館山市・洲崎の歴史・文化を学び
「館山市・坂田の残土問題」を考える
~東京湾の歴史③
館山市・洲崎の岬周辺の自然と環境
太平洋を北上してくる暖流(黒潮)の影響により、
この地は温暖な気候条件をもっています。
夜の冷え込みは少なく、強い潮風で霜を飛ばすので
ストックなどの露地花栽培には最適な環境なのです。
明治期にヨーロッパから入ったマーガレットは、
大正期になって露地栽培に成功し特産品となり、
この地一帯は「マーガレット岬」と愛称されたといいます。
また、洲崎神社(洲崎明神)の神域である
御手洗山周辺は、海岸に近く潮風を強く受ける
照葉樹林帯ですが、信仰の山として
人びとの手が入らなかったことで、
スダジイなどの自然林(県指定)が残され、
貴重な自然の姿がいまもふれることができます。
『南総里見八犬伝』の舞台で
役行者が開祖の「養老寺」
洲崎神社の隣には真言宗の寺院で
安房国札観音巡礼の三十番札所になっている
養老寺があります。
伊豆大島に流罪になったといわれる修験道の開祖役行者が、
奈良時代の養老元(717)年に創建したと伝えられています。
境内の岩肌に掘られた岩窟には、
役行者の石像が祀られています。
海上歩行や空中歩行の神通力をもったとされる役行者は、
足の守護神としても人びとから信仰されてきたこともあり、、
岩窟前には履物が奉納されています。
なお養老寺は、曲亭馬琴の長編小説『南総里見八犬伝』
の舞台としても知られ、
小説では伏姫に「仁義礼智忠信孝悌」の八字が浮かぶ
数珠を授けた役行者の化身が登場しています。
漁業と航海の神を祀る
「洲崎神社(洲崎明神)」の役割
洲崎の沖合いは太平洋と東京湾との分岐点にあたる
場所になっていて、昔から海上交通上の難所でした。
洲崎神社(洲崎明神)は古代安房の開拓伝承をもつ
忌部氏の祖神天太玉命の后を祭神にし、
漁業と航海の神を祀っています。
船の守護神として女性の髪を祀る船霊様の風習と
共通するものがあり、航海安全の霊力をもたらすものでした。
また、神社から浜に出たところにある黒っぽい石は、
神社の山が崩れて落ちてきたものと伝えられています。
ただ、三浦半島浦賀の安房口神社でも
同じような石が祀られていますので、
竜宮から洲崎神社に奉納された二つの石の一つが、
安房口に飛んできたとの伝承があるといいます。
洲崎の石が東京湾を挟んで
対になっているという不思議な話です。
江戸湾の航海安全を願って
広がった「洲崎神社(洲崎明神)」への信仰
江戸湾の海上交易が盛んになっていくと、
洲崎神社(洲崎明神)への信仰は、
とくに航海安全の霊力をもたらすものと考えられ、
江戸湾内の湊や交易地の人びとに広がっていきました。
室町末期に江戸城を築いた太田道潅は、
安房から江戸・神田に洲崎神社(洲崎明神)
を勧請したのです。
当時は、江戸湾に面した入江で芝崎(大手町付近)
にあったといいます。
また、江戸湾屈指の都市であった品川でも、
やはり室町期に安房の洲崎神社(洲崎明神)
を勧請したといいます。
今の横浜にあたる神奈川湊では、
安房の洲崎明神が合祀された天照大神社があり、
源頼朝が勧請したものと伝えられています。
現在でも祭礼の際の浜下りは、
安房の本霊と会合させるため、
神輿が海に入っていく儀式がおこなわれています。
古来より東京湾口部の洲崎・坂田は
東京湾全域に関わる交通の要衝であり
“聖地”でした。
安房地域・館山市の海岸線は
「南房総国定公園」です。