今日、2ヶ月ぶりに羽根木へ。(4/6 記)
早起きしたはずなのに、相も変わらずアホのように準備のはかどらない午前中だった。
何がどこにあるのかサッパリわからない
宝探し状態の家からやっとこさ飛び出し、
自転車を走らせながら、だんだん、涙がちょちょぎれてきた。
どんな顔で現れたらいいのだろうか。
うまく笑えなかったらどうしよう。
声がずっと低かったらどうしよう。
面白いこと何ひとつ言えなかったら寒々しい...。
涙と鼻水を拭いながら、
いつもは加速して突っ切るところを、一旦降りて
駐輪場へ向かう坂を恐る恐る登りながら、横目に
手を振ってくれている数人の顔が見えた瞬間、心がほぐれた。
思い返せばいつもそうだった。
家でめちゃくちゃなことがあった日も、
子供たちに怒鳴り散らして罪悪感に包まれた日も、
ここに来れば必ず誰かがいて、
そこの誰かにおはようを言えば
いつも変わらぬ笑顔で返してくれる。
くだらない話でもしたら笑いに変わり、
スッキリしてどうでも良くなった。
熱心に通ってきたわけではないけれど、
細長くとも同じ場所に長年通っていると
初めは見えなかったものも、段々と見えてくる。
人との繋がりも、これがもし短い期間だったら
なんとなくお互いに誤解したまま
会わなくなって終わることだって、きっと多い。
きっかけは子供のサークルだけど、
いろんな人々と交流して、
人間関係を諦めなかったことで得たものは大きい。
私は、自分のことも人のことも出来るだけ諦めたくない。
(※羽根木の話からは若干逸れてというか飛躍)
怒り続けたり、恨み続けたり、決めつけたりしたくない。
というか、それらが出来ない。
でも、そうでない人もいるし、そういう問題でもないこともあるから、
そういう自分が正しいとも言わない。
心惹かれるプレーパークの美しい四季のように、
キラキラした晴れの日も、嵐が猛威を振るう日も、
四季が移り変わるように人だってそんなもののような気がする。
母が心から楽しんで、笑っていれば
子らは健やかに育つと信じているけれど、
そんな母も、疲れたり傷ついたりして屍のようにくたばって寝てる日もあってもいいに決まってる。
人間だから。
こうでなければいけない母親像なんてない。
こうあらなければならない子育てなんてファッ◎オフ。
正解なんて知らないけれど、
大人も子供も個性バラバラに、人間らしく土臭く、ぼくらはみんな生きている。
真正面から真面目に向き合い過ぎると、
苦しくて時に逃げ出したくなってしまう
暗く孤独になりがちな時期の子育て(&母の育ち直し)が、
より気楽で笑えるものになりますように。
卒会しても尚、chinchirorinちゃんも言ってたように
私も陰ながらこのサークルを応援しています。
ぴっぴを教えてくれたチカモンありがとう❤︎