へと息子を戻そうと皆さまが必死になっていたとき、息子が書いた作文でした。

私たちは、庶民です。だからこそ、誇り高く生きることができる幸せがあります。
これは、アメブロのブロガー氏でもある翠雨先生がお書きのことです。
「人間は、真の意味で意気地のないことをしないようにしないといけませんね。それはどんな人でも努力できることであり、要するに人生はそれだけでよいのだと思います。
学者には意気地がありません。
情けないことです」

このコメントが出てきた経緯は以下のとおりです。
http://ameblo.jp/raingreen/entry-12070134141.html#c12767208558
1. ここでいう「高尚」は“honestō”
「高尚な個性化の過程の物語も
「わがまま論」で
台無し
日本文化に対する冒とく」
という点に同感です。ここでいう日本語の
「高尚な」=“honestō”
ですね。
“Ab honestō virum bonum nihil dēterret”.
http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=407

ラテン語がわかる世界中の人たちに説明できると思いました。
そして、日本人はセネカを読むのが性に合っている人が結構いるかもしれないとも思いました。
あ* 2015-09-06 20:56:39

http://ameblo.jp/raingreen/entry-12070134141.html#c12767236868
2. Re:ここでいう「高尚」は“honestō”
>あ*さん

言葉に罪はないのですが、「高尚すぎる」とよく使われるので、誤解があるかもしれないですね。高邁?も同様で。
honestですか。
教えていただけてよかったです。
ありがとうございます。
機会をみつけていろんな人に尋ねてみようと思います。
翠雨PTSD予防&治療心理学研究所 2015-09-06 21:58:19

http://ameblo.jp/raingreen/entry-12070134141.html#c12767263623
3. Re:Re:ここでいう「高尚」は“honestō”
>翠雨PTSD予防&治療心理学研究所さん

他所さまのブログ記事
http://ameblo.jp/momocat1010/entry-12068649492.html
にある「天下御免」すなわち、
「お天道様に恥じることなく素直に生きる」
これがラテン語でいう
“honestō”
なので、江戸の庶民にも素直な子どもたちにもある性質です。
“vitiated”
になってしまわないことです。
息子が行っていた公立中学校を正面玄関から入ると壁には
“honesty and diligence”
と書いてあり、そのことです。

「日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ」
©新美南吉『おじいさんのランプ』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html

「これね、おじさん、清廉潔白の廉て字だよ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/1753_18682.html

先生には、釈迦に説法ですが、ほかの読者さんのために書いておきますと、
PTSD問題に対処しないかぎり、倫理は守れないという話でもあります。
「倫理は人を裁くためにあるのではなく自分たちが人倫を踏み外さないためにあります。倫理は、単なる自縄自縛や支配したい側におもねる自己規制(お説教や行動療法で刷り込まれた自己規制)ではなく、自らが人倫を踏み外さず[PTSD]を発症しないためにあることを[PTSD予防]学習のなかに入れる必要があるでしょう」
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11727963412.html#c12424921300
に以前、コメントしました。
あ* 2015-09-06 22:54:55

http://ameblo.jp/raingreen/entry-12070134141.html#c12767303242
4. Re:Re:Re:ここでいう「高尚」は“honestō”
>あ*さん

いつもいろいろと本当にありがとうございます。

人間は、真の意味で意気地のないことをしないようにしないといけませんね。それはどんな人でも努力できることであり、要するに人生はそれだけでよいのだと思います。

学者には意気地がありません。
情けないことです。



翠雨PTSD予防&治療心理学研究所 2015-09-07 00:37:39