2001年9月11日以来の・・・

辞世の毛
つづく
ちん毛をかけましょう。
作品タイトルは
「原童力発電所」
です。
「日本を元気に!!」というスローガンを僕なりに表現してみました。
何もスポーツ選手や、歌手や芸人だけが日本を元気にしていくのではなく、みんなが子供心を持って何かに取り組むことができたなら、日本は確実に元気になるんです。
しかし、
現実は、そうはいかないみたいですね。
「え?それって何の得があるの?」
「え?そんなことして何になるの?」
「え?勝手にすれば?」
などと世間から、家族から、友人から、そして愛する人からも言われてしまうのが今の日本なんです。
そしてありとあらゆる人の、原童力発電所からコンセントが抜けてしまっているのです。
それではいつまでたっても日本は元気になりません。
岡本太郎の横にはいつも、敏子さんという女性がいました。
敏子さんは岡本太郎の横でよくこういうことを言っていたそうです。
「おもしろそ~、やってごらん」
「やってごらん」といってくれる女子が側にいるだけで、男子は不安や迷いの中にも飛び込んで、ドンドン成長していくもんなんです。
もっと男子を、彼を、旦那を成長させたいのであれば「原童力発電所」にコンセントを差し込んであげてください。
そして「やってごらん」と、背中をポンッと押してあげてください。
万が一、失敗したり、大きな問題を抱えてしまったならば、それを悲観的に捉えず、笑顔で支えてあげる女性であってください。
僕は1週間で9食の牛丼を食べるという荒行を経て、新たな真理にたどり着くことができました。
その真理とは
「女子の運気を上げる唯一の方法とは、男子の運気を上げること」
ということです。
それはなにも彼氏や旦那だけでなく、仕事場の男子、取引先の男子、合コンで知り合った男子、兄や弟、父親でもいいんですよ。とにかく男子と名のつくものを片っ端から「やってごらんと」とけしかけて、盛り上げていくんですよ。
そうすれば必ず男子の運気は上がります。
その気運の高まりのようなものが、巡り巡って女子の運気に影響を及ぼしていくのです。
そういう意味でも、僕は女子のみなさんに期待しているんです。
ホームレスの分際で、説得力のない言葉かもしれませんが・・・
それを晴らす意味も込めまして、僕も占いをしている立場上、説得力のようなものを持つために、何かを「当てる」必要があるのかもしれません。
わかりました・・・
・・・当てましょう
・・・。
「今回の第17回岡本太郎現代芸術賞で、僕の作品は岡本敏子賞(賞金100万円)を確実に取ります。」
ただ、宣言しただけでは面白みに欠けますので・・・
何か・・・
そうですねぇ・・・
・・・。
・・・僕のちん毛を賭けましょう。
もしも、この宣言がハズれた場合は、僕のちん毛を小学5年生の海の学習の時の「あまりクラスメイトにみられたくないなぁ」の状態にします。(ちなみに2,3本生えたレベルである)
※この記事をご覧になった女子のみなさんへ。
「え?それって何の得があるの?」
「え?そんなことして何になるの?」
「え?勝手にすれば?」
とおもった人は
さげまん。
「おもしろそ~、やってごらん」
とおもった人は
あげまん。
上京2ヶ月経過
しかし、このエピソードはそれほど語り継がれておらず、後世に残るようなエピソードになることはありませんでした。
このように「眠っているエピソード」というのは誰にでもあると思うのですが、この「眠っているエピソード」が、何らかの「未来の暗示」をしているようにおもえてならない時があります。
僕は小学生の頃、aiko(※1)のファンでテレビや雑誌で特集が組まれたら、必ず目を通している少年でした。
そして、そこから心霊写真にも興味を持ち、自分が写っている写真に霊が写り込んでいないかを隈なくチェックするのは、もう日課にさえなっていました。(※1 aiko gibo 宜保愛子 日本の霊能者)
小学5年生の時。
夏休みの宿題で「貯金箱を作る」というのがありました。
特に材料が指定されているわけではなく、自由な発想で制作しなさいとのことでした。
そこで僕は粘土を使って、自分自身をモニュメント化したかなり迫力のある作品を作りました。
夏休みも終わりいつも通りの日常生活を送っていると、突如、先生に呼び出されました。
そして、
僕が作った作品が新本郵便局長特別賞に選ばれたという報告を受けました。
そして人生で始めて全校生徒の前で表彰されたのです。
表彰後、職員室に呼ばれ校長先生と新本郵便局長と僕とで3ショットで写真を撮ったのですが・・・
それから数日後。
担任の先生から手渡された写真をみて、僕は驚愕してしまいました。
僕の右肩後ろあたりにうっすらと
「軍人っぽい人」
が写っていたのです。
これを当時一緒にみて盛り上がり、写真を自宅に持ち帰った友人とつい先日20年ぶりに東京で再開してこの話をしたのですが、
「全く知らんなぁ・・・」
とのことでした。
そして、小5の頃に転校してきて今は東京で造形師をしている友人とも先日川崎で20年振りに再開して、この話をしたのですが、
「全く知らんなぁ・・・」
と、誰もこのエピソードを知るものがいないのです。
僕が32歳を過ぎた頃から急に粘土に興味をもち、自分に可能性があるとすればずっと携わっていた料理でも、占いでもなく粘土なのかもしれないという、不確かな希望を持ち上京しました。そして、その心霊写真に写っていた人物はひょっとして現在の自分なのではないのかとさえ思うのです。(僕は常に迷彩柄を身にまとい軍人っぽいのである)
で、幼き頃の自分に
「君は粘土だよ」
と伝えにきてくれてたのかなとおもうのです。(※金スマでの徳永英明のエピソードを参照しています)
そして、
「小5」
「夏休みの宿題」
「粘土」
「受賞」
「心霊写真」
「旧友との再開」
「川崎」
この7つのキーワードから導き出された一つのイベントが神奈川県川崎市で行われます。
それは
「第17回 岡本太郎現代芸術賞 ~時代を創造する者は誰か!~」
岡本太郎賞 200万円
岡本敏子賞 100万円
つい先日、造形師をしてる友人と待ち合わせた向ケ丘遊園駅からほど近い場所に岡本太郎美術館があるのですが、まるで導かれるようにそこに引っ張られ、この芸術賞の存在を知りました。
正直、
「受賞できる自信がメチャクチャあります!」
これが「すかしっ屁」にならず、後世へと語り継がれる「大きな屁」となりますように・・・
iPhoneからの投稿
こびとづかんin岡山
行ってきましたよ!
こびとづかんで有名な
「なばたとしたか」さんの原画展に!
去年は確か京都であったとおもうのですが、行こうか行かまいか悩んだあげく断念したのですが、まさか今回岡山で開催されるとは!
てなことでもりやす星じのリスペクトシリーズ第2弾ってことですよ!
(前回の水野敬也編を知らない方はこちら)
しかし、今回は前回の水野敬也さんの時とは違いサイン会は応募者のみという条件があったので参加することができず、もりやす星じの「のし感」をプレゼンツするタイミングを得る事はできないなぁと・・・。
しかし、27日・28日と展示室にてギャラリートークなるものがあり、それなら質問という手を使ってどうにか切りこめないかなぁと。で、僕は基本的に全身迷彩柄の服を身にまとうことを好み、「今回はこびとづかんの原画展ということで、こびとに気づかれないように全身迷彩柄の服で来ました」的な発言をかますことで「お!こいつなかなか気の利いたコメントをするヤツだな!」とそれなりに会場を温めることもでき、その場に爪痕は残せるかなぁということで準備をしていました。
で、開演10:00に入場して、展示室を一通り拝見しました。
原画はもちろんのこと、自ら創作したこびとの粘土フィギュアの展示や、プロになる前の作品も何点かあり、ファンとしては充分満足のいく内容の原画展でした。

(出口付近にあった、なばたさん制作の特設顔パネル。撮影自由でした)

(僕は嫁、子供がいるわけではないのでもちろん顔パネルもご覧の通り)
それからギャラリートークまでが数時間あり、その間を埋めるため以前から気になっていた「盛岡冷麺専門店ピリ子」や「アートスペース亀油」で行われていた陶芸家の岡美希さんの作品展を覗いたりと完全に菅野美穂の休日みたいな時間を過ごしているわけですが、そこそこ時間も潰すことができたので、再び原画展の会場に戻ることにしました。

(古民家がそのままギャラリーになっていて、畳の感じがかなりよかった)

(かわいらしい動物が描かれていて女子好みしそうなものばかり。客もドーナツ屋に並んでそうな女子ばかりだった)

(創作意欲は創作物に触れることによってくすぐられるのだと改めて実感した)
それでもまだ開始時間まで小一時間はあったので、会場周辺のコンビニでジャンプを立ち読みしながら「はぁ・・・今回もワンピースの展開はハズレかぁ。色んな新キャラクターが出過ぎると面白味が半減するという特性があるからなぁ・・・」などと1人でボヤいていると、ちょうどガラス越しに通りかかった通行人に目がいきました。
(僕は昔から「チラ見の森保」と呼ばれており、コンビニで立ち読みをしてても入り口から入ってくる客を必ずチラ見し、ガラスの向こう側の通行人でさえ、もちろんチラ見するし、フリーマーケットなんぞにいった時には、必ず商品を並べている女性なんぞのザックリとあいた胸元は必ず「チラ見」いや、条件さえ整えば「ガン見」さえしてしまうほどの「チラミシスト」であり、「ガンミイズム」でもある。)
「あれ?今のなばたさんじゃね?」
森保の、ただでさえ高い血圧がさらに心臓に負荷をかけるべく大きな鼓動を打った。
作家という存在はタレントとは違い、極端に露出度が低いので作品は知られていても名前は知らない、顔も知らないということはザラにある。しかし、僕はなばたさんのインタビュー記事などは雑誌や、インターネット上で隈なくチェックしており、よほどのそっくりさんでもない限りは見間違わない自信があった。
(おい!お前!あれ多分本物だぞ!てか、さっさとなばたに声をかけろよ!どうすんだ?ボ~としてねーで動けよ!)
高血圧が俺に話しかけてくる。
高血圧(おい!お前!こんなことなかなかねーぞ!森の中でこびとを見つけるより街中でなばた見つける方が100倍難しーぞ!それをお前は見つけたんだ!おい!それがどういうことなのかわかってんだろーな!こんなチャンスねーぞ!)
高血圧がグイグイと僕に圧をかけてくる。
高血圧(とにかく行け!考えるな!行ってから考えろ!)
※全く知識はないが、ブルース・リーの考えるな、感じろ・・・的なことを高血圧は言っているように聞こえた。
「・・・わかった。」
僕は急いでコンビニを出て、勢いよくなばたさんのもとへ向かった。
そして、ぐるっと前まで回り込み声をかけた。
森保「あの、間違ってたらすいません。・・・なばたさん・・・ですよね?」
なばた「・・・・・・はい。そうですが・・・。」
(おおおおおおお。本物じゃぁあ。マジか!おい!次、次!次、何て言えばえんなら?おい!高血圧!俺は次に何て言ったらえんならぁ!)
高血圧(・・・・・)
なばた「・・・」
(おおおおおお、自分で考えんとおえんのんかぁ。なんな~、何があるんなら、俺こんな時の会話術全くねーぞ!)
多少パニクったが気持ちを落ち着かせ、頭の隅っこに記憶されていた社交マニュアルにそって会話をどうにかつなげた。
森保「あの、さっき原画展に行きました。すごい楽しめました。もし良かったら握手して下さい」
なばた「あ、そうなんですか。ありがとうございます。あ、全然握手いいですよ」
(おおおおおおお、これが億万長者の手かぁ!)
ガッチリと固い握手を交わした瞬間、僕の脳裏に一筋の光が差し込んできた。
その光とは・・・
「サインをお願いする」
「今、紙もペンも無いのでと断られる」
「森保は常に鞄にスケッチブックとペンを所持している」
「そこにサインをしてもらう」
「スケッチブックに描かれている森保のイラストに目が止まる」
「なばたさんから絵を描かれてるんですか?的な質問がくる」
「2人のクリエイタートークが繰り広げられる」
「今回なにかお手伝いできることはありませんか?的な質問でおもしろいやっちゃな感をアピールする」
「それを面白がってくれて、楽屋に連れてってもらえる」
「出版社や企画会社の人たちを紹介され、団欒に参加する」
「君の世界観おもしろいね!ぜひまとまった絵コンテをみせてほしいよ的なプリンシプルな言葉を頂く」
「作品の出版化、キャラクターのグッズ化に向けて大きく動き出す・・・などなど・・・」
未来から差し込んできた光にむかって森保は一声を放った。
森保「あの、すいません。サインをお願いしてもいいですか。」
なばた「ごめんなさい。今、急いでるんで・・・」
森保「・・・」
なばた「・・・」
高血圧(・・・)
直感で捨てよ!!
将棋の羽生さんっているじゃないですか。
僕は将棋のルールとかは全く知らないし
興味も全くないんですけど
将棋をしてる羽生さんが好きなんです。
てか、具体的に興味を持ったのはごく最近で
それ以前は
「何手先も読めて頭がいい人」
とか
「何通りもの手が思い浮かぶ人」
とかっていう、まぁ世間の人が大体
イメージしているような感じで僕もおもってたんです。
で、最近羽生さんの本を貪り読んだり、動画を漁ってみたりと
いわゆる
「ハブ中」
になってたんですけど
あれくらいのレベルの人になったら
もう考え方がちがいますね。
100通りくらいの手が浮かんでも瞬間的にその中から
5通りくらいに絞って、そしてその中から考えているって感じらしいのです。
100ある内の95をごっそ~と捨てるのって
いわば直感が働かないと厳しいとおもうんですよ。
僕の友人の○○君は、エロDVDを
「借りる派」
ではなく
「買う派」
であり、「買う派」である以上は
「借りる派」よりも慎重になってしまうようなのです。
お店に数百本近くあるエロDVDの中から
「今日はコレ」という一本を選ぶまでの眼差しは
まるで、
屋久島に数千本近く生息している杉の木の中から
数本を間引く職人の眼差しと類似しており、
つねにエロDVDのパッケージの表だけにとらわれることなく
パッケージの裏の小さな写真と
小さな説明書きにまで目を通すその姿勢は
エロDVDに宿る
「魂との対話」
ともとれるのかもしれない。
しかし、そんな「魂との対話」を
一本一本とするものだから
一緒にお店まで付き添った人間の待ちぼうけ時間ときたら
山田耕筰でも憤慨するレベルにまで至り(下手したら2、3時間)
そんな彼のエロDVDの選び方はやはり
邪道としか言えないわけであって・・・
で、結局
なにが言いたいのかと言うと
自分の中の小さな欲の一つ一つに耳を
傾け、ダラダラと選択時間を費やす暇があるのであれば
直感的に
「5つの大きな欲」
をピックアップしたのちに
熟考したほうが
質の高い選択時間が過ごせるようにおもうのだ・・・
直感を信じろ的な言葉はそういう意味があるのだとおもう。
僕も小さな欲の一つ一つに耳を傾ける時間が長過ぎたようだ・・・
※まだ試作段階ではありますが、もりやす星じの初作品は「かるた」になりそうです。一緒にクリエイティブ筋肉を鍛えたい方はFacebookまでメッセージ下さい。
前世
あ、前世の話なんですけどね。
こんな話しても、
「ふ~ん」
で終わってしまいそうな気もするのですが・・・してみます。
24歳くらいかな?その時期から僕ずっと
「坊主頭」
なんですよ。
で、その頃から異常なほどに
「占い・哲学・思想・スピリチュアル・パワーストーン・パワースポット」
に傾倒していくんですよ。
周りからも
「お前がする話っておもんねぇ・・・」
ってバッサリ言われてましたから!
それでも自分の興味がそこにあるから没頭していくんですね。
で、占いを始めだしたのもその頃で
人生相談やアドバイス的なことをしてました。
それと平行してと言いますか、僕はずっと昔から
ダウンタウンの松ちゃんが好きだったので
テレビはもちろんのこと出版物やインタビュー記事には
ほとんど目を通していたんですよ。
で、その活動や考え方を知れば知るほど
「お坊さん」
にみえてくるんですよ。
実際、深夜に放送してたラジオ番組「放送室」では
「俺は笑えるお経を唱え続けたい」
的な発言を数多くしてましたし、
24時間大喜利や
一問一答のような笑いの修行ともとれる
番組も数多くこなしています。
(一人ごっつの世界観は前世そのものだとおもいます)
そして、そのラジオ番組を一緒にしているた人というのが
ダウンタウンの小学校からの幼なじみの
「高須光聖」さん
っていういう作家さんなんですけど、
この人が江原さんの番組の制作に関わっていた頃に
前世やら守護霊やらについて話していた記事をみたことがあるんですよ。
で、そこで出た「キーワード」が
「仏師」
だったんですよ。
そう考えるとなんとなく一つのモノを創る時のチームプレーといいますか、関係性と言うのは何らかしら、前世からの繋がりがあるように思えてならないんですよね。もちろんすべてのジャンルにおいてその通りだと言える根拠はなにもないのですが、魂を込めて何かを創ろうとする時に集まる人間関係は、おそらくそんな繋がりがあるのかなとおもいます。
「袖触れ合うも他生の縁」
というのも少なからずあるのだとおもうし、
銭湯で身体を洗っている時に、自分の後ろの洗い場でキンタマやコウモンの辺りについた石鹸の泡を洗い落とすのに、シャワーの取っ手を逆さまにして股の方を洗っているおっさんがいるじゃないですか。その時にキンタマやコウモンについた泡を洗い落とした水しぶきが僕の方まで飛び散ってくるのも「他生の縁」なんだろうなぁと思うと感慨深いところがあります。
前回の記事の続きなのですが
「今度生まれてくる時は・・・」
という一連の詩を紐解いていくと
僕は、前世ですべてを捨てて出家してるんじゃないですかね。
で、その時に一緒にいた女性(暮らしていた人?)を幸せにすることができなかったのではないだろうか?とおもったりするんです。
(今までの人生において、恋愛というジャンルに重きを置いた時期はほとんど無いといってもいいくらい、人肌離れした人生を歩んでいます)
その割に、「女の幸せ」については人一倍、もっと言えば女性以上に真剣に考えているところもあります。
そんな前世の記憶といいましょうか、業の続きが今現在の僕の行動や考え方に影響を与えているようにおもえて仕方ないのです。
3月の終わり頃に、なんかオーバーな言い方をさせてもらいますけど
ちょっと死にかけたんですよ・・・寝てる時に。
あとちょっとで
「心筋梗塞いっとく?」
それとも
「脳梗塞いっとく?」
的な血の巡りみたいなのが
全身をかけめぐったんですよ。
僕の父と兄は糖尿病なんで、その血筋からいえば
僕って完全に糖尿病のサラブレッド的存在じゃないですか。
(病院でみてもらったわけではありませんが)
松本幸四郎の娘は
「松たか子」
で、息子は
「市川染五郎」
的なサラブレッド感と類似してるとおもうんです。
ここ最近、運動量も増えてますし、毎日レンコンやゴボウや豆乳を欲してますし、何よりも何か嫌なことやシンドイことが起こると
頭の中で余計なことを考える思考回路が
活性化するじゃないですか。
で、その回路を断絶するために
「ありがとうございます」
って何度も頭の中で唱えて、
もっといえば、口に出したりして
かき消したりしてたんですよ。
ほんとここ1、2年はそんなことずっとしてるんじゃないですかねぇ・・・
で、そんな最近の自分の心がわりと言いましょうか、環境や体調の変化もすべて考慮しながら前世のことを考えていたのですが、
まぁ、間違いなく僕・・・
「前世は33歳で死んでますよね・・・」
と、言うことはですよ・・・
もし、めでたく34歳を迎えれるようなことがあるのならば
それって、学ランに刺繍した「詩」、つまり
「今度生まれて来る時は・・・」
の続き
「愛した女に尽くすべし」
の人生に入るのかな?なんておもったりしてるのです。
今までの人生は、前世の復習のようにおもえてなりません。
そして、これからの人生は、その復習を生かして
歩んで行かなければならないのだと
改めておもいました。
ということで、
今後もりやす星じは
愛した女に尽くしていきますので、
「恋人募集中」
です。
われこそは、という方々からのご連絡を
糖尿なる一族、一同楽しみにお待ちしております。
お問い合わせはこちら。
現世
遺言といいますか
なんかようわからんのんですが、
「どんな言葉を残そうか?」
「どんな言葉が残せるのか?」
「どんな言葉が残るのか?」
みたいなことをふと考えたりします。
まぁ「辞世の句」とまでは言わないまでも
自分が死んだ後に何が残るのか?みたいなものに興味があります。
で、ですね・・・
つい先日、ずいぶんと疎遠になってた友人(10年近く会ってないかも)から連絡がありまして・・・で、どんな用事だったのかといいますと
「学ラン売ってくんない?」
ってことだったんです。
僕は第33期の総社中学校卒業生なんですけど
その当時のヤンキーグループのノリみたいなもので
「刺繍入りの学ラン」
をみんなで作ったんですよ。
中学生の分際で、各々が数万円もかけてですよ。
で、その時の学ランを僕はずっと家に祀ってあったんですよ、家宝のごとく。
で、その噂を聞きつけてだとおもうんですけど、疎遠になってた友人の先輩の息子さんが、これまた僕の母校、総社中学校を今年卒業すると(第51期卒業生だそうです)。
で、その式に刺繍入りの学ランが着たいと言うことで僕の所に話がきたのであります。
この話が来た時に全身に鳥肌が立ちましたよ。
「おいおい、いよいよか」と。
今現在、訓練校でWEBデザインの勉強をしてるんですけどそれって僕が10年近くたずさわっていた飲食業からの卒業って意味も含まれてるんですよ。
僕自身、自分の夢に向かって進むという覚悟で。
だから僕、今33歳なんですけど、総社中学校を卒業したタイミングと同じく、第33期の森保星児卒業式ともとれるわけですよ。
で、訓練校を卒業するのが6月11日。
この日って、僕の誕生日で33歳から34歳になるんですよ。
この一連の偶然が、ただの偶然とはおもえずに色々と思い馳せていたんですよ。
でね・・・
僕の刺繍入り学ランってなんか不思議なんですよ。
当時、卒業間近になってくると友達との会話はもっぱら
「学ランにどんな詩をいれる?」
って話題だったんです。
けど僕はヤンキーグループの中でも地味な方だったからそんなにワクワクもしてなかったし、注目もされてなかったんです。いわば人造人間をみんなで迎え撃とうとしてる時のヤムチャ先輩のような立ち位置と類似してたんです。
で、一つ一つ紐解いていくとですね、
「一生一度の晴れ姿
思い出咲かした総中で
華麗に残して去って行く」
ここでのポイントは
「一生一度の晴れ姿」
というニュアンスのことを言ってるんですね。
特に目立ったポジションにいるわけでは
なかったのですが、ずいぶんと大言壮語をかましてるんですよね。
で、次にいきます。
「LONGER THAN FOREVER(永遠より長く)」
これは、完全に不滅の精神的なニュアンスが
含まれているとおもわれます。
で、次が大問題です。
「今度生まれて来る時は
愛した女に尽くすべし
今が尽くせぬ愛だけに
いつかは華麗に尽くしたい」
ね、大問題でしょ。
だってこのとき、僕、完全に
「doutei&houkei」
なんですから。
愛だのなんだのと語れるほどの経験なんか一切積んでないんですよ。
むしろギルガメッシュナイトが始まる1:15まで、夢がMORIMORIやカウントダウンTVをみながら必死に睡魔と戦って、で、結局睡魔に勝つことは出来たけど¥ショップ武富士のCMでムラムラきて我慢できずにシコっていたような青臭さみを帯びた中学生ですよ。(※武富士のCMでも大勢でダンスしているバージョンではなく、3人のダンサーが胸の谷間を強調しながら踊っているバージョンでシコっていたというのは言うまでもないだろう・・・)
けどねぇ、当時の記憶ですごく鮮明に覚えていることがあってですねぇ、
それは
「あれ?なんか引き合ってるな・・・」
って感覚があったんですよ。
確かこの詩は友人がいくつか考えてた内の1つだったとおもいます。
そして、それを僕が選んだというだけなんですけど。
で、別に1人で決めてることなんですけど、やけに心で葛藤してた記憶があるんですね。
だって当時の自分の思想とか状況とかを一切言い表していない詩ですもん。
それを、背中にバーンと入れるのは普通気が引けるはずなんですよね。
けど、なんか押し切った感じで入れたんですよ・・・
で、ここでのポイントは
「今度生まれて来る時は・・・」
って言ってるんですよ。
今回の冒頭でも少し言いましたがこれが
僕の現世での「辞世の句」
と、何か繋がっているのではないのか?
という謎に迫ることになったのであります。
つづく
ピッコロ大魔王
そして、、、そうですねぇ・・・ゴールがSEXだとしましょうよ。
若い頃はそういう「細切れの勝負」がよくあるんですけど
そこで十人十色の「戦い方」があるんですね。
段取り重視なのか。
行き当たりバッタリなのか。
先手必勝なのか。
そこで、自分は当時どんな「戦い方」をしていたのか
具体的に思い出したくなったので過去を振り返ってたんですよ。
で、当時の戦法として1番使っていたものは
「挿入」
なんですよね。
男性器を女性器に挿入したいとおもうあまり
その行為に向かうまでに
余計なものを
「挿入しまくっている」
ということです。
一般的に邪道といわれる人の戦法というのは
速攻「自宅」
速攻「ホテル」
いわゆる「ダイレクト交渉」というやり方です。
この「戦法」が使えた人はやっぱり
数をこなしてますよね。
俗にいう「遊び人」とは
「ダイレクト交渉」が出来る人でもあるでしょうね。
で、僕はそんなダイレクトに交渉なんかできない。
だから、ずっとそんな「挿入」の戦い方をしてたんですよ。
総社駅で女の子と13:00に待ち合わせしても
「ダイレクト交渉」できる人間は
そこから
「自宅」
に直行するルートを
選択することができるのです。
さらにダイレクトな人間になると
足守駅で待ち合わせをして
速攻
「ラフォーレ」
まで
持ち込むことができるのです。
これはSEXに持ち込むまでの
最短ルート。
要するに
何も「挿入」してないんですよ。
余計な労力を使わずに性器を「挿入」したいがために・・・。
・・・けどね、
これって、かなり
「賭け」
じゃないですか。
紹介って言う
「体裁」
を考えると
紹介してくれた知人の
メンツを潰してしまうおそれもありますし、
13:00に待ち合わせて
初対面でラブホテルというのも
かなり型破りな戦法なので
勇気がいります。
だから、僕なんかはそこに至までに
「カラオケに行く」
「映画に行く」
「ドライブする」
「日が暮れるのを待つ」
「居酒屋で飲む」
「夜が更けるのを待つ」
「BARで飲む」
「手相みせて?とスキンシップをはかる」
「酔いさまし的な口実でベンチに2人で座る時にお互いの太ももの位置を近づける」
「喉かわいたからリプトンのレモンティーを一口頂戴という」
「一緒にDVDを家でみようという話に持っていきたいが、それではダイレクト過ぎるのでTUTAYAで雑誌買いたいから寄っていい?と聞く」
「ミントガムを噛む」
「後半はなるべくロイヤルミルクティー的な飲み物を避ける」
などを
「挿入」
して
相手の
「不安感」や「警戒」を
解いていく作業をしてたんです。
それでも最後までいくことができなかったことが多々あります。
目的を果たすために
「あの手この手」
を尽くすというやり方はありますが
それが
「不安感」
や
「警戒」
を解くためだけの
「あの手この手」
の尽くし方だということでは
目的達成は近いようで遠いでしょう。
まぁ、
「奥手思考」
ってことなんですけどね。
僕も数十年間も「奥手思考」として生きてきたわけですけど
最近わかったことがあって
「奥手」
っていうのは
当たり前なんですけど
「押しの一手」
にはならないんですよ。
どれだけ、あの手この手と
「挿入」
しても
「不安感」「警戒」
が解けるだけで
「押しの一手」
ではない。
あくまで
フラットになっただけ。
いくらデートに誘って
食事を重ねても
恋愛に発展しない、
友達で終わってしまう関係というのも
往々にして
「挿入」
しかしていない人に
顕著にみられる傾向です。
しかし、
しかしですよ。
「挿入」を重ねれば重ねるほど
「押しの一手」の一歩手前
要するに
「か~め~は~め~」
の状態であることには
気付いていなければなりません。
好きな相手と親密にはなれても
友達としかみられない。しかし、
それでも挿入を繰り返しているのであれば
それは
「か~め~は~め~」
という状態なんです。
そして、
「押しの一手」が苦手な人の「挿入」の数々に
後押しされて繰り出される最後の「奥の手」
それこそが
「奥義」
でなければなりません。
みなさんが人生で
「挿入」
してきた様々な経験そのものを
「奥義」
に変換するんです。
それはつまり
「過去の経験を今の自分の元に集め
それを今の感性で改めて取捨選択し
さらにそれを再構築して
そして一つの答えを出す」
※ちなみに僕が占いであの手この手でアドバイスする時の口数が多い(1回の鑑定で最低1時間は喋る)といった手法は、ヤムチャ先輩の狼牙風風拳を意識したものです。しかし、ここ最近、僕の占い能力がどうも軽視されている感が否めない(それは、ヤムチャ先輩が天下一武道会でやたらとかませ犬的なポジションになり始めていた頃と類似する)のですが、それをグダグダ言ってても仕方ない。それよりもそこで得た経験を、過去の記憶と再構築して何か生み出さねばならない。で、出した答えが創作やキャラクターを使って自己啓発をしていくといった手法です。そして、それこそが僕の「奥義」なのだとおもっています。なので僕は、女性を食事に誘ったり、ドライブをしたり、相談にのってあげたりして親密になって恋愛に発展していくといったルートを選ぶより、ひたすら創作をしていくといったルートを選んだ方が、実は恋愛への近道になるということです。
今までなにかと勝負できなかった人や
勝負したいけど足踏み状態になっている人の
「かめはめ」
に興味があるんです。
だから僕は占いに興味があるのかもしれません。
この話を
「はぁ?」
と、とらえるのか
自分の人生にとっての追い風、
いわゆる
「波」
と、とらえるのかで
ピッコロ大魔王の支配を防ぐことができるとおもいます。
最後に一つ聞きます。
「あなたにとってのピッコロ大魔王とはなんですか?」
占いについて
幸せの価値の本質のような気がします。
お伝えしたいとおもいます。
ですので、とりあえずは
4月いっぱいまでは
占い無料なんで、ぜひ
気軽にお問い合わせください。
大いにな
ほしいものより大切なものが


































