崇神天皇 ゆかりの地・出来事④ 倭迹迹⽇百襲姫の薨去 | いつかはない ~光陰矢の如し~ 

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アラフィフです。いつかするとかいつか行くとか、したためしがありません。いつかはないんだと思います。これからは今まで以上にあっという間に時が過ぎ去るんだと思うと、日々の生活を丁寧にまた色んな事も体験していきたいと思います。

武埴安彦の反乱を鎮めた後、倭迹迹⽇百襲姫(やまとととひももそひめ)は大物主神の妻になりました。

けれども神は昼は来ないで夜だけやって来ました。

倭迹迹⽇百襲姫は神に「あなたはいつも昼に来ないので顔をみることができません。しばらく留まって朝になったら

麗しいお姿を見せて下さい。」と言いました。神は、「明日の朝、あなたの櫛箱に入っていよう。どうか私の姿に驚かないように。」と言いました。しかし、倭迹迹⽇百襲姫は櫛箱を見てしまいました。見ると中に小蛇が入っていました。

倭迹迹⽇百襲姫は驚いて叫びました。すると神はたちまち人の姿になり「お前は我慢ができなくて私に恥をかかせた。今度は

私がお前に恥ずかしい目をさせよう。」と言って御諸山(三輪山)に登られました。

倭迹迹⽇百襲姫は仰ぎみて悔い、どすりと座り込んだ時に箸で陰部をついて亡くなってしまいましたびっくりアセアセ

それで、倭迹迹⽇百襲姫の墓を箸墓と言うそうです・・・。

 

箸墓は大坂山(二上山)の石を山から墓に至るまで民が連なって手渡しで運びました。また昼は人が造り、夜は神が造ったと

言われました。

大坂山(二上山)

 

箸墓古墳(大市墓)の近くに無料駐車場があります。(大変ありがたいです。)

邪馬台国論争がありますが、桜井市では倭迹迹⽇百襲姫が卑弥呼だろうと考えています。

だから、箸墓古墳は卑弥呼の墓だと考えています。

それゆえに、駐車場の名も(ひみこの庭)となっています。