God Eater The Last Rage第16話
灰乱発生から約一時間後
旧極東支部・外界
午前2時
世界中で暴れ狂った灰乱はようやく治まりつつあった。
だが、あたりの風景はすでに別物だった。
建物の輪郭がそのまま砂のように崩れ、白い灰となって地面へ降り積もっている。
いくつもの居住区、倉庫、外壁までもが霧に侵され、形を保てなくなっていた。
ロミオ「……な、なんだよこれ……街が全部……」
ナナ「うそ……こんなの……!」
アネットは唇を押さえ、言葉を失っていた。
シエルとギルは即座に周囲を警戒する。
アリサ「霧の嵐……本当に、ここまで壊すなんて……」
リンドウは肩に神機を乗せ、深く息を吐いた。
リンドウ「……状況が悪すぎるな。」
そんな中、アリサがふと空を見上げて息を止めた。
アリサ「……あれ……?」
その視線につられ、全員が遠方を見た。
地平線の向こう。
夜の闇を裂くように、“何か” が伸びていた。
最初は細い線に見えた。
だが、目が慣れてくる。
シエル「……触手……?」
ギル「ちょっと待て、おい……あれ、地平線の……向こうからだぞ……?」
ロミオ「え、ええええ!?世界の端から来てるみたいなんだけど!?」
暗い夜空にうねりながら伸びてくる無数の触手。
それは止まることなく極東方面へ迫っていた。
エリナは顔を青ざめさせる。
エリナ「どういう……こと?あんな大きさのアラガミ……聞いたことない……」
エミールは震えながらも、例の調子を崩さない。
エミール「ぐぬぬぬ......!なんと禍々しい……!だが!このエミール=フォン=シュトラスブルク!恐怖になど屈せん!!相手が何者だろうと、我が愛機ポラーシュターンで迎え撃つまでッ!!」
ナナ「エミールさん、声が震えてるよ!」
エミール「震えてなどおらんッ!!騎士は常に堂々と……う、うわっ、近づいてきた!!」
触手の一本がこちらへゆっくり到達し、地面を這いながら持ち上がった。
ギルが神機を構える。
ギル「来るぞ!!」
リンドウ「お前ら!!叩き切れ!!」
全員の刃が触手へ叩き込まれる。
ガンッ!
ズバッ!!
神機の斬撃と銃撃が触手を切り裂き、破片が散った。
だが――
ロミオ「……え?切れたよな?」
ナナ「ほら、ちゃんと切れて――」
ずる、ずるる……
切断面から黒い繊維のようなものが伸び、まるで生き物のように触手が自己修復を始めた。
アネット「嘘……すぐ再生して……!」
エリナ「再生速度、早すぎる……!」
リンドウが眉をしかめる。
リンドウ「ちっ……完全には壊せねぇってか。」
シエルはすぐに解析端末を起動するが、表示された数値に目を細めた。
シエル「……破壊は可能ですが、再生速度が異常です。普通のアラガミの比ではありません。」
その時、後ろから急ぎ足の声が聞こえる。
サカキ「……君たち、下がりたまえ。」
サカキ博士が携帯端末を手に触手を解析していた。
エリナ「博士、これは何なんですか?アラガミ……ですよね?」
サカキは端末を見つめたまま答えず、ただ画面に表示される過去のデータと照らし合わせていた。
シエルが不思議そうに問いかける。
シエル「博士?」
サカキの指が止まる。
そして、顔から血の気が引いた。
サカキ「……似ている。あまりにも……」
ナナ「何に……?」
サカキは苦々しく息を呑む。
サカキ「数年前、極秘扱いだった“あの個体”に……」
ギル「……あの個体?」
サカキは触手を睨むように見上げた。
サカキ「まさか……いや、そんなはずは……しかし、この構造は……」
アネット「博士、教えてください!」
サカキは唇を強く噛んだ。
サカキ「もしこれが……私の知っているアラガミと同質なら……」
触手はまたゆっくりと伸びてくる。
サカキ「世界は、終末を迎えることになる。」
全員の表情から色が引いた。
風が吹くたびに灰が舞い、夜空の触手はさらに太く、さらに数を増やしていく。
エミールだけが、震えながらも叫んだ。
エミール「なんであるかわからぬが……!と、とんでもなくマズい状況だということだけは分かったぞッ!!」
ナナ「そんなの誰でも分かるよ!!」
触手は再び地を這い、こちらへゆっくりと迫る。
サカキの横顔は、今までにないほど険しかった。
サカキ「……始まってしまったのか。あの“終わり”が。」
ーー旧フェンリル本部区域
灰乱が収まった後の地上は、すでに別の世界だった。
建造物は灰へと変わり、地面はまるで焼け焦げたように黒く波打っている。
その中に、サバタ・リヴィ・スズ・ソーマたちが立ち尽くしていた。
外へ出た瞬間、全員の呼吸が止まる。
リヴィ「……あれは……」
視線の先――
上空には、巨大な女神像のようなシルエットがそびえ立っていた。
満月の光を受け、ゆっくりと浮かぶその姿。
背から伸びる無数の触手は、夜空を覆うほどの数で、まるで世界そのものを包み込もうとしていた。
スズ「……なに……あれ……」
足元の空気が震え、肌が針で刺されたようにピリつく。
その場にいた全員の身体が、無意識に硬直した。
本能が危険信号を伝えている。
サバタは額に浮いた汗を乱暴に拭い、内心で呟いた。
サバタ(……ヤベェな。肌で感じるぜ……。)
リヴィは女神像の神々しくも禍々しい姿にこれまでにないほどの絶望を感じた。
リヴィ(逃げるだけ無駄だ……。)
口には出さない。
だが、その静かな視線がすべてを語っていた。
スズも同じものを見ているのに、ただ恐ろしくて腕が震える。
スズ「……あれ、アラガミなの……?」
その問いに答えたのは、ソーマだった。
ソーマはじっと上空を見つめ、表情一つ変えずに呟いた。
ソーマ「……ノヴァ、だ。」
風が止まったように、空気が固まる。
サバタ「……は?」
スズ「ノヴァ……?」
リヴィは眉をひそめる。
リヴィ「聞いたことがないアラガミだな。」
しかしソーマだけは、その存在を知っていた。
ソーマ「終末捕食……世界そのものを喰らい、生命をリセットするアラガミだ。」
スズの喉がひゅっと鳴る。
スズ「終末捕食……!」
サバタは直感的に、あの恐怖の正体を理解した。
サバタ「……マジかよ……ガチのバケモンじゃねぇか.....!」
リヴィも視線を落とし、短く息を吐いた。
リヴィ「……本能が拒絶した理由が分かった。」
スズは震える指先を胸に当てる。
スズ「終末……捕食……あれが起きたら……」
ソーマは静かに言葉を継いだ。
ソーマ「世界が終わる。」
誰も反論できなかった。
灰乱
女神像
触手
ノヴァという名
そして終末捕食。
どれもが、一つの事実へ繋がっていた。
この瞬間、旧フェンリル本部に立つ全員が悟った。
「絶対に勝てない存在が、この世界に現れた」
風も吹かず、霧さえ音を立てずに漂う。
その静寂そのものが、余計に恐ろしく思えた。
絶望という言葉が、ようやく現実味を帯びて迫ってくるのだった。
ーー極東地方
建造物はいたる所で灰と化し、地面は波打つように黒く変質している。
極東の神機使いたちは、今なお触手との戦闘を続けていた。
ギル「くそっ……どこまで伸びてくるんだよ、これ!」
アネット「切っても、切っても……再生するんですけど!?」
アリサは巨大な触手を銃形態で射抜き、すぐさま剣形態へ戻して叩き切る。
アリサ「再生力が高すぎる……!」
ロミオも息を荒げながら、肩で大きく呼吸を整えた。
ロミオ「触手一本でもアラガミ並みの強さって……ありえない……!」
エミールだけは相変わらず大声で叫んでいる。
エミール「なんと恐ろしい相手だ!だがこのエミール、断じて怯まんぞ!!」
ナナも神機を振り抜きながら叫ぶ。
ナナ「これ、キリがなさすぎるよ!!」
触手はほぼ無音で伸び続け、切断した部分からは粒子が舞い、それがまた集合して再生していく。
倒している感覚がまるでない。
そのとき。
サカキが端末を強く握りしめ、青ざめた表情で画面を睨んだ。
サカキ「間違いない……。」
リッカが息を呑む。
リッカ「サカキ博士……何か分かったんですか……?」
サカキは視線を地平線に向けた。
サカキ「……地球が、“灰域そのもの”を危険因子と判断したんだ。」
神機使いたちの動きが止まる。
ギル「地球が? なんだよそれ……。」
サカキ「星の防衛本能……とでも言えばいいかな。」
風が止まり、触手のざわめきだけが響く。
サカキ「灰域がこのまま拡大すれば、生態系そのものが死ぬ。地球はそれを回避するために、終末捕食を起こそうとしている……。」
アネット「終末……捕食……?」
サカキ「生命をリセットするためのシステムだ。灰域ごと全てを喰らい、生命を一度全て滅ぼし、また新しく産みなおす……。」
その説明に、全員の顔から血の気が引いた。
ロミオ「そ、それって……じゃあ、人類は……」
サカキ「例外ではない。このまま終末捕食が進行すれば……人類は必ず滅びる。」
ギルは叫んだ。
ギル「じゃあどうすればいいんだよ!?こんなの倒しようがねぇだろ!!」
アリサも震えた声で言葉をつなぐ。
アリサ「触手の数も、再生力も……こんなもの、人間がどうこうできる次元じゃ……!」
ナナは拳を握り、涙目で唇を噛んだ。
ナナ「やだよ……世界が全部無くなるなんて……!」
エミールだけは声を張り上げようとするが、その顔色も蒼白だった。
エミール「ぐぬぬ!……これが本当に現実なのか……!」
再生する触手がまた地表を覆いはじめる。
触手の波は、どこまで行っても止まる気配がない。
その圧倒的な世界規模の敵を前に、誰も勝利のイメージを描けなかった。
サカキは端末をぎゅっと握りしめ、小さく呟く。
サカキ「……このまま……終わってしまうのか。」
触手は再び空を覆い、極東の空気が重く、暗く沈んでいく。
希望が見えない戦い。
神機使いたちの胸に広がったのは――
どうすればいいんだ、という底なしの絶望だった。
ーー旧フェンリル本部区域
黒い触手がいくつもの弧を描きながら、空と地上を縫うようにうねっている。
それらは上空の女神像――ノヴァから伸び、世界そのものを絡め取ろうとしていた。
サバタ、スズ、リヴィ、ソーマは、その触手群を相手に戦っていた。
ザシュッ!
ガギィンッ!
一本、また一本と触手を斬り落とすたび、粒子が舞い上がる。
だが、その切断面はすぐに肉が盛り上がるように再生していく。
スズ「もうっ……キリがないってば!!」
スズはバスターブレードを振り抜き、迫った触手を叩き斬る。
リヴィ「再生が早すぎる……。」
鎌で触手をはね上げ、銃形態に切り替えて撃ち抜く。
バンッ!
バババンッ!
しかし穴はすぐに塞がり、次の触手がすでに迫ってくる。
ソーマ「……こいつらをいくら削っても、本体には届かない。」
そのときだった。
サバタが前線で触手を迎え撃つ。
ロングブレード『呪刀』が鈍い軌跡を描いた。
――ザンッ。
触手は断たれた。
だが、わずかに遅い。
ほんの一瞬。
本来のサバタなら、無いはずの間。
サバタ「……チッ。」
舌打ちと同時に踏み込み直す。
次の触手へ斬りかかるが、刃が重い。
切っ先が、微妙に狂う。
サバタは眉をひそめる。
サバタ(……クソ……。)
背後に、スズとリヴィの気配。
横ではソーマが触手を薙ぎ払っている。
“大勢と共闘している。"
呪刀の内部で、オラクルが不快そうにざわめいた。
【孤独で斬れ】
そう言わんばかりに、反応が鈍る。
サバタ「邪魔だ……!」
誰に向けた言葉か、自分でも分からないまま吐き捨てる。
リヴィはその違和感に気づいていた。
リヴィ(……サバタの踏み込みが、浅い。)
刃の軌道。
間合いの取り方。
決して弱くなっているわけではない。
だが、明らかに“噛み合っていない”。
呪刀が完全に機嫌を損ねている。
ソーマも同じ結論に至っていた。
ソーマ(……呪刀の影響か。)
単独であれば、あの男はもっと鋭い。
今は、周囲の存在が刃を鈍らせている。
だが――
ソーマ「……くそ!」
考える余裕はなかった。
触手の数が、あまりにも多すぎる。
一本が断たれるたび、二本が伸びてくる。
スズ「……本体……あれをどうにかしないと……!」
スズはバスターブレードをスナイパー形態へ変形させる。
ガシャン、と機構が変わる音。
長く伸びた砲身が空を向いた。
スズ「じゃあ……試してみる。せめて一発……!」
スズはスコープ越しにノヴァを捉える。
照準の中心には、仮面のように滑らかなノヴァの本体。
スズ「……はぁ……っ……。」
息を止め、指に力を込めた。
ドンッ!!!
閃光が走り、砲身から放たれた一撃は黒霧を突き破り、まっすぐノヴァの胸元へ向かっていく。
リヴィ「……!」
直撃――したかに見えた。
しかし。
ノヴァの身体に、傷ひとつつかない。
光は吸い込まれるように消え、表面には波紋すら走らなかった。
スズ「……え……?」
引き金を引いた姿勢のまま、スズの表情が凍る。
ソーマ「……やはりダメか。あれは……“そういう存在”だ。」
リヴィ「こちらの火力では、本体には干渉できない……。」
サバタは呪刀で迫る触手を弾き飛ばしながら、舌打ちした。
サバタ「クソが……本体に届かねぇんじゃ、マジでモグラ叩きじゃねぇかよ。」
結果は変わらない。
直撃しても、ノヴァは微動だにしない。
サバタは歯を食いしばりながら触手を弾き飛ばす。
だが、次の瞬間。
地下施設へ続く扉が、きぃ、と音を立てて開いた。
中から小さな影が出てくる。
ルナ「……なに……あれ……?」
その声を聞いた瞬間、サバタの動きが、ほんの一拍止まった。
サバタ「……ッ!」
振り返る。
ルナが、外に出てきている。
その瞬間、呪刀の反応がさらに鈍った。
守るべき存在が、すぐ背後にいる。
“孤独”から、最も遠い状況。
サバタ「……クソ……!」
スズ「ルナちゃん!?出てきちゃダメ!!」
ルナは震える足で一歩外へ出て、空に浮かぶ女神像と、地表を這う無数の触手を見上げる。
ルナ「……こわい……こわいよ……なに、あれ……。」
リヴィが眉をひそめ、叫ぶ。
リヴィ「ルナ!!ここは危険だ、すぐ地下へ戻れ!!」
ソーマも触手を払いながら声をあげる。
ソーマ「ここは戦場だ!民間人は――」
ルナはその場に立ち尽くし、怯えた目で空を見つめたまま動けないでいた。
――ずるり。
その足元へ、一本の触手が静かに伸びてきていた。
誰にも気づかれないほどの静けさで、地面を舐めるように、するすると。
スズ「ルナちゃん、早く――」
ソーマ「下がれ!!」
ソーマの声と同時に、触手が一気に立ち上がる。
ヒュッ!!
槍のように尖った先端が、ルナへ突き出される。
ルナ「……っ……!」
恐怖で足がすくみ、身体が動かない。
その瞬間。
サバタの身体が、ルナとの間に割り込んだ。
ザシュッ!!
呪刀を横一文字に無理やり振り抜き、伸びてきた触手を叩き斬る。
触手は空中で千切れ、崩れ落ちた。
サバタはルナの前に立ち、荒く息を吐く。
サバタ「……死にてえのか!!」
ルナは涙を浮かべたまま、サバタを見上げる。
ルナ「……ご、ごめんなさい……。」
そのとき。
サバタの背後で、黒い影がうねった。
リヴィ「サバタ、後ろだ!!」
スズ「サバタ!!」
叫びと同時に。
ブシュッ――!!
太い触手が、音もなくサバタの背中へ突き刺さった。
鋭い先端が肉を貫き、そのまま左胸を突き抜ける。
サバタ「がっ……は……っ!!」
鈍い衝撃が全身を走り、口元から血が溢れる。
呪刀は、間に合わなかった。
孤独を失った刃は、彼を守らなかった。
スズ「サバタぁッ!!」
スズは即座に斬りかかった。
ザシュンッ!!
サバタの身体を貫いていた触手は斬り落とされ、粒子となって散る。
だが、刺し貫かれた傷そのものは消えない。
サバタの左胸から、大量の血がどくどくと流れ出す。
サバタはふらつき、その場に崩れ落ちた。
ドサッ……。
ルナ「サバタお兄ちゃん!!」
ルナが駆け寄ろうとするのを、スズが必死に支えながらサバタの傍へ膝をつく。
スズ「サバタ!しっかりして!!」
サバタの視界は揺れ、空がぐにゃりと歪んで見えた。
耳鳴りの中で、ノヴァの触手のざわめきだけが遠くで響いている。
サバタ「……クソが……こんなところで……。」
吐息の混じった声。
ルナが涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、必死に呼びかける。
ルナ「サバタお兄ちゃん、やだ……やだよ……! 行かないで……!!」
サバタはかろうじて顔をルナのほうへ向けた。
視界の端で、震えながら自分の服を掴んでいる小さな手が見える。
サバタ「……ガキ……」
血で濡れた唇から、か細い声がこぼれる。
サバタ「……逃げろ……こんなとこで……立ってんじゃねぇ……。」
ルナ「いやだ……!いやだよ……!」
リヴィはすでにサバタの傷口を押さえ、血の流れを必死に抑えようとしていた。
リヴィ「それ以上喋るな!!今は一滴でも失う血を減らすんだ!」
サバタ「……チッ……命令、すんじゃねぇ……。」
無理に笑おうとしたように、口元がわずかに歪む。
ソーマは周囲に迫る触手を払いながら歯を食いしばる。
ソーマ「このままでは.....全滅する......!」
ルナの泣き声と、遠くでうごめく触手のざわめきが混ざり合って響き渡る。
サバタの血で地面がじわりと赤く染まっていく。
リヴィは膝をつき、布を押し当てて必死に出血を抑えていた。
リヴィ「……まだだ!……まだ死なせない……!」
ソーマはそのすぐそばで触手を斬り払いながら、周囲を睨む。
ソーマ「くそ!こっちも手一杯だ……!」
ザシュッ!
黒い触手がまた一本、ソーマの刃で切り飛ばされる。
しかし落ちた破片はすぐに粒子となり、空気中でとぐろを巻き、別の触手へと再び繋がっていった。
ルナはサバタのそばにしゃがみ込み、震える手で彼の服の裾を掴んでいる。
ルナ「やだ……やだよ……サバタお兄ちゃん……」
サバタは浅い呼吸を繰り返しながら、微かに目を開けようとするが、焦点が合わない。
サバタ「……泣くな……クソガキが……」
今にも消えそうな声でそう呟く。
サバタは弱くない。
むしろ、異常なほどに強い。
それでも――
この戦場は、呪刀にとって最悪の環境だった。
孤独を拒まれ、共闘を強いられ、それでも前に立ち続けた男が、刃の呪いに噛みつかれた。
サバタは血の中で、かすかに笑う。
サバタ「……やっぱ……一人の方が……斬りやすい……じゃねぇか……。」
誰にも届かない、独り言だった。
その声も、風に攫われるように小さかった。
頭上では、ノヴァが静かに浮かび続けていた。
仮面のような顔に表情は一切ない。
ただ、そこから伸びる触手だけが、淡々と世界の輪郭をなぞるように広がっている。
空そのものが圧迫されているような感覚。
肺に入る空気が重く、冷たい。
スズはしばらくサバタたちの方を見ていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
スズ「…………。」
視線の先。
満月の光を背に、ノヴァのシルエットが静かに揺らめく。
その存在を見上げた瞬間、背筋の奥底を冷たいものが撫でていくような感覚がした。
恐怖
素直な感情が、胸の内側から浮かぶ。
怖くてたまらない。
勝てる気がしない。
近づくことすら、本能が全力で「やめろ」と叫んでいる。
しかし――
スズは、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。
スズ(でも……やらなきゃ。)
スズは、一歩だけ前に出た。
その動きに、ソーマが気づく。
ソーマ「……スズ?」
スズは返事をしなかった。
左手で自分の胸を軽く押さえ、深く息を吸い込む。
焼けた灰と、黒霧の匂いが喉を刺す。
それでも、そのまま吐き出さずに、ぎりぎりまで息を溜め込んだ。
スズ「…………ふぅ。」
大きく吐き出す。
呼吸を整え、頭の中の雑音をひとつずつ削り落としていく。
サバタのうめき声。
ルナのすすり泣き。
リヴィが必死に止血する声。
ソーマの刃が触手を弾く音。
その全部を、意識の端に追いやる。
スズ(……あたしが、やる。)
その瞬間、スズの目から迷いが消えた。
神機を持つ手が、静かに動く。
これまで見せたことのない、特別な構え。
バスターブレードを、肩の上まで大きく担ぐわけでもなく。
真正面に突き出すわけでもない。
柄の根元を右手で、剣身の中ほどを左手で支え、刃を斜め下へ滑らせるように傾ける。
身体は半身。
視線は真正面のノヴァではなく、そのさらに奥――空そのものを射抜くように向けられていた。
まるで、自分の身体と神機、そして空を一本の線で結ぶような、静かな構え。
リヴィが気づき、スズを振り返る。
リヴィ「スズ……その構えは……。」
ソーマも目を細める。
ソーマ「……おい、スズ。何をするつもりだ。」
スズは二人を見なかった。
ただノヴァを見上げたまま、小さく笑う。
スズ「……やるしかないでしょ。」
自嘲でも強がりでもない。
自分自身に向けた確認のような声だった。
心臓が、どくん、と大きく鳴る。
その鼓動と同時に、神機の刃がかすかに震えた。
スズ(ここで止まったら……全てが終わる。)
思い浮かぶ顔が、次々と脳裏を走る。
極東の仲間たち。
ブラッドのみんな。
まだ地下で震えている民間人たち。
ルナの、涙でぐしゃぐしゃになった顔。
そして――血に濡れたサバタ。
スズ(あたし、ブラッドの隊長なんだよ……?)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
戦いの中で、何度も仲間の背中を見て、守られて、守り返して。
積み重ねた日々の先で、みんなが託してくれた場所だ。
スズ(だったら……ここで踏ん張らなきゃ、意味ないじゃん。)
指先に力がこもる。
神機が、スズの決意に呼応するように微かに唸った。
ギィ……ン……。
血潮のようなオラクル細胞が、刃の内側でうねる感覚。
身体の奥底から、何かを絞り出すような、重く、熱い流れが走る。
ソーマは、その雰囲気の変化に気づいていた。
ソーマ「……その神機の反応……。」
それは、ただのブラッドアーツとは違う。
もっと深く、もっと危うい領域に踏み込もうとしている気配。
リヴィもまた、スズの背に何かを感じ取っていた。
リヴィ(……命を削るような気配だ。)
止めるべきかどうか、一瞬迷う。
だが、ルナの泣き声が耳に刺さる。
背後にいるサバタの、浅い呼吸も聞こえる。
このまま何も変えられないなら――
リヴィは、短く目を閉じてから開いた。
リヴィ「……スズ。」
スズ「なに?」
リヴィ「やるなら、一度きりで決めろ。」
スズは、ほんの一瞬だけ振り返った。
その瞳には、恐怖もある。
けれど、それ以上に強い何かが宿っていた。
スズ「……うん。」
それだけ言って、またノヴァへ向き直る。
ソーマは低く呟いた。
ソーマ「勝手な真似をしやがって……。」
それでも、その声には怒りよりも焦りと祈りが混じっていた。
空では、ノヴァの触手がまたゆっくり数を増やしている。
まるで、世界を上書きするためのペンの先のように。
スズはその一本一本を見上げながら、小さく息を吸った。
スズ「……この命に変えても。」
誰にも聞こえないくらいの声だった。
スズ「……みんなの“今”だけは……守る。」
その言葉と同時に、神機がぐん、と重くなる。
身体の芯が熱を帯び、皮膚の内側でオラクル細胞が暴れ始める。
鼓動のたびに視界の輪郭が鋭くなり、音が遠のいていく。
世界から余計なものがそぎ落とされていく。
残るのは、空に浮かぶノヴァの姿だけ。
スズは、静かに構えを深めた。
刃の角度が、ほんのわずかにノヴァの中心へ向かって修正される。
足の位置も、重心も、呼吸も。
すべてが渾身の一撃のために調整されていく。
スズ「......誓約...履行......。」
彼女の覚悟は、すでに決まっていた。
God Eater The Last Rage第16話 完