高騰…教育…洋の東西…主体性のない知識取得の無意味さ | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

註)「主体性のない知識取得の無意味さ」
「[トラウマ]という「[人生]最大の課題」と[主体]的にどう取り組むかという視点が完全に欠けている」
『主体性がない知識取得の無意味さ…』 

『Intéressant(アンテレッサン)について ― 欧語散策(1)』
「私がある対象に強い intérêt (関心)を持てば持つほど、それだけ私は変わり、自分はどんな人間なのかがよりよくわかる。何も intéressant なものがないということは、自分で自分がわからないと言っているに等しい。毎年、学年の初めに、すべての授業で、学生たちに、「この講義で学ぶ事柄が、あなたたちにとって、この第3の意味で intéressant なものになることを心から願う」

ということで、私たち日本の庶民はフランス人民と「鏡」になっている件を他所さまのブログに
とコメントしました。

BWV 639 & Solaris …鏡…

“The Remaker - Episode 06: Solaris (1972) vs. Solaris (2002)”

1分25秒
We want to extend the Earth 
to the brothers of the cosmos. 
We don't know 
what to do with other worlds. 
We don't need other worlds. 

We need a mirror. 

We struggle for contact, 
but we'll never find it. 


エピソード6 & 39
Queen '39

では、浦島太郎の話が出てきます。


西洋と東洋を比較して、
《physique》を「自然学」としか訳しようがないのは、西洋人は心身一如の文明ではないためではないでしょうか?

つまり、観察主体であり「私は見た」という《私》もまた観察対象である世界の一部であるという現実を否認しているのです。ゆえに、世界の一部である区々一の自我が肥大しやすくもあり、ローマ帝国でキリスト教を国教にせざるを得なくなったのかも知れません(推測)。このあと、キリスト教世界が広がることになります。

“physical”=ロゴスを直接にやり取りすることのない、物言わぬ身体細胞に関連することであり、
“physician”は身体医学者
“physicist”は物理学者です。
心身一如ではない西洋医学にだけ「精神科医」に分類される職業人が存在します。東洋の教育では、言語、数学、芸術など様々なリテラシーのほかに身体操法があるのですが、西洋では教育というとロゴスに関係が深いリテラシーに限られて、身体操法は含まれません。

明治の学制発布以降に創立された大学も、ロゴスに関係が深いリテラシーに限られた研究と教育が行われ、「はじめにロゴスあり」ではない日本文化育ちの者には、座りが悪い状態が続いて、「地下鉄に乗った同級生」(©伊東乾)という結果を生んだと思います。死刑を執行せずに、PTSD問題の研究に貢献するように、法務相と厚労相が話し合って、処遇を決めたら人類の福祉に貢献できるのにと思います。
追記:人類の福祉など、どうでもいい、何が何でも実行犯は死刑だと主張する態度は、「復讐感情の迷走」(© S先生)と解釈され、それもまたPTSDです。死刑廃止に関連して、他所さまのブログにコメントしておきました。
それはさておき…

では、観察主体であり「私は見た」という《私》もまた観察対象である世界の一部であるという現実を認識して世界の森羅万象を記述して考察する学問は何か?…というと、それは「現象学」でしょう。

現象学をやって、すぐに気づくことは、スケールによって、場を特徴づける素過程が違うということです。場は “field”であり、先生が
にお書きの〈間〉です。

間合いを取れない場合は、相手に氣を介しての相互作用を及ぼすことはできないので、そういう現象が起きる=“field”が構成されていないと言えます。

妊婦と胎児は、互いに相手に氣を介しての相互作用を及ぼす関係にあり、複雑な階層構造を持つコミュニケーションを行ないます。胎児期のコミュニケーションが出生前の記憶を構成しているので、なかには外傷記憶になって病原化するものもあることでしょう。

実は、同じアメブロをなさっておいでの kyupinさんは、西洋医学の精神科医とのことですが、内股なのが私個人は前から気になっていました。

『モノゲンで洗ってやりたい』のコメント

17 捨てネコ
確かに:
内股になってますね。(笑)
2008/06/14 11:27:58

25 kyupin
>>捨てネコ:
ワロタ
2008/06/19 22:14:47

捨てネコ氏もアメブロ

kyupin氏が
「モノゲンで洗ってやりたい」
と感じるようなタイプは、
kusaiinu 氏だと私個人は観察していますが、 kusaiinu 氏はアメブロではないので観察機会が乏しく、確認できないのが残念です。

内股の何が問題かというと、おそらく、それに対応して[PTSD]による[認知機能の歪み]がある可能性がある…ということです。
参考:
『いじめと、潜在感情 そして、すくんだ足』

すくんだ足

「アクチベーション…が怖い…半分腰が引けている」
という状態ゆえに、
アクチベーションの正体を見極めようと考えられない一方で、
kusaiinu 氏のようなタイプの「脳」は、kyupin氏には臭いので「モノゲンで洗ってやりたい」でしょう。薬物洗脳で「変なこと」を考えないように「治療」したいということですね。これが伝統的な西洋医学の精神科医であり、
「一生懸命トラウマを傾聴する。
頭の中に傷ついた時の患者の様子が思い浮かぶまで。そこで新規向精神薬を処方する。傷ついた患者が自然にトラウマを受容していく様子との『ずれ』を発見したら修正する。」
PTSD問題を認識した精神科医とは、根本的に違います。

《physique》を「自然学」としか訳しようがない状況にある日本の大学教育では、
kusaiinu 氏のようなタイプが、もし女性であれば、高岡健さんのように嬉々として研究サンプルにして、マッチポンプをなさって意気軒昂、さらに、
の成れの果て香山リカさんと共著をお出しになります。読む気にもなりませんね、あまりの不毛さに。自分らがやってきた[人道上の罪]になる[心理操作]を不問にして隠蔽し、国際ウィメンズほにゃららも案内なさるのでは、悪気はなくてもT4作戦をやるような人々に加担してしまいます。

ちなみに、私は初めから「変と言われても、発達そのものが障害しているということはない」という認識で、今も変わりありません。優生思想、優生学には反対です。

他方、自称「医療界のテロリスト」内海聡氏は、初めは発達障害論の本にも名を連ねていらしたのが、『精神科は今日も、やりたい放題』で、いきなり謝罪なさり、
そもそも、隠れ虐待と発達障害の関係を明記した例を最初に私が見たのは、
自称「医療界のテロリスト」内海聡さんの
にあるコメント
「私見とおっしゃられても、最近の意見はブログの中身そのものでしょうか?近いうちに
隠れ虐待と発達障害の関係を本にできればとは思ってますが・・・出版社が受け取ってくれる気がしません。
2011-06-06 17:00 東洋医」
と3年ほど前ですが、この先生は残念ながらPTSDとも仰いません。この頃は、優生学をなさるとお書きだったように記憶しています。もし、そうなら、別途、優生学を立ち上げるのもまた不毛だと思うので私はパスします。

この「隠れ虐待」で、いちばん多いのが、おそらく妊婦による胎児のネグレクト(出生前外傷)や胎児の受動喫煙はじめ社会毒の摂取、今では受動被曝があると言えます。これからは薬物摂取による無痛分娩も子どもにとっては出生外傷になり、いずれも身体障害&精神障害(=PTSD)発症リスクになります。
参考:
『ファストフードでスポイル』
註)ここでいう「医療化」とは、「西洋医学的な医療化」すなわち「物言わぬ身体細胞や赤ちゃん」を西洋医学的に「思い通りにしよう」とする営為。意識されている成体男女のエゴで「物言わぬ身体細胞や赤ちゃん」を「我とそれ」の「それ」(物)扱いする…ということ。「我と汝」ではなく「我とそれ」での「それ」扱いは、PTSDを発症させる原因になる行為。いわゆる自閉症者を操作の対象として愉しんでいる医療従事者は皆、「我と汝」ではなく「我とそれ」の「それ」としてクライエントを弄んでいる。


そういうわけで、
地味でも臭くても良いので、kusaiinu 氏や
のように、治癒について現象学を進めることが人類の福祉に貢献する道でしょう。


皆さまも、お大事に。