てざわりの記憶 -29ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

マリオ、とは高校のころ飼っていた犬の名前だ。

雑種だと思うのだけれど、柴犬くらいの大きさで色はまっしろ。

マリオだけどメス。

絶望的な気分の夜に拾った犬だ。

とぼとぼと夜道を歩く私に向かって、街灯も無い真っ暗な道の向うから一直線に走ってきた。

何がそんなに嬉しいのか、しっぽをぶんぶん振りながら、私の足もとで小刻みにジャンプを繰り返す。

首輪が無いところを見ると野良かな、とも思ったけれど、だったらこんなに人間に対して無防備なはずが無い。

足元のこの子は、間違いなく人間を信じきっている。

おおよそ信じられない位の喜びをもって、私に接するのだ。

突然、私は決心した。

この子は、この子の純粋さは守られるべきものだ。

私が守る、と。

突如犬を連れて帰った私と家族は大いに揉めたのだが、結局、全責任を私が負うという約束で飼う事になった。

マリオ、と名前を付けたのは確か妹だったと思う。

その日から、私とマリオの日々が始まった。

マリオはとにかく人を信じきっていて、会う人会う人、家の前を通る人、誰に会っても恥ずかしくなるくらい嬉しがってその人に接した。

親などは番犬にもならない、とバカにしきっていたけれど、私はマリオのそんな所に惹かれたのであり、元気一杯に人に甘える彼女の姿をとても嬉しく見つめていた。

学校から帰ると、散歩の時間。

当時、家の周りには十分すぎるほどの広さの田んぼがあって、そこをマリオと一緒に走り回った。

人もいないので鎖も外して、存分に追いかけっこをした。

民家もないので、(いったいどんな田舎だったのかしらん 笑)トイレも気にせずその辺で。

ペットフ-ドなんて瀟洒なものは与える事が出来なかったので、マリオは私たちと同じ物を食べる。

今思えばずいぶんと塩分が高かったのだろうと思うけれど、ともかくそんなふうに私とマリオは日々、暮らしていた。

寒い夜や、雨の夜なんかはこっそりと部屋にマリオを入れた。

時には同じベッドで寝た事もある。

普段外で飼っている犬なので臭いがするのだけれど、そんなことは気にしない。

早朝にマリオを元に戻してシ-ツと毛布を洗濯機に放り込み、布団を干し、シャワーを浴びて学校へ行った。

どんなに沈んでいても、いい気分でも、何も無い普通の時だって、彼女は全力で私に甘えてきた。

その、一種傍若無人なところが、とても好きだったし、救われた。

そして、そんな日々にもやがて終わりが来る。(つづく)

<p>自分が生まれる前のモノなのに、妙に懐かしいもの、ありませんか?

私にとって、それはフォ-ク音楽。

学生運動しきりのころ流れた、反戦や若者の苦悩、社会の歪みを歌った、いわば「セメント・フォ-ク」のころ。

理由はわからないけれど、小学生のころから何となくフォ-クが好きになった。

べつだん家にフォ-ク音楽が流れていたわけでなく、(それどころか響くのは罵声ばかりであった)特にフォ-クに接する機会があったわけではないのだけれど、何かの折にそれを耳にするたび、なんだか懐かしい思いにかられたものだった。

以前の仕事場に、年下ながら(とはいえ、私自身も全盛期に生きていたわけではないけれど)フォ-クを理解する男、T君がいた。

彼からはいろんなCDを借りたりして、フォ-クについて話をする事もあった。</p><p>とにかく博識で、いろんな話を楽しく聞かせてもらった。

 

フォ-クにかぎらず、学生運動の映像や、そのころ起こった社会的な事件などを目にするたび、なんだか切ないような懐かしいような気分になる。

もしかしたら、前世の私はそのころに死んで、わりと早めに生まれ変わっているのではないか、と思ってしまうほどだ。

町をあるいていても、何だか昭和の匂いのするものに引かれてしまうし、年寄りの昔話を聞くのも、わりと好きだ。

そんなこんなで和菓子大好きな私は、今日もほうじ茶を飲みながら甘納豆をかじって、この日記を書いている。

・・・・・・ただ単に、年寄りっぽいだけなのかもしれない。

とはいえ感じるものは仕方ないので、開き直って、明日は羊羹を買いに行くつもりです。

等身大、という言葉がずっとキライだった。

どうしてだかわからないけれど、なんだかバカにされているような気がするから。

「等身大の自分に出会う」なんて言葉が、旅行のパンフや癒し系グッズ(などと呼ばれているもの)の宣伝文句になっているけれど、私はほとんど嫌悪にも似た感情を持ってそれらを拒否していた。

ある種、憧れのようなものもあったのだとおもう。

そりゃあ、どこだって素の自分で居られるならそれに越した事は無いけれど、なかなかそうもいかない。

ただでさえ、自分の中で自分の評価がかなり低いのだ。

私の毎日は、意地と不安と虚勢と抑うつ、甘えと期待と逃避と希望で出来ている。

バランスを取るのが、何かと大変なのだ。(この選択肢でバランスをとってもねえ 笑)

この省エネ時代に、そんな無駄なエネルギーを使っては、毎日ヘトヘトになっている。

いっそこれで発電でも出来ないかな、などと考えてしまうけれど、そんな不吉なエネルギーではラジカセ(・・・もしかして今はラジカセとかって、言わないのかな・・・?)からは溜息ばかり聞こえてきそうだし、テレビはイヤな思い出を受信してしまいそうだし、扇風機に至っては正体不明の温風が吹き出してこないとも限らない。

もっとも、不安で発電が出来るほど多くの人々の心がすさんでしまっては、省エネの心配も無く人類は滅んでしまうだろう。

とはいえ、昨今よく聞くようになった車の排ガスでの二酸化炭素による集団自殺を、まさに地球規模でやろうとしている訳だから、もうだいぶ末期症状なのかもしれないけれど・・・。

 

先日読んだある本に、「素のままの自分でいつも居ていいか、と聞かれたら私は当たり前だと答えるし、そもそも人に見せられないような「素」ならば、まずそれを何とかするべきだ。」という感じの事が書いてあった。

ううん、まいった。

全くその通り。

条件付で解放される「素」の自分が、いかにグロテスクなのを知っているので、この言葉は痛く身にしみた。

自分の中にあるズレた断層が、いつ地震を起すかわからない。

こうして文章らしきものを書くのも、そのズレを少しでも埋めたいとおもって書いているのかもしれない。

表向きはともかく、自分の中で自分との折り合いをつけていけない事には、このズレは広がるばかりだ。

・・・そう考えてみると、私は人間社会に適応していく学びの段階おいて、かなり初歩的な所でつまづいているのがわかる。

自分の改造に取り組んではいるものの、まだまだ道は長そうだ。

いつか等身大の自分になることが出来るだろうか。

そのときにはきっと、この言葉が好きになっているに違いない。

さすがに泳ぐには早いのだけれど、ふらっと海へ行った。

海岸沿いの緑地公園を散歩してきたのでした。

多少ゴミも浮いているけれど、綺麗な色の海はやっぱりいい気分。

沖からの風は、新鮮な海の香りだ。

これでホットドッグ屋さんでも出ていたら、気分はコニー・アイランドなのだけれど。

どういうわけか、私はハンバーガーやサンドイッチよりもホットドッグが好きだ。

昔、何かの写真でみた色とりどりのホットドッグたち。

パテと卵のドッグ、チリ・コンカ-ネドッグ、アンチョビ・ホットドッグ、ブルーチーズドッグ・・・。

とてもファ-ストフ-ドと思えないその内容に、目を輝かせて眺めたものだ。

私にとってそれは、「晴れ」の日のたべものとして記憶されたのだった。

ところがどっこい、いざ探してみるとファ-ストフ-ド的なお手軽なものばかりしかお店には無い。

まあ確かにホットドッグは欧米では日常食であって、わざわざ凝ってごちそうにする物ではないのかもしれない。

それでも、休日にふさわしい(と私は思い込んでいる)このたべものは、こんなさわやかな海沿いの道にはぴったりだと思う。

いっそ、私が開業したって良いくらいだ,。

やわらかな海風を受けながら、この素敵に晴れて、船やヨットが並び、それでいて誰も居ない広い通りでホットドッグ屋さんを開いたら、さぞいい気分だろうこと。

十時くらいからのんびりと開店準備。

お店を開いてまずはじめにするのは、自分のお昼のためのホットドッグを焼くこと。

もう昼間っから薄めの水割りなんて飲みながら、美味しいホットドッグをかじるのだ。

う~ん、シアワセ。

ぽつぽつとやってくるお客さんと軽い会話をかわし、時間が止まったような午後を、時間が止まったようにすごす。

夕暮れが近づいたらさっさと弊店。

なにせ、海にしずむ夕日を見なければならないのだもの。

最後に焼くのも、もちろん自分のためのホットドッグ。

夕日を見ながらたべる分と、帰ってからかじる分。

いや、もしかしたらそのまま、星を見上げながら食べてしまうのかもしれない。

雨の日も良いなあ。

屋台の中から、ざんざん降りの雨をぼんやり眺めながら、ぱりぱりとホットドッグをかじる・・・・。

むろん、曇りの日はお休みだ。

・・・ああいけない、また妄想モードに入ってしまった。

きっと、ホットドッグ分が足りないのだと思う。

可及的速やかに補給しなければなるまい。

晴れた休日の海成分とホットドッグ分は、バランスよくとらなければいけないのだ。

じっさいのところ さみしくても 生きものはしなない

 

といふことの さみしさ

 

それにしても こんなにも ジサツするひとがおおいのは どういうわけだ

 

ジサツはヒトゴロシだ

 

ヒコクニンにタズねます ヒガイシャとのカンケイは?

 

「ホンニンです」

 

ドウキは?

 

「あんまり カワイソウだったので」

 

キョウキは?

 

「火です」

 

ハンケツ ヒコクニンニ ドウジョウノヨチナシ。

ヨッテ ニンゲンカイニ キンコ 87ネン ロッカゲツ トウカ ジュウニジカン コフン ヨンジュウイチビョウ ノケイニ ショス

 

「ええ、そんなに!もうあそこはイヤです・・・・」

 

出所後の進退は どうやってきまるものか

 

街に溢れる囚人達の群れ 群れ

 

孤独と言う鎖につながれて みんなそろって ひとりぼっち

 

こんなにも満たされて こんなにも寂しい。