小説「大後悔時代」 -8ページ目

小説「大後悔時代」

後悔は知らず知らずにそこにあるもの

19時02分


ホテルのラウンジには大勢の人間がいた。


たしかに、その中でたった一人で座っている男を見つけることは、それほど困難なことではなかったかもしれない。


しかし、それでも約束の時間ちょうどに声を掛けてきた女の子(おそらく小学4年生ぐらい)には、全く躊躇というものを感じさせなかった。


むしろカオル自身の方が、声を掛けられてドギマギしていたぐらいであった。


「座ってもいい?」


その女の子は、そんなカオルにお構いなしで、返事も待たずカオルの向かい側の椅子にちょこんと座りだした。


そして、近くを通った若いウエイターを呼び止め、クリームソーダを注文した。


見覚えのない女の子が来たことで、一体何から話し出せばいいのか迷っている時、それを見透かしたかのように少女は話し出した。


「カオルくん、びっくりしてるでしょ?まさかこんな子供がこんな場所に一人で来るなんて。」


自分のことを“くん”付けで呼ばれたことにも驚いたが、確かにその通りだったので、無言でうなずいた。


「うふふ。そういう素直なところが良かったのかもしれない。お姉ちゃんは。」


お姉ちゃん?まさか、例の女性の妹なのか?それとも誰か知り合いの・・・?


想像を駆け巡らせているカオルの眉間を見つめながら、その少女は続けた。


「えっと、今のお姉ちゃんっていうのは、ほんとの姉妹って意味じゃないよ。あたしと仲のいいお姉ちゃんって意味だから。」


まるで、読心術でもされているかのようで、冷房の効いた店内にも関わらず、一人汗が吹き出てきていた。


「それと、探してる女の人がいるんでしょ?その人とあたしは関係ないから。あたしは・・・」


と言いかけた時に、カオルの胸ポケットから携帯電話が鳴り出した。


あまりにもタイミングが悪い為、そのコールを無視しようと思ったが、少女の眼差しが、携帯に出なくちゃ駄目だと言っているように見え、渋々2つ折り携帯を開き、待ち受け画面を確認した。


登録をしていない、知らない電話番号であった。


17時45分


日曜日、カオルは高級ホテルのラウンジでコーヒーを飲んでいた。


先日紹介されたスーツ女性からの指示によってある人物と待ち合わせをしていた。


約束の時間まではまだたっぷりと時間があったが、カオルは人と待ち合わせする時、先に来て待つ方が好きだった。


しかし、今回はそれ以外にも先にいなければいけない理由があった。


時間と場所の指定こそあれ、肝心の誰と会うかは知らされていなかったからだ。


スーツ女性によると、その場所にいて、その時間になれば、おのずと分かるでしょうと言っていた。


最初は、話し方や内容が自分をからかっているのかと思い、占い師やカウンセラーみたいだとふざけて聞いてみたが、彼女の表情は真剣そのもので、怒っているというよりは、むしろ悲しげな目をしていた。


結局、そのまま具体的な内容は聞けずに話しは終わってしまったが、どうせ日曜は予定もないので指定の場所に行ってみることに決めたのだった。


18時59分


もう何回目になるのか分からない程、ロレックスの長針を確認していたが、あと一分もしない内に待ち合わせの相手がやってくると思うと、次第に息苦しさを覚えた。


あまり周囲をキョロキョロと見回すのも恥ずかしいと思ったが、時間が迫るにつれ、そのラウンジにはホテルの宿泊客や待ち合わせの人間でごった返してきたため、この中から自分を見つけてもらえるのかという不安も出てきていた。


そして、もう一度左腕に視線を落とした瞬間だった。


「こんにちわ。」


営業マンの性だろうか、無意識に軽く笑顔を作ってしまい、右斜め後ろからの声に応対しようとした。


だが、すぐさま相手の顔を見てカオルの表情は凍りついた。


15時15分


休みの土曜日。


カオルは昔のことを思い出していた。


昨晩のスーツの女性に言われたことがキッカケだった。


彼女によると、探したい人間を見つけることは出来ると断言していた。


しかし、なぜ探したいのか、見つけた後どうしたいのかがはっきりしないと駄目だということだった。


カオルの中で、その女性を探したい理由はある。


それは、元妻との別れ方に関係していた。


離婚は4年前に成立した。


当時、夫婦生活はもちろんうまくいってなかった。


しかし、それは言い争いやケンカというようなものではなく、完全に冷え切っていたというのが一番しっくりくる。


俗に言う“すれちがいの生活”であった。


交際前、妻は前に付き合っていた男の子供おろしたことがあった。


そんな妻の気持ちを考え、結婚してすぐ子作りというよりも、自分達の時間を有意義に使い、大切にしようと考えていた。


そして、将来の為にも共稼ぎをして貯蓄をしようと二人は日々働き詰めていた。


おかげで会社からは功績が認められ、多忙な日々を繰り返すことは、順調に収入を伸ばし地位を得ていった。


しかし、その代償として、お互いの気遣う心を失い、愛を忘れていった。


気付いた時には既に遅く、一度外れた歯車は二度と噛み合うこともなく、妻は夫の外出している時に最低限の荷物と一緒に出て行ってしまった。


帰宅した夫は、精神的ショックと日々の疲労で妻を探す気力さえわかず、ただ呆然と部屋の中でマルボロを何本も吸うだけだった。


数日後、お互いの職場の中間地点であった、一人で住むには広すぎる部屋を引き払い、今のマンションに落ち着いたのだった。


トラウマという表現が正しいかは分からないが、その時の心境や状況が今も心から離れない。


そのせいか、黙って何も言わず出て行った例の女性を、今度こそは探し出したいと思うのであった。


ただ、本当に追いかけたいのは、違う女性だということに気付いていたが・・・。