大和神社(おおやまとじんじゃ)
●御祭神
・日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ・大国主神の異名)
・八千戈大神(やちほこのおおかみ・大国主神の異名 武勇に優れた神)
・御歳大神(みとしのおおかみ・穀物の神)
もともと大和神社の主祭神・日本大国魂大神は天照大神と共に宮中に祀られていました。しかし疫病が流行り、崇神天皇が二神が同じく祀られているのは畏れ多いとして疫病を鎮めるべく天照大神を豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に笠縫邑に祀らせ、また日本大国魂大神を渟名城入姬(ぬなきいりひめ)に祀らせましたが、渟名城入姬は髪が抜け身体は痩せ衰弱をして祀る事ができなくなりました。改めて倭国造(やまとのくにのみやつこ)の一族の市磯長尾市(いちしのながおち)に祀らせました。市磯長尾市の祖は椎根津彦(しいねつひこ)で、椎根津彦は神武天皇東征の折に水先案内をつとめました。そのため豊後水道あるいは明石海峡を本拠としていた一族だと考えられています。ゆえに大和神社は航海の神でもありました。
その後幾度かの遷座を経て、現在の地に鎮座されました。
奈良時代、遣唐使が出発に際して大和神社に参詣をして航海安全を祈願しました。
山上憶良が聖武天皇の御代に遣唐大使として出発をする多治比広成(たじひのひろなり)に送った歌碑があります。
好去(こうきょ)・・・さようなら
好来(こうらい)・・・御無事でご帰還を
延喜式内社(平安時代の法律などをまとめた「延喜式」の中の神名帳に載っている神社)で、また白河天皇の御代には
二十二社(朝廷より特別の処遇を受けた神社)に列し、明治には官幣大社(最も格式の高い神社)に列せられました。
昭和時代になると、世界最大最強の戦艦大和の守護神として艦内に祀られました。
戦艦大和の艦長・乗組員の方々が参拝に訪れられていたそうです。
しかし昭和20年4月7日、鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈されました。
英霊の方々の御霊は大和神社の祖霊社に合祀されています。
大和神社は無料駐車場があります。