God Eater The Last Rage 第18話






ノヴァの脅威は去った。


世界のあらゆる場所にノヴァが残した触手が散らばっている。


宿主を失い、力なく地面に転がる。


暗い闇の中で、スズは夢を見ていた。


灰域に覆われる前の空。


まだ崩れ落ちる前の地上。


旧極東支部の、何でもない日常。


エミールの高笑い。


ナナが大盛りの皿を両手に持ってはしゃぎまわり、シエルが眉をひそめながらもきっちり注意している。


ギルは面倒くさそうに付き合いつつも、誰よりも早く動いて対処する。


ロミオはみんなを笑わそうと必死だった。


極東での、当たり前の光景。


笑い声。


喧騒。


神機の金属音。


その全部が、少し色あせた映像のようにスズの視界を流れていく。


ふと、夢の中の空の色が変わった。


強烈な光。


一本の神機が、視界の中心に浮かんでいる。


ダインスレイフ。


ボロボロになった装甲。


しかしコアだけは、今までで一番綺麗な光を放っていた。


スズは夢の中で、その姿を見上げている。


手を伸ばしても、もう届かない高さ。


けれど、寂しさよりも先に浮かんだ感情は、不思議なほど静かな満足感だった。


ダインスレイフはゆっくりと光に溶け始める。


刃も、柄も、コアも。


全部が粒子となり、どこかへ向かってゆく。


【……ありがとう。】


あの時と同じ、音にならない「声」が胸の奥で響いた。


スズは、夢の中で小さく頷いた。


スズ(……ううん。こっちこそ、ありがと。)


そこまで思ったところで――


まぶたの裏に、じわりと光が差し込んできた。


まぶたの向こう側が、明るい。


意識の底を漂っていたスズは、ゆっくりと浮上していく。


体は重い。


頭もまだ霞がかかったようだ。


それでも、さっきまで見ていた夢が、やけにはっきりと心に残っていた。


スズ「…………ん……。」


かすかな声が漏れる。


同時に、長く閉じていたまぶたが、ゆっくりと震えた。


ぼんやりとした視界に、白い天井が映る。


薄暗い照明。


規則正しい機械音。


消毒液の匂い。


地下施設の医療区画――そこにいるのだとすぐに理解できた。


視界の端で、誰かの影が動く。


リヴィ「……起きたか……!」


聞き慣れた声。


スズは、視線だけそちらへ向けた。


ベッドのすぐ傍には、椅子に腰掛けたリヴィがいた。


目の下には疲れの色が浮かんでいるが、その瞳にははっきりとした安堵が宿っていた。


スズ「……リヴィ……?」


自分の声が掠れているのが分かる。


喉が乾いている。


リヴィはすぐに手元の水を取って、スズの口元へ持っていった。


リヴィ「無理に喋るな。まずは少しだけ飲め。」


スズはストローに唇を寄せ、小さく口を湿らせる。


冷たい水が喉を通る感覚。


それだけで、頭の霧が少しだけ晴れた。


周囲をゆっくりと見回すと、ベッドの周りには数人の医療班が控えている。


少し離れたところには、腕を組んで壁にもたれるソーマの姿。


ベッドの足元のほうには、サバタとルナもいた。


ルナは目を真っ赤にして、こちらをのぞき込んでいる。


ルナ「スズお姉ちゃん……!」


スズ「……ルナちゃん……。」


声に出した瞬間、自分の身体がどれだけ重いかを再認識する。


腕を動かそうとしても、鉛のようだ。


それでも、確かに生きている。


胸の奥で、静かな実感が広がった。


ソーマが壁から腰を離し、こちらへ歩み寄る。


ソーマ「一週間だ。」


短い言葉。


スズは瞬きをした。


スズ「……え?」


ソーマ「お前がぶっ倒れてから、今でちょうど一週間。丸七日、寝っぱなしだった。」


リヴィも補足するように口を開く。


リヴィ「ノヴァとの決戦は、きっちり一週間前だ。あれからずっと、お前は目を覚まさなかった。」


一週間。


その数字が、じわじわとスズの頭に染み込んでいく。


スズ「……そっか。」


驚きよりも、妙な納得のほうが先に来た。


あれだけの力を振り絞ったのだ。


むしろ一週間で済んだのなら、安いほうかもしれない。


ルナがベッドの横へにじり寄る。


ルナ「あのお化け……もう、いないんだよ。」


スズはゆっくりとルナのほうへ視線を向けた。


ルナは小さな拳をぎゅっと握り、続ける。


ルナ「空……前みたいには戻ってないけど……あの、こわいお化け……もういないの。」


サバタが腕を組んだまま、短く付け加えた。


サバタ「世界を喰おうとしてたバケモンは、きっちり消し飛んだ。」


その言い方はいつも通り乱暴だが、声のトーンにいつもの棘はなかった。


スズは天井を見た。


あの夜空。


ノヴァの姿。


そして崩れ落ちる最後の光景。


断末魔の叫び。


崩壊する輪郭。


光の雨となって降り注ぐ粒子。


それらが一気に蘇ってくる。


スズ「……そっか。」


今度は、少しだけ笑みが混じった。


スズ「……ちゃんと、終わったんだね。」


ソーマが小さく頷く。


ソーマ「ああ。終末捕食は止まった。灰域もアラガミもまだ消えてないが……少なくとも、『世界が一度リセットされる』って最悪だけは回避された。」


リヴィ「極東も、どうにか持ちこたえているはずだ。......こっちと同じくボロボロだろうがな。」


極東。


ナナたちの顔が自然と浮かぶ。


今、この瞬間も彼らはどこかで息をしているのだと考えると、胸の奥がじんわりと温かくなった。


少しの沈黙のあと、ソーマが真剣な声を出した。


ソーマ「……それで、本題だ。」


声色が変わったのを、スズはすぐに感じ取った。


スズ「……?」


ソーマはベッドのそばまで歩み寄り、少しだけ視線を落とす。


その目は研究者ではなく、一人の神機使いとしてのものだった。


ソーマ「寝ている間に、お前の身体を徹底的に検査した。」


スズ「検査……。」


ソーマ「ああ。怪我の具合だけじゃない。偏食因子、神機との同調性……それから、お前の神機の“行方”も含めてだ。」


その言い回しに、スズはわずかに眉を動かした。


スズ「……行方?」


ソーマは一拍置いてから、はっきりと告げる。


ソーマ「結論から言う。お前の体内から、偏食因子は完全に消えている。」


スズ「…………。」


ソーマ「アラガミ細胞への耐性も、同調率も。数値上では、もうただの人間だ。」


リヴィが静かに続ける。


リヴィ「神機への適合性も完全に失われた。別の神機を用意しても……もう扱えない。」


ルナが不安そうにスズを見る。


ルナ「……それって……。」


ソーマ「要するに――お前はもう、神機使いには戻れない。」


言葉は淡々としていたが、そこに嘘はなかった。


スズは目を閉じ、ゆっくり息を吸う。


胸の奥に、痛みはなかった。


スズ「……そっか。」


静かな声。


涙も、取り乱しもない。


スズ「全部……使い切ったんだね。」


夢の中で見た、光になって昇っていったダインスレイフ。


あれは、別れだったのだ。


スズ「あのときのブラッドレイジ……あれが“最後”だったんだね。」


世界を救うために放った、最後のブラッドレイジ。


ラストレイジ。


ソーマは少しだけ目を伏せた。


ソーマ「……ああ。」


そして、続ける。


ソーマ「だが――それで終わりじゃない。」


スズが、ゆっくりとソーマを見る。


スズ「……?」


ソーマは言葉を選ぶように、慎重に口を開いた。


ソーマ「お前の神機は……完全に消滅したわけじゃない。」


スズ「……え?」


リヴィが小さく息を吸う。


リヴィ「お前の神機は、神機としては役目を終えた。だが、最後に残した“想い”と“力”があった。」


ソーマ「それは、呪刀へと集約された。」


スズは、一瞬だけ驚いた顔をしたが――すぐに落ち着いた表情に戻った。


スズ「……呪刀……サバタの。」


ソーマ「そうだ。」


ソーマ「ダインスレイフは、光となって呪刀と融合した。新たなコアが形成されている。」


リヴィ「それは、スズ……お前の“仲間を想う力”が核になっている。」


スズは、少しだけ目を伏せた。


スズ「……そっか。」


拒否も、動揺もない。


スズ「……あの子、最後に……居場所を見つけたんだね。」


ダインスレイフが、神機としてではなく。


誰かを支える“一部”として生き続ける。


それを、スズは静かに受け入れていた。


そのとき。


病室の隅で、腕を組んでいたサバタが、舌打ち混じりに口を開いた。


サバタ「……チッ。」


全員の視線が向く。


サバタ「勝手に押し付けやがって……あのクソ神機。」


スズは、少しだけ笑った。


スズ「……ごめんね。」


サバタ「いちいち謝んな。」


吐き捨てるように言いながら、視線を逸らす。


サバタ「……重てぇんだよ。ああいうの。」


その声は荒れていたが、拒絶ではなかった。


サバタ「……まあ、」


一瞬、言葉が途切れる。


サバタ「……受け取っちまった以上、投げ捨てるわけにもいかねぇだろ。」


その手に、わずかに力がこもる。


サバタ「……面倒くせぇ置き土産だ。」


スズは、穏やかに頷いた。


スズ「……ありがとう。」


サバタ「礼なんざ要らねぇ。」


リヴィはそのやり取りを見て、目を伏せる。


リヴィ「……神機としては死んだ。だが、想いは生きている。」


ソーマも静かに言った。


ソーマ「お前はすべてを出し切った。だが、何も残らなかったわけじゃない。」


スズは天井を見つめる。


ノヴァはここまでしなくては勝てない存在だった。


勝利と引き換えに、大きすぎる代償を払った。


あまりにも大きな代償。


もう、神機使いではない。


だが――


スズ「……なんだか、不思議だね。」


スズ「全部失ったのに……ちゃんと、繋がってる。」


その声は、とても静かで。


とても切なかった。


ダインスレイフは、もう戦えない。


だがその想いは、別の刃に宿り、これからも世界の中を生き続けていくのだった。


スズ「前みたいには戦えないけど……だからって、なにもできないわけじゃないよね。」


ソーマが視線だけで続きを促す。


スズは、少しだけ笑った。


スズ「今までみたいに“前に立つ”のはもうできないかもしれない。でもさ――」


ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


スズ「これからは、“育てる側”に回るよ。」


リヴィ「……育てる側。」


スズ「うん。あたしがもう神機振り回せないなら、代わりに“次”を育てればいい。神機使いとしての技術も、経験も、ブラッドの力の扱い方も……全部、誰かに渡していく。」


極東で一緒に笑っていた仲間たち。


ブラッドの隊長として見てきた背中たち。


先輩たちから教わったこと。


自分が積み上げてきたものは、決してゼロじゃない。


スズ「世界が続くならさ、その先に立つ子たちが必要だもん。だったら……今度はあたしが、支える側に回る。」


ソーマは少しだけ目を細めた。


ソーマ「……らしい答えだな。」


リヴィも、口元にわずかな笑みを浮かべる。


リヴィ「そうだな。今のお前にできる最善だ。いや、きっとそれは、誰かがやらなきゃいけない役目でもある。」


ルナはスズの言葉がどこまで理解できているか分からないまま、それでも嬉しそうに頷いた。


ルナ「スズお姉ちゃんが先生になるの?」


スズ「……先生、か。なんか似合わないけど。」


小さく笑ったそのとき、サバタがふん、と鼻を鳴らした。


サバタ「勝手に話まとめてんじゃねぇよ。」


全員の視線が、そちらへ向く。


サバタは腕を組み、いつものぶっきらぼうな顔でスズを見下ろしていた。


サバタ「神機も握れねぇくせに、育てる側だぁ?お前に何が教えられるってんだ。」


言葉だけ聞けば、完全に喧嘩を売っているような言い草だ。


だが、声のトーンには冷たさがなかった。


むしろ、妙な安心感すらあった。


スズは苦笑する。


スズ「手厳しいなぁ。」


サバタ「事実だろ。……まぁ。」


そこまで言って、一拍置いた。


サバタ「世界救った人間が言うんなら、耳くらいは貸してやる。」


トゲのある単語を選んでおいて、その中身はちゃんとした肯定だった。


リヴィが呆れたように笑う。


リヴィ「素直に褒めることはできないのか。」


サバタ「......うるせぇ。」


ルナはくすりと笑い、サバタの袖をつまむ。


ルナ「サバタお兄ちゃんも、スズお姉ちゃんに教えてもらいなよ。」


サバタ「誰が習うか。」


そう言いながらも、完全に否定しきれていなかった。


スズはベッドの上で小さく息をついた。


身体はまだ思うようには動かない。


偏食因子も、神機も失った。


でも――


命は残った。


繋がった命がたくさんある。


スズ「……じゃあ、決まりだね。」


目を閉じて、もう一度静かに言う。


スズ「これからは、あたしが“未来”を育てる。」


その言葉に、ソーマとリヴィはしっかり頷いた。


ソーマ「好きにやれ。ただ、倒れるときは誰かのそばで倒れろ。」


リヴィ「もう二度と、一週間も眠りっぱなしなんて御免だからな。」


ルナは嬉しそうに笑い、サバタはまたふんと鼻を鳴らす。


終末は、止まった。


だが物語は、まだ終わらない。


世界が続く限り、戦いも、再建も、人の営みも続いていく。


その中でスズは――


もう一度、自分の生き方を選び直したのだった。






ーー極東地下施設



分厚い防護シャッターが閉ざされた実験区画には、低く唸る機械音と、冷却装置の微かな振動が響いていた。


透明な強化ガラスの向こうには、慎重に採取・固定されたノヴァの触手の一部が置かれている。


黒と白が混ざった奇妙な模様。


硬質でありながら、有機的でもあり、時折わずかに光を返す。


それはもう「脅威」ではなく、「標本」として静かに横たわっていた。


サカキは分厚い防護手袋をはめたまま、触手の断面を顕微鏡越しに観察する。


複雑に絡み合う細胞の構造。


どれも既存のアラガミの細胞構造とは異質で、それでいてどこか“進化の極致”のような規則性を持っていた。


静かに肩越しから覗き込んでいた研究員が、息を呑む。


研究員「これが……ノヴァの細胞……。通常のアラガミとは根本的に違いますね。」


サカキは眼鏡の位置を直しながら、小さく頷く。


サカキ「うむ。これは終末捕食という現象を起こすに足る、異常な適応性と変質性を備えている。」


ガラス越しに見える触手は、もはや動かない。


しかし、細胞単位ではその構造が“まだ働いている”ような痕跡すら残っていた。


研究員「……危険では?」


サカキは少しだけ目を細め、あくまで落ち着いた口調で答える。


サカキ「いや、管理さえ誤らなければ危険性はない。むしろ非常に役に立つ。」


研究員「役に……立つ?」


サカキは触手の断面図を示すモニターを指で軽く叩く。


複雑な神経網のような線がいくつも走り、そこに新しく形成された不明な構造体が浮かび上がっていた。


サカキ「ノヴァの細胞には、これまでのアラガミには存在しなかった防御構造が含まれている。そして――」


研究員「そして?」


サカキ「灰域の構造そのものに耐えうる可能性がある。」


研究員は目を見開く。


研究員「それはつまり……灰域からの守りにつながる可能性が?」


サカキはゆっくりと頷いた。


サカキ「うむ。ノヴァは世界を灰域ごと"喰らう”ことで終末捕食を完遂しようとした。逆に言えば――灰域そのものを認識し、分類し、鎮めるための情報を内包していたということでもある。」


研究員「……私たちの灰域対策が、一歩進むかもしれない……。」


サカキは少しだけ笑みを浮かべる。


サカキ「我々だけではない。きっと、世界中に散らばった生き残りの科学者たちも、同じ結論にたどり着くだろう。」


研究員「同じ……結論。」


サカキ「そう。ノヴァは恐るべき存在だったが――」


顕微鏡から視線を外し、静かに立ち上がる。


サカキ「残された細胞は、終末を防いだ今となっては、世界再建のための重要な資源だよ。」


研究員たちは言葉なく頷く。


ノヴァは確かに恐怖だった。


だが、その残滓は――世界を再び歩かせるための鍵にもなり得る。


サカキは触手の入ったガラスケースを見つめた。


そして壁に目をやる。


そこにはかつての盟友.....


ヨハネス•フォン•シックザールの写真が飾られていた。


サカキと共に写ったその姿は、柔らかな笑みを浮かべている。


サカキ「ヨハン……。世界は、こういう形で再び動き出すのかもしれないな......。」


その声は、かつて絶望に染まっていた極東地下施設に、確かな希望として静かに響いた。







ーー旧フェンリル本部 地上



崩れ落ちた建造物の残骸が、不規則に影を落としている。


灰に覆われた地面から、ゆっくりと風が舞い上がる。


そのとき――


ゴォォォォ……。


地響きのような、低く重いエンジン音が近づいてきた。


リヴィは周囲の巡回のため、ちょうど地上へ上がったところだった。


その音に気づき、眉をひそめる。


リヴィ「……車両?」


少し遅れて、ソーマも入口から出てくる。


ソーマ「この状況で、生き残りの車両が来るとはな……。」


二人は音のする方へ視線を向けた。


崩れかけた外壁の向こうから、ゆっくり姿を現したのは――


巨大な輸送トレーラーだった。


装甲の表面は何度も灰域に擦れたように変色し、
一部は溶けたように歪んでいる。


それでも走行に支障はなさそうだった。


トレーラーの側面に、大きく刻まれた文字がある。


【グレイプニル】


リヴィとソーマは、同時に息を飲んだ。


リヴィ「……グレイプニル。」


ソーマ「生き残っていたのか……。」


トレーラーは地上入口のすぐ側で停止した。


エンジン音が徐々に低くなり、最後に小さく振動して止まる。


後部ハッチがゆっくりと開いた。


中からあがる金属音。


そして――


ガドリンが姿を現した。


厚手の外套を翻しながら、大地へ足を踏み下ろす。


顔つきは以前より痩せ、険しくなっていたが、瞳はまだ力を宿していた。


ソーマは目を見開き、ほんのわずかに驚きがにじんだ声を出した。


ソーマ「……ガドリン。無事だったのか。」


ガドリンは深く頷く。


ガドリン「君たちも、生き残っていたようだな。……よかった。」


リヴィはすぐに本題に入りたそうに一歩進み出る。


リヴィ「グレイプニルが……まだ機能しているのですね。」


ガドリンは重く息をつき、少しだけ空を見上げた。


ガドリン「……失われたものもある。だが……大部分は灰域の浸食を免れた。」


ソーマ「……運が良かったわけだな。」


ガドリンは苦笑のような、沈痛な表情を浮かべる。


ガドリン「運、という言葉で片づけられる程度のものではないが……そうだな。奇跡と言えるだろう。」


リヴィは視線を伏せ、少し間を置いてから告げた。


リヴィ「……フェンリルは、ほぼ壊滅しました。」


ガドリンの瞼がわずかに震える。


リヴィ「フェルドマン局長も……犠牲に...。」


重い沈黙が落ちた。


風が吹き抜け、灰を散らす音だけが耳に届く。


ガドリンは拳を握り、ゆっくりと目を閉じた。


ガドリン「……そうか。……彼は最後までフェンリルを守ろうとしていたのだな。」


リヴィは小さく頷く。


ソーマも静かに目を伏せた。


しばらくして、ガドリンは顔を上げた。


その瞳には、すでに覚悟の色が宿っている。


ガドリン「……本題に入らせてもらおう。」


ソーマとリヴィが、真剣な表情で耳を傾ける。


ガドリン「ノヴァの残滓……あれを、我々は回収している。」


リヴィ「……回収?」


ガドリン「ああ。あれは灰域に耐える構造物を作るための材料となり得る。」


ソーマの眉がわずかに動く。


ソーマ「灰域そのものに……対抗できる構造体。」


ガドリン「そうだ。ノヴァは灰域を“喰らう”ために存在していた。ということは──灰域を認識し、耐えるための構造を内包していたということだ。」


ソーマ「……サカキのおっさんも同じことを言うだろうな。」


ガドリンはわずかに口角を上げる。


ガドリン「これからは──ノヴァの残滓が、灰域対策の要になる。」


ソーマ「……世界再建の、要。」


ガドリンははっきりと言い切った。


ガドリン「これからはフェンリルの時代は終わる。グレイプニルが中心となり、灰域対策と世界再建を進めていかねばならない。」


リヴィは静かに頷く。


ソーマも、その言葉をしっかりと受け止めた。


しかし次のガドリンの言葉が、空気を一変させる。


ガドリン「……ただし、ソーマ・シックザール。」


ガドリンはまっすぐにソーマを見た。


ガドリン「君は今――“厄災の三賢者”として、世界で最も危険な大罪人として扱われている。」


リヴィ「……っ!?」


リヴィは反射的に一歩踏み出した。


リヴィ「そんな……ソーマは世界を救うために……!」


ガドリンは手を上げてその言葉を制した。


ガドリン「知っている。知っているが……真実を知る者は、もうほとんど残っていない。フェンリルも崩壊し、記録も散逸した。」


ソーマは静かに聞いていた。


怒りも、驚きも薄かった。


ただ、ほんの少しだけ肩が強張る。


ガドリン「情報が曖昧になった今、厄災の三賢者という烙印だけが独り歩きしている。」


リヴィ「……そんな......理不尽すぎる......!」


ガドリン「だからこそ言いに来た。」


ガドリンはソーマに向き直る。


ガドリン「ソーマ。灰域が解決するまで……君は素性を偽れ。」


ソーマの目つきが鋭くなる。


ソーマ「……逃げろ、というのか......!?」


ガドリン「違う。」


ガドリンは強い声で言い返した。


ガドリン「これは責任だ。逃げではない。」


風が吹き、ガドリンの外套を揺らす。


ガドリン「世界を救う力になれる者が、無実の罪で処刑されてどうする。」


リヴィはソーマの肩に手を置く。


リヴィ「……ソーマ。お前が捕まって殺されていいはずがない。」


ソーマ「…………。」


ガドリンは胸に手を当てるようにして言った。


ガドリン「君には“生きて背負うべきもの”がある。……それは罪ではなく、未来だ。」


ソーマはリヴィを見て、ガドリンを見た。


短い沈黙ひ。


長く息を吐いた。


ソーマ「……分かった。」


静かに、しかし迷いのない声音で応えた。


ソーマ「隠れるのは性に合わないが……必要なことなら、従う。」


ガドリンは安堵と決意が混ざった表情で頷いた。


ガドリン「助かる。……これで、前へ進める。」


リヴィも肩をすくめ、少し笑った。


リヴィ「どうせまた、前に出る羽目になるさ。……お前も、サバタも。」


ソーマは少しだけ目を伏せ、呟く。


だがその表情は、暗くはなかった。


むしろ、誇らしげだった。


世界は続く。


壊れたままでも、歩き始める。


重い空気が落ち着いたあと、三人のあいだにはしばらく沈黙が流れた。


ガドリンは、空を一度見上げ、それからゆっくりとソーマへ向き直る。


ガドリン「……付け加えたいことがある。」


ソーマ「なんだ。」


ガドリンははっきりと言った。


ガドリン「ソーマ・シックザールという名を……しばらく捨てろ。」


リヴィは眉を寄せたが、すぐに理解したように息を吐く。


リヴィ「……名前が残っている限り、追っ手も敵意も付きまとう。」


ガドリン「そうだ。素性をごまかすためではない。生き延び、戦い続けるために必要な措置だ。」


ソーマはすぐには答えなかった。


視線を落とし、深く呼吸をする。


リヴィもガドリンも、口を挟まずただ待った。


長い沈黙の中で――


ソーマの思考は、自然に“自分の原点”へ戻っていく。


母、アイーシャ・ゴーシュ。


自分の命を犠牲にして産んでくれた母。


優しく微笑んでいたと語られている、その名前。


父、ヨハネス・フォン・シックザール。


かつて世界の再構築を夢見た偉大な研究者。


その研究の果てに、世界を動かし、そして大きな罪も背負った男。


その父を、サカキ博士は親しみと敬意を込めてこう呼んでいた。


「ヨハン。」


アイーシャとヨハン。


自分の原点である二人のぬくもりを残したかった。


ソーマの中で新しい響きが組み立てられてゆく。


短く、しかし確かに前へ進むための名前。


断片が一つに繋がっていく。


そして――


彼は静かに顔を上げた。


【アイン】


ソーマはそう呟いた。


リヴィが目を瞬かせ、ガドリンが顎をわずかに上げる。


ソーマ「これからしばらく……俺はアインと名乗る。」


ガドリン「アイン……。」


リヴィはその名を小さく繰り返し、そして静かに頷いた。


リヴィ「悪くない。……いや、むしろお前に似合ってる。」


ガドリンもまた、深くうなずく。


ガドリン「では“アイン”。灰域が解決するそのときまでは、その名が君を守るだろう。」


ソーマ――いや、アインは短く息を吸い、胸の奥にこみ上げる熱を押し込んだ。


アイン「……分かった。お前たちがそう呼ぶなら、俺もその名で応える。」


リヴィが口元にわずかな笑みを浮かべる。


リヴィ「今日からはアインだな。……灰域が片づいたら、元の名前で呼んでやる。」


ガドリン「その日が来るまで、君は君の役目を果たせ。」


アインは空を見上げた。


灰域の残光がまだ空の端に揺らめいている。


世界は壊れたまま。


まだ希望は遠い。


だが――歩く道だけは、前へ続いている。


アイン(……いつか必ず。)


ふたたびソーマという名を名乗るために。


父と母がくれた名を、胸を張って取り戻すために。


アイン(灰域を……この手で終わらせる。)


静かだが、揺るぎない誓いだった。


そして三人は、崩れた地平線を見つめながら、ゆっくりと歩き出した。


世界再建という、新たな戦いの始まりへ向かって。







ーー数日後



極東区域


かつての街並みはほとんどが灰となり、ところどころ原形を保たない建造物もある。


だが、そこに立つ人々の表情は以前よりずっと明るかった。


リンドウが腕を組みながら状況を見回す。


リンドウ「……ずいぶん片づいてきたな。」


ナナが大きな鉄骨を抱えながら元気よく返す。


ナナ「任せてよ!こういうのは得意なんだから!」


ギルは苦笑しつつも手際よく積み上げられた瓦礫をまとめていく。


ギル「……お前の得意は信用できねぇんだよ。」


シエルは端末を操作しながら、倒壊した通路の安全確認をしていた。


シエル「……どうやら、ここは問題ありません。次の区画に移動しましょう。」


その横で、ロミオは汗だくになりながら木材を引きずっている。


ロミオ「うわっ重っ……!シエル!これどこに運ぶんだっけぇ!?」


シエル「そちらではありません、逆方向です。」


ロミオ「えぇぇぇぇ!?」


ロミオは粉塵まみれになりながらも懸命に木材を運んでいった。


そして、その中央でひときわ異様な光景があった。


アネットが――巨大な瓦礫を、まるで段ボール箱みたいに軽々と肩に担ぎ上げている。


アネット「はいっ、このエリアは私が持っていきます〜!」


周囲の隊員がざわつく。


隊員「お、おい……人力であの大きさ動かすか……?」


隊員「普通クレーン車で運ぶやつだぞ!?」


シエルは冷静にメモを取りながら言った。


シエル「アネットさんは、あれで“普通”です。……色々と規格外なので。」


隊員「普通ってなんだ……。」


アネットはぴょんと跳ねて、さらに別の瓦礫を抱えあげる。


アネット「はいっ、次どれ運べばいいですか!」


隊員「これお願いします!」


その近くでは、ひときわうるさい声が響いた。


バサッ!!


エミール「見よ!!我が騎士道精神に燃える肉体美を!!(ムキッ)」


エリナ「……誰も見たくないわよ。」


エミールはなぜか瓦礫の上に片足を乗せ、ポーズを決めている。


エミール「このエミール=フォン=シュトラスブルク、復興作業にも全力で貢献する所存であるッ!!」


ロミオ「ていうかエミールさん、持ってるそれ……軽い板じゃん……。」


エミール「ぐぬぬ……い、いやこれは補助だ!最終仕上げだ!!」


アリサとリンドウはその光景に思わず苦笑し、ナナは拍手していた。


極東の空気は、どこか明るかった。


まだ街は壊れている。


灰域も残っている。


それでも、生きている人間の手が確かに未来へ向けて動いていた。






ーー旧フェンリル本部区域



地上では人力での復旧作業が続き、地下施設でも医療班や技術班が休む間もなく動いていた。


その中で――スズの姿があった。


医療班の制止を振り切ったわけではない。


医師の許可が出て、立ったり歩いたりできる程度まで回復したのだ。


まだ腕には力が入りづらく、少し歩くだけで息が上がる。


それでも、動けることが嬉しかった。


スズは小さく息を整えながら、崩れた壁の破片を拾いあげる。


スズ「……よっと……。」


隣で監視していたリヴィがため息をつく。


リヴィ「無理はするなと言っただろう。」


スズ「無理はしてないよ。……ほら、ちょっとずつだけど、できることもあるし。」


リヴィは呆れたような顔をしながらも、スズの目がしっかり前を向いていることを確認し、小さく頷いた。


アインも近くで資材を運んでいる。


アイン「落とすなよ。」


スズ「落としませんよー。」


スズは小さく笑いながら、アインの方を見る。


アインは名前が変わっても、落ち着いた態度は変わらなかった。


ただ、その瞳に宿る意思は以前よりずっと強い。


アイン「この辺の補強が終わったら、地下の通路も改修に入るらしい。」


スズ「そっか……まだまだ先は長いですね。」


アイン「ああ。……だが、やれることはやる。」


スズは空を見上げる。


薄い灰が揺れながら落ちていく。


同時に、遠く聞こえる作業音も、どこか希望を含んで聞こえた。


サバタは少し離れた場所で瓦礫を蹴り飛ばしながら働いている。


ルナはその後ろをちょこちょこついて回っていた。


ルナ「サバタお兄ちゃん!そこ危ないって言われてた場所だよ!」


サバタ「ッチ。相変わらずうるせぇガキだな。……ちょっと黙ってろ。」


ルナ「むー!」


スズはそのやり取りを見ながら、ふっと笑う。


スズ「……ああ、守れてよかった。」


世界を救うために、すべてを出し尽くした。


神機を失い、偏食因子を失い、二度と戦場には立てなくなった。


でも――


今あるこの光景を見るためなら、後悔はひとつもなかった。


リヴィがそっとスズの肩に手を置く。


リヴィ「……これからだぞ。まだ再建は始まったばかりだ。」


スズ「分かってる。」


アインも近くで工具を置き、同じように遠くを見た。


アイン「世界がどう変わるか……まだ分からないが。」


スズ「でも、動き始めたんですよね。」


アイン「ああ。確かに。」


遠くで風が吹き、灰を巻き上げていく。


崩れた世界の中で、人々が動き出す。


未来のために、今日の仕事を黙々と積み上げていく。


世界はまだ壊れている。


だが、確かに生きていた。


ーーそして人類は再び歩き始める。


新しい秩序へーー


新しい希望へーー


新しい未来へーー


これからも待ち受けているであろう終わりなき戦いへ。


ゆっくりと、確実に、未来を築いてゆく。


灰域から生き延びた、全ての命のためにーー









    ーGod Eater The Last Rage 完ー
       エピローグへ続く