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てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

クリスマスになると語り継がれる物語の一つに、ニュ-ヨ-クにあったサン新聞社にとどいた八歳の女の子ヴァ-ジニア・オハンロンの手紙「サンタってほんとうにいるの?」に答えた社説がある。

あまりに有名な話なのでここでの説明はしないけれど、とても心温まるおはなし。

こっちはおはなしではないのだけれど、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が毎年、そのレ-ダ-網と哨戒機を駆使してサンタクロースが今どのへんにいるのか、という情報を発信する、というイベントがある。

NORADは軍事施設であり、それ事体はもちろん無ければ無い方がいいものであるのだろうけれど・・。

事の起こりは、地元の小売業者が「サンタと話せる電話番号」として広告に載せた番号に間違いがあり、子供の掛けた電話がこの軍事基地の司令官のホットラインにつながってしまう。

サンタさんへの電話を受けた当時の司令官が事情を察し、部下に命じて北極圏からサンタが出発した証拠があるかをレ-ダ-で調べさせたところ、なんと北極から南へ向かう熱源反応を発見したという。

司令官は電話の子供にサンタの最新情報を教えた。

以降この時期になると子供はもちろん各メディアからもサンタに関する問い合わせが引きも切らないという。


どちらの話も、今の日本だとあまりおこりそうも無いお話だと思える。

バカバカしかったり、サンタがいるなんてウソを教えて、もしくはこんな無駄な事にお金と労力をつかうなんて、などと思うか、茶化して話のタネにしてしまうような風潮がある。

大切な事は何なのだろう。この二つの話から聞き取れるのは、無論サンタが実在するとかしないとかの低レベルのお話ではない。

子供の話を「子供だから」という理由で片付けずに一人の人間の疑問として真正面から受け止め、真剣に考え、そして動く、ということがどんなにか必用なのか考えざるを得ない。

そんな大人の姿を見て、子供は自分をとりまく世界が安心だと信じ、他人は信じるに価する存在だと知り、自分は存在するに価する者なのだ、と学んでいくのではないだろうか。


Yes, Virginia, There is a Santa Claus


答えはイエスです、バージニアさん。サンタクロースはいます。


真実を伝える新聞がこんな記事のひとつも載せられないとしたら、精神文化の高い国とはいえないだろうな、と思う。

質問を寄せた少女に対し、こんな大切な質問を我々を信頼して送ってくれた事に感謝し、誇りに思う、とこの新聞社は言っている。

こんな大人が居たらいいな、と大人(と呼べる年齢)になった今でも思わずにいられない。


そういえば、子供の頃は「大人になったらわかる」と大人に言われるのが大嫌いだった。

あんた大人なんだからわかってるんだろ、わかってるんなら説明しろよ!と内心毒づいたものだ。

自分が大人になってわかったことは、あの時の大人が子供だった自分に対して語る言葉をもっていなかった、ということだ。

要は逃げていたのである。真剣に考えること、まともに向き合う事をせずに。

子供にどんな事を聞かれてもこのセリフだけは絶対に言うまい、と心にきめている。

しどろもどろになって必死に説明すればいいのだ。そのほうが大人としてぜったい、かっこいい。

yasagure 皆様、素敵なクリスマスをお過ごしですわね?


最近、一気に読者様が増えたと思ったら、ラブログに読者登録したからだと気がつきました。

ですので、こちらのブログに出張してまいりました。真実姫です。

現在、Lisaサーバーでサバイバっております論理~派魔法使いでございます。

ラブログ経由でいらっしゃった方は、左のリンクからHP→らぐな日記の方にお越しください^^

おそろしく遅い更新のらぐな日記がお出迎えしております。

あなりにも遅いので、たまにこちらにも出張することにしましたわ。

今の更新ペ-スでは時事ネタに絶対間に合いませんものね;;

それでは皆様、聖なる夜に幸せになるがいいわ!

私はスノウノウと場末の屋台に飲みに参ります。



ラジオの気象情報が好きだ。

天気予報じゃなくて、気象情報。

だいたい夜にやっているのだけれど、日本と日本近海の天気や気温、風向きなどをながしていくものだ。

BGMなどもなく、淡々と静かにアナウンサーが各地の状況を伝えていく。

「天気不明」という言葉もしばしば出てくる。当たり前だけれど、誰も見ていないところだってあるのだ。

これを聞きながら私は見知らぬ土地での天気の事をおもう。

誰も居ない山の中に降る雨やまっくらな海の上に吹く風などをおもい、なんだか安心なきもちになる。

夜という閉じられた時間のなかで感じる、遠い場所とのふしぎなつながり。

なんだか、ちょっとした旅行にでも行った気になってしまうのだ。

ずっと同じ場所に居ると、まるで自分が見えない檻か何かに閉じ込められているかのように思えてしまう。

大切なのは、自分が選んでここにいる、ということ。

生はそもそもが旅のなのだし、その気になればいつだって出て行けるはずなのだ。

気象情報は、そんなことも思い出させてくれる奥の深い番組なのです(笑


「やすらぎ」と深くつながっているもの。それは「家」の感覚だとおもう。

「家」の感覚とはつまり、長い間慣れ親しんで、よく知っているもの。

そしてそれは、いいことばかりがなるとは限らない。

先日、酷いケンカをしたことについて書いたけれど、それ少し前にも一度やった。

その時は荒れ狂う感情に支配されて、自分の気持ちを伝えると言うよりもいかに相手を傷つけるかと言う事に気が行ってしまっていた。

お恥ずかしい話である。

この時は乱闘になる寸前に、冷めていた自分の一部が強引に感情に割り込んできて、私に家を飛び出させていた。

何も考えずに暫く車を走らせ、海沿いの気持ちの良い公園に着いた。

夕暮れの海を、港へと入っていく大きな船を眺めながら、私は自分が酷く落ち着いている事に気がついた。

どういうわけか、さっきまで私を支配していた嵐は去り、何かずっしりと重みのある落ち着きを感じていたのだ。

リラックス、と言ってもいいくらい心が平らになっていた。

だが、事実はそんな良いものではない。

これは過去、幾度と無く繰り返されてきた我が家での争いの後の感覚。

何時おこるかわからない不安、それがおこった時の恐怖、過ぎ去った後のわずかな安心。

この三つ目の感覚だった。

私にとっては、このトラブルと「家」の感覚が密接に結びついていたのだ。

この事実に少なからず落胆した私だが、、次はきちんと自分の言いたい事を伝えようと決心して家に戻った。

家では、何事も無かったかのような態度の父がいた。昔と何も変わらず、問題に正面から向き合わずに無かった事にして、口をつぐむ。

・・・・思えば、私にもこんなところがある。自分でも気がつかないうちにいろんなモデルにしてしまったものだ。

それから一ヶ月ほど経って、先の事件がおきた。

傷つけあうだけのケンカは無事に収まり、本音を伝えたら殺し合いになった。

まったく、皮肉なものだ・・・。


母について、少し書こうと思う。

母は、目の見えない祖父母のもと、決して裕福ではない子供時代をすごしてきた人だ。

子どもの頃より祖父母の目の変わりとなって生活してきた。

今ではそれが、酒でトラブルをおこし、平気でウソをついて責任を放り出し、外面だけは必死になってつくろう父の世話にかかりっきりになっている。

これは、共依存だとおもう。

今はもうあきらめ気味だが、一時は父に酒を止めさせようと酒をかくしたことがある。

すると父は麻薬犬のような嗅覚でそれを探し出して飲み、カラをわざと見えるところに放置する。

その時は意味がさっぱりわからなかったが、今思うにお酒をかくされることが何か自分に対する思いやりとでもおもったのではなかろうか。

その証拠に、今では買ってきたお酒を自分でかくし、同じようにカラ、または飲みかけをテ-ブルの上に放置している。

そのほうが酒がうまいんだそうだ。もはや常軌を逸している。

そして、そんな人物を必用としている母もまた、暗いものを抱えている人なのだろう。


今日、また海沿いの公園に出かけていろいろと考えをめぐらせてきた。

私には困った性質がたくさん備わっているが、その中でもとびきりな「頑張れない。頑張ったり成功しかけたりすると、震えるほどの不安が襲う」というのがある。

それについての原因がわかりかけてきた。

でも、長くなりそうなのでまたこんど(笑

忙しい時期と言う事もあり、工房の真中の七輪で姫だるま用の塗料を作り、それを塗りながらお話を伺いました。

「おしかったねえ、先週のちょうど今日にね」といって一枚の写真を見せてくれました。

そこにはなんと藤村Dとそれを囲むファンの集合写真が!

ああ、残念><

でも、それとずれたおかげで、後藤さんのお話をゆっくりと伺う事が出来ました。

もともとは、ここでのんびりと伝統工芸の姫だるまを創られていたそうです。

そこにある日とつぜん、「得体の知れないカブに乗った二人と、大きな車から降りてきた二人が、店の前でここだここだと騒ぐもんだから何事かと思った。一人はナマハゲのお面を背負ってるし、まともじゃないよね!」とはお母さん談。そりゃそうだ(笑

その日から、一気に後藤さん一家の生活は変わったそうです。

日本の、いわば九州とは真反対の北海道から人がたくさん訪ねて来るようになり、その後もどうでしょうの放送が全国に広まるに連れ、どんどんいろんなところからお客さんが来るようになったとか。

今では藤村さんや嬉野さん、樋口さんらも竹田と、そして後藤さんをすっかり気に入った様子で、今年はなんと三回も北海道から、この竹田を訪ねてきているんだそうです。

後藤さんのお話を伺いながら、ああ、この人ならあのスタッフたちと良いお仲間になれるなあ、と思いました。

思えば、私が「水曜どうでしょう」にはまった時期と言うのは、私自身が精神的にバランスを崩しかけていた頃。

車の中でくちぎたなく罵りあう四人に魅せられたのは、その罵詈雑言の奥にある信頼と愛情だったと思っています。

心の底から、彼らが羨ましかった。

その車の中にいたい。

いや、いてもいいような人間になって、こんな仲間を作りたい、と思ったものです。

すっかり有名になった後藤姫だるま工房。昔から竹田に居る人たちは、後藤さん一家が代々真面目に姫だるまを創って来たことを知っています。でも、新しく越して来た人や、事情を知らない人や企業からは、「どうやって取り入ったんだ」とか、「うまいことやって有名になって」などとさんざん言われ、後藤さん自身、随分と心を痛められたそうです。

「でも、ひらきなおってやるしかないでしょ!私は、ここで姫だるまを創る事しかできないんだもん」

と明るく言った後藤さん。

どうでしょうスタッフの方々の事も、あのひとたちは「愛」を知ってるひとたち、みな誰かからそれを教わってきた人たちだ、と言います。

お話の最中にも、納品の催促の電話がかかってきたりして、年末に向けて一番忙しい時期にお邪魔したにもかかわらず、決して嫌な顔もせずに、たくさんのお話を聞かせてくださいました。

その最中に、なんと嬉野さんから後藤さんにメールが(笑

後藤さんは、もうすっかりどうでしょうファミリーの一員なようです。


ココアとお菓子をご馳走になり、グッズの藤村犬まで頂いて、私は帰ることにしました。

私と入れ違いに、どうでしょうファンの若い子が二人、工房に入ってきます。

後藤さんは、私が来た時と全く同じように、元気な笑顔で迎えていらっしゃいました。

「いらっしゃい!どうぞ、中へ。あがっていってね!」


らすと 後藤さんのお母様が撮ってくださいました。

目を入れる前の姫だるまが、偶然にもいい味を出してくれました(笑

後藤さんが手にもっているのは、「いぶし銀」のイラストボ-ド!

見苦しい私の顔は、onちゃんで代行です。

このあと、催促が掛かっていた夕方〆切りの姫だるまが全部完成したかどうかが気がかりです。