小説「大後悔時代」 -7ページ目

小説「大後悔時代」

後悔は知らず知らずにそこにあるもの

23時11分


カオルはまだ会社のデスクで一人記憶の糸をたどっていた。


少女の一言一言をできるだけ正確に思い出そうとしていた。


「お姉ちゃんね、カオルくんと離婚してからはよくウチに遊びに来てくれてたんだ。ほら、おばちゃんちとウチって割と近かったじゃない?だからってわけじゃないと思うけど、ほんとによくウチに来て遊んでくれたり、勉強を教えてくれたり、家事手伝いをしてくれたりしてたんだ。」


そういえば、元妻の実家は、いわゆる下町で、近所にも親戚が大勢いたような気がする。この少女の父親の葬式の時もかなり大勢の人が集まって来ていた。


「しばらくそんな生活が続いてたわけなんだけど、ある日突然来てくれなくなったの。ううん、正確に言うとね、いなくなったの。なんていうか、うまく伝わらないかもしれないけど、まるで最初からそこにいなかったみたいに、何にも残さず消えちゃったの。」


この少女の話してることが、自分には理解できなかった。


突然いなくなった?消えた?


自分と離婚をして、最低限の荷物を持って出て行った、あの時の光景が脳裏に蘇った。


しかし、その当時に自分が納得していたもの、それは自分とは同じ空間にさえ一緒にいられないというのが、妻の考えや気持ちなのだということであったが、今の少女の話では、状況は似ていてもどうやらそういう理由とは違っているようだった。


その瞬間、その光景がさらに数日前に出会って消えた、例の女性の行動とフラッシュバックした。


と、ここまでははっきり思い出せたのだが、そこから先の会話や行動が全く記憶になかった。


そこでカオルは、19時半前にプライベート用の携帯が鳴り、スーツ女性と通話したことを思い出し、あわててその携帯電話を取り出した。


当然のことながら、着信履歴には19時22分に未登録の電話番号があった。


そして、うっかり消してしまわない様に、携帯の電話帳登録を済ませてから、改めて発信ボタンを押した。


「オキャクサマノオカケニナッタデンワバンゴウハ、ゲンザイツカワレテオリマセン・・」


その聞きなれた定型アナウンスを最後まで聞くことなく、終話ボタンをそっとを押した。


何かがおかしい・・・。

22時05分


気付けば、誰もいない会社のデスクにカオルは一人座っていた。


ホテルのラウンジで謎の少女と出会い、スーツ女性からの電話を受けたことは覚えている。


そして、その後の少女から聞かされた話も。


しかし、それからどうやって少女と別れたのか、どうやって会社まで来たのか、なぜ日曜の休日の夜に会社に来ているのか、全く思い出せないでいた。


カオルは、すでに何度目かになる記憶の整理を必死に試みた。


だが、少女の話があまりにも信じられない内容であったせいか、まるで記憶の糸がプツンと切れたかのように途中で無くなってしまっていた。


カオルがスーツ女性の電話を切った後、目の前の少女はゆっくりとテーブルの隅にあった紙ナプキンで口を拭き、綺麗に折り畳んでテーブルの隅にそっと置いた。


時間にすれば、ほんの数秒の仕草に過ぎないことだったが、カオルにとってそれは、まるで1時間以上の時間に感じていた。


「あのね、わたしは実はカオルくんとはこれが初めてじゃないの。今から5年ぐらい前に一度会ったことがあるの。当たり前だけど、今よりずっと小さい時にね。」


あまりにも唐突な、それでいて全く覚えのない少女の話のはじまりがそれだった。


「覚えてないのも当然よね。だって、会ったといっても、ほんの数分。しかもそれって、お父さんのお葬式の時だもん。」


・・・葬式?・・・お父さん?


5年前にあった葬式という言葉で、カオルは少しずつ思い出していった。


それは叔父の葬式だった。当時、妻の母親の妹の旦那であった人だ。つまり、この子は姪にあたる。


たしかに、その夫婦には小さい子供がいた。まだ幼いにも関わらず、その葬式の時にも片時も離れず、泣き崩れる母親をそっと支えていた子がいた。


少女の父親は事故死だった。


彼は現場職人であったため、日々請け負う現場が違っていた。


そして、その日も某工場での作業中、業務用エレベーターに挟まれ、外頚動脈を切り、出血多量で即死した。


カオルは彼とは数回しか会ったことがなかったが、結婚式にはちゃんと来てもらい、心から祝ってくれていた。


印象としても、初めて会った時から親切で爽やかな、非常に好感の持てる人だった。


「あたしね。あの時のことすっごく覚えてるの。すっごく悲しかったんだけど、すっごく冷静だったんだ・・・。お母さんを支えてなくちゃって必死だったし・・・。だって、あの時のお母さんたら、あたしを置いてまるで自分まで逝っちゃいそうだったんだもん。」


本当にその通りだったと思う。周りの人間も必死だったのをよく覚えている。


「ただね、その時に初めてカオルくんと会ったんだけど、他の人よりもすっごく気を遣ってる人だって思ったの。ああ、こんな風に気を遣ってくれる人がいるんだって、少しほっとしたっていうか、なんか安心したの。」


その時に自分は何をしていたのか覚えていない。単に妻側の親戚の中に混じっていただけだ。


そして、当時まだ5歳ぐらいの子供に、何を見られていたのだろうか。カオルはその言葉をそのまま素直には受け止められずにいた。


「今では、もうお母さんもあたしも落ち着いてるよ。お母さんなんか今、バリバリの保険のセールスレディやってるし。カオルくんがお姉ちゃんと離婚したのってそれからすぐ後だったんでしょ?」


離婚後、妻側の友達や親戚がどうなっているのかカオルは全く知らなかった。しかし、正直に言うと気になっていた。


知ってどうするとか、どうしたいとかはなく、ただ、元気かどうかが知りたかった。

19時22分


目の前に座る謎の少女は、いつの間にか運ばれてきていたクリームソーダを飲み始めていた。


仕事用とプライベート用の携帯電話を使い分けているカオルであったが、滅多に鳴ることがないプライベート用の方であったため、出るのをためらっていた。


電話番号のみ表示されたその相手は、まだ切る気配がなかった。


正確には、マナーモードであったため、音は出ておらず、内臓バイブレータが定間隔に振動していたのだが、伝言モードにはしていなかった。


その間、謎の少女は何もしゃべらない。むしろ、最初から自分とは相席しているだけの関係であるかのようであった。


意を決して、通話ボタンをプッシュした。


「意外と用心深いのね。」


その声には聞き覚えがあった。


電話の相手はスーツ女性であった。そして続けざまに


「無事に会えたかしら。会えたのなら彼女の言うことを最後までちゃんと聞いてあげてね。普通じゃ信じられないような話って思うかもしれないけど・・・。その後、どうするかはあなたに任せるわ。元々あなたから始まったことですしね・・・。」


それだけ言うと、電話は切れた。なぜ掛けて来たのか、何を意味しているのか全く分からない状態で、一方的に切れた。


確かにこの時間と場所は彼女の指示であったため、連絡のタイミングとしては納得ではあったが、電話の内容とは別にもうひとつ疑問が沸いた。


それは、なぜ自分の携帯番号を知っているのかということだった。


初めて会った晩にも彼女には教えていない。

そして、彼女を紹介してくれた取引先の友人も、“仕事用”の携帯番号しか知らないはずであった・・・。