東日本大震災 | ニュージーランドライフ

ニュージーランドライフ

旦那の国、ニュージーランドでの子育て、我が家のリノベーションなどなど日々の生活を綴ってます♪

東日本大震災から1年が経ちました。


あの日、クライストチャーチからの地震で
電気も水道も何もかも止まった家から逃れるため、
日本に一時帰国するために、羽田に降り立ちました。
娘のリクエストで、
東京に着くのなら、
せっかくの機会、ディズニーランドに寄って行こうと言うことと、
ディズニーランドで過ごして楽しい夢のような世界を
娘と2人で思う存分楽しんでいました。

後もう一つだだけ、アトラクションに乗ったら帰ろうね~と言って、
待っていた矢先に、
ぐわんぐわんとした揺れが。
正直、飛行機で寝れず、自分が倒れるのだと思ってたのだけど、
周りも、

「地震だ~」

と叫び始め、
どんどん揺れが大きく、長く続き、
娘と地面に這いつくばって、揺れがおさまるのを、
周りの人たちと待ちました。
アリエルエリアのフェイクの山が今にも
自分たちの上に落ちてきそうなくらい揺れていて、
本当に、どうなるのか、と。
それからも分刻みに余震が続き、
とりあえず、
ディズニーシーのエントランスまで行ってみようと思い、
娘の手を引き、早足で急ぎました。

作り物の山や火山、いろいろな物が崩れ落ちてくるのではないか?
などと、クライストチャーチのCTVのことが頭に焼き付いていたので、
心臓が潰れそうでした。

私は携帯電話を持ってるはずもなく、

震源地がどこなのかもわからず。

エントランスに辿りついた頃には、
多くの人が押し寄せていました。
誰も、どこで何が起こっているのか、
知るすべもなく、
唯一できることが、ここで待つこと。

待ちに待ち、
日も暮れ始め、
気温は落ち、
娘の唇の色も変わり、
ディズニーランドから支給された、
ディスプレイ用の布に身を包み、
ゴミ袋を体からかぶって、
寒さをしのぎました。
これじゃあ、ダメ、と思い、
ちょうど同じくらいの女の子を持った方と
行動を一緒にすると決め、

唯一1台のバスがロータリーに来たのに飛び乗り、
そこで初めて、
外の景色を見て、
息を飲みました。
液状化で駐車場の車は半分まで埋もれ、
電柱は倒れ、
道路は波打ち。
まるで、2週間前のクライストチャーチでした。
血の気が引いたのを覚えています。

しばらく経って、
知らないホテルに着きました。
寒さをしのげるのならどこでも、と少し、ホッとしたところに、
ロビーのテレビで映し出されていた映像。
どこで地震が起こっていて、
何が起こっているのか全く情報を知る方法がなかったので、
ぼーっとテレビの映像が無意識に目に入ってきました。

最初は、理解できず、
家が流されている?
と思いました。
NHKニュースでしたが、
そこで、初めて、震源地、私たちがディズニーに閉じ込められている間に
起こっていた恐ろしい、津波が街を襲った、という、
想像できない、事実を知ることとなりました。
8時間もの前に起こっていたこと。

今でも、ホテルのロビーで目に飛び込んできた映像を思い出すことが
多々あります。

その夜は、ただただ、何がどうなっているのか、
全然、余裕もなく、
恐ろしく、鳴り響くテレビからの
「余震です。十分に注意してください。」
というアナウンサーの声で、
長崎から来ていた、行動を一緒にしたみどりちゃん、りんちゃんも
私も娘も、
びくびくしているのと、
津波が襲い、どうなってしまったのか、という狭間で、
心の余裕もなく。
1夜をしのぎました。

私たちは千葉のディズニーでのことで、
津波被害を受けられた地域の人はどんなに、
恐ろしく、
逃げる暇がなかった、
小さい、娘くらいの年の子どももたくさん、いただろうに、
と考えると、何とも言えない気持ちになります。
それを考えると、
寒さをしのげる場所を見つけられ、
なんて、本当に、本当に小さなことです。

次の日に、

なんとか乗り継ぎ乗り継ぎで東京駅まで行けたのですが、
その電車の中で、
私くらいの30半ばくらいのスーツを着た男が、

「さっきから、子ども(娘のこと)の足が僕にあたるんですけど」

とさめ~た感じでツンとして言ってきました。

「はあ~?!」

って感じで、もう言い返す気力もなく、
情けなさいっぱいになりました。
涙が出ました。

あんなにひどく津波が襲ってたくさんの人の命が奪われた、
次の日、次の日に、
ちょっと子どもの足があたっただけで、
「あたるんですけど」
って、何か、こいつ、くさってるなあ~としらけてしまいました。
人間味が全くない。
小さな小さなことなのに、それさえも許せない、小さな器の男!
めっちゃ、ムカついたけど、
「すみません」
言って、それ以上は言いませんでした。
すごく、残念な出来事。

あれから1年、日本もクライストチャーチも復興スタートしたばかり。
時間をかけて、前向きに。

ただ思うのは、電車の中のサラリーマンではないけど、
最後は人と人との心のつながりが人を助けられる、と言うこと。

被災地の方、子どもたち、
決して心を忘れないと思います。

勉強、スポーツできても、
心のない人と言うのは空っぽ。