てざわりの記憶 -27ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

夢を見た。詳しくはかけないが、かなり切ない夢だった。

そんなこんなで、こんな真夜中にブログを更新しているわけです。

大分に戻ってから、丁度一ヶ月。

何だかふわふわした感じで、地に足がつかない。

なんと言うか、自分が何処のものでもないかんじ。

かといって自由な気分でもなく、息苦しいような重い感じで毎日を過ごしている。

自分に対する癒しもここのところ上手くいかなくて、少し良くない方向に心が傾いている。

自覚があるのが救いなので、なるべくそうならないように努力はしているのだけれど。

とはいえ、自分が抱え込んでいたものの大きさに今さらながら驚いていて、これを何とかするのはとても大変な事だと感じずに居られない。

でも、何とかしない事には、なんともならないので、何とかしなくてはいけない(笑

そんな個人的なこととは別に、就職活動も同時進行。

GW前に面接の申し込みをした。

返事はまだ来ないけれど、きっとGW明けになるのでしょう。

数少ない、自分のキャリアが生かせそうなところなので、大いに期待している。

がんばるぞ~。


私はわりとお酒が好き。

とはいえ毎日晩酌をするわけではなく、量もそれほど飲むわけではない。

ふにゃふにゃになるほど飲む事はまれだ。

正直、私はお酒が大嫌いだった。

お酒を飲む大人を見るたびに嫌悪感を抱いていたし、もしこの人が父親のようになったらどうしよう、と不安にかられたものだ。

なので、いろいろな事情でお酒を飲まされる事になっても、決して酔うことはなかった。

ふらつく事はあっても意識は変わらなかったし、いい気分になんてぜんぜんならなかった。

気持ち悪くて眠くて、おいしいなんてこれっぽっちも思わなかったのだ。

お酒を、それを飲む行為を憎んでいた。

いつ禁酒法が来てもいいと思った。

それでも、美味しいフリをしなければならない自分にもウンザリしていた。

よっぽど演技功者だったのか、「お酒に強い人」なんて馬鹿な評判が立って迷惑したものだ。

そんな私が、初めてお酒がおいしいと思った日を、今でも覚えている。

仕事をはじめて二年くらいたった頃、一人暮らしの私は、お風呂上りに近所の中華屋へ食事に出かけた。

いつも行く小さな中華屋なのだけれど、その日は地区のお祭りがあったらしく、ハッピ姿の人々が団体で店に入っていたのだ。

多少の居心地の悪さを感じながら、塩ラーメンを注文した。ここは、塩ラーメンの美味しいところだったのだ。

お酒をのむ集団というのに酷く警戒心を抱きながら、聞こえないテレビをぼにゃりと眺めつつ注文の品が来るのを待っていた。

視線の隅に映る彼らはいかにも楽しげで、私は少し悲しくなった。

お酒無しで、楽しくやればいいのに。

その盛り上がり方はほがらかで、私が知っている酒宴とは少し違ってじんわりとシアワセそうに見えた。

それがお酒のおかげだとするなら、きっと悲しい事だ。

バカみたいにさわいだり、誰かをけなすような話題で盛り上がっていたりするのなら、お酒もその人たちも軽蔑する事が出来たのだけれど、こんなふうに普通に楽しくやれるのがお酒のおかげだとしたら、人と普通にコミュニケ-ションを取る、ということがどれだけ難しい事なのだろう。

そんな私の困惑を他所に、彼らは楽しそうだった。

今日一日を終えた、と言う充実感と連帯感。

イイコト、イイコト、タノシイコト。

料理と共にそんな言葉がならんで、私は知らず彼らの言葉に耳をそばだてていた。

少しの悲しみと、憧れを持って。

やがて、塩ラーメンが届いた。

割り箸を手にとり、食べようとした瞬間、私の肩がたたかれた。

ビクッとして振り向いたら、彼らのうちの一人が、グラスとビ-ル瓶を持って立っていた。

「君もどうだい?」

どう返事をしたらいいかわからず困惑していると、「おすそわけだよ。皆で飲んだ方が楽しいぞ。」と言う。

そう聞いた私は、俄然シアワセのおすそわけが欲しくなった。

「有難うございます、いただきます!」

元気にそう言って、ごちそうになった。

私のグラスにビ-ルが満ちると、見ず知らずの私の為に乾杯をしてくれた。

それを飲んだ時の美味しさといったらない。

その時、お酒の美味しさの殆どは旅行と同じで、何を飲むかではなく、誰と飲むか、なのだとわかった。

それ以来、限定的ではあるが美味しいお酒を飲めるようになった。

それほど熱心なファンではないのだけれど、日曜の朝などは時々のんびりと子供向け番組を見る。 

所さんの目がテン!から始まって、パンなどかじりながらダラダラといろんなものを見る。

一押しは「マシュマロ通信」。

ポップな絵柄と、真面目なつくりがいい。

「ふたりはプリキュア!」も、ぱっと見イロモノ(失礼 笑)だけれど、現代風のキャラ作りの中にきちんとテーマが見えていて、わかりやすい。

最近、気になっているのが、いわゆる「男の子向けヒーロー物」のこと。

はっきり言って、良くない方向に進んでいる気がして成らない。

私自身は子供のころ、ヒーロー物を見るたびに、「こんな大人になりたい!」と思ったものだ。

ところが、今のヒーロー物のつくりを見ていると、子供達は単純に「こんな力がほしい!」と思ってしまうのではないだろうか。

大した理想も努力も無く、ある日とつぜん「たまたま」すごい力を手に入れて、戦いに巻き込まれていく。

結局、悩みも苦悩も「力押し」で何とかしてしまう、「おいしい」展開が目立つ。

ヒーローは人々の為に戦う存在であるはずなのに、個人的理由でその力を振るう。

結局、「ムカついたから」、「自分のやり方はこれだ」、なんて感じで戦っていたりするのだ。

そんなの、真夜中にでもやっていればいいのに。

ある日突然、数人の女の子と「運命的に」出会って、かつ全員から好かれる無能な男が主人公のバカアニメとでも並べてやってればいいのだ。

こんなのを朝からやっているようでは、子供達は自分にとって邪魔な存在に対して躊躇無く力を振るう事を学んでしまう。

もはや、ヒーロー物と呼べるのは「ふたりはプリキュア!」だけではないかと思ってしまう(笑

これからはきっと、女の子が主人公のヒーロー物が増えていくだろう。

どうした、がんばれ男の子!

正義の為に立ち上がれ!(笑

今日、友人達と久しぶりにボーリングをやった。

もともと運動神経がいい方ではないので、大したスコアは出さなかったものの、とても楽しい一時を過ごさせていただいた。

それにしても、このボーリングというスポ-ツは一体なんなのだ。

重いボールを転がして、立ってる棒を倒してよろこぶ・・・。

こんなの宇宙人が見たらなんておもうだろう、なんて、ふと考えてしまった。

私は、シアワセとは「余計なもの」の中に潜んでいると思っているので、もしもたまたま見かけた宇宙人がお互いの頭に味噌のようなものを塗りあって恍惚としていたとしても驚かないし、むしろ、私にも塗ってほしい、なんて思うかもしれない。

お返しには、私の好きな麦味噌をぬってあげよう。

なので宇宙人の皆さん、ボーリングは軍事訓練などではなく、純粋な娯楽なのでご安心ください。

ささやかな「シアワセ」の一つですので。

真剣にやる人、家族連れで楽しむ人、友人同士で盛り上がっているグループ、カップルでイチャイチャと投げてやがる、このファッキンやろ・・・・ゴホン、恋人同士などなど。

様々な人が、その人の楽しみを感じて様々にすごしている。

こういう場所はいい。

普通の気分のときにくれば楽しくなるし、楽しい時ならハイになってしまうし、暗い時に来たら孤立感バッチリでドン底まで落ちてしまう。

ようは、心を揺さぶられるのだ。

こう言う場所の持つ力というのは、音楽のそれに似ている。

青く染まる空 暗い夕暮れ

何処までも深く ずっしりとおもい その色

まるで今居る所が海の底だったように わたしはゆっくりと上昇をはじめる

言葉は気泡になり ただ上へ流れるだけ

この重い空気を通して いつだって肌を重ねあっていた

視線も手触りも温もりも知っているのに

どうして言葉

それだけがいつも足りない

空気に飢えるように 言葉に飢えて あえいでいる

昇って 昇って 海面に出たら

おもうたけ 言葉を呼吸しよう

なにもかも

ぜんぶ言葉にして 叫んでやる

そうしたらわたし

この場所にまた ぷくぷくと沈んでくる。