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てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

先日、おばあちゃんの命日だった。

大正生まれの彼女は、おじいちゃんのなんと二十歳も年下。

おばあちゃんも母もあまり昔を語らない人たちなのだけれど、その少ない言葉から察するに、おじいちゃんはかなり「いい男」だったらしい。

意志が強く決断力があり、多くの人から頼られていたという。(おまけに相撲はト-ナメント荒らしだったそうな)

なんでも、病気になって目が見えなくなったのを良い事に(笑)針、お灸、あんまの免許を独学で習得するや、なんと学校を開いてその校長におさまり、おばあちゃんはそこのうら若き女学生だったらしい。

・・・なんだかおじいちゃんの話になってしまいました。閑話休題。

信心深かったおばあちゃんは仕事の合間に御詠歌をたしなみ、ラジオを愛し、そして何よりおじいいちゃんを愛していた。

おじいちゃんがガンになって入院するや自分も病院に泊り込み、下の世話から何から、付きっ切りで看病をしていた。

完全看護の病院だったので看護士さんたちから苦情が来るのだが、一歩も引かなかった。

激動の日本を数十年、暗闇の中を手を取り合って生きてきた二人だ。

そりゃあ社会通念的にみれば迷惑な行為だったろうが、死に行くおじいちゃんにしてみればどれだけ心強かった事だろうか。

そんな彼女だったが、忘れられない思い出が一つある。

私が小学生だったある夜のこと。皆それぞれ用事があって家には私とおばあちゃんしか居ないと言うめずらしい夜だった。

ごはんを終え、二人してNHKの夜のバラエティ「満点パパ」を見て(聴いて)いたときのことだった。

出演者の一人が、「ぎんぎんぎらぎら 夕日がしずむ・・・」と歌い始めた。

そのとき、ふいに彼女が大笑いを始めたのだった。

私は彼女が大爆笑をするなんて想像だにしなかったので、すっかり面食らってしまった。

「まっかっかっか、そらのくも・・・」

歌は続く。

彼女は、ひたすら大爆笑を続けていた。

涙を流しながら。

彼女が光を失ったのは、13歳の時だったという。

目が見えなくなったことに関して、ひたすら自分を責めていた彼女だった。

学校が終わり、目医者に通ったみちすがらに見た夕日の話を、一度だけ聴いたことがある。

今、彼女にはそれが見えているのだろうか。

涙を流しながら大爆笑を続ける彼女の姿に、でも悲しさは微塵も無かった。

まるで何か悪いできものがポロリ、ととれたかのような印象だった。

それがなんだったのか私にはやっぱりわからなかったのだが、いっしょになって笑った。

なんだか、とても愉快な気分になっていたから。

「ぎんぎんぎらぎら ゆうひがしずむ」

「まっかっかっか そらのくも」

そのフレ-ズだけを繰り返し口にしながら、二人して大いに笑った。


私もいつか、あんなふうに自分の過去を送り出してあげたい、と思う。


最近読んだ本で、最高に「かっこいい!」とおもったセリフがある。

ある精神科医が、酷い虐待を受けて周りとのコミニュケ-ションの一切を放棄した幼い少女と出会う、と言ノンフィクションもの。

少女が入所しているのは修道院が経営している孤児院で、シスター達は途方にくれながらも人間として彼女に接し、主人公はしっかりと医師として少女に向き合い、ケ-スワ-カ-は専門家として、彼女の経済的、社会的サポ-トにつく。

それぞれが摩擦を繰り返しながらも強い意志でチ-ムとなり、何時来るかわからない夜明けを待つ。

耐えながら、ただひたすらに待つ。

其の間にも、虐待を起した親が子供を取り返しに来たり、彼女の手術代金を何とかしなければならなかったり、(彼女は生まれてすぐに、父親によってフライパンの上で焼かれて酷い障害を負っている)困難が続く。

攻めどころの無い辛く長い治療方法に尽力して、とうとう其の日を迎えることが出来た人々の記録だ。

医師として冷静に、過剰な期待も悲観もせずに少女と、事体と向き合う著者の、でも人間愛に満ちたまなざしは、読むものに人間を信じたくさせるちからがある。

言葉と、感情と、人生と責任を取り戻した少女(意外とおしゃべりでワガママだったりするところがまた可愛らしい 笑)はやがて自分の夢に向かって歩き出す。

医師が使命を終え、孤児院を去る日。

面会にきた少女はありったけの感謝を医師に捧げ、でも年頃の少女らしく自分の夢に夢中で、足早にその部屋を去っていく。

その足音を聞きながら「彼女は去っていった。私のオフィスから。私の人生から」と彼は回顧する。

あ~もう、かっこいい!

この一行にシビレてしまった私なのでした。


題名は「ローラ、叫んでごらん」。ご興味のある方はこちらを。

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東京に居る間はぺらっぺらのペーパードライヴァ~だった私だが、ここ大分に暮らす以上車の運転はもはや必須事項である。

なにせちょっとコンビニに、なんて思っても、街灯もまばらな真っ暗い道を長い間歩かなければならないのだ。(この、「ちょっとそこまで」が通用しない地域性が圏外から有名コンビニが進出してきてはつぶれる、を繰り返させている。果たして、小泉さんが言う郵便局コンビニ化計画なるものがこの場所で成功するとは思えないのだが・・・。 閑話休題)

おかげで、始めはおっかなびっくりだった車の運転も慣れたもので、今では平気で熊本まで阿蘇山を見に出かけたりしている。

あそさ~ん 火口がきれいに見えました。


正直、大分の人間は車の運転が荒いなあ、と思うのだけれど、その辺は落ち着いて対処していきましょう。

日々のまにまに、相棒の白いMOVEと大分を走る私なのでした。





大型で非常に強い台風(おまけに足が遅い)が現在九州を北上中なのです。

我が大分県も明日の朝には暴風圏内に入り、夕方には中心付近が通過する(遅!)もよう。

我家はわりと高台にあって床下浸水のおそれはないけれど(家が浸水したら、おそらくそれはノアの洪水です)高台からに土砂に乗っかって下の家々を襲う可能性があって油断ならない。

海からの風をモロに受ける形で建っているこの家は、設計上風速60Mの台風に耐える事が出来る(ことになっている・・・が、最近どうもあやしい)。

東京に居た時は台風が来ても関東に来るかどうかはわからないのでわりと気楽だった。

さすがに九州はそうはいかない。日本の台風の玄関口なのだ。

とりあえずコンニチハとやってきて、そのまま廊下を通って日本縦断か、裏口(日本海)から出て行くか。

ま、ともかく九州にはご挨拶をしなければ、てな具合である。

こう書くと台風も結構律儀な方ではある、のだけれどこれがもう冗談ではすまない。

毎度毎度必ずどこかに爪あとを残して去っていくし、悪くすると死者だって出てしまう。

子供の頃は無論台風が大好きで、停電でも起ころうものならもう大はしゃぎで懐中電灯を振り回したものだ。

まあ、正直今でも暴風雨(ブ-・フ-・ウ-みたいですね!・・・スミマセン)は好きなのだけれど、「ああ、たのしかった!」なんて言っておいて後日、事故や災害のニュ-スを見たりすると、浮かれていた分だけ自分のダメ人間加減を思い知ってしまう。


締め切った雨戸のそと、ずびゅ~う、ぶおぅんと強弱をつけた雨風が吹き荒れている。

これでまだ暴風圏内でないのだから、明日が恐ろしい。

皆様、お気をつけ下さい

ラジオに救われる、という感じを憶えたのは中学生のころ。

好きな番組をきく、と言うよりは、こんな真夜中に起きてはたらいてるひとたちがいて、物事をきちんと動かしている、というのが単純にこころ強く、朝まで聞いて学校へいっては友人達ときのうのラジオについて語りあった。

やがて故郷をはなれ東京へいった私は、いろいろあって精神的に不安定な時期に大好きなラジオDJと出あった。

意外に思われるかたもいらっしゃるかもしれないが、ウンチク、デブタレントでお馴染みの「伊集院 光」氏のラジオだった。(本人曰く、テレビの伊集院はニセモノなんだそうな)

夜の十時から月~金の毎日二時間、「伊集院光のOh!デカナイト」と言う若者向け番組がそれで、私はすっかり彼のネガティブな、それでいてそれをドライな笑いに変えてしまう彼のセンスに魅了されてしまった。

彼のトークは当時の私の周りにいた同僚や上司、友人たちよりもずっと、私の寂しさや辛さ、悩みと近しいものだった。

やがて彼のラジオも終わり、ほどなくして私は少し心のバランスを崩して、その他の事情もあり仕事を少し離れることになった。

一人暮らしだった事も有り、アルバイトをやった。

ある夜、バイトの上役の人の車に乗って休憩中だった私の耳に、懐かしい「伊集院光」氏の声が聞こえてきたのだ。

ラジオ局も時間帯も変わり、新しいレギュラー番組を持っていた氏のト-クは相変わらず、いや、前の番組を上回る勢いで冴えわたっていた。

私はそのラジオが流れている間中、嬉しさと面白さで笑いをかみ殺すのに必死だった。

ほどなくして私も仕事に復帰し、氏のラジオ「伊集院光のUp’s深夜の馬鹿力」は私の生活に欠くべからぬものとなって私を再び支えてくれた。


どうしていきなり彼のラジオの話をする気になったかと言うと、彼の夢を見たのです(笑

 

 ぽわんぽわ~ん   (夢BGM)


ここ大分では氏のラジオはやっておらず(以前はやっていたらしい。今はオ-ルナオトニッポンになってしまったが)時々友人からもらう録音と、HPでのWeb素材のみが頼りだ。

ある日、氏がプロ野球関係の仕事(氏は大のプロ野球ファンで、特に日ハムを愛す)でこの大分にやってきて、なんとたまたま居酒屋で氏を見かけて、私はすっかりまいあがってしまった。

大喜びで手帳にサインをもらい、あつかましいかな、と思いつつも氏のラジオに私がいかに救われていたかを出来るだけ短めに、でも思いを込めて語った。

すると氏は「よし、今夜はおまえと飲む!」と言ってくれ、すっかりうれしくなった私は一旦氏と別れ、待ち合わせの約束をして家に戻った・・・・・ところでめがさめました;;


不思議なもので、周りにいる人が出来ないことを、知り合いでも何でもない人があっさりやってしまう。

人は、信じたものにしか守られ得ない。

私が、何かを創りたいと思う原動力は、そういうことなんだろうな。そうだといいな。