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Palfongのブログ

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電池の切れた時計をもって、自転車をこいで、とある町の時計屋さんへ行ってきた。

古くて、小さくて、ひなびた町へと行って来た。

 電池修理代は500円。ショッピングモールだと割引デーでも1000円は取られるので
なんと半額だ。
 時計屋さんは思ったよりも若かった。使い込んだ道具を使い、持って行った腕時計3つの電池を
交換してもらった。
 完全防水ではないので、わずかずつ内部へとほこりは侵入するのだそうだ。そして長くつかっていくと部品の油きれも起こってくるし、錆も生じてくる。そんなことを教えてもらった。

 帰りは違った道を通って、その町を観察する。
どの町でも起きていることが、その町でも起きている。古い家。取り壊されて駐車場になった区域。
 時計屋、お好み焼き屋の店は古くからの商売を継続させているが、大半の店は時代の変化にはついていけず閉店となっている。
 それに人通りも少ない。お客さんが来なければ、商店は経営が苦しくなってしまう。

 今日、わざわざその店を訪ねたのはなぜか?

 それは、その店の電池交換が安くできると知っていたからだ。

 なぜ、知っていた?

 それは、ホームページに値段と場所が明記してあったからだ。

 そこの店がネットにページを作ってあったから、ネット検索から、知りえることができ、地図をみて迷うことなく
その店へとたどりつくことができた。

 インターネットに対応することで、その店は小さいながらも口コミを広め、そして集客に
成功した。
 写真と地図を掲載することで、外観と場所の情報を発信し、選択させることに成功した。

先日、忘れ物をしてしまい、わざわざ取りにいってきた。

忘れた品物の特徴を係りのひとに言うのだが、普段使っていて見慣れているものだけど特徴がうまくいえない、色すらあやふやなことしか言えない。


人間の記憶など、いい加減なものだとつくづく思った。

意識していなければ、ろくに見てすらいないのだ。


 警察が立て看板で事故の目撃証言の提供を求めているが、あれなんかも

ずいぶんといい加減な情報しか集まらないのではないだろうか。


 よほど意識をしているか、訓練を積んでいないと、普段の生活では見ているようで何もみていない。


 日常生活での意識と訓練の必要性を感じた。


 この人間の記憶の曖昧さというのは、非常に危険なことでもある。


記憶が変質をしているかもしれないからだ。


 昔の事件についての証言なんてものも、どれほど正確なのかは疑わしい。

林真理子が好きな女のひとは多くて、自分が知っている女のひとも影響を受けて小説を書いたんだそうだ。
 そこまで影響を及ぼすのはすごいと感じたが、自分はエッセイを少し読んだくらい。

 まったく期待をしないで「下流の宴」を読んでみたが、登場人物の描きわけがしっかりとされていて、面白く読めた。
 テレビドラマ化もされていたが、自分はまったく見ていない。小説だけの感想。

今の社会の様相を上手に取り込んでいて、普段目にする光景がよく当てはまる。
 
 小説のなかに医学部受験の話が登場をする。
自分が通院をしている病院の子供はふたりとも医学部に進学をしている。かけた教育費を通算すると
大変なもので、それにさらに医学部の学費が加わる。ひとりは私学だから学費で3500万くらいは
かかるのではないだろうか。それに東京での生活費がかかる。
 医者は儲かるわけではない。とその病院長は述べている。医局に勤務をしても少ない収入の時代を
過ごさねばならず、開業医は儲かる職業ではないのだ。と言う。

 それは世間の富裕層と比較すると確かにそうだろうけれど、高校への新幹線通学を検討してみたり、寮生の有名進学校に通わせることは、一般家庭の選択肢にはないはずだ。
 階級の分化があり、それが継承されていく。

 どうも、小説のような逆転劇はおこりそうもない。

 こうしたことを書いていて、あることを思い出した。
以前、住んでいたところに大衆食堂があり、夜遅くまでやっているので、結構、重宝していた。
そこが三人の子供のうち、末っ子の子供が国立大学の医学部へと通っていたようだった。
 たまに行くとお茶をだしてくれたり、膳をだしてくれるのだけど、小柄な女の子で、普通に見えたが、いろいろ話を聞いているとそういうことらしかった。

 もう少し、詳しく話しを聞いておけばよかったと思っている。

下流の宴 (文春文庫)/文藝春秋

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 横溝正史の「獄門島」はミステリのベスト1位に選ばれていて、つまり、最も面白いミステリの
ひとつだということだ。
 これまで、「本陣殺人事件」しか読んでいなかったので、トライしてみた。

 戦後の混乱期、瀬戸内の島におもむいた、金田一。自称探偵のプー太郎なのだが、過去に本陣殺人事件を解決に導いているだけに評価が高い。島で連続しておきる事件の捜査にあたることとなったが・・・。

 読んで、いささか肩透かしをくらったような気分になった。謎解きミステリにはそれほど心ときめかない。以外な真相に到達をしても「ああそうかな」と思うだけだった。
 どうなるのかどうなるのかとページをめくっていくのだが、最後のほうで減速をしてしまう。

 というのは、被害者となる女の子の扱いが軽い。古い因習に縛られた島での人生が軽く感じられてしまうこと。この扱いはひどいんじゃないか。
 三島由紀夫がクィーンの「Yの悲劇」について書いていたように、小説の登場人物に重い、軽いと
いうのはないはずだ。というのがそのまま当てはまる。

 ミステリファンの感想を読んでいると、そうした違和感というのは書かれていない。自分が思うようなことは感じないようだ。

 大沢在昌が「寄木細工のような小説があり、ひとつひとつのパーツが各箇所に納められていき、無駄がなくしかるべきところに収まる。よく出来ている小説だとは思うものの、それ以上の感想は感じない。」と本格ミステリ小説について述べていたが、同意である。
 謎解きをされると読後、こじんまりと小さくなってしまうところがミステリにはあって、風呂敷を広げていくところはどうなるんだろうとページをめくっていくが、広げた風呂敷をたたんでいく過程で興味が持続しなくなる。

ミステリは嫌いではないんだけれど、好きでもないな。
母親の形見の品物のなかに、珈琲店の券があった。

探していってみると、その周辺は様変わりをしていて、知っている店の閉店があいついでいた。
珈琲券も使えるうちに使わないといけない。というわけでその店に行ってきた。

 母親がその店に通っていたことは確かなのだが、何をしに行っていたのだろうか。家とは
まるで逆方向なのだ。駅からも少しばかり離れている。格別、用事のあるところには思えなかった。またそこは珈琲専門店で軽食の類は出してはいない。
 珈琲店のひとに話しかけてみたが、そのひとが格別話好きだとかいうわけでもなさそうだった。母親のことも覚えている様子ではなかった。

 珈琲の味も、それほどにおいしいともいえなかった。
雰囲気はいいけれど、さほど魅力もないお店。
 珈琲を飲み、冷水を飲みながら、考えていた。
「笑う警官」を再読した。
以前に高見浩訳で読んでいるのだけれど、どういうわけかさっぱり記憶にない。
本を読んでいた状況も覚えていない。だから初読みのような気持ちで読んだ。

 すらすら読めなかった。登場人物の名前がこんぐらがり、つっかえながら読み通した。
最近、途中で投げ出してしまった本が多いので、かなり楽しめたほうである。

 新訳ということで、話題にもなっていた小説。
訳者が女性になったためか、あれ?というところもあった。
訳というのは難しいのだな。高見浩氏は男性でもあるし刑事物の訳を数こなしているから
慣れというのもあるのだろう。
 銃だとか刑事の描きかたに男女差が強くでているようだ。

 スェーデンの格差社会が登場してくる。ストックホルムで生活をする移民がでてくるが、似たような状況は日本の街でもよく見かけるようになってきた。
 今、日本で生活をする外国人は多くなってきているし、ちょっとしたトラブルもおきてきているようだ。

 中間層の貧困化が社会の姿を変えていき、富裕層の姿が際立って見えるようになってきた。

 医者は儲からない。とは聞くが子供二人を医科大学へと進学させることができる。学費が数千万円かかるが、これまでにかけた費用も考えると相当な金額となる。
 自分の子供のために新幹線通学も考えたとブログにあったが、そういった選択肢を持っている人はそうは多くないはずだ。

 小説のストックホルムの格差社会と日本の今の格差社会の姿がだぶり、自分の知っている事件なども思い起こされ、なかなかすらすらとは読めなかった。 

眼科に行き、目薬の処方箋を出してもらっているのだが、2月から行っておらず

先日行ったところ、院長先生より注意をされた。

「一ヶ月に一度はくるようにしてください。」


眼科に行くと視力検査と眼圧検査を行うが、医者からすると絶対に欠かしては

いけない必要最低限の検査らしい。

 眼圧にしても一日のうちで変動があり、定期的に行うことでそのひとの状態がわかってくることがある。

 あまり間を空けると眼圧の測定がうまくいかない。


だから、「混みあうので来たくない気持ちもわかりますけれど、一ヶ月に一度は

くるようにしてください。」

 口調は柔らかいけれど、厳重注意である。いい加減に通院するんじゃない、ということ。


 黙って、うなずいて院長先生の指示を受け入れた。

 

 今の眼科に通うときに、いろいろと検討して選択をしたので、医師の指示には

従わないといけない。

先日、台風が通過する日に車の中でコンタクトレンズを落とした。

服にひっかかった気配だったので、体を動かさずに服を調べ、続いてシート、それからフロアのところ。

 レンズは車の中にあるはずだと、くまなく調べたのだが見つからなかった。


 車を移動させて、明るいところで調べたが、それでも見つからない。

 家に帰り、車のフロアマットを部屋に持ち込んで調べたがない。

 服に引っかかっているのではとはたいてもでてこない。


 すっかりとあきらめ、昨日部屋で掃除機をかけていたところ、畳の上にコンタクトレンズが落っこちていた。


 さて、どういう経路をたどりレンズは移動をしてきたのだろうか?

やはり、服にひっかかっていたと考えるのが自然だろう。


 では、なぜ見つけることができたのか。それはやはりあきらめずに見つけようと意識をしていたことが大きかったのだろう。

 意識していたので、体を動かさずに部屋のなかへと持ち込むことができ、踏んで砕くことがなかった。部屋のなかにある可能性もあると目で探していた。

潜在意識のなかに見つけようというテーマがあり、自分はそれに従って行動を

していた。


 そんなところだろうか。

街中で中国人のひとを見かけるのも珍しいことではなくなってしまった。


 昔、バイトをしていたときに、中国からきた陳君と知り合った。陳君は日本語が達者だったので

あれやこれやと話をした。

「株、儲かったか。」 中国人はやはり、お金の話が好きである。


中国はこれから、発展をしていくけれど、日本は停滞をしていくだろうね。と、したり顔で雑誌で読んだことを受け売りで、彼に話をしたことを思いだす。

「それでも、日本はシステムがしっかりとしているから、中国と比べるとはるかにチャンスが多いだろう。」


 中国人と結婚したらどうかと言われたこともある。「中国好きだから。」

実際、他のひとと比べて、中国人への違和感はそれほど感じなかった。


 彼は上海の出身だったが、幼いころ、上海の銭湯のようなところにいくと、階段をあがっていって

上へとひとがあがっていく。上の階は何があるのだろうと不思議だったそうだ。

 大きくなってから、知ったが上の階は宿泊施設になっており、雑魚寝ができるようにしてあったのだ。ロッカーはなくて、衣服を長い棒を使い、とても届かないところに吊るして盗難されないようにしておいて休むようになっていたのだ。


 上海に帰ると日本で稼いだお金を使って、一日タクシーを借り切るのだと言っていた。

日本で見たこと聞いたことを大げさに脚色して話をする。

 なぜなら、自分も向こうで日本帰りのひとの話を聞いたから。そうすると日本に行ったことのない人はすごいなと言いながら憧れる。

 「みんな、そうして日本にきているんですよ。」


 中国人どうしで話をしていると、自分はニセ中国語をしゃべる。

それが、なんともおかしいらしく、彼は吹き出してしまう。


 いまだ、中国にいったことはない。

 鹿児島県の南、沖縄に近いところに口永良部島がある。

この島のことを知らず、本屋で「鹿児島の島々」などをみて調べていた。
旅行ブログを見たりしながら、飛行機でいけて宿泊施設もあるのなら、
行ってみたい島だと、ノートにメモをしていた。

そうしたら「噴火」のニュース。
自分の意識していない状態のときにニュースを聞いたのかと思い出してみるに、検索をかけた
ときに「噴火」のことはみていない。とすると、やはり自分が調べていたときに噴火をおこした
ということ。
34年ぶりの噴火だが、島のことを調べていたときには火山があることもしらなかった。
「まぐれ」ってこういうことなんだ。

不思議な気分になってしまった。狐にばかされたような。