今年の夏は殊の外暑かった。「暑いね」が「おはよう」という挨拶と同列になるくらい猛威をふるった。

 

暑さという自然の脅威。

これもまた、人間が原因であるかもしれないし、制御できない自然の強さと恐ろしさをまざまざと知らしめることで人間の奢りに対しての警告なのかもしれない。

 

日本は自然災害が多い国だろう。地形的なことや山も多いし海に囲まれているし、四季の移ろいを楽しめて美しさを享受できる分、災害も多く何度も何度も立て直して、踏ん張って生きてきた民族でもある。

考えてみれば涙ぐましい、健気な民族だ。

その分、生きる知恵や自然との対峙も知っているだろう。

 

今回取りあげる歌は、そんな自然災害の経験をもとにbutajiが作曲したものだ。

 

何とも悲しく、何とも辛く、それでいて生き抜いていかねばならぬ人としてのしたたかでしぶとさも感じる歌だ。

なんといっても歌詞と曲の調和。折坂悠太の詞に、butajiのメロディがとても美しく祈りとも叫びともいった感じで聴こえて来る。

お互いソロでも唄っているのだが、デュオで唄っているLIVEがしみじみ良い。

時々交わす二人の歌声がまるで狼の遠吠えの様にも聴こえて、呼応する声が信号を交わすかのように心が通じ合っているようだ。

 

折坂悠太の声は懐かしく古き良き日本人らしさがありつつ、寂寥感と孤高の芯の強さが一種国籍不明な雰囲気を醸し出す。無常観というか琵琶法師の様でもある。

butajiはとにかく声が魅力的。唯一無二と言っていいほど渋いけど優しくて切なくて色っぽい声。この声を聴きたくて楽曲を流してしまうという。こちらはバタ臭くてブルースが良く似合う声。

この二つが妙にマッチするのだ。

 

個々に聴けば、折坂悠太は、日本の東北のさびれた港町を彷彿とさせるし、butajiは異国のダウンタウンの夜のとばりを思い出させる。

2人がデュオで唄うともっと世界が広がって、脳内の架空の街の様子が目に浮かぶ。

 

 

 

「トーチ」

作詞:折坂悠太 

作曲:butaji

 

街はもう変わり果てて

光も暮らしもない夜に

お前だけだ その夜に

あんなに笑っていた奴は

 

壊されたドア

流れ込む空気に

肺が満たされてく

今何も言わないで

 

お前だけだ あんな夜に

こんなに笑っていた奴は

私だけだ この街で

こんな思いをしてるのは

 

 

男っぽいのに繊細な感じって、この二人だからなのか、この楽曲だからなのか。

 

どうしようもない憤りや諦めをかかえたまま、人は生きていかなければならないということはある程度の年齢を重ねると誰しもが感じる事である。

 

人はほんの一瞬の小さな幸せがあれば、生きていけるということも、年月を重ねていけば知ることである。

そんな切なさや拉致のあかない現実と向き合いながらも小さな光を見つけるために生きながらえていく人の強さをこの歌を聴く度に感じてしまう。

 

 

やっぱり音楽が好きってことで。