館山市・洲崎の歴史・文化を学び「坂田の残土問題」を考える    ~東京湾の歴史② | Blog 安房国再発見

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館山市・洲崎の歴史・文化を学び

     「館山市・坂田の残土問題」を考える

                    ~東京湾の歴史②

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東京湾口部という要衝に

洲崎や坂田があり、

古来より重要な役割を果たした地域です。


坂田の残土埋立予定地には、

近現代史に関わる戦争遺跡などの

貴重な文化財が残っている

可能性が高いといえます。


周辺地域にはさまざまな文化財があり、
きちっとした調査活動が必要でしょう。


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東京湾要塞と太平洋戦争


日本では明治期に主要な海峡や港湾を防衛するため、

東京湾沿岸には、1880(明治13)から1932(昭和7)年まで

の半世紀をかけて、大規模な「東京湾要塞」を建設しました。


富津岬と観音崎との間に3つの海堡を置き、

また三浦半島や房総半島の要衝には、

東京湾全体を射程に数多くの砲台が建設されました。

なかでもこの洲崎には、洲崎第1砲台」や「洲崎第2砲台」など

強力な火砲を配備しました。


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房総半島側の東京湾要塞地帯には帝都防衛や養成機関として、

館山海軍航空隊や洲ノ埼海軍航空隊、

館山海軍砲術学校などが設置され、

軍事戦略上での最重要拠点になりました。


そのため太平洋戦争末期においては、

米軍は東京湾口部に位置する館山を中心に、

帝都東京を攻略する本土侵攻作戦を立てました。

沖縄戦後の「本土決戦」を想定し、やく7万人近く部隊、

なかでもロケット特攻機「桜花」や水上特攻艇「震洋」などの

特攻部隊を配備中に終戦となりました。


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安房の本土決戦体制と戦争遺跡パネル(1995年愛沢作成)


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安房の本土決戦作戦図(あわ・がいど「戦争遺跡」より)


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戦争末期の本土決戦の陣地構築配置図(部分)


昭和20(1945)年9月2日、

横須賀沖に停泊した戦艦ミズーリの艦上で、

第二次世界大戦・太平洋戦争の終結となる降伏調印式がありました。

調印の翌日には、米軍約3500名が館山に上陸し、

本土で唯一の「4日間」直接軍政がおこなわれたといいます。


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NPO法人安房文化遺産フォーラム発行

ガイドブック「戦争遺跡」表紙

洲崎でも栄の浦港には当時鋸南町岩井袋に本部基地があった

第1特攻戦隊第18突撃隊の特攻基地が建設され、

いまもその痕跡があります。


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この特攻部隊は、勝山や大房岬、波左間などに

基地を分散して特攻兵器を配備し、

洲崎基地には、波佐間基地と連動して

水上特攻艇「震洋」の部隊が配備されました。


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「震洋」とは、全長5mの合板製モーターボート先端に爆薬を積み

敵艦に体当たりする水上特攻艇でした。
洲崎と波左間基地には、第59震洋隊の真鍋部隊が

7月中旬の配置についたものの「震洋」はまだ到着していなく、

8月13日にやっと6隻が配備され、

若い特攻隊員たちは爆薬を装備し、

出撃態勢をとっていたといわれます。


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館山市・西岬地区には

貴重な戦争遺跡がたくさんあります。


この地域には、赤山地下壕跡を代表とする

戦争遺跡が数多く残っています。
子どもたちの体験学習では

とくに「平和学習」の地域として

全国に発信していきたいものです。
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