館山市・洲崎の歴史・文化を学び「坂田の残土問題」を考える     ~東京湾の歴史① | Blog 安房国再発見

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館山市・洲崎の歴史・文化を学び

    「館山市・坂田の残土問題」を考える

              ~東京湾の歴史①


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東京湾全域   洲崎・坂田・波左間・見物・加賀名

         早物・浜田・塩見・香・西川名

         伊戸・坂足・小沼・坂井(館山市・西岬地区)


1873(明治6)年に千葉県に編入され、

1898(明治22)年には、14ヵ村が合併して西岬村となり、

館山市と合併したのは、1954(昭和29)年です。


館山市の海岸線は「南房総国定公園


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「残土」で埋め立てた大地を活用するのではなく、

先人たちが残してくれた

地域に“いま”ある自然資産や

寺社仏閣、戦争遺跡などの文化遺産を活用して

まちづくりを構想してみませんか?


東京湾の歴史をみる


房総半島の先端である館山市・洲崎

三浦半島の剱崎とを結んだ線の北側の海域を東京湾といい、

半島に挟まれた海峡は、浦賀水道と呼んでいます。


『古事記』の日本武尊東征の話のなかに、

東京湾を舞台にした神話があります。

ヤマトタケルノミコトが相模から湾を横切って上総に渡る際に、

三浦半島走水の海神が船を難破させようと嵐にしたので、

后のオトタチバナヒメが替って

入水したら嵐がおさまったというのです。


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東京湾(江戸湾)は古代から交通路として、

人や物や文化などの交流において

重要な役割を担っていました。


この地域の古代遺跡からは、

伊豆から三浦半島でつくられている土器や甕のほか、

マダイ・マグロなど魚骨やアワビ・サザエなどの貝類が

100種以上、出土しています。

当時の人びとが漁労や交易のために、

丸木舟を操って出向いていたことを物語っています。


平安末期に源頼朝が石橋山での戦いに敗れて

安房国に逃れてきたとき、

洲崎神社(洲崎明神)に参拝し武士の結集を祈願し、

その後鎌倉幕府の誕生につながっています


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浦賀水道は鎌倉街道の交通路としても利用され、

鎌倉・室町期を通して、鎌倉と安房は、

強いつながりを持つようになり、

鎌倉の社寺や北条氏・足利氏などが

房総に進出してきました。

そのなかで戦国期には後北条氏や里見氏の水軍が

東京湾(江戸湾)の制海権をめぐって争った

舞台でもあります。


江戸期には江戸湾を管轄する浦賀奉行所が置かれ、

出没する異国船対策に御台場が建設されました。

浦賀には、1853(嘉永6)年に

アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが

軍艦4隻を率いて来航していますが、

そのなかの1隻館山湾にも来ています。


当時、江戸湾には異国船が出没し、

幕府は沿岸防備のために要衝に武士を駐屯させ、

砲台を設置しました。


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江戸湾の入り口であった洲崎には、

奥州白河藩主松平定信が海防の最重要拠点として

警備にあたっていました。


後に武蔵忍藩が担当した

1850(嘉永3)年の報告書をみると、

土塁を巡らし大筒5門配備の洲崎御台場の様子

を描いています。


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御台場の石垣に使われた石は、

今も民家の石塀に利用されています。

黒船の来航などを契機に重要な航路には


灯台の設置されることとなり、

日本初の洋式灯台として三浦半島には観音埼灯台、

続いて房総半島の白浜には野島埼灯台が設置されました。


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そして、1919(大正8)年に庚申山に設置された洲埼灯台は、

房総半島南部で最も西の場所にある灯台でした。


北緯34度58分19秒、東経139度45分39秒に位置し、

住所は千葉県館山市洲崎1043番地。

円筒形のコンクリートで建てられ、

灯台の高さは15m、海面から灯火まで45mで、

三浦半島南端の東側にある剱埼灯台とともに、

東京湾へ出入りする船舶の目印になっています


ところで、岬の地形をみると房総半島南部は、

過去6000年間、4回の巨大地震により海底が隆起して、

海岸段丘がつくられてきました。

いまも4段の階段状の地形がみられます。



今から約300年前の元禄13(1703)年の元禄大地震では、

半島南端が一気に5~6m隆起したといわれ、

眼下に見られる岬の先端部にある海岸段丘は、

1923(大正12)年の関東大地震で隆起したもので

「大正ベンチ」と呼ばれています。



地域に“いま”ある自然遺産や

寺社仏閣、戦争遺跡などの文化遺産を活用した、

まちづくりを構想してみませんか?


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