私はわりとお酒が好き。
とはいえ毎日晩酌をするわけではなく、量もそれほど飲むわけではない。
ふにゃふにゃになるほど飲む事はまれだ。
正直、私はお酒が大嫌いだった。
お酒を飲む大人を見るたびに嫌悪感を抱いていたし、もしこの人が父親のようになったらどうしよう、と不安にかられたものだ。
なので、いろいろな事情でお酒を飲まされる事になっても、決して酔うことはなかった。
ふらつく事はあっても意識は変わらなかったし、いい気分になんてぜんぜんならなかった。
気持ち悪くて眠くて、おいしいなんてこれっぽっちも思わなかったのだ。
お酒を、それを飲む行為を憎んでいた。
いつ禁酒法が来てもいいと思った。
それでも、美味しいフリをしなければならない自分にもウンザリしていた。
よっぽど演技功者だったのか、「お酒に強い人」なんて馬鹿な評判が立って迷惑したものだ。
そんな私が、初めてお酒がおいしいと思った日を、今でも覚えている。
仕事をはじめて二年くらいたった頃、一人暮らしの私は、お風呂上りに近所の中華屋へ食事に出かけた。
いつも行く小さな中華屋なのだけれど、その日は地区のお祭りがあったらしく、ハッピ姿の人々が団体で店に入っていたのだ。
多少の居心地の悪さを感じながら、塩ラーメンを注文した。ここは、塩ラーメンの美味しいところだったのだ。
お酒をのむ集団というのに酷く警戒心を抱きながら、聞こえないテレビをぼにゃりと眺めつつ注文の品が来るのを待っていた。
視線の隅に映る彼らはいかにも楽しげで、私は少し悲しくなった。
お酒無しで、楽しくやればいいのに。
その盛り上がり方はほがらかで、私が知っている酒宴とは少し違ってじんわりとシアワセそうに見えた。
それがお酒のおかげだとするなら、きっと悲しい事だ。
バカみたいにさわいだり、誰かをけなすような話題で盛り上がっていたりするのなら、お酒もその人たちも軽蔑する事が出来たのだけれど、こんなふうに普通に楽しくやれるのがお酒のおかげだとしたら、人と普通にコミュニケ-ションを取る、ということがどれだけ難しい事なのだろう。
そんな私の困惑を他所に、彼らは楽しそうだった。
今日一日を終えた、と言う充実感と連帯感。
イイコト、イイコト、タノシイコト。
料理と共にそんな言葉がならんで、私は知らず彼らの言葉に耳をそばだてていた。
少しの悲しみと、憧れを持って。
やがて、塩ラーメンが届いた。
割り箸を手にとり、食べようとした瞬間、私の肩がたたかれた。
ビクッとして振り向いたら、彼らのうちの一人が、グラスとビ-ル瓶を持って立っていた。
「君もどうだい?」
どう返事をしたらいいかわからず困惑していると、「おすそわけだよ。皆で飲んだ方が楽しいぞ。」と言う。
そう聞いた私は、俄然シアワセのおすそわけが欲しくなった。
「有難うございます、いただきます!」
元気にそう言って、ごちそうになった。
私のグラスにビ-ルが満ちると、見ず知らずの私の為に乾杯をしてくれた。
それを飲んだ時の美味しさといったらない。
その時、お酒の美味しさの殆どは旅行と同じで、何を飲むかではなく、誰と飲むか、なのだとわかった。
それ以来、限定的ではあるが美味しいお酒を飲めるようになった。