先日の美保基地の航空祭でもブルーインパルスは飛んだものの、お天気が悪そうなので行かずにおりました。

 

そして昨日(6/6)は防府北基地の航空祭(予行)、ブルーインパルスが飛ぶことになっているのですが天気予報が曇りなので逡巡しました。

 

でもこの前ブルーインパルスのパフォーマンスを観たのは2年前です。

 

長らくお目にかかってないのと、防府だとクルマで1時間ちょいで行けるので、抜けるような青空は期待できなくても行ってみることにしました。

 

 

 

 

ひさびさのブルーインパルス。(撮影日:2026.6.6)

 

観たのはいつものように遠く離れた佐波川の堰堤からです。

 

思った通り雲が多かった(青空は少し)のと、11時からの予定だったのが13時半に延びたのがちょっぴり残念でしたが、今回はこれまでと違って近くの空を何度も旋回してくれたので、これまで(今回で5回目です)よりほんの少しですが大きく撮ることができ満足できました。

梅雨に入った広島ですが、今は鳥さんたちの繁殖の時期になります。

 

身近なところではカラスにスズメの若鳥が自宅周辺を飛び回っているのが見られますが、海の近くを歩くとシロチドリやコチドリといったチドリの仲間の雛が、すでに巣立ってひとり立ちしたのがよちよち歩いてでエサを探し歩いています。

 

繁殖地ではまだ卵を抱いた親鳥もいるようで、前回の子育てに失敗した親なのか二番仔なのかわかりませんが、もうしばらくは可愛い雛や幼鳥の姿を楽しめそうです。

 

コンクリートの防波堤の上を歩くコチドリ幼鳥。

 

まだあどけない表情がかわいくて、思わずシャッターを押してしまいます。

 

親のそばから離れてしばらく経っている個体でしょうが、一生懸命鳴いていて、もしかすると親鳥がまだ近くにいて呼んでいたのかもしれません。

先日お天気のよかった日に田舎の家の風通しに行ってまいりました。

 

地元のシルバーさんにお願いしていた草刈りも終わっていて家の周囲もすっきり、気る分よくご近所を散策していると、お隣さんの庭先に今年もオオヤマレンゲが咲いてます。

 

のんびり観賞させていただきました。

 

道端に咲く真っ白なオオヤマレンゲ。

 

結婚の記念樹だそうで植えてからもう50年を超えるそうです。

 

昔は天狗石山の山頂までこの花を観るためだけに上っていたものですが、足、腰ともに衰えてしまった今では、車道すぐそばに咲くご近所さんのお花で楽しませてもらっています。

繁殖のため日本に渡って来る夏鳥にはカラフルで可愛い鳥さんが多くいて鳥屋には人気があります。

 

とは言っても巣作りの最中や抱卵しているとき、あるいは雛が孵り親鳥が給餌に忙殺されているときには、彼らはとてもデリケートになっているもので、不用意に近づく人間を嫌って親鳥が巣を放棄してしまうことで雛が餓死してしまったり、長時間巣に向け人間がレンズを向けて居つくことで、テンやカケスなどの捕食者に巣の存在を知らしめてしまいそのため雛が喰われてしまうこともあるのです。

 

そんなことにならないようフィールドでは細心の注意が必要で、観察するにはそれなりの覚悟とペアの現状をきっちり把握してから行動する必要があります。

つい先日も人づてで営巣中の個体が枝に停まっているにもかかわらず『三脚を忘れた。』などと言う輩が巣のすぐ下を歩くものだから逃げてしまったなどと聞くにつけ、今年8年ぶりに訪問したその探鳥地からまた足が遠のいてしまうことになるのは確実でしょうか。(何しろその探鳥地はかつてその道の専門家から日本一マナーが悪い探鳥地とのお墨付きをいただいたことのある場所ですから…。)

 

人気の夏鳥の一種ブッポウソウも、この時期数多くが広島県内に飛来して巣箱近くについているのを見かけます。

 

巣箱のそばの電線に1羽で停まっているところは、もしかするとすでに抱卵している♀が巣箱に入っているかもしれないので見て終わりにします。写真に撮るのは巣箱の外に2羽が出ているのを見たときで、それだと抱卵前のペア形成期だろうと判断(あわよくば交尾シーンも期待)してクルマを停めるようにしています。

 

先日芸北の山中で出会ったペアの成りかけ。

 

一見2羽で仲良くしている?ように見えますが、実際はそうではありません。

 

見ると1羽が虫を咥えていて求愛給餌の真っ最中のようです。

 

ところが♀は給餌をなかなか受けようとせず、じっとしたままなので、焦れた♂は直に飛び去ってしまいました。

孫たちが一生懸命駆けったり、踊ったりする地元の小学校の運動会には、毎年出かけて応援したり写真を撮ったりしています。

 

その小学校はawakinの母校であり、四半世紀前に身罷った母が原爆投下時に通っていた学校でもあり、awakinの3人のこども達全員が卒業した学校なのです。

 

そんな馴染みのある学校でも、今は時代が悪くて普段は用事がなければ立ち入ることが出来ません。でも運動会のときは大手を振って校庭を散策することができるので、応援の合間に遥かなこどもの頃の残照を探して歩いてみるのです。

 

校庭内で父兄が行動できる範囲内にあるプールを金網越しに撮ってみました。

 

右手の低学年用のプールは後年造られたもので、awakinの在学中には小さな庭と池がありました。学校の中では校庭中央に立っていた柳の木と並んで好きな場所で、池の周囲にはガマが林立し、池には様々な生きものが棲んでいたのが思い出されます。

 

何となく思うところがあり、帰宅してから卒業アルバムを繰ってみました。

 

卒業アルバムの残る、記憶そのままの小学校。

 

校庭中央にはシンボルだった柳の木が聳え、校庭の左下隅にはほんの少しですがプールが写っています。awakinが1~2年生のときに学んだ木造校舎が懐かしいですが、寒い季節になると、石炭ストーブにくべる石炭を当番2人で後ろの鉄筋校舎裏にあった石炭置き場までバケツとスコップを持って取りに行っていたのが思い出されます。

 

同じく卒業アルバムから、当時のプールの様子が載っていました。

 

悪いことをする人が少ないのどかな時代であったことがひと目でわかる写真です。左に見えている金網は南側の道路(むこうに駐車しているクルマが見えています)に面しているのですが、遮るものなど何もなく、水着で泳いでいる児童が丸見えでも皆んな気にすることなく平気だったのです。

 

夏休みになると町内会ごとにまとまってプールを利用していました。監視員は親が交代で受け持っていましたが、子供らは海水パンツ一丁で自宅から歩いて泳ぎに来ていました。

 

コロナ禍以後は時代が悪くなってしまったのか、夏休みのプールは人手が足りないとか、事故が起きたときの責任が取れないとかの理由でなくなっているようです。

 

昔はよかったなどと年寄りじみたことは言いたくありませんが、昔のほうが良かったことは確実にあったような気がしてなりません。