
きっちょむ、風邪をこじらせ熱が止まらなくなり、
食欲を失っておっぱいハナサナーズになっていた。
もう、予てより、ただの応援グッズか
暇つぶしアイテムに成り下がっていたパイ乙。
熟練の技で、簡単な炊事は
スツールに片足かけて授乳しながらやっていた。
その他、自転車の走行をはじめ、
洗濯の畳みも、授乳しながら出来るまでになり、
そこまでする必要があるのか?
なにコレ?
ワタシは何をやっているんだ??
自分でもよくわからなくなってきていた。

7月までに卒乳する予定だったところに、
今回の病で酷使し過ぎた左乳首の根元がまたキレて、化膿。
授乳の都度、歯を食いしばり耐え忍んでも
うめき声が漏れてしまうほどの激痛が走る。
キズパワーパッドの指先用を、乳首の根元に一周させるも
大事な部分がすぐにめくれて白くなり、気休めにしかならない。
午前中の2時間くらい、患部に軟膏を塗って
片乳トップレスで過ごしてもみたけど、何の効力も得られたとは思えず。
熱が下がる迄の数日間、脱水症状にさせぬよう
激痛に身悶えながら授乳する行為は、愛でしかなかった。
動物は、他の動物の為に、こんな風に
自分を犠牲にすることが出来るんだ・・と身を持って知る次元だった。
そうしてついに、その愛も貫き切れなくなる日がやってきてしまった。

あとひと晩、あの悪寒が走るほどの激痛に耐えて
朝を迎える自信を、完全に喪失していた。
“もげる”まではいかなくとも、何かが起こる悪い予感がした。
そして、瀕死の乳首に全神経が集まってしまい、
あらゆることが不自由になっていた。
乳首を取るか、諦めるか。
乳首、デットオアアライブ。
発熱から一週間、熱だけやっと引いた感があった。
私は、体力の限界、ではなく乳首の限界で
我が人生の授乳生活を引退することを突如決めた。

この、本望では無さを正直に表現したかったので、
よく飲んでいた左の乳房に、油性マッキーで
瀕死のおばあさんネズミを描いた。
鼻に絆創膏を一巻きしたおばあさんネズミは、
ちびまる子風に青ざめ、沈痛な面持ち。
人気の無かった右乳は、時間が無かったこともあり
とぼけた顔のあっさり仕上げ。ノーマルネズミ。
この方法が、果たして合ってるのか間違ってるのかは
もはやわからないけど、その時が来たら執り行われる
“アカリ族の儀式”のようになってきた。
私は、他の家族達が気付かぬ隙に一階へ下り、
私を追って下りてきたきっちょむを前にして
左乳を出して立ちはだかった。
私 「アレ?・・・なんか、こんなの出てきた!
ちくびが切れそうだったからだ!
そうとう、痛かったんだね・・・。」
きっちょむは、「ガーーーン」という表情の後、
首を横にぶんぶん振って、私の右半身に抱きついてきた。
私自身、これが本当の最後だろうと
悟っていたため、熱く込み上げるものがあった。

乳首さえ切れていなければ
授乳自体、嫌いではなかった。
まだ歯の生えていない月齢の頃、
溜まったものがジュージュー抜けていくあの快感。
何かに似てるようでいて、他に代えられない独特な感覚。
今まで飲んでくれてありがとう。
もう後戻りは出来ない。
これまでの己の生涯を振り返り、
拳を天高く突き上げてこう叫びたい。
我が授乳人生に一片の悔い無し!!!

























