てざわりの記憶 -13ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

先日、福岡にて産業カウンセラー資格試験の学科試験が行われた。

多少睡眠不足だったこともあって、ケアレスミスがとても心配だ。

・・・というか、問題自体がケアレスミスを誘うことを目的に作れらたような感じさえあって、果たしてこの試験内容で正しい知識やカウンセリングの理念を図れているのだろうか、といらない心配さえしてしまった。

そんな内容だったので、なんだか「できた!」とか「しまった;;」などの感情が湧いてこなくって、同じように受験した仲間の方々も、ただただ疲れた、という面持ちで、当初予定していたような博多駅でグルメな打ち上げも取りやめになり、三々五々家に戻るという事に。

私一人、せっかく博多まで来たんだから、せめてラ-メンの一杯でも!と、とぼとぼ博多の町へと歩き出した。

歩き出して10歩も行かないうちに、朝、家から近場の駅まで車で来ていたことを思い出し、ああ、おつかれ生ビールも飲めないのか、とさらに肩を落とす。

しばらく歩いて、キャナルシティの上の方にあるラ-メン屋台街なる場所にたどりついた。

う~ん、出来れば本物の屋台で!と行きたかったものの、しかたない。

どこもそれなりに繁盛しているようだし、ここらでいっか、と手近な店に入り、お勧めの一品をおにぎりのセットでいただく。

・・・さすがに店名はいえません。


 く そ マ ズ い!


なんだこりゃ!

口にした瞬間に口中に広がる嫌な苦味と違和感、まさか腐ってんじゃないのか、とおもうような一品だった。

おにぎりもベチョベチョで酷く、水も出てこなかった(・・・まあ、それは一言言えば済む話なんだけれど 笑)

断じていうが、あれは決して「好み」の問題で済む味ではなかった。

さらにゲンナリしながらも「マズイ!」なんて文句を言えるわけもない私は、怒涛の貧乏根性でなんとか麺とチャ-シュ-だけは口に入れて店を出たのでした(笑)

極めつけは、博多駅に戻る途中に襲われた足の激痛。

両足のふくらはぎを激しい痛みが襲い、一歩も歩けなくなってしまったのだ。

原因はわからないが、たぶん「つった」のだと思う。

30分ほど休んで多少痛みが取れたところで歩き出したが、100mも行かないうちにまた歩けなくなってしまう。

どうしようもないので、タクシーに乗って博多駅へ。

このときのタクシーの運転手さんが優しかったのが、この日の唯一の収穫か。

その後、特急にちりんで大分に帰るも、乗り換えた列車に博多土産を置き忘れてしまう。

まあ、もう、どうでもいいや。


な~んて一日でした。

試験の事以外なら笑い話のネタにすぎないのですが、当の試験がどうにもこうにも不完全燃焼でした。

ねえ、産業カウンセラーの試験担当の方々、ほんとうにあんなのでいいの~?



ホワイトクリスマス!

あらゆる物語のシ-ンを彩ってきたこの光景なのだけれど、東京より北でこの日を迎えた事の無い私には少々縁遠いものだ。

東京に居た頃、確か二度ほどめぐり合っただろうか。

どちらも仕事中で、夜になって外の様子をうかがってみたら雪だった、というものだった。


一度目はアニメ-タ-になって間もない頃、某TVアニメの製作がかなりせっぱつまっていた夜だったと記憶している。

Tプロ、という製作スタジオにお世話になっていた当時、私と同様数人が作画部屋で仕事をしていたが、まあ当然それどころの話ではなかった。

なにせ、詰まっていたのだ。

東京とはいえわりと田舎の部類に入るその土地は明かりも少なく、2階の部屋から漏れる明かりの中に切り取られたように雪が降っていて、とても印象的な光景だった。

私は休憩がてら買い物に行く事にした。

正直、一日一食、あすは食えるかわからない、というほど稼ぎの少なかった時期なので、買い物とは名ばかりのコンビニまでの散歩にすぎなかったのではあるが(笑

内心「たてかえといて」と言われるのを恐れつつ残っている人たちについでを聞いて、スタジオを出た。

駅前にあるコンビニまでの少し長い距離を、少ない街灯の下に切り取られた雪のステ-ジを選んで歩いていった。

ある街灯の下まで来た時、ふと、まるで自分が切り取られた時間の中においてけぼりになったような感覚を覚えて立ち止まった。

見上げるとほの暗い街灯の光の下、風も無く雪が舞い降りてくる。

その街灯の下以外がまるで全部ニセモノのように思えた。

幼かった頃は、もっと親しかった感覚。

あらゆる狭い場所に閉じこもり、あればフタをして、なければ目を閉じて漂った、自分の中にだけある宇宙。

皮膚の内と外、その絶望的な世界の違いに閉じこもった時間。

大人になってしまった今では、その皮膚の内側も油断できない世界である事を知ってしまったし、それにまあ、時々は口と言う穴を使って外界のものを摂取しない事にはやっていけないし、そうするためにはやらなければならない事もあるわけだ。

そういえば、特に今夜は時間が無いのだ。

時計が嫌いだった私はそこに何分佇んでしまったのか解からなかったが、少し急ぎ足になってコンビニへと歩いていった。


今でも切り取られた孤独な空間、というのが大好きな私が、この頃になると毎年掛かるのが「カマクラに入りたい病」。

実際、各地のカマクラ祭りを調べてみてもどこも観光地化され、私が思い描いているようなのんびりしたものではないようだ。

なにせ、カマクラ作りには人手が掛かる。

九州育ちの私には雪の重さというのがあまりピンとこないのだが、東京に居た頃やった汚泥化した雪をかきだす作業は本当に骨が折れた。

白い、ふうわりと静かなあの魔法のような景色から、どういうわけでこんなヘドロまみれの薄汚いものに変化してしまうのか(おまけにこれはご近所同士のトラブルにも発展しかねないシロモノなのだ)、いつか地獄に落ちたら悪魔に聞いてみよう。

知っているにちがいない。


クリスマス本番に悪魔の話題も聖飢魔Ⅱっぽくていいが、できれば今日はどこか教会に出かけて、本場(?)のクリスマスというのを見てみたい、と計画している。

そうやっておごそかな気分で25日を過ごした後、我々は一気に年末と言う名の、栓を抜いた風呂の最後の渦巻きのような、降りる事の出来ない時間の超特急に乗らなければならないのだ。


不思議なことなのだけれど、あたたかな記憶というのを探ってみると、決まってそれは冬の思い出だ。

それは冬空の下見知らぬ人からもらった一本の缶コ-ヒ-であったり、顔だけは知っていても名前も素性も知らない人と交わした一言であったり、多少非難めいてはいるが思いに満ちた仲間の言葉であったり、見も知らぬ家族の幸せそうな後姿であったり。

そして、そういった事に出会う確率が高いのは、やはりこの日だ。

何か個人的な理由でこの日を嫌っている人もいるが、そんな人はさておき、である。

理由はどうあれつまらないグチに巻き込まれるよりは、街に出て知らない人たちの普段とは違うソワソワした、それも、どちらかと言えば嬉しそうな方向にうわっついた雰囲気の中に居た方がはるかに健康的だろう。

楽しそうな人、嬉しそうな人を見るのはこころよい。

それがカップルや家族ならなおさらだ。


なので、心に残っているクリスマスの光景の一つに、TUTAYAでの駐車場警備のアルバイトがある。

街道沿いに面して大きな駐車場もある店なので、その日は朝からカップルや家族連れがぞくぞくと訪れた。

普段は客からはわりと疎んじられる役割のガ-ドマンなのだが、その日はやっぱりみんないい感じにうわっついていて、普段より優しい客が多かった。

すれ違いざまに車のなかから「メリ-クリスマス」と言ってくれた子供や(リボンの掛かった大きな箱、たぶんゲ-ム機、をかかえていた)にこやかに片手を上げて出て行く車などが多くあって、とてもいい気分の一日だった。

そんな雰囲気に刺激されたのか、同じアルバイト仲間のKさんと、帰りの電車の中で大いに話した。

私よりずっと年上で、物腰の柔らかい、いい人なのだが、あまりおしゃべりな方ではないKさんの若い頃の話を聞いた。

旅が好きで、思いたったら国内外何処へでも出かけていったこと。

一人旅が好きなので、奥さんは置いていってしまうこと。

でも、定年を迎えてアルバイトをして貯めた金で、二人でちょっと長旅をしてみたい、ということ。

等々、とてもいい気分で話を聞かせてもらった。


その日は帰宅が0時を過ぎていたが、なんだかとてもいい日だった気がして,今でもこのなんでもない、ぼんやりと幸せな一日は私の記憶に留まっている。



非常に頭に来ている。

わざわざブログにする事も無いかな、とも思ったが、グチがわりに書いちゃうぞ。

むき~。

先日、めずらしく父が「はなしがあるんだ」と言ってきた。

なんだ、何時もはこちらの話をはぐらかしてばかりのヤツが珍しいこともあったもんだな、と思い、話に応じた。

とりあえず、何が言いたいのか最後まで聞こうと思って話すに任せていたのだが、要は「お前は俺のことが嫌いらしいが、お前だって俺に負けず劣らずの、いや、それ以上のクズなんだぞ。そのお前が心の勉強などバカらしいし、そんな事よりも一刻も早くこの家を出て行け」と言うことを言いたかったらしい。

あ~、どうしたものか。

心配しなくとも出て行くつもりではあるが、どうやら自分が家族に嫌われている理由が、私の所為だと思っているらしい。

ニ、三ヶ月前は母の所為だと詰め寄っていたようなのだが、矛先がこちらに来たらしい。

見るからに酔っていたので真面目に話すのもバカらしいとは思ったが、曲がりなりにもカウンセリングマインドを学んだ者として、頭を整理しながら、穏やかな口調で、なるべく理解してもらえるべく話しをした。

私が父を嫌っている理由、兄弟姉妹が嫌っているおそらくの理由、ご近所や自身の職場、母の職場等に父がかけた子供じみた迷惑の話、亡くなった祖父母を含め、父がこの家族に対して行ってきたこと、そしてその結果今でも苦しんでいる人がいること。

などなど、気を使いながら話をしたのだが。

自分に都合の悪い話に及ぶと「昔の事は言うな」「忘れた」「俺の所為じゃない」とまあ、解かってはいたがこんな反応だ。

とりあえず私の話が終わると、まるで何事も無かったかのように最初の話に戻って「自分は一切悪くない、たとえ悪かったとしても、そういう時は自分以外はもっと悪かったのだ」と言うような主張を何の臆面も無く始めるものだから始末が悪い。

先日里帰りをしていた父の兄からも説教を受けたらしく、その事もあってか自分の感情を持て余しているらしい。

困ったなあ、この何の価値も無い話をどう始末をつけたものかと思案しながらも何となく話を聞き逃していると、

「俺に手を出させるんじゃねえぞ、顔がなくなるぞ」

などと言い出した。

これはいけない。私の心の奥にある暗い記憶を刺激する一言だった。

前にも書いたが、中学一年生の頃、私は本気で父を殺そうと思って包丁を隠し持って部屋の布団のなかにいた。

まあ結局未遂に終わるのだが、その時の自分の感情は今でもありありとよみがえってくる事がある。

そして、あの時殺していれば苦しむ人間は自分一人で済んだのに、祖母も自殺しなくて住んだのに、妹も不幸にならずに済んだのに!と、今の自分を責めさいなむのだ。


・・・これはキケンな感情だ。


解かっていてもあらゆるものを押し流してしまうほどのパワ-を持っている。


もちろん、今さらそんな事をしたって意味など無いし、自分が損をするだけなのは解かりきっている。

私は目を閉じ額に手を当てて、自分の中の嵐が過ぎるのをまった。

その間も何か言われていたようではあるが、あまり憶えていない。

少し落ち着いたのを見計らって、「そう言う事は、言うものじゃない。人のどんな感情を刺激するかわからないんだ。・・・・・もしそうなったら私は、アンタを殺すだろう」と言った。

・・・・・あんまり落ち着いて言ったセリフじゃないなあ(笑

「いやあ、やめとけ。お前が損するだけだぞ」と、返された。

うん、まったく正論だ(笑

「いやほら、そうなったらお互いわけわかんないじゃない。だから、そうなんないのが一番だよ」

「まあ、そうなっても顔がなくなるのはお前だけどな」

いやいや、これじゃ小学生の「最後に言ったやつが勝ち」の口げんかだ(笑

ま、私が引っ込むしかないか。これ以上付き合っていられないし。

そう思い、適当なところで話を切り上げた。


だがその夜、あの夜の中学一年生の、殺意を抱えた自分自身にずっと責められているような気分だった。

あの夜は、包丁はどうかしらないが、父を除く家族全員と親戚たちが、私が父に向かって暴力をふるうことを期待していた。

「中学生にもなったんだから、そろそろあの危違いをぶっ飛ばしておいだしたらどうだ」という期待(?)を背負っていた夜だった。

・・・そういう意味では、おかしかったのは父だけではなかったのだが。

そしてその夜、私は手にした包丁を振るう事が出来なかった。

無論それでよかったのだが、感情と言うのはやっかいなもので、ささいな事を引き金にしてまるで其の当時に戻ってしまったかのようによみがえってくる。

そして、其の時無くした何かを今度こそ取り戻せ、としつこく呼びかけてくるのだ。


とはいえ、自分自身その感情を認知し、コントロ-ルする事が出来たのは良かった。

なにせ去年は飛び掛って首をしめたのだ。

・・・・なかなか他人からは理解され難いことだと思うし、自分自身幼稚だな、とも思う。


いつか、私のこんな経験も、誰かの役に立てる事が出来たならそれでいい。

そのために、カウンセリングを学んだものとして日々成長していきたいと思う。


少し前の話になるが、昔の同級生と会って酒を飲む機会を得た。

数人で集まって飲んだのだが、その時、本当に久しぶりにX君と会った。

彼とは同じ部活だったが正直あまり仲がよくはなかった。

というか、一方的にちょっかいを出された記憶しかない。


何も言わずにやってきては、軽く私の頬を平手で打つのだ。

痛いと言う程でもないがふざけて叩いた風でもなく、困惑したこちらが何を言ってもただだ黙ってこちらを眺めるだけだった。

ある日とうとう頭に来て、手こそ出さなかったがかなり激しく問い詰めた。

その時もただ黙ってこちらを見つめるだけで何も言わず、ただ、私の怒りが収まりそうになると再び頬を叩いてくるのだ。

いささか気持ち悪くもあり、できるだけ彼を避けるようになった。

その後彼のほうからも積極的に私に関わってくることは無くなり、お互い自然に疎遠になっていった。


そんなX君と隣同士になり、正直何を話していいかわからなかった。

だが嬉しい事に私の困惑は杞憂に終わり、思いのほか話は弾んだのだった。

今現在、自衛隊の特殊部隊にいること。

そこで沢山の良い経験をさせてもらって、今の自分に自信と誇りができたこと。

当時の夢を大人になって叶えた私のことを誉めてくれ、また是非一緒に飲みたい、と言ってくれた。

そこには寡黙で無表情だった昔の面影は無く、ただ人懐っこい、人と関わる事に楽しみをもって生きている姿のX君がいた。

まるっきり変わったようでいて、何一つ変わっていないような不思議な感覚を彼に対して持ちながら、私自身も楽しい酒を頂いた。

思えば当時も、本当は手を出すのではなく何か伝えたい事があったのだろう、と思う。

傷つけたりからかったりしたかったのなら、やりようはもっとあったはずなのだ。

ただ、彼自身も自らの内なる感情に気付かずに持て余しその表現の方法を知らず、私もその事を思いやれるだけの人間的な器もなかったのだ。

ただ、お互い幼かった。

最後までお互いに当時の話はしなかったが、「今、ここで」話す彼との時間が、当時の何もかもを物語っていたような気がする。

私自身、当時の気持ちを語る事の気恥ずかしさもあったし、ましてX君に謝って欲しいなどと思ってはいない。

そんなことをされたら、こちらこそまごついてしまう。

次の日に朝から用事のあった私は二次会には行けなかったが、お互いイイカンジに酔っ払って楽しい時間を過ごした。

次にいつ彼と会えるかわからないが、少なくとも、久しぶりに会った時にがっかりさせたくないな、と思える人物が一人増えたのは私にとって大きな喜びだ。


こんな人たちのおかげで、まるっきりダメ人間の私も何とか普通の人間のフリをして生きていられるのだった。