感覚情報処理の個体差 | あ~どうしたものか

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社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

昔は「情緒障害」、今は「情緒」が障害されているわけではないとされて「発達障害」と言われるようになりました。けれども、発達のしかたに個体差はあっても「発達」それ自体はしているような気がするので、「発達」が障害されているわけでもないように思います。そういう意味で、「発達障害」というのも変です。 kyupin先生曰く「彼女のように、30歳を超えるまで普通に働き、生活してきた人のどこが発達障害なんだと言いたい」(『パキシルは幻聴に効くのか?』)


確かに「普通の人」と違うことが自覚できるのは、感覚情報処理 (sensory processing) の部分です。細かいところばかり見えてしまって、自分なりに構成した全体像を捉えるのは、部分を集積して総合した後になります。これは或る種の障害 (disorder) と言えます。が、お蔭で印象操作には引っ掛からないので、印象操作に引っ掛かることを障害 (disorder) とすれば、「普通の人」のほうが障害があることになります。などと言い合っても意味がありません。そこで、どちらのあり方も "disorder" ではなくて互いに違うだけ—— "another order" と捉えれば、結局は「感覚情報処理の個体差」ということになるでしょう。

人類の未来においては、感覚情報処理の個体差が研究され、各人の感覚情報処理形態に合った形で教育や研修が受けられるようになり、今言われているような「発達障害」は現象として見られなくなることでしょう。