いつかはない ~光陰矢の如し~ 

いつかはない ~光陰矢の如し~ 

アラフィフです。いつかするとかいつか行くとか、したためしがありません。いつかはないんだと思います。これからは今まで以上にあっという間に時が過ぎ去るんだと思うと、日々の生活を丁寧にまた色んな事も体験していきたいと思います。

●宮    纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)(奈良県桜井市)

●皇后   日葉酢媛(ひばすひめ・丹波道主(開化天皇の孫)の娘)

●父    崇神天皇

●母    御間城姫

●和風諡号 活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)

●漢風諡号 垂仁天皇

●陵    菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

 

 

 

垂仁天皇陵はとても綺麗な陵です。開放感があり心が洗われます。

●檜原神社(ひばらじんじゃ・桧原神社)

 

御祭神・天照大神若御魂神(あまてらすおおかみのわかみたまのかみ)

   ・伊弉諾命(いざなぎのみこと)

   ・伊弉冉命(いざなみのみこと)

 

大神神社の摂社で、本殿がなく三ッ鳥居を通して神座を拝します。

崇神天皇の御代に疫病が流行り、天照大神を豊鍬入姫に託して笠縫邑にお祀りをされました。

その後、垂仁天皇の御代に倭姫によって伊勢の地に遷幸されます。

檜原神社は「元伊勢」として引き続きお祀りをされています。

 

向かって左方に初代の斎宮(いつきのみや・天皇に代わって大神にお仕えする)になられた豊鍬入姫を祀っています。

奥に見えている山は、二上山です。

春分・秋分の時期に檜原神社から見る二上山への落日は素晴らしいのだそうです。

私はまだ見たことがありませんが、一度見たいと思います。

綺麗に決まってるニコニコ

右手に見える小高い山(前方)は畝傍山です。

左手に見える鳥居は大神神社の一の鳥居です。

この景色が好きハート

 

檜原神社に無料の駐車場があります。ただ、道中が狭いのでお気を付けください。

 

近くにホケノ山古墳がありますが、この古墳は豊鍬入姫の陵と考えられています。

 

 

●渟名城入姫神社(ぬなきいりひめじんじゃ)

御祭神・渟名城入姫命

崇神天皇の御代に疫病が流行り倭大国魂大神を渟名城入姫に祀らせましたが、渟名城入姫は髪が抜け身体は痩せ衰弱を

して祀ることができなくなりました。そこで改めて、市磯長尾市(いちしのながおち)に祀らせました。

天照大神と倭大国魂大神を別に祀ったことで疫病はおさまり、国中は平穏になりました。

 

 

渟名城入姫神社には駐車場はありません。

大和神社(おおやまとじんじゃ)

●御祭神

・日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ・大国主神の異名)

・八千戈大神(やちほこのおおかみ・大国主神の異名 武勇に優れた神)

・御歳大神(みとしのおおかみ・穀物の神)

 

もともと大和神社の主祭神・日本大国魂大神は天照大神と共に宮中に祀られていました。しかし疫病が流行り、崇神天皇が二神が同じく祀られているのは畏れ多いとして疫病を鎮めるべく天照大神を豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に笠縫邑に祀らせ、また日本大国魂大神を渟名城入姬(ぬなきいりひめ)に祀らせましたが、渟名城入姬は髪が抜け身体は痩せ衰弱をして祀る事ができなくなりました。改めて倭国造(やまとのくにのみやつこ)の一族の市磯長尾市(いちしのながおち)に祀らせました。市磯長尾市の祖は椎根津彦(しいねつひこ)で、椎根津彦は神武天皇東征の折に水先案内をつとめました。そのため豊後水道あるいは明石海峡を本拠としていた一族だと考えられています。ゆえに大和神社は航海の神でもありました。

その後幾度かの遷座を経て、現在の地に鎮座されました。

 

 

奈良時代、遣唐使が出発に際して大和神社に参詣をして航海安全を祈願しました。

山上憶良が聖武天皇の御代に遣唐大使として出発をする多治比広成(たじひのひろなり)に送った歌碑があります。

好去(こうきょ)・・・さようなら

好来(こうらい)・・・御無事でご帰還を

延喜式内社(平安時代の法律などをまとめた「延喜式」の中の神名帳に載っている神社)で、また白河天皇の御代には

二十二社(朝廷より特別の処遇を受けた神社)に列し、明治には官幣大社(最も格式の高い神社)に列せられました。

 

昭和時代になると、世界最大最強の戦艦大和の守護神として艦内に祀られました。

戦艦大和の艦長・乗組員の方々が参拝に訪れられていたそうです。

しかし昭和20年4月7日、鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈されました。

英霊の方々の御霊は大和神社の祖霊社に合祀されています。

大和神社は無料駐車場があります。