awakinが物心がついたのは、幼稚園へ入園した日に園庭の遊具で遊んだはっきりした記憶があるのでおそらくはそのあたり、満4歳くらいだったでしょうか。

 

広島市でテレビ放送が始まったのは1956年3月21日ですが、物心がついた頃にはすでに自宅に白黒テレビがありました。そのテレビで観た最初の記憶はケネディ暗殺(日本時間1963.11.23 4:30頃)を報じる朝のニュース(awakinは幼稚園の年少でした)で、父親が『こりゃおおごとじゃ!。』と叫んだのが今でも耳に残っています。

 

家で観ていたテレビは小さくて、やはり小さなテレビ台(りんご箱だったかもしれません)の上に、亡き母がアップリケと刺繍を施したカバーに包まれて鎮座していました。

 

そして朝は茶の間に、夜は寝室 兼 応接間に皆が寝る布団を敷いたあとに移動させてみんなで観ておりました。

 

当時観た記憶があるのは、『てなもんや三度笠』、『隠密剣士』、『ウルトラQ』、『竜馬がゆく』、映画の『ゴジラ』、巨人戦しかやらないプロ野球中継、柏鵬時代の大相撲といったところですが、『てなもんや三度笠』のスポンサーだった前田製菓の「あたり前田のクラッカー」が今もって売られていることを知り、何となく懐かしくなりついつい購入し自宅に持ち帰ってしまったのでした。

 

60年前の亡霊?と言ったら怒られるでしょうが、そのくらい久しぶりに見るフレーズです。『あたり前田のクラッカー』、先日カタクリを愛でに行ったカタクリの里近くの道の駅で売っていました。

 

以前田舎の魚屋で買おうとしたお菓子の賞味期限が5年以上前だったのを思い出し、自宅に持ち帰った後に大丈夫かどうか確かめたところ…。

 

2026.12.26と印刷してあり、安堵しました。

 

『てなもんや三度笠』がテレビで放映されていたのは、1962年5月から1968年3月までで今から50有余年前のことです。

 

商品名を藤田まことさんがそのまま決め台詞にしたCMが懐かしく思いだされますが、それ以上に白木みのるさんが演じられた『珍念』のセリフの言い回しは、その独特の声が今も耳に残っています。

 

こどもの頃から今の今まで、会うと「チンネン」と呼んでいる同級生のあだ名の元が、「てなもんや三度笠」の珍念から来ていることを今更ながらに気がつきました。

 

それにしても未だ現役で、広島の片田舎でも売られている「あたり前田のクラッカーおそるべし」と思うところです。

旬を捕まえるのは難しいものですが、それはいつもいつも出掛けられるわけではないからで、もし捕まえることが出来たらそれは単に運がよかったということではないでしょうか。

 

昔風景写真を主体に撮っていた頃は、春の桜と秋の紅葉の旬を捕まえるのに同じ撮影地を何度も訪ねて旬にこだわったものですが、鳥や飛行機といった動きものを撮り始めてからは、旬というより偶然の出会いのほうを大事にするようになり、旬に対する感覚が鈍くなっているような気がします。

 

このごろは時々でも山野草や桜にレンズを向けてみると、撮るのがこんなに難しかったかな?と当惑することが多々あります。撮影頻度が少なくなっていて、旬に遭遇するのが少なくなるのは当然ですが、それ以上に自分の写真撮影に対する粘度というか、こだわりといったものが弱まっているように思えるのです。

 

きのうはお天気がよく、朝起きたときに山の上からドクターイエローを俯瞰するか、三次でカタクリを探し歩くかのどちらかにしようと逡巡したのですが、家内殿とのドライブですから楽しみがより多い三次方面に行くことにしました。

 

昼食にするハンバーガーを贖いに喫茶店に行くと、お店の目の前にあるJR芸備線・八次駅の構内にはオオイヌノフグリが一面花を咲かせておりました。

 

同じくJR芸備線・八次駅

 

きれいな桜?が満開で、思わず近づいてシャッターを押しました。

無人駅でいつもはホームで駅頭の風景を撮りまくるのですが、近くの高校の下校時間らしく待合室に高校生たちが屯していたのでホームを歩くのはやめたのでした。

 

川根カタクリの里

地主の方によると今春の初咲きであったようですが、よく咲いていました。

 

現地では約10人ほどのCMがひたすらギフチョウの出現を待ちわびていました。

地主の方が夕方近くになれば出るだろう言われるので皆さんヤル気満々の様子でしたが、空腹でやれんようになったawakinはハンバーガーを食べたくなり、小一時間で花園を後にしたのでした。

 

数万分の1の確率で出現する白花が二輪咲いていました。

見られるだけで幸せです。

これまで三次市内の他の自生地でも何度か見かけた白花ですが、誰もいなくなる野っ原の自生地ではすぐに盗まれてしまい、今見ることができるのはこちらの自生地だけになってしまったと思っていましたが、地主の方のお話を聞くと白花は何年かすると絶えてしまうそうで、他所で咲いていた白花ももしかすると自然に絶えてしまったのかもしれないと思うようになりました。

awakinが小学生の頃に流行った遊びに貝割りがありました。

 

主にイタヤガイで遊んでいましたが、ベンケイガイやアワビ、ハマグリでも遊べました。遊び方は地面に置いた相手の貝を交互に叩き合い、相手の貝が割れたら勝ち、自分の貝が割れたら負けという乱暴な遊びでありました。

 

遊びに使う貝は自宅の近くで建設現場に山と積まれている海砂を掘って自分で調達していました。時は昭和40年代初めですから当時は「所得倍増計画」の真っただ中、自宅周辺にはそこら中に民家やアパートの建設現場があり、ダンプで運んで来たのをそのまま降ろしただけの砂の山からいくらでも貝が掘り出せたのです。

 

その砂山は元々は瀬戸内海の海底にあったものでした。瀬戸内海の海砂採取は1950年代後半に始まり、環境への影響から広島県では平成10年2月に全面禁止されましたがawakinたちが貝割りに興じていた昭和40年代はそのピークでした。

 

過度な海砂採取でイカナゴが好む砂泥底の海が殆どなくなってしまい、イカナゴを餌に瀬戸内海に大挙して渡って来ていたアビ(シロエリオオハムが主ですが以下アビと表現します)も姿を見せなくなって、アビを利用して鯛や鱸を獲るアビ漁も続けることができなくなりました。

 

アビはその独特な漁に利用されることから、昭和39年(1964年)に広島県の鳥に選定された鳥さんですが、渡りの数が減ったためにアビ漁も昭和61年(1986年)を最後に行われなくなってしまいました。

 

昭和初期には数万羽が渡って来ていたというアビです。海砂採取が禁止されてから20年経ちましたが少しは元のような砂泥底が復活しているのでしょうか。イカナゴとアビが戻ってくるような自然が望ましいところですがこの先どうなることでしょう。

 

幸いにも昨年度は千羽を越えるアビが渡ってきました。

 

awakinは昨年の5月に広島湾で、コアジサシがイカナゴを捕食しているところを目撃しました。イカナゴが広島の海に少しは帰って来てくれていると実感しましたが、今年のアビはどうでしょうか。(播磨灘のイカナゴ漁は不漁で2日で打ち切りになったそうですが…。)

 

昨年同様大挙して渡って来てもらいたいもので、期待を込めて昨年「とびしま海道」で撮影したアビを載せてみたいと思うところです。

 

 

 

 

 

 

 

アビ(シロエリオオハム)は水深80㍍まで潜れるそうです。

 

道理で1~2羽でいるときに潜られて一度姿が見えなくなると、必ずと言ってよいほど見失ってしまいます。それが数十から数百の群れの場合は半分が潜っていても、残りの半分が浮いているので群れ全体を見失うことはありません。

 

そんなですから群れ全体の個体数 = 潜っている個体まで含めた正確な数を数えようとすると途轍もなく難易度が高い鳥さんだなあと思うところです。

awakin、コロナ前の被写体は多岐にわたっておりました。

 

中でも身近な電車はよく撮りに行っていたもので、現役のころ通勤で利用していた山陽線の旧国鉄製電車は特にお気に入りでありました。

 

当時は塗装も様々で、統一感はないものの、次に何がやって来るかわからないというワクワク感がありました。

 

広島では2015年3月までは旧国鉄製車両オンリーでしたが、11年経った今では赤いステンレス製の新型車両だけに変わりました。それは隣接する岡山と山口も似たようなもので、年々旧国鉄時代の車両は淘汰されているのが現状です。

 

きょうは今更ですが、昔広島を走っていた旧国鉄時代に造られた車両を少しだけですが載せてみて昔を懐かしんでみたいと思うところです。

 

三滝駅ですれ違う国鉄105系電車(2010.1.24撮影)

このころはプラスチックレンズの入門機で散歩の合間にスナップ写真を撮っていました。この日は川土手で消防の出初式だったかで人が多く、むこうに見える新庄橋を渡って来て、三滝駅を俯瞰してみようと思い立ったと記憶しています。

 

 

広島駅を発車する旧国電。(2015.3.14撮影)

広島市域の線路を旧国電だけが走っていた最後の日の風景です。上の写真の右側に写っている黄色い電車は呉線廻りの103系でやはりこの日が最後の運用でありました。

 

五日市でカープ電車(2017.8.27撮影)

このときは2代目トワイライトエクスプレス『瑞風』を撮りに来ていて偶然通りがかったカープ電車やEF65 1120の単騎回送を撮影した記憶が残ります。この頃227系はすでに導入されておりましたが、カープ電車をまだ115系(L-16編成)が担っていたことは感慨深いものがあります。

 

夕刻、可部線太田川放水路鉄橋を渡る。(2017.9.10撮影)

この日は日曜日、夕涼み中に川面に写る車のテールランプがきれいなのでシャッターを押しました。この頃は中井精也さんの『てつたび』がお気に入りで、確か広電の回が年末に放送予定、応募する写真をどこで撮ろうか思案しいしい広島市内を歩き回っていたのが懐かしい想い出です。

 

呉線を俯瞰、105系が駆け抜けていきます。(2018.1.2撮影)

どなたか忘れましたが、著名な鉄道写真家の方が紹介されていた撮影地を探しながら山道を上って来て撮った写真です。所謂「お立ち台」ですが、他人が撮ったのと同じような写真を撮ってもあんまり楽しくないなあと思ったのは、もしかするとこの時が最初だったかもしれません。

広島県内の国宝建造物に興味を持って巡り歩いたことがあります。

 

それはブログを書き始めた15年くらい前のことですが、広島県内に国宝の建物は5か所 =( 厳島神社・廿日市市、不動院・広島市、明王院・福山市、向上寺 & 浄土寺・尾道市)しかなく、思い立ったらわずかな期間で全部を巡ることができました。

 

それが此度の奈良旅行では、狭い範囲に右を向いても左を向いても国宝だらけといった感じ、教科書載っていたのを憶えている建物や切手やはがきの図案になったいた建物がそのまんまの形で目の前に出現するのです。

 

そこだけ飛鳥時代や奈良時代の空気が漂っているような気になって、感嘆の声を上げたのでした。

 

室生寺五重塔

三重県境が近い奥深い山の中に立地しているため個人ではなかなか訪れ難い寺です。

今回の旅はJR奈良駅発の四寺巡礼バスツアーの中にこのお寺が入っていることを知って申し込み実現しました。この五重塔の美しさに惹かれてのことですが、中学の美術の教科書に載っていたのを憶えていて、いつか訪れてみたいと50年以上思い続けてきた思いがやっと叶ったということです。

 

法隆寺の金堂と五重塔

金堂の中には国宝の仏像がいくつも安置されていて、凛とした空気の中に身を任せるだけで心が震えます。そしてこの並び、小学生時代に熱中した切手集めの中でも特に印象深い「国宝シリーズ」の図柄そのものであることに気づいた瞬間、時間がきゅーんと逆回転してしまいます。

 

法隆寺夢殿

こちらも年寄りには懐かしい建造物です。何しろこの建屋、こどもの頃には葉書の図案でしたから…。当時はがきを出すのに必要なお金は5円!でした。それが小学生のときに7円になり、中学で10円、高校のとき20円というところまでは覚えているのですが、それ以後ははがきや手紙を出すことは年賀状くらい、年賀状はまとめて買うので葉書が一枚いくらするのか今もって知らないまま過ごしているのです。

 

唐招提寺本堂

この建造物は歴史の教科書に載っておりました。

ひと目みてかっこええの~、と高校生ながら思ったのを覚えています。

こちらもいつかは自分の目で…、と望んでおりましたが今回の旅で願いが叶いました。やはりバスツアーでガイドつきで案内してもらっただけですが、高校生のとき以来気にかかっていたことが達成できたことで満ち足りた旅でありました。