てざわりの記憶 -28ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

長い間の入院と言うのは経験が無いのだけれど、一、二泊の病院ステイは何度か経験した。

一番古い記憶は幼稚園くらいのころで、当時、病院が家から遠く、夜中にもたびたび発作が出ていたので、病院近くの親戚の家に預けられた事がある。

朝な夕な発作を起した私を病院へ運んでくれた親戚夫婦には、今も感謝で一杯だ。

特に症状が重い夜などは、入院設備など無い小さな医院にもかかわらず、先生が泊めてくれた。

当時の私は医者嫌いだったらしく、どんなに症状が重くても家に帰りたがったそうだ。

田舎に戻ったのを機に、当時お世話になったM先生に会いに行こうと思い、手土産を買って、その小さな医院を目指した。

もう随分昔の事だったし、まだその場所にあるのかな。

それとももう、引退していらっしゃるかな・・・?

そんな私の不安を他所に、かつての姿そのままにM医院はそこにあった。

おそるおそる扉を開けると、中は人で一杯だ。

お年を召した方が多かったが、子供や若い方もちらほらいて、まさに地域医療の最前線といった感じ。

そういえば、このあたりは一向に病院が増えない。

M先生は、今でも元気でこの町の人たちの健康を見守ってらっしゃるのだろうか。

ああ、なつかしいにおい。

病院特有のにおいというのがあるけれど、それぞれの病院でやっぱり違う。

そんな感慨にふけりながらも、ふと困ってしまった。

診察を受ける理由も無く来てしまったけれど、待合室の混雑振りを見るに、ただの個人的な挨拶なんて邪魔ではないかしら。

スリッパも履かずにそんな事を考えていると、受付から声が掛かった。

「あら、axhighちゃん!?」

思わず中を見ると、なじみの看護婦さん(この方は、先生の奥様でもいらっしゃる)が、私を見つけてくれた。

「はい、ご無沙汰しております。それにしても、よくわかりましたね~・・・。」

忘れるわけ無いでしょ、あなたはここで育ったようなものだから。そういって、笑った。

奥に向かって、ちょっと、axhighちゃんが来てるわよ、と言うと、当時は若かった(失礼、無論今でも十分若々しい)看護婦さんが二人ほど来てくれて、再会を喜んでくれた。

東京から戻ってきたこと、今日は診察ではなく挨拶に来たこと、でも、お邪魔なら出直します、と言うと、折角だから診察受けていきなさい、と言う事になった。

ふしぎなもので、ここの待合室にいると昔の不安を思い出す。

誰も居ない真っ暗な夜のこの場所に、一体何度担ぎ込まれたことだろう。

やがて私の番が来て、診察室へと入った。

いやはや、驚いた。

M先生と来たら、記憶の中の姿と、何も変わっていなかったのだ。

もう随分とお年のはずなのだけれど、オシャレな姿も、落ち着いた声も、ク-ルな微笑みも、何ひとつ変わっていないのだ。

それでも話を聞けば、一度、喉頭ガンで手術を受けられたそうで、その時に引退を考えたのだそうだ。

ところが、閉めたはずの医院に毎日患者がやってきて、先生の診察を希望するのだそうな。

この辺りには他に病院も無く、お年よりの方々や、病気に掛かった人達には、遠出は辛いもの。

そこで先生は病院を再開し、この小さな、かつての漁師町で、八面六臂の活躍をされていると言う次第だ。

名医、といわれている人たちにはいろいろなタイプがある。

手術の名人、新しい治療法を開発する人、救急医療で働く人。

そんなタイプとは違うけれど、しかし、このM先生は、間違いなく「名医」だとおもう。

町医者にしか出来ない事、その事を、ひたすら正直に貫いてきた医者人生なのだろう。

私の血圧を測るM先生の顔は真剣で、相変わらず頼もしい。

ただ一つ、この先生の診断が間違っていたのは、私が元気に(たとえ病気がちだとしても)成人になったこと。

でも、そうしたのも、間違いなくこの先生だ、と思うのだ。

p>ここは、おはなしのくに。

世界中の、いろんなおはなしの主人公たちが、生きている国です。

そこに住んでいる猛者ずきんちゃんは、おかあさんと一人暮らしです。

おとなりのマッチョ売りの少女とはとても仲良しで、時々二人して山の中にヘンゼルとグレ-テルが撒いたパンくずを拾いにでかけたりもします。

でも、こまったことに、この二人はとてもイタズラがすきなのでした。

シンデレラの靴に通勤快足を入れて王子様をゲンメツさせてみたり、ラプンツェルが寝ている間に超弩級のアフロヘアにしてみたりと、みんなのやっかいものなのです。

ある日、ついにクイ-ンの怒りに触れたふたりは、トランプの兵隊達に追われる身になりました。

ゴルフボ-ルのリスの変わりに、ハンプティ・ダンプティを使ってしまったのです。

結果はもちろん・・・・。

追い詰められた二人に、トランプ兵が迫ります。

ところがなんと、猛者ずきんちゃんが指を一つ鳴らすたび、兵隊が一人づつきえていきます。

ほどなくして、全部の兵隊が消えてしまいました。

「やや、これはいかに!」

おどろく将軍たちを尻目に、猛者ずきんちゃんは大きく口をあけて、そこから大量の普通のトランプを出したのでした。

ナポレオンズも真っ青です。

お友達の少女も、売り物のマッチョを大盤振る舞いです。

そうして何とかその場を切り抜けた二人ですが、もうこの国にはいられません。

二人は旅に出る事にしました。

旅立ちの問までやってくると、そこにはたくさんの人が旅に出る準備をしています。

スナフキン、三蔵法師一行、マルコにペリ-ヌ、果てはエンタ-プライズ号まで。

まるで映画のキャノンボ-ルです。

さて、二人の旅路には一体何が待っているのでしょうか。

たぶん、続きませんけれど。

あった~らし~い も~さがきた き~ぼ~うの もっさ~だ よろこ~びに むねをひ~らけ あおぞ~ら あおげ~。

いきなりなのだけれど、私はこの唄が好きだ。

夏休みと言う甘美な時間。

なにせ、今日の事だけ考えていればいいのだ。

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

明日の事なんて、何一つ歯牙にかけなくてよろしい。

なんとわくわくする事だろう。

そんな一日の始まりに、まさにピッタリのうた、それがこのラジオ体操のうたではないだろうか。

たいよ~のこえに~、すっこや~っかなうでを~♪

・・・・失礼、少々興奮気味のようだ。

・・・・あれ、歌詞のせちゃったけど大丈夫かな?

JASRACから何か請求されたらどうしよう・・・・。

あ、そうだ微妙に変えよう。

修正修正・・・・。これでよし。

 

そういえば、初めて徹夜というのを経験したのも夏休みだった。

無論、何一つ手付かずだった宿題の山と格闘するハメになっての事だった。

私は「明日出来る事は、たぶん明日もやらない」と言うとてもやっかいな性格の持ち主なので、毎年夏休みの終わりは大騒ぎだった。

宿題の提出は、たいがいその学期の最初の授業で出す事になっていたので、31日から少しだけ猶予がある。

泣く泣く机にかじりついて、何とか終わらせたものだ。

そんな塩辛い涙と共に夏休みは終わり、私の二学期はやってくる。

 

 

 

以前この日記の載せた、「人を探しています その2」に掲載していました中学生の彼は、無事見つかりました^^

本当に良かった。

これに伴って、過去日記を削除いたしました。

ご協力いただいた皆様、有難うございました。

それは冬のある日。

学校へ行くために駐車場(マリオの居場所もここだった)に降りていくと、驚くべき光景がまっていた。

マリオが子供を産んでいたのだ!

敷いていた毛布は血まみれになっていて一瞬びっくりしたけれど、マリオは四匹の子供に乳を飲ませながら、こちらに向かってゆっくりとシッポを振っていた。

なんてことだろう、飼い主として情けない。

この子は、たった一人で、この寒い夜に子供を産んだのだ。(しかも、鎖につながれたまま)

とりあえずその場は母親に任せて、私は学校へ行った。

今思えば、少しくらい遅れたってマリオの世話をするべきだったと思う。

学校から帰った私はマリオを風呂に入れてやった。

随分と暴れたけれど、ふわふわになったマリオは家中を走り回って、気持ちよさそうだった。

それから私たちは、子犬の引き取り手を探すのにおおわらわだったけれど、何とか四匹とも貰い手がついた。

そんなある日の事、それはまったく突然だった。

マリオが、居なくなったのだ。

以前にも鎖を外して行方不明になって、人の家で、その家の犬と一緒にゴハンをもらっていた所を発見された前科があるので(そのときも、何一つ悪びれる様子も無く、シッポをぶんぶん振って駆け寄ってきたそうな 笑)慌ててご近所を探して回った。

ずいぶんと遠くまで探して周り、外出する時にはどこかにマリオが居ないかときょろきょろする癖までついてしまった。

結局、彼女は見つからなかった。

無論、私の管理不行き届きによる失態なわけだけれど、あの、愛嬌一杯の彼女なら、きっとどこかで可愛がられているのだろうな、などと奇妙な安心感のようなものがあるのも確かだった。

それだって、私の都合のいい妄想でしかなく、もしかしたら何処かで悲惨な目に会っているかもしれないし、最悪、保健所行きだってありうる。

今でも白い、ちっぽけな、私の足もとをゴムマリのように弾んでいた彼女の事を思い出すたび、果たして私は彼女が私に与えてくれたものの何十分の一でも彼女に与える事が出来たのだろうか、と考えずに居られない。

飼い犬を見るたび、今でも胸が少し苦しくなる。