ことし1月NHK地元局の番組「コネクト」を観てその存在を意識した被爆樹木、先般全国版の「Dearにっぽん」で再び再構成されて放映されました。

 

被爆樹木とは昭和20年8月6日午前8時15分、米軍が落とした原子爆弾の閃光と熱風を直接受けた後も生き永らえ今に至る樹木のことで、広島市内に159本あります。

 

彼らは戦争一色だった暗い時代の生き証人といってよく、熱線や熱風の影響で傾いたりねじ曲がったりしたその姿に接すると、亡父、母が問うてもほとんど話してくれなかった戦前、戦後の混乱期、その時代がどんな時代であったか黙したまま熱く訴えているような気がするのです。

 

 

比治山の被爆クスノキ

 

NHKの番組では爆心地側に傾いていることと、熱線を受けた側の樹皮が変性しウロコ状になっていて、反対側の正常な樹皮とは明らかに違っていると紹介されましたが、クスノキのすぐそばまで近づいて樹皮に触れ確かめてみましたが、その違いがはっきりわからなかったのは残念でありました。

 

昭和から平成、令和と時代が進み、世の中がどんどん悪くなっているように思える昨今ですが、戦争への道だけは歩んでほしくないものです。

 

昭和の時代は約60年、昭和30年代に生を受けたawakinはその後半部分だけを過ごしたに過ぎませんが、戦争と原爆投下、そしてゼロからスタートの復興、と良いことなど殆どなかった昭和の前半部分に、辛酸を舐めたはずの亡父、亡母はふたりとも自らの体験を我々こどもたちに話してくれることはありませんでした。

 

先週地元NHKが放映した「コネクト」では、『句集・広島』が紹介されました。

 

早速西区の図書館で借りて一読しましたが、やはりというか句集に載せられた句の内容と同じ体験を父も母もしたのでしょう。

 

心の中につらい記憶を閉じ込めたまま鬼籍に入ってしまったわけで、awaknが彼岸に渡った暁に父、母ともう一度逢えたなら、不幸だった時代のことを心行くまで語ってほしいと思うところです。