てざわりの記憶 -24ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

まっしろい昼の中、裸足で防波堤の上に仁王立ちになったあたしは、腰に両手を当てて止め処なく泣いている。

そうやって泣きながら、何だか笑い出したいような、少しだけ誇らしい気分にもなっていた。

しばらくそうやっていたけれど、足の裏のコンクリ-トの熱さに我慢がならなくなったあたしは、思い切って2メ-トルほど下の砂浜に飛び降りてみた。

「うわっちゃ!」

あたしはのけぞって、サングラスを振り落としてしまった。

考えてみればわかりそうなものだったけれど、砂浜の砂は、そりゃあもう熱かったのだ。

「あう、あう、あう!」

奇妙な掛け声を出しながら、あたしは砂浜の上を不恰好に走った。

なんだか、砂漠にこんな生き物が居たっけ。砂の熱さに、両足を交互に上げるヤツ。

どこに進むとか何も考えてなくて、あたしはただただ砂の熱さに下ろした足を上げて、バランスを崩して下ろして、また上げて、なんてのを繰り返しながら、夏の砂浜で一人きり、不思議な踊りを踊ってしまった。

どうにかこうにか防波堤の際に出来た僅かな影に逃げ込んだ私はまだパニックになっていたらしく、バッグの中からUVカット化粧水なんてのを取り出して、自分の足の裏にせっせとかけていた。

「ひ、酷い目にあったわ」

人心地がついて改めて海に目をやると、さっきより近くなったぶん思いっきりキラキラとしてキレイだった。

真っ白い砂が太陽を跳ね返して、海よりも遥かにまぶしい。

少し離れたところに、あたしが落としたサングラスがある。

男物で少し大きなサングラス。

アイツに殴られて腫れた目を隠すのに都合が良かった。泣いて腫れたときにも。

ちいさな溜息をついて空を見上げると、「うっわ!」とあたしはまた心底びっくりしてしまった。

見たことの無い女の子の顔の上半分が、防波堤の上から、あたしを見下ろしていたのだ。

ドキドキしながら目もそらせずに、あたしはその顔とみつめあった。

しばらくそうやったあと、すっとその頭が引っ込んで、彼女は軽やかに防波堤の下に飛び降りてきた。

健康的に焼けた肌、タンクトップにホットパンツという出で立ちのその女の子は、生意気そうな目であたしを見据えた。

あたしがどう声をかけたものか悩んでいると、彼女は腰に手を当ててあたしに言った。

「ねえアンタ、さっきのって、都会の踊りなの?」

こ、これもまた答えにくい問いだこと。にあたしがどぎまぎしていると、また先にその子が言う。

「アンタ、都会から来たんでしょ。そんなオシャレしてる人、この辺には居ないもの」

あたしは、かろうじてうなづいた。

「で、なにしにきたの」

・・・・・。

思わず、うつむいてしまった。

あたし、何しに来たんだっけ。

はじめはもちろん、あたしの恋路を邪魔したおじいちゃんのお墓を探し出して、とっとと供養してあげて、成仏してもらおうと思っていた。

でも、その件(あたしの恋路、という件)に関しては、さきほど、一応の解決をしてしまったのだ。

・・・でも、それでも、やっぱり、あの不思議なおじいちゃんのお墓には行きたい。

行って、とりあえず、お花やロウソクの一本でも。もう、他人じゃないしね。

「あ、あの、あたし人を探してるの」

「ふうん、なんてひと」

「ええと、確か、富士川五郎佐衛門さん」

「ああ」

女の子は、ふっと横を向いて、髪をかきあげた。

「もう死んでる人よ。その上、あたしの祖父」

「あ、じゃあ貴女が紗江子さん?」

あたしは、思わず声を上ずらせて言った。

病院のベッドの上で、聞きたくも無かったおじいちゃんの昔話につき合わされた。

その時、生まれたばかりだった孫の紗江子さんの事がとにかく気になっていたらしい。

おじいちゃん側に居るよね、あたしの守護霊だもの。

よかったね、あなたの孫はこんなに元気で生意気に、自分の生を生きてます。

「よかった、あたし、おじいちゃん、いえ、五郎佐衛門さんにお世話になった事があって、」

「どうでもいいじゃん、死んだ人の事なんか。それよか、あんた都会から来たんでしょ。聞かせてよ、街の事」

あたしは面食らってしまった。

ああ、若いって事は残酷よね。おじいちゃん、気を落とさないといいけれど。

「あ、でも、あたしお墓参りがしたくって」

「じゃ、いっしょにいったげる。その後、話を聞かせてよね」

生来のオドオド気質のあたしは、すっかりこの子のペ-スに巻き込まれてしまった。

おずおずとうなづくと、その子はするりと防波堤の上によじ登っていった。

無論、あたしにそんな真似は出来ない。

あたしが途方にくれていると、どこからか木のはしごを探し出して下ろしてくれた。

あたしは礼を言って、ぎしぎしとはしごを昇った。

途中まで登った時に、紗江子さんが砂浜の方を指差した。

「ね、あのサングラスアンタのでしょ。拾わなくていいの?」

あたしは振り向いて、所在無げにころがっているサングラスを見た。

脇に、やどかりがのんびりと歩いている。

もう、あのサングラスの役目は終わった。やどかりの日よけにでもなってくれればいい。

「ううん、もういいの」あたしはそう言った。

紗江子さんは、さも呆れたようにあたしを見下ろした。

「・・・そうやって、街の連中は砂浜にゴミを捨てていくのね」

「あ、あ、ごめんなさい!」

そりゃあそうだ、あたしが悪い。

昇ったはしごを降りようと下を見た。

三匹のフナムシがあたしのスカ-トの上を這っていた。

あたしはおじいちゃんの所為ですっかりフナムシ恐怖症だったので、悲鳴をあげてはしごから飛び降りて、再び熱い砂の上でかなり激しい不思議な踊りを踊った。

「・・・ね、さっきも見たけどそれ流行ってんの?」

返す言葉もなく、あたしは踊りつづける。

この時期の地元のお祭りを観るのは、本当にひさしぶりのこと。

昨日、今日と地元の神社「日吉様」のお祭りだった。

かなり広い地区から人々が参加するので、日吉神社はかなりの人でにぎわった。

皆、それぞれの地区から「はしご山」と言う小さな「山車」を引いて、笛と竹太鼓にあわせて、おもに子供達が太鼓をたたききながら日吉様へと集まってくる。

いくつかある地区のうち、当番地区(毎年もちまわりなのだ)のところが大きな「山車」をひっぱってすすむ。

太鼓のたたき方も、通常の巡航(?)は「本撥(ほんばち)」、日吉様についたら勇壮な「くずし」、日吉様から降りる時は「道楽(みちがく)」、と別れていて、これもたのしい。

子供の頃は「山車」の当番が廻ってくるのがたのしみで、通常の「はしご山」よりも長い距離を進むみちすがら設けられた休憩所では、その地区のお母さんたち手作りのお弁当が振舞われたし、暑いさなか巨大なポリバケツに蓄えられた氷水をひしゃくでかけてもらうのも気持ちが良かった。

大人も、この日はお酒が飲み放題という大盤振る舞いだ。

日吉様につくと、境内ではお神楽が舞われている。

なんと今年は、舞子全員がうら若き女性だった。

昔は神事に女性が関わることも少なかったのだろうけれど、時代は変わった。

お神楽を舞う若い人を募集したところ、地区の祭りに積極的に係わろうと言う想いは、男性よりも遥かに女性の方が遥かに強かった、と言う次第。

ただ、この御神楽には「おろちたいじ」のシーンがあって、おろち役の子は巨大なおろちを担がねばならず、それは流石に女の子では無理ということらしくて、今年は割愛されていた。

なんとも寂しい限りだが、暑いなか長時間踊ってくれた彼女達には無論、惜しみない拍手を送りたい。

そして、ど~した男ども!と言ってやりたいのであった。


純粋に「祭り」であるところのこの行事は、縁日ではないので、屋台は出ない。

そのなか、最も盛り上がり、そして危険を伴うのは、日吉様に到着してからの「くずし」である。

はしご山が日吉様の境内に到着すると、長めの笛を合図に、一気に笛と太鼓のテンションがあがる。

わりとのんびりとたたく「本撥」から、リズムは一気にユーロビートかと思うような様に変わり、それまで黙っていた大人たちが子供たちから太鼓バチを奪い、太鼓に襲い掛かる(大げさでなく、まさに襲い掛かるのだ)。

この「くずし」は読んで字のごとく「本撥」のアレンジバ-ジョンで、さらに各々のセンスによって自由なアレンジが許されている。

そして、とにかく激しい。

皆、この「くずし」が叩きたいので、叩き始めた人は、基本的に後の人に順番をゆずると言う事をしない。

なので、叩きたいと思った人は、叩く人が一応、一通り叩いた頃を見計らって、太鼓を奪い取らなくてはならないのだ!

方法はいたって単純、体当たり(笑)。

どかされる方も無論抵抗してくるので、それはもう跳ね飛ばすくらいのつもりでかからなければならない。

「やっさ、やっさ」と声をあげて、太鼓を挟んでの競り合いになるのである。

ある意味、ここで大人を跳ね飛ばして「くずし」に参加する事で、男の子は大人の仲間入りをするような節もある。

お祭り好きのKさんを競りこかして「くずし」を奪った妹の勇姿は、いまや伝説になっている(笑)

そんな、激しいリズムと人いきれの中にある、確かな静寂。

お祭りの持つ「音」というのは、それだけで、普通の音楽とは違ってくる。

やはりどこか厳か(おごそか)なのだ。


家に帰って、久々に笛を吹いてみた。

「様になってるじゃん」と母親も言ってくれた事だし、この夏にもう一度ある「田中神社」の祭りには、観るだけでなく参加してみようかしら、と密かに考えている。

海沿いの道に残されたあたしは、防波堤に手を置いて海岸を見下ろしてみた。

白い石や流木などがころころとあるけれど、自然な感じの砂浜が広がっている。

沖に目をやると、遠くに何かの養殖をしているような四角い網が浮いていたり、名前も知らない島の、しろいシルエットがかすんで見えた。

海面にキラキラと跳ね返る太陽の光がまぶしい。

脇に抱えていた、とうに流行の過ぎたバッグから愛用のサングラスを出してかける。

以前は、腫れた目を隠すために良く使ったっけ。

あたしが投げ込まれた海。

あたしが引き上げられた海。

ヘンなおじいちゃんと出会ってしまった海。

沖から吹く暑い風があたしを通り過ぎる。

波音が静かに、でも大きく、深いストロ-クで響く。

ふと、あたしは途方にくれてしまった。

奇妙な安堵感と途方もない孤独がいっぺんに押し寄せてきたのだ。

人が生きて、人が死ぬ。

だからなんだというのだ、それが。

海は凪いでいた。しらんかおして、あの夜のように。

あたしが生きていた「場所」は、あたし以外の人にとって何の価値もないだろう、と、ふと考えたりする。

でも、きっと誰もが、自分しかわからない理由で、いや、もしかしたら自分でもわからない理由でそれを選んで生きている。

誰にもわからない「理由」で選んだ、人から見れば取るに足らないばかばかしいその「生」をゆっくりと、やがて急ぎ足で進んでいく。

あたしは、あの夜に至るまでのアイツとの日々を思った。

そして今も、あの海の底にはあたしの一部が沈んでいる。

つめたい海の底で、重苦しく普通だった日々に両足を縛られて、ゆらゆらとゆれているだろう。

だとしたら、引き上げられたあたしは、少し軽くなれたのかしら。

少なくとも・・・・。


もくもくとつみあがった入道雲を、その手前にひとすじ引かれたひこうき雲を見上げて、おもう。


・・・・こんな昼間に、生きていてもいいくらいには。


あたしはクツを脱いだ。

防波堤に両手をかけて、えいやっ!と気合を入れて飛び乗ってみる。

焼けたコンクリ-トの上にたってみると、一気に世界が広がった。

ずっと、あたしとは関係の無かった世界。

自分の場所がなくなった今だから、まっすぐ世界と向き合う事ができるんだ。

流浪の民の自由さと、寂しさをもって。

気がつくと、サングラスの下から、ぽろぽろと雫が落ちていた。


ああ。、そうか。


あたしは、深い青を仰いだ。

抗いようのない悲しみと、深い安堵感。

あたしは今、自分が失恋した事を知った。


タクシーの後部座席、ぼんやりと過ぎる街並みを眺めながらあたしは目を閉じた。

目を閉じてはじめて、自分がどんなに疲れていたかがわかった。

入院していた日々はあたしにとって何の休息にもならないどころか、海に突き落とされる前よりも遥かにあたしの心のバランスを失わせるものだった。

あの日、あたしは死ねなかった。

でも、体が死ねなかった事であたしの心の、少なくとも一部は死んでしまった。

あたしは深い溜息をついて、シ-トに体を静めた。

酷く眠いのに、陰鬱な気分があたしをそうさせてくれない。

閉じたまぶたの裏に、あたしとアイツの生活が浮かんでは消えていく。

無職だったアイツ。

あたしが怒ると、酷く淋しそうな顔をして謝るアイツ。

その顔を見て、アイツ以上に淋しくなるあたし。

なにを怒っても、その事を責めているような感じになって、あたし自身絶望的な気分になった。

別に、側にいてくれるだけでよかったのに。

あたしは夜も働いて、アイツは日がな一日あたしの家で過ごす。

気弱なアイツはしばしば、酷く酔っ払ってあたしに手を上げた。

どうしてだろう、叩かれるあたしは、、まるで何かの罪滅ぼしをしているような気になって、そんなに悪い気分じゃなかった。

もちろん痛いし、アザが残るほど叩かれたりもしたし、骨を折って入院したことさえある。

他人から見れば、そんな場所にとどまっているあたしは、さぞ頭の悪い女に見えたことだろう。

あたしも、そう思う。

・・・・・。

あたし、彼を愛していたのかしら。

わからない。

でも、そんな日々の中、失う事がとても怖い「何か」があったことは間違いない。

それはもしかしたら、アイツ自身とは違うものなのかもしれない、とも思う。

死ぬ事は、こわいこと。

でも、あたしにとって、目の前にあった「何か」を失う事の方が、よほど恐ろしかった。

死んだことなんてないし、実際どれだけ怖いのか、その先がどうなっているのか、そんなのわからない。

でも、愛されなくなること、見捨てられること、大切なものを失うことの恐ろしさは、十分すぎるほど知っていた。

そうしてあたしは海の藻屑となることを選んだのだった。

そういう意味では、順調だった。

順調にあたしは死ぬはずだったのだ、あのオジ-チャンに遭うまでは。

・・・・。

ともかく、アイツとの生活を無くしてしまったあたしは、その「何か」とも決別してしまった。

何度か試みた自殺も、恐らくはあのオジ-チャンの所為だと思われる妨害工作で見事に失敗し、もはや精根尽き果ててしまった。

「ここらで、いいですか。」

運転手さんの声で、あたしは目を開けた。

「ええ、ここで」

突き落とされる時に、財布を持ってきててよかった。

お金を払ってタクシーを降りたあたしの髪を、塩辛い風が強く、無骨に撫でる。

あたしは、ある漁村の入り口に立っていた。

今はもう見えないオジ-チャンを、送り届けるために。

あたしを助けた仕返しに、墓にタコツボをかぶせてあげるために。

なんとも素敵なテ-マ。

久々の御題からのTBです。

私は雨が大好きで、傘を差しておでかけするもよし、家の中からぼにゃりと外を眺めるもよし、ベッドの中で雨音をきくのもいいし、いっそどしゃ降りの雨の中で踊ったっていい。無論、周りに人がいないのをみはからって。

ひところ、雨が降り始めたばっかりの森が大好きだった頃があって、パラパラと来たらすかさずバイクに飛び乗って山に行き、がさがさとお気に入りの場所まで分け入った。

けっきょくやる事といったら、そこでぼにゃりとするだけなのだけれど、雨の森と言うのは独特の雰囲気があって何時間いてもあきない。

木々や草がたてる不規則な雨音はとても心静かだし、曇り空に緑は映えて、しっとりと湿った草いきれは、なんだかとても体に馴染む。

もはや前世はカッパか何かではなかろうか。

そりゃあ、こんな人間が東京に馴染めと言われても、どだい無理だったのかもしれない。

社会人になってからは、流石に「雨に降り込められて」などと言う事が遅刻の言い訳なんかにはならないわけで、でも、この「雨に降り込められる」と言う状況が大好きな私にとっては悲しい限りだ。


無論、人生は雨が降ったって突き進まなければならない時もある。

そんなときはいっそ、気持ちよくずぶ濡れになりながら、がっぽがっぽと靴を鳴らして楽しみながら進みたいものだ。

子供のころのように。