てざわりの記憶 -22ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

私は「水曜どうでしょう」が大好き。

大分に帰ったら、いつかは行かねばならないと思っていた「後藤姫だるま工房」。

ついに、本日お邪魔してまいりました。

だるま おお!見覚えのあるあの陸橋は!


竹田市内、ということだけわかっていたのですが、番組中に見たこの陸橋をひたすら探して市内を奔走。

やっと見つけたときは嬉しかったものです^^

ほそい道に入って、離合に気を使いながら奥へ。

のんびりと三分ほど走れば、お目当ての看板がキラリ!

だるま3 やってまいりました!


民家の一角に工房を建て、そこで伝統民芸品の「姫だるま」をおつくりになっています。

てっきり店舗があるものと思っていた私は車の置き場所に戸惑い、おっかなびっくり後藤さんのお宅の庭へ駐車。

車から降りると、工房の中から後藤さんがいらっしゃい、と声をかけてくださって、敷地内の駐車をこころよく許可していただきました。

「寒いから、どうぞ中に入って」とのお言葉に甘えて、工房へお邪魔させていただくことに。

中はまさに、姫だるま天国!

だるま た~らこ~♪た~らこ~♪


この工房で作った姫だるまは、県内の販売店はもちろん全国へ出荷されていきます。

年末と言う事もあり、縁起物の姫だるまは大人気!

この大忙しの時期にお邪魔して、本当に申し訳ありませんでした><

工房内には、どうでしょうスタッフやファンの人たちとのキズナを感じさせられるものがたくさん。

奥に張ってある大きな日本地図には、全国からやってきたファンの人たちが自分の出身地にピンをさして帰ります。

私も早速、押させていただきました。

何のアポもなしで行った私を工房の中に招いてくれて、本当にたくさんのお話を聞かせていただきました。

感じ入ることがとても多かったため、今回は前編ということで、お話の内容はまた後日です^^


今日は久々に友人達と遊んできた。

高校を卒業してすぐに東京に行った私にとって、ここ故郷の友人達といまだに遊んでいられるのはまったくしあわせな事だ。

食事をしながら、こんなに長く付き合うことになるなんて想像しなかったね、などと言い合った。

たしかに、五人も六人もの集団が十年以上続くなんてあまり無い事なのかもしれない。

インタ-ネットが出来てからはお互いよく意思の疎通をするようになったけれど、それまでといえば会うのは年1回正月の時くらいで、電話も一年に三度もしない。

しなくてもへいきなのだ。

この空の下のむこうで、信じたアイツが生きて、がんばってる。

それをお互いに知っていたから、何年ぶりに会ったって平気。

目の前に居なくたって、だからそれは全然遠い存在を意味しない。

そんな仲間達だ。


いろいろ抱え込んでいる私だけれど、もちろんこんな幸せな一面だってるあのでした。

あまり暗い話ばかりだと、ろろのあ様や友人達が心配するので、たまにはこんな(笑



いつか、こんな日がくるかもしれないとは思っていた。


「今すぐ殺しちゃるけの」

「このクズ野郎」

「ワレはゴミじゃ、なにもねえヤツじゃ」

「てめえの所為でどれだけ家族が恥をかいて来たかわかってるのか」

等々。

これが最近父親とかわした言葉である。


とうとう今日、父に飛び掛って首をしめた。


本気で殺そうと思った。

もうダメだ、と。


母が止めなければ、そうなっていただろう。


昨晩は言い争いだった。

語彙は荒かったが、私は自分の思っている事を父にぶつけた。

自分が背負った事は、自分で何とかするしかない。それは解かっているつもりだった。

だが、少しでもそんな気持ちを知って欲しい、と思った。

父は、私が何かの宗教にはまっている、と結論した。

そして密かに自分以外の家族に私がその宗教を広めていて、自分をないがしろにするように計算付くで申し合わせている、と。

妄想を膨らませて責任を転嫁し、決して自分が悪いとは思わない。

何か一つでも気持ちをを解かって欲しいと思い、過去も何度か話をしたが全部こんな調子だった。

それでも私は自分の考え、感情を表現する事がどうしても必要だと感じていた。

それはきっと、ACからの回復に繋がる一歩になると思っていたから。

父は自分こそが最大の被害者であり、最大の尊敬と配慮、親切を受ける権利があり、悪い事の全ては自分を取り巻く意地の悪い人間達の陰謀だと信じている。

私は話をするたびに、絶望的な気分になっていった。


ACになったのが自分の所為ではないにしても、それでどう生きるかは自分で決める事であり、それを人の所為にするつもりは全く無い。

ただ、長い間表現されてこなかった私の感情を徐々に紐解いていくに連れ、怒りの感情が抑えきれなくなっていたのは確かだった。

その怒りとは、子どもの頃植え付けられた恐怖の裏返しの感情だ。


今日も仕事をサボった父は私と言い合いをするうちに、上着を脱ぎ捨て、私のほうへずかずかと歩み寄ってきた。

その行為が、私の子どもの頃の大きな傷をフラッシュバックをさせた。


それは昔、今夜は大喧嘩になるのが解かりきっていた夜のことだった。

ほんの子どもだった私だが、母、妹達、祖父母を守らなければいけない、と震えながら夜を待っていた。

だが結局、その修羅場に出て行くことが出来なかった。

怖かったのだ。

部屋をノックして私の名を呼ぶ声に耳を塞いだ。

そんな夜。

自分の所為であるがゆえに誰にも懺悔できなかった。


その夜の、どうしよもない侘しさに打ちひしがれていた自分がシンクロした。

何重にも掛かっていた鍵が全部はずれ、私は父に飛びかかって首をしめた。

本気で殺すつもりだった。

罪悪感どころか、使命感を持って。


手に痣を作って止めに入った母親の声に我に返った。

そのあとすぐ、母と家を離れた。


うつ病になり故郷に帰る、というなんとも無様な最後だった私の夢路。

だが、大分に戻っても一人である事に何の代わりも無く、無様な旅はまだ終わっていない。

父に気持ちをぶつけた事は、今では間違っていたとわかる。

私が何とかできるのは、私のことだけなのだから。

怒り、悔しさ、悲しさや淋しさを抱えた私のインナーチャイルドを助けてあげられるのも、私だけだ。

チャイルドの感情に引きずられるようでは、まだまだ先は長そうだ。


こんな事、全く日記には書きたくなかったけれど、私自身の心の整理と反省も込めて。


ええ、お答えします。

あなたが近い将来必ずや「あ、あれなんだっけ」と迷い、悩む事柄を、そっと今夜の布団の中に先回りをしてお答えするこの新テーマ。

それはズバリ「オリロー避難梯子」でございます。

おそらくは皆様も学校や会社、その他の公共設備などでご覧になった方も多いのではないでしょうか。

これは「松本機工株式会社」という会社の設備の安全に関する一商品で、「ORIRO避難設備」というブランドに属する商品であります。

これは避難はしごは言うに及ばず、ケガや障害がある方などが使用する簡易昇降機、消火器など様々な設備安全に関する機器を扱ったブランドなのです。

そんな日常における非日常、何時起こるかも解からない「もしも」にたいして敢然と戦いを挑み、この社会と言う名の巨大建築物におけるビルトイン・スタビライザたるその姿勢に「ORIRO」ブランドの今後の発展を願わずにいられません。

混沌とした現代においての脱出、非難の形態は今後ますます多様化、差別化される事は想像にかたくなく、私などは「オリロー・パニックルーム」(実は上にある)や「高々度・ファイナル・オリローシステム」(超高層ビル用の射出式パラシュ-ト椅子)、「オリローウイング」(操縦不能の航空機にピタリと帆走、オリロー避難梯子による乗客、乗員の移送を請け負う凄腕パイロット野郎チ-ム。女性が一人居る)などは言うに及ばず「オリロー・プチ家出」(あなたの近所の秘密の短期宿泊施設の御紹介)や「オリロー・現実逃避」(錠剤)などの一時避難にまで妄想を膨らます始末でございます。


お役に立てましたでしょうね。

風の吹くまま、気のふれるままに出現するテーマとして、今後やってまいります。

かしこ

学生時代の頃、中高校生向けの雑誌に良く載っていたうさんくさいものたち。

睡眠学習マクラだとか、勉強向けの体調であるかを判断する「Dr・キャッポー」などなど。

時代は変わっても人間の「楽にやりたい」願望は衰えないらしく、いまでもそんな「うさんくさい」広告は私たちの目を楽しませてくれる。

「キレイになる」、「楽して激ヤセ」などはまだ可愛いく、「これであなたの人生が変わる」などと銘打ったペンダントもあり、その写真に至るや豪華なジャグジー風呂にシャンパンを掲げて入り、両脇には金髪美女、空には札束が舞うという当世の中学生も夢に見ないような光景である。これがギャンブル関係の雑誌になると面白いどころかもはや悲壮感が漂うものとなる。

印象的だったのが「このアイテム、超法規的措置によりあなたを地獄から救済する!」なんてセリフが並ぶラッキ-アイテムの広告で、まあこんなのに真剣に目が行くようになったら遠からずお隣の「無担保、無保証、秘密厳守でスピ-ドキャッシング」なんて広告にのっかっていくのは明白である。・・・・とおもったら、「多重債務を抱えて苦しむあなたへ。○○法律事務所」なんて広告も出てた。いたれりつくせりである。

私としては、そっと雑誌を閉じてギャンブルからも足を洗うのをお勧めします。

勝った人向けの広告なんて見たこと無いですしね。

まあギャンブルは自己責任としても、病気で苦しんでいる人たちに向かって「これで癌が治る!」とか「あなたの子供が病気なのは○○の因果」とかいう広告はやっぱりよろしくないでしょう。

うさんくさい広告がなくなるのはやっぱり淋しいので、妙な気を起さずに分をわきまえ、きちんとサブカルチャー道を進んで欲しいものですね。