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Palfongのブログ

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昔、知り合いのひとが事件に巻き込まれた。女のひとと車のなかで話をしていたところ、道を教えてくださいとメモをもって、気の弱そうな男が近づいてきた。

 窓を少し開けると降りてきて教えてくださいと言う。ドアを開けたところ、潜んでいた男たちに襲われ、財布を奪われ、車もぼこぼこにされてしまった。


 襲撃されたのだが、隙をみて反撃をして何とか逃げ出すことに成功をした。

警察で事情聴取され、要約されて新聞にも載った。

 さて、アルバイトでコーチの仕事もしていたので、職場にいったところ、女性がいちように冷たい態度だったという。

 

 こちらは事情を聞いていたので、チャンスをみて起死回生の反撃に転じて、ヤンキー軍団から逃げきった、と思ったのだが、女性の受ける印象はそんな事件に巻き込まれ、連れの女性もとんでもない目にあわせた男。という評価だったみたいだ。


 そのときにずいぶんと女性と男性では違ったふうに受け取るのだなと思った。

女性脳と男性脳では、違いがある。


 今年は株主総会に出席をした。株主からの質問があるわけだが、女性と男性では質問が違っていた。


 すんでいる地区にも店を展開してくれると、助かる。

 優待券を誤って捨ててしまったかもしれない、もう少しわかるようにしてもらわないと(これは本人の勘違いであるとわかる。)


 こういった質問が女性の質問。また会社と株主との間にアットホームな雰囲気を作り上げてほしいと願っているようにも感じられた。


 男性の質問は、外国への店舗展開のやり方だとか、財務諸表をみて、この経費はおかしいのではとか、経営戦略や資金の使い方に関するものが多かった。


 株主総会に出席するのは初めてだったが、女性と男性との特性を強く意識させられる場面だった。

伊丹十三監督の映画「マルサの女」の1と2を見た。


ちょうどバブルの起きた時期で、世の中にお金が回っていたころの話だ。


確か、自動車評論家がショーファードリブンをして車を楽しむのも典雅でよい、なんて言っていた時代で、ショーファードリブンとはお抱え運転手のこと。

 大型セダンを雇った運転手に運転をしてもらうか、あるいは専業主婦の妻に

送り迎えをしてもらうか、ということだ。


 映画では、結構入り組んだお金の流れを、うまくストーリーに組み立てている。駅前を再開発をして高層ビルを建設するというのは、今もあって、

不動産、銀行、建設が動いている。土地立ち退きも当然あるはずだ。

 テンポよくコミカルな展開は、まさに映画の教科書ともいえるような出来のよさで、楽しめた。


 普段、温厚にしている自分だが、なぜか税務署に行くと戦闘的な気分となる。

確定申告の時期に応援で駆り出されている職員が、書類不備だからと鼻で老人をあしらうのを見ていると、ひとこと言ってやりたい気持ちになってくるし、

税金を納める作業というのは生産性のない作業だからだ。

 決め事だからといっても、支払うのには相当にストレスを感じるからだろう。

 

 申告用紙をもらうために出向いたところ、まったく要領を得ないので、にらみあったこともあり、今では反省をしている。

 感情的になったところでろくなことはないからだ。


 バブル期ですら税金から逃げようとしている人が多かった。

これが今のように国家財政が怪しくなってくると、国としては税収を増やしたい、税率を上げたいとなる。消費税をあげ、さらには国外に移転しようとする

お金の動きも封じこめたくなる。

 国家と税金は永遠のテーマでもある。


映画「マルサの女」は国内でのお金の動きを取り扱っていたが、橘玲の小説

「タックスヘイブン」は日本と税率の低いシンガポールとのお金の動きを題材に

している。

 東京都内では、現実にシンガポールへの移住、資産フライトをテーマとした

コンサルティングが活発化をしているとか。


 その一方で、まったくこうした税金対策に疎い人たちがいる。

個人会社を使って、節税対策をするのは芸能人からスポーツ選手、漫画家、小説家と広く一般的に行われているし、自分の勤めている会社の社長ですら

行っているのに、鈍感である。

「なんかピンとこない。」

源泉徴収制度が作り出した「羊の群れ」って気がする。

 映画でも小説でも感じたことだが、税金から逃げる者がいて追う者がいる。

 しかし、その背後にいる群衆は税金に疎い者。


 デヴィ夫人がNYより日本へと拠点を移すときに、パリのアパルトマンを売却をした。パリでの売却費用は高くつき、60パーセントほどが回収できただけだった。それを日本のデヴィ夫人の個人口座に移したところ、日本の税務署より税金をかけられることになった。

 デヴィ夫人は裁判で正当性を主張したが、結局認められなかった。

パリのアパルトマンはペーパーカンパニーの法人の所有となっており、そこからデヴィ夫人へのお金の移動は配当所得とみなされて課税をされてしまった。


 会社法人から個人へは配当である。という税務署の主張は理解できる。

 デヴィ夫人の、ペーパーカンパニーと個人のお金は同じというのも心情的には理解できる。

 デヴィ夫人のパリでの資産売却は、フランスと日本への納税をさしひくと3パーセントほどにしかならなかったということである。


 税金は公正なものだが、理不尽なものでもある。

 

「すいません、このあたりに書店があると聞いたんですが」

尋ねられて「あそこにありましたけど、今はやっていないようですが。」


 と答えた。最近、そこを通ったら、営業しているじゃないか、町の本屋さん。


 昔から知っている店だったが出版不況で閉店をしたと思い込んでいた。

 付近の飲食店もすっかり様変わりをしてしまったのに。

 細々ながらも営業をしている。

 店内に入ってみたがそこでは、昔ながらの風景。


 昔、本屋なんぞ楽な商売だ。という意見があったが、さすがに今、そういう人は少ないだろう。

 確かに文化的にも見えるし、気楽にも見えたのだろう。

実際には薄利の商売だ。その店でも、いったい何人のひとが買っていくのだろうかと心配になる。

 年月は人の流れを変えてしまい、周りの商店街もすっかりと消失をしてしまっているのだ。

 持ちビルだから商売を続けていられるのだろうが、ビルに入居をしているテナントもなく、将来の見通しは暗いだろう。


 書店の場所を尋ねられ、そういえば、ここ何年かのうちにすっかりと閉店をしてしまったなと考えた。

 書店は斜陽産業なのだ。

 本屋さんがなくなるというのは、その地域が文化的に衰退をしていくのと連鎖している。


 かつては、そこも結構な盛り場だった。それが駅周辺の再開発をして、こじゃれたタウンに変貌したのはいいが、一気に衰退をしてしまったのだ。

 人が通過してしまうだけの場所に変わってしまった。

医者に行って来た。


処方してもらっていた塗り薬が、「正直、あまり効いてない感じ」だったので

診察。

「うーん、効いてないみたいですね。薬変えましょう。」


 具合の悪いときには、なるべく早く病院にいくことにしている。


がまんして行きたがらない、医者嫌いのひともいるが、自分はなるべく


いくようにしている。


いくまえには、ネットで調べて、病院の雰囲気をつかむようにする。


いまの症状に対応をしていそうな病院であるかないか。


結構、医者選びは上手いほうであると思う。


 病院の先生は誠実でもあるし、こちらの質問にも答えてくれるし、ていねいに

対応をしてくれるし、満足をしている。


 ややこしいことになる前に病院にいったほうがいいというのは、自分の知り合いのひとが、具合がわるいといっていて、ある日突然に急死をしてしまったからだ。土曜日に元気な姿をみて、月曜には死去をしていた。


 会社の健康診断では「胸に影あり」ということだった。体調の悪いのと、健康診断での結果を結びつけて考えず、彼は医者にも伝えていなかったと思う。

 医者は風邪薬を処方していた。

 実際には血管の病気が進行をしていた。


 医者はやぶ医者という評判だったようだが、責められないだろう。

その病院を選んだのは、彼であるし、医者としては精神的なもの、アレルギー的なもの、とそれなりに考えて、風邪薬で様子を見ていたのだろう。

 彼の態度はおそらく受動的で、自分から具体的な症状を伝えなかったのだろう。医者としては、なんともしようがない。


 自分から働きかけていたら、結果は異なってきたはずだ。

女優 小川真由美さんについて、娘の雅代さんが書いた本を読んでいて

面白かった。


 小川真由美さんは演技にいれこむタイプで、仕事しているときは憑依したようになってしまう。そのために日常の生活も演技をしているような感じになってしまい、不安定な環境で育った雅代さんは自身のアイデンテティを確立できなくなってしまう。

 仕事のうえでは、見事な演技をすることができる。シナリオに心情を書き込み

掘下げて分析をしていく。俳優という不安定な状況は、何かにすがりたいという心理を

強くしていき、占い師のもとに通い、胡散臭い見立てを実行に移したりする。

 付き人が続かないので、娘さんがやらされる。


 小説ではないので、話には救いがない。ママはいんちき占い師や宗教家に

お金をとられ、親しいひとは去っていく。芸能界には友人がいない。

 スタッフは本音を言わず、愛想だけはいい。

 そんな、調子で連鎖していく。

ポイズン・ママ―母・小川真由美との40年戦争/文藝春秋
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この本のなかでテレビの演技をみて、それをそのまま信じ込んでしまっている

ひとのことがかいてある。

 善人を演じればそれを信じ、悪人を演じればそのまま信じ込む。

こういうひとは結構多いようで、死んだうちのママもそうだったのかもしれないな。
 

あるひとが珈琲について、語っていて「スターバックスはあまりおいしくない。」


 自分は以前に毎日、珈琲を飲んでいた時期があり、いろいろな喫茶店へと行った。

 毎日、飲んでいるとそのうちに味の違いのことが気になり始める。

 行く店を選ぶようになり、そのうちにスターバックスへと絞るようになった。


 だから、珈琲の基準はスターバックス。これを基点にして味を判断している。


 ところが、このひとは、それ以上のものを基準にして判断をしている。


 ところが、ところが、そのひとと会ったときに虫歯の穴が気になったのを思いだした。

 「歯が悪い奴の味覚はあてにならない。」っていうのが自分の持論なのだ。


 そのひとの食べる料理って、すごくカロリーが高く、味の濃いものが多い。


 味覚がずれてるんじゃないだろうか。


 友人とあちこちに食べにいっていたことがあるが、そのうちにいかなくなっていしまった。

 味にうるさいのだ。ラーメン屋にいくと「まずい。」

 こじゃれた店へと食べにいっても「まずい。」


 ところが、ジャンクフードはやたらと食べる。貝の干し物やいかのくんせいから、飴と駄菓子。食事の合間に食べまくる。そのうちに歯がわるくなって医者に

いったが、状態がわるいので医者がぶつぶつ言っていたらしい。


 そこで、ようやく「歯がわるい奴の味覚はあてにならない。」と閃いた。


 味覚がずれているのが、自覚できていないのが問題だったのだ。

基準がずれている。


 その友人には、味の濃い店を紹介すべきだった。それか、いっしょに行かないことだ。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録/双葉社
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カジノで106億円も負けた2世社長のことを週刊誌は盛んに書き立てた。


芸能人との交流のこともあれこれと噂をされた。


 その本人が本を書いた。

 週刊誌で記事は読んだけれど、それをそのまま鵜呑みにしてはいけない、ということがよくわかる。


 前半は製紙業についての記述、製紙工場はさかんに白煙を吐き出しているが、ほとんどは水蒸気なのだとのこと。また設備投資には途方もないお金がかかる。

 金融機関も経営が順調なときは、経営が苦しくなると態度が冷たい。

ビジネスはまさに弱肉強食。


競合他社の製品と広告戦略を分析をし、戦略を練る。


5W1H when where who what how いつ どこで 誰が なぜ どのように

それにもうひとつのh how many いくら という具体的な数値 を意識しての

経営を考える。

 抽象概念ではなく具体性を追求していく。追求することでより具体的に詰めていくことができる。


 ビジネスマンとして優秀なひとだったらしいが、酒の飲み方には危ういものを感じる。芸能人、財界人との酒席がかなりの長時間だったはずだし、体への

負担も大きかったはずだ。


 プライベートな酒の席ほど、人間性と本性はあらわに見える。酒席での人間観察のたまものだろう。


 ギャンブルは家庭麻雀から学生麻雀、麻雀が下地になっているようだ。96年ころにオーストラリアのゴールドコーストにでかけ、カジノを体験する。

 ブラックジャックからバカラへと進み、大勝ちをする体験をしてしまう。


 その後、マカオのカジノに通うようになる。

 マカオのカジノにはVIPルームがあり、上客を特別待遇をする。彼らがカジノの収益の柱になるからだ。さらにコンシェルジュという世話係がつく。

 これが、他のカジノとは異なるところなのだという。

 コンシュルジュは飛行機や宿泊の手配をし、観光の世話もしてくれる。カジノからは売りあげの一部が彼らに支払われる。

 カジノで負けたときに借金の手配もしてくれる。

 これが、コンシュルジュの重要な役割で、彼らを通じて、カジノは金を引き出している。


 このマカオのカジノに嵌ったことが、有能なビジネスマンをギャンブル中毒の

深淵へと引き込んでしまったようだ.

そして、上限の掛け金がより大きいシンガポールのカジノへ行くようになり、負け金がさらに膨らんでいく。


 特別背任罪で実刑判決まで受けてしまったひとの体験から得たものは参考になる。


 カネの貸し借りは人間関係を破綻させる。

 週刊誌の記事は事実とは異なる。

 バクチをやらない人間ほどバクチに向いている。

 強迫気質の人間は酒やギャンブルにはまりやすい。

 最後に助けてくれるのは友人。

 親しげに近寄ってきた人間もてのひらを返す。

 プライベートな酒の席ほど人間性と本性はあらわに見える。


 それにしても、経営者をギャンブル中毒にして破綻をさせてしまう、マカオのカジノというところはすごい。

 信頼から油断をさせて、財を収奪してしまう。


 教訓としなければいけないのは、どんなひとであれ、おだてには弱いということだろう。

 さほど不自由もなく育った人間の弱さがでたということなのだろうか。

昔、こんなことを考えた。


将来、食料危機がやってきて、国は安いコストでつくった「国民食」を配給する。

おいしいんだかまずいんだか、微妙な味つけの「国民食」 これを食べると

一日に必要なカロリーと栄養は確保できる。

 国家は国民の食生活を保証している。あとは足りないところはひとりひとりで

補ってください。という理屈。

 さて、この配給される食べ物、何から作られているのか、それは謎なんである。


まあ、こんな設定を考えていたが、安くてカロリーがそこそこにある食べ物は

考えてみるといっぱいあって、即席ラーメンやカップめん、クッキー、それから

パン。最近でてきたのではグラノーラもそうだろう。

 量産とコスト計算により、安い価格で消費者に販売されている。

自分が考えていた「国民食」は将来の未来ではなく、大量消費社会の現在に

すでに存在をしていたのだ。国が配給しているわけではないけれど。


 今夏は、うなぎが高騰した。一尾が4000円とか。マジでうなぎだれだけを

買おうかと思ったものだ。

 海のなかのことはよくわからないが、ようは取りすぎてしまったということなんだろう。

 漁獲量の激減は、うなぎだけにとどまらない。

 地球人口が70億もあると、食料の確保は大変なことになり、あっという間に

消費をされてしまう。

 うなぎの激減は、ほかの魚の激減とも連動している。

 減ったものは何かで補わなくてはいけない。


韓国が昆虫の養殖を産業にそだてていくことを発表した。

日本ではこのことをさかんに揶揄をしたけれど、漁業や農業、畜産からの食糧供給を考えると、別の食料資源の開発を進めるのはいい判断だと思うけれどね。

 早い時期から、いずれくる未来に備えて準備を進めていくのは、正しい選択だと思う。

 昆虫を加工して食品化をする。あたらしい「国民食」だ。

リニア建設の認可がおり、建設に着工をすることになった。


2年、3年の予測すら立てにくい、今の時代に2027年の開業を目指して、建設がはじまる。


 5兆5235億円の工事費用はJR東海の負担となる。

 こういう工事の場合、大抵は工期が延び、そして費用が膨れ上がる。

はたして、計画通りに進むのだろうか、大丈夫なんだろうか。

心配をしてしまう。


 JR東海は、新聞、雑誌の強力なスポンサーなので、反論も論議もなしに

すんなりとここまできてしまった感じで、どうもすっきりとしないもやもや感を

抱いている。


 さて、計画通りとなり、リニアが完成をすると東京と名古屋との移動手段に

複数の選択肢があることになる。


 リニア新幹線  最速で移動できる。

 新幹線      台車と機材を改良して、今よりは速くなっているはず。

 飛行機      IT技術の進歩により今よりは使いやすくはなっているはず。

 バス        IT技術の進歩により安全性は高まっているはず。


  一般のひとが利用する際にこの4つから選択をすることになる。

今の時点ではっきりとしていることは、やはりこのなかで、リニア新幹線が一番、高いということだ。


 もし、建設費が予算以上に膨らむと、それが料金に反映をしてしまい、さらに割高となる可能性もある。


 JR東海は巨額の建設費を負担することになり、投資家からすると、こうした会社は投資価値があるのだろうか。

 日本の人口は減り、IT化がすすむと利用客は減るかもしれないのだ。


 リニアの利便性とは別に、株価が市場でどう評価されるのかっていう話である。

7月に、作家の深田祐介氏がお亡くなりになった。


じぶんは、NHKのアジアの特集番組がきっかけで、このかたの海外諸国に関するエッセイを何冊か読んだことがある。

 東南アジアの国のイメージは、これらのエッセイによるものが多い。

東南アジアに関心をもったのも、その影響である。


 しかし、小説のほうはまったく読んだことがなかった。それでちょっと読んでみた。

「神鷲商人」 、インドネシアのスカルノ大統領の時代を背景として日本企業の進出を描いている。登場人物にはモデルがある。ヒロインのモデルとなっているのはデヴィ夫人である。

 小説で展開される、そのほとんどの出来事は実際にあったことである。


 歴史というのは、光のあてかたによってずいぶんと解釈が違ってくるものだが

起きたことというのはゆるがせにはできない。

 これを読むとデヴィ夫人というのは機知のあるひとだということがわかる。

 運命のダイスの目は、不運の目がでたり、幸運の目がでたりとするわけだけれど、それを自分の運命を切り開く方向へと彼女は舵をとっていく。

 そこには、「幸運のシンデレラ姫」という以上の要素がある。

 他の女性とは、何か違ったものがあるのだ。


 小説はスカルノの死によって終わるが、現実のデヴィ夫人は、パリの社交界、インドネシアでのエージェント業、会社経営。ニューヨークに拠点を移し、

 そして今では東京に居住をして、テレビのバラエティ番組、田茂神氏の選挙の応援と活躍をしている。


 スカルノの死を乗り越え、生き抜いている。

そういうところが好きだったりする。


 

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