気にしない。 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

「こないだ見かけたよ」って言われたら気持ち悪い?ブログネタ:「こないだ見かけたよ」って言われたら気持ち悪い? 参加中

気持ち悪いか?ー 私は別に気にしない。世の中は広いので、気持ち悪いと感じる人もいるだろうし、気に掛けてもらえて嬉しい人さえいるだろうと思うが、私は、気にしない。

「こないだ、見かけたよ」
と言われたら、私は、
「目が悪いので私の方からは気づいてあげられなくて、ごめんね。どこで見かけた?」と返事する。顔は分からなくても、何度も会った人なら、歩き方、仕草、匂いなどで判別できることもあるが、全員を判別できるわけではない。
「駅の近くで、誰かと立ち話してたでしょ。何か、気が引けちゃって声、かけなかった」
「そうだったの。そんなに気を遣わなくても良いのに。人に聞かれて困るような話なら、外でしないって。時間が差し迫って、すぐ話に入ってもらえないなら、あいさつだけにして、私から『今立て込んでるから、悪いけど、また後でね』と言うから、声をかけるか、かけないか、お気遣いは無用」と言うだろう。それでも、あいさつなしに、また、同じ人から
「こないだ、見かけたよ」
と言われたら、私も同じ返事を返すだけ。


私は、物心ついてから、母が私に依存していることに気づいて重荷だった時期があった。呼ぶから家事や勉強を中断して、
「はい、何でしょう?」と訊くと、
お茶をいれて持って来いとか。羊羹を切れとか。自分でやりゃいいだろ…と思うが、やって欲しいのか~しゃあない…と思ってやる。羊羹を切ると「もっと厚く」「あと一切れ」「もう一切れ」と言い、「あなたも食べなさい」。あまり甘いものは食べないので3mmくらいに切ると「あなたは、お父さんに似て、ケチねえ」。

2014年7月21日追記:
母の脳内では、何か母にとって気にそまないことがあると、全部、「お父さんが悪い」のだった。多忙な父が洗車を先延ばしにして、どうにも、これ以上の放置は拙いというとき、車を洗うと、そのあと、土砂降りになることが多く「お父さん!あなたが車を洗うから雨が降るのよ! 分からないの? 何度も何度も同じことが起きたのに!いい加減、やめて頂戴」…雨が降るのも父の所為か?…父の洗車は気象兵器かよ?⁇…と思うよね、今だったら。昭和は、[気象兵器]という話はなくて、富士山[富士山]レーダーだけでは大変だったのが「気象[衛星]を自前で打ち上げられて良かったな」という時代だったから、子どもの私は、あ~またやっている…と思い、事の行く末を観察していた。兄は、子ども部屋に軟禁されて「通知表に2が並んだり(←アヒルの行進)2と3が交互について『にいさん、にいさん』だったり…ではダメ。勉強しなさい」と言われて、観察すると興味深い夫婦イベントには、大概、居合わせなかった。兄は自分一人だけ子ども部屋に軟禁されて面白くない(←ネグレクトされて面白いわけがない)から、花札の図柄を研究したり、飼っていたオタマジャクシがカエルさんになったので、窓から来てくれるハエさんを捕虫網で捕らえて与えたり、手塚治虫や赤塚不二夫のマンガを読んだりと兄も本人なりに忙しかったようだ。一方、現場(=[in situ]=[Gemba]←[PTSD]克服のヒントは常に「現場」にある。 
http://ameblo.jp/kunotakayoshi/entry-11491251856.html#c12253084088)で事の顛末を観察していた私は、「お父さんが車を洗うから雨が降るのよ。あなたがやりなさい」と、いきなり、トバッチリを喰らうのだった。「お父さんが車を洗うから雨が降るのよ。私がやります」と言わない母は、ルナール著『にんじん』の母親と同じだ…と私は思った。思ったところで、子どもの私には選択権がなくて、しゃあないなぁと私がやることになるのだった。恐妻家の父は「悪いねえ」と私に謝るのだった。母は、ハリウッドの戦争映画を好んで観て「皆、お父さんたちが不甲斐ない所為よ」と言うのだった。兄は「勉強しなさい」と子ども部屋に軟禁されていて知る由もない…実母の[PTSD]症状=必殺八つ当たりの術だ!女は怖いよ…

註)現代日本には、
『[侵略]!イカ娘』
というのがあるらしい。

父は、[戦争][トラウマ]があるから部屋の隅で小さくなっていた。母がそういう攻撃をするから、父は[解離性不注意]もやり、不安に駆られて躁的否認で働きすぎ、寿命を縮めた挙句、ときどき[うつ状態]に陥っていた。要するに、私の原家族の[PTSD]の震源は、母をアダルト・チルドレンにした関東大[震災](後述)。戦時には、母は田舎にいて、空襲は受けておらず、家庭菜園で食うにも困らず、暮らしに何ら役立たない勉強は嫌いだったから、千人針や軍服縫製で高等女学校もほぼ勉強なしで終わってラッキーだった(←[躁的否認]だ)そうだ。ラッキーってことは、なかろう。アメリカンな兄のワンワンとコミュニケーションが成立しない原因にもなった(母の “Go!” は二重母音がイマイチ不明瞭なので、犬は何を言われているのか分からない http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10896544908.html)わけで。まあ、何にせよ、暮らしに何ら役立たない勉強は誰だって嫌だよね…と私は思った。これは、どの時代、どの地域でも、そうだろう。だから、日本女子大英文科を出た明治女の祖母(=父の母)が「女に学問は要らない」と言うことにもなる。英文科に行かなくても実用英語は、できるからね。むしろ、英文科はじめ外国語学科に行って、西洋かぶれの[PTSD](http://ameblo.jp/raingreen/entry-11893063876.html#c12555101822)になる方が人生にはマイナス…ということだ。

話は戻って…


しばらくして、また母が呼ぶから家事や勉強を中断して行って、
「はい、何でしょう?」と訊くと、母曰く
「何でもないけど呼んでみたの。だって寂しかったんだもん」。
何だ~そりゃあ…と思い、申し訳ないが理解はできないので、
「あ、そう」と承り、「今、立て込んでるから、悪いけど、また後でね」
と言うことにしていた。

後になって、「何でもないけど呼んでみたの。だって寂しかったんだもん」というのは、母の母が関東大震災でキッチン・ドランカーになって早世して、長女だった母がいわゆるアダルト・チルドレンだからだと了解した。お蔭で、いろいろあったけど、いい人生経験になったよ。「いわゆるアダルト・チルドレン」=[PTSD]だ。

2014年7月21日追記2:
では、母のような「いわゆるアダルト・チルドレン」=[PTSD]患者は、どうすれば治るのか?…今では判っている。
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-11783487995.html
> 長く内海運輸で立派に働いてき
> た人でしっかりした息子さんも
> いたが、アルコール依存症(依
> 存症はPTSDの合併症)になり、
> 幻覚妄想状態(今なら解離性
> PTSD性とわかる)となり、
> 自宅に放火して妻を殺害しよう
> とした。…今は理解できるのだ
> が、「主トラウマ(可愛がって
> くれた艦長の敗戦自殺)」と
> 「従トラウマ(生い立ちの
> 孤独:ネグレクト)」の両方を
傾聴する必要があったのだ。両
> 者は「トラウマコンプレックス
> (複合体)」を形成していたの
> だから。その後に新規向精神薬
> を処方したら‥。精神科医もこ
> のブログを読んでいるだろうが、
> 世界中の精神科医が治せない
PTSD治療の一番の「ツボ」は
> ここ…



「こないだ、見かけたよ」
と同じ人から何度、言われても、私も同じ返事を返すだけ。この人の人生も、いろいろ、あるんだろう…と思う。

生きていれば、誰だって、いろいろ、あるだろう。