きょうも同じような予報が出ていますが、昨日は発雷確率が高く急な雷雨に注意が必要だと天気予報が脅すので、クルマから離れて山の中を歩き回る探鳥はリスクがあるので控え、自宅で大人しく過ごしておりました。

 

暑い中、クーラーを効かせた部屋の中ですることと言えば、読書か録り(撮り)溜めているビデオや写真の整理ですが、最近よく眺めているのは、『鯉の領域』や『東京タイムスリップ』シリーズなど、旧いスナップ写真中心の写真集です。

 

大いに触発され、過去のアーカイブの中から街頭や家族で撮った写真を抜き出しています。awakinが写真を撮り始めてわずか十数年ですが、スナップと花から始まって、風景、電車、飛行機、鳥と興味が移るに従い、いろんな被写体にレンズを向けてきました。

 

それら被写体の中で、後から眺めて断然面白いのはやはりスナップでしょうか。

昔撮ったスナップ写真からは無限の変化が感じられ、何より懐かしいという日本人独特?の感情が呼び覚まされるのです。

 

きょうは暇にしていたきのう観たビデオの中にあった広島市の俯瞰写真と、50年前の写真集に載っている俯瞰写真を比較してみたいと思います。

 

写真集『HIROSHIMA』、1970年開催の大阪万博にやって来る外国人観光客向けに広島をアピールする目的で作られたと思われる写真集に掲載されている写真です。

 

awakinが通った大芝小、中広中、崇徳高校のすべてが写っています。この頃は小学生でしたが、夏休みには早起きして右下に黒々と見えている新庄神社の森の下でラジオ体操をしていました。

 

こちらはきのう偶々観ていたビデオ内にあったNHKの番組『さわやか自然百景・広島 太田川下流』(2023年9月放映?)の一場面です。角度は違いますが、上記の50年前の俯瞰写真と同じ中洲が、これを復興と言ってよいのかどうか、ビルだらけになって写っています。

 

50年前の三篠は、ほとんどが1~2階建ての住宅ばかり、新庄神社の夫婦楠が周囲を圧して一番背か高かったのが、今では高層のマンションが立ち並び、神社も楠もどこにあるかわからなくなってしまいました。

 

50年の時間が経過する間に新幹線が通り、高速道路が出来て、アジア大会のための新交通(アストラムライン)も敷かれました。道路事情など交通の便がよくなってからは、周辺の山々が削られて団地が造られ、つぎつぎと人が移り住んで人口は100万人を超え、広島は政令都市になりました。

 

その代わりに失くしたものは何でしょう。

 

awakinがこどもの頃、近所にたくさん住んでいた明治生まれの人たち、おばあさんはお歯黒を入れていて笑うと黒い歯が見えて気味が悪かったですが、盥(たらい)に洗濯板を立ててゴシゴシと洗濯している光景をじっと眺めていたものです。

 

彼らはもうみんな鬼籍に入ってしまい、記憶の中の風景になってしまいました。

 

そんな朧になりつつある記憶の中の風景を、ときどき、少しずつですが掘り起こしてブログ記事に残していきたいと思うところです。