孫たちが一生懸命駆けったり、踊ったりする地元の小学校の運動会には、毎年出かけて応援したり写真を撮ったりしています。
その小学校はawakinの母校であり、四半世紀前に身罷った母が原爆投下時に通っていた学校でもあり、awakinの3人のこども達全員が卒業した学校なのです。
そんな馴染みのある学校でも、今は時代が悪くて普段は用事がなければ立ち入ることが出来ません。でも運動会のときは大手を振って校庭を散策することができるので、応援の合間に遥かなこどもの頃の残照を探して歩いてみるのです。

校庭内で父兄が行動できる範囲内にあるプールを金網越しに撮ってみました。
右手の低学年用のプールは後年造られたもので、awakinの在学中には小さな庭と池がありました。学校の中では校庭中央に立っていた柳の木と並んで好きな場所で、池の周囲にはガマが林立し、池には様々な生きものが棲んでいたのが思い出されます。
何となく思うところがあり、帰宅してから卒業アルバムを繰ってみました。

卒業アルバムの残る、記憶そのままの小学校。
校庭中央にはシンボルだった柳の木が聳え、校庭の左下隅にはほんの少しですがプールが写っています。awakinが1~2年生のときに学んだ木造校舎が懐かしいですが、寒い季節になると、石炭ストーブにくべる石炭を当番2人で後ろの鉄筋校舎裏にあった石炭置き場までバケツとスコップを持って取りに行っていたのが思い出されます。

同じく卒業アルバムから、当時のプールの様子が載っていました。
悪いことをする人が少ないのどかな時代であったことがひと目でわかる写真です。左に見えている金網は南側の道路(むこうに駐車しているクルマが見えています)に面しているのですが、遮るものなど何もなく、水着で泳いでいる児童が丸見えでも皆んな気にすることなく平気だったのです。
夏休みになると町内会ごとにまとまってプールを利用していました。監視員は親が交代で受け持っていましたが、子供らは海水パンツ一丁で自宅から歩いて泳ぎに来ていました。
コロナ禍以後は時代が悪くなってしまったのか、夏休みのプールは人手が足りないとか、事故が起きたときの責任が取れないとかの理由でなくなっているようです。
昔はよかったなどと年寄りじみたことは言いたくありませんが、昔のほうが良かったことは確実にあったような気がしてなりません。