「治らないという考え方は、治りませんか?」 | あ~どうしたものか

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社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

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発達障害は治りますか?/神田橋 條治

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に出てくる神田橋條治先生の言葉です。

あれこれ不具合があるのは、私の場合も子どもの頃からのことです。

それでも私は「広汎性発達障害」を疑うような臨床医を避けます。そういう診断を望みませんでした。それは、どうも「治らない」と根拠なく決めつけている医療従事者が多すぎるからです。「完治はしない可能性が高い」くらいのことを言われる分には「そうかもしれない」くらいには思えます。しかし、何もかも全然どうにもならないことを前提に「一生、パキシルを少量ですが服用してください」などと言われると、「何の根拠があって、それを仰いますか?」と疑問に思います。それに、発達が障害しているわけでもないのに「発達障害」というのも変だと思ってきました(感覚情報処理の個体差)。

現在の主治医は「私は何でしょう?」と伺うと、「さあ。抗うつ剤が効いているのだから、うつ病だったのではありませんか」で終わりなので、すっきりしています。うつ病を遷延化させないように、神田橋先生の

精神科養生のコツ 改訂/神田橋 條治

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を参考に、心身一如だと思って養生を工夫してきました。そのためには、まず、過緊張を何とかすべきであるという考えに至り、焼酎風呂と春ウコン、さらに「空耳」やいくつかの言葉で起きるフラッシュバックに対処するため、四物湯と桂枝加芍薬湯を始めました。さらに、「ゆるウォーク」をやっているうちに、緊張度が高いわけも自覚できました。「なぜ初めから、どこもかしこも筋が緊張しているかというと、常に右側に傾いていて、倒れないように頑張っているから」。

その頃、これまた神田橋先生お勧めのバランスボールをやってみていました。しかし、バランスボールは少しずつ記録が伸びても、なかなか上達しませんでした。それで、その理由を考えると、思い当たりました。ある方向に傾きかけたとき、倒れないように支えるためには筋を緊張させる必要があります。そのためには初めは筋に緩みがないとなりません。初めから、どこもかしこも筋が緊張していれば、ある方向に傾きかけたとき、倒れないように支えるため筋を緊張させようにも、できないのは当然です。

なぜ初めから、どこもかしこも筋が緊張しているかというと、常に右側に傾いていて、倒れないように頑張っているからということです。――というわけで、私はストレッチを始めました。要するに、緊張を下げるためにバランスをよくするには左右の歪みを治すのが大事だと思って、「大野員正の骨盤くびれダイエット」を実践しました。私の場合、鶏ガラ体型でダイエットはどうでもいいのですが、目をつぶって大きく腕を振ってその場足踏みを100回やったとき、左旋回する歪みを矯正するように体操を行なうというのが大事な点です。このトレーナー氏によれば、左旋回する人は、右足の靴底の外側が摩滅する、非力なひょろりん体型――というのですが、大当たり。というわけで、氏の勧めるストレッチをやり、バランスボールの成績を改善、歩くのも楽になりました。

このように、神田橋先生の『精神科養生のコツ』(岩崎学術出版、1999年、改訂版2009年)の精神を活かして私が自分なりに工夫したことは、結構、当たっていたと思いました。歪んでいる身体は歪んだままでも何とか倒れずにいるために緊張しています。『発達障害は治りますか?』(p.35マンガの部分)にも次のようにあります。

神田橋先生:「ゆがんでる身体というのはゆがみを維持するため緊張してるんですね」
神田橋先生:「そこにショックを与えてそこが緩まないと動かしてもゆがみが動かないんです」
岩永先生:「靭帯に衝撃を与えてるんですか?」
神田橋先生:「そう…靭帯が強張ってるからね」
藤家氏:「右にすごく重心があるんですよ」

ついでに、藤家氏と私は傾き方が同じだったのですね。

神田橋先生の『精神科養生のコツ』(岩崎学術出版、1999年、改訂版2009年)の精神を活かして私が自分なりに工夫して養生を進め、「うつ病の遷延化」を防ごうとしてやってきたことは、新刊書『発達障害は治りますか?』に出てくる養生と、具体的な内容が大半、同じでした。今後も、発達障害系の診断を受けようとは思いませんが、「うつ病の遷延化」を防ぐ観点で養生を進めればそれで良いと考えております。


治療者が根拠なく「治らない」という考えに凝り固まっていることが、患者が自らの未来を考えるとき認識を歪ませ、患者の予後を悪くしていると思います。

普通から外れている私が言うと変ですが、「普通」なら、何か問題があったとき、「完全に治る」「治るところと治らないところがある」「全然、治らない」のどれかかなと考えるでしょう。これまでの経験から、こういうケースは、この点とこの点が治らないと確認されているとしても、まずは「そうか、治らないところもありそうだ。でも治るところが全然ないという根拠もないから、完全に治らないにしても、治るところと治らないところがあると思って、いろいろ治療を工夫してみよう」と考えるでしょう? そう考えないで「全然、治らない」と根拠なく断定する医者はその点については認知が歪みきっていますよね。

そういう認知の歪んだ医者の手にかかって、予後を悪くしている患者さんたちが気の毒でなりません。そういう医者に捧げる言葉が「治らないという考え方は、治りませんか」。まず、自らの認知の歪みを治して、治療者として真っ当になってくださいませ。私のようなメンヘラ~に言われたくないかも知れませんけど。

お互い、脳の不具合はあるものの、具合の悪い場所や様子が違うから、お互いに岡目八目ということもあるものです。


皆さまもお大事に。