今週はけっこう忙しく動いて…

と言っても健康関連ばかり?



ダンナの用事を片さないといけないからと行ったショッピングモールで、たまたま出会ったイベントに参加した



〖100歳元気体操〗

簡単な運動をして足腰の衰えを緩和し100歳まで元気に行きましょう‼️

最近良く耳にする《フレイル》と言う事にも関心があったので参加を即決



そして高齢者向きの体操だからと軽く考えていたら…………

なんのなんの😲‼️

キツい💧💧💧💧💧

重りの入ったベルトを巻き負荷をかけながらユックリの動作が時間が経つ毎に効いてきて息が切れた😵


更に簡単な認知症予防運動は殆ど出来なかった😖

両手で左右違う動きや決まった数で起こすアクション

考える時間は無く反射神経が物を言う、自分ではキチンとやっているつもりでも全くチグハグになった動きに最後は笑うしかない

けれどこの《笑う》と言う事も大切なのだと改めて思った



世間的に見れば私も高齢者だろうが、参加している方々からすれば未だ未だ若い部類に入り珍しさもあって色々な方に声をかけられた


それは別に嫌じゃ無いし、寧ろ人生の先輩方の話を聞くのは勉強になる


月に一度イベント開催をしているらしいので出来るだけ参加しようと思った










そして昨日は頭痛外来の日


主治医の関係で私は毎回土曜日の午前中に受診なのだが

総合病院の土曜日はとにかく混んでいる

救急では無く、どうにか平日をやり過ごして会社が休みになる土曜日に受診しよう、と思う人も多いのだろう

更に午前9時から診察開始でも受付は早くからしてくれるのもあって、出来れば朝一番で済ませたいのも人情


昨日は注射2回目(薬名エムガルティ)だったが、前回

「冷蔵保存の薬液を出して直ぐには痛みが強くなるので射てないんです。常温に戻すのに約30分かかるので次回お出でになる時間が判ればそれに合わせて出しておきますよ」

と言われていたので9時開始直ぐに読んで貰えた


前回、昼から微熱は出たが其れ以外は特に重篤な副反応も無かったので接種後直ぐに帰っても良いとの事だったが一応念のため15分程様子見して帰る事にした


その待ち時間に待合室のソファで横に座られた高齢者女性に話しかけられ、その方が順番を呼ばれるまで話をずっとしていた

ちょうどタイマーで時間を見ていてくれた看護師さんに「もういいですよ」と言われるのと同時だった


「お大事にして下さいね」

と高齢者女性に挨拶して別れたが、病院開設当時から通院していると言う高齢者女性から色々と病院事情を聞いた(現在の院長は誰だとか、この病院で対応出来ない事案は県で有名な救急指定病院に紹介してくれるとか)



・○・○・○・○・○・○・○・○・


自分ももちろん歳を取るが、高齢の義母もいつ何があるかわからない

実子であるダンナは【親の老い】を認めたくない気持ちも未だ少し残っていて、気にしていないとは言わないが目の前の事でいっぱいいっぱいである


それを

「貴方のお母さんでしょ」

とお尻を叩く必要もない

余裕がある方が気にしたら良いはず

しかし未だ未だ私にも知識は必要

そういう意味では現役の方の生の声は本当に勉強になる

話しかけやすい雰囲気を醸し出せる様に努めよう😊


話を良く聞いていても実感が湧かない事も多い

自分がその立場に立った時に受け入れられるか、どうか?




朝方三十年来の友人から電話

「ちょっと相談に乗って欲しいんやけど…」


実母の介護問題らしい

身体の方は未だそれ程では無いが認知症が急激に進んだとか



「まさか自分がそういう事(介護)になるとは」



同年代だからお母様もウチとそんなに変わらない年齢だと思う

一昨年、お父様が亡くなり

「私もそんな(親を見送る)歳になったわ…」

と言っていたが、子供の立場だと親を見送るのはある程度覚悟は出来ている



しかしお母様は伴侶を亡くした事と、自分ももうそう遠くない未来に逝くのだろうという恐怖など

精神的ダメージは大きかっただろう



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友人の話だけでなく、周りでいろいろと聞こえてくる話では、やはり身内は気安さからもあって認知症の症状とは言えどもついつい怒ってしまう様だ


例えば自分自身で買い物に行ける場合、それは運動にもなるから良い事だけど同じ物を大量に或いは家に未だ有るのに買い込んでしまう事もある



それを

「もう‼️何で買ってきたん?」

と叱っても症状が改善する訳じゃないし、場合によっては親子関係にヒビが入りかねない



相談された事に対して、冷たい言い方をしたら【私は他人だから「そんなに言ったらアカンよ」】と言える

実際に今日もそう言った



各自治体で行っている『認知症サポーター養成講座』を、実父が亡くなって少し落ち着いた頃に受けた

その時の講師の説明で凄く良く解って納得した話がある


頭の中に《記憶の壺》があると思って下さい。その壺の中に物心着いてからドンドン記憶が溜まって行きます。しかし壺の大きさは変わりません。人生が長くなると壺は許容量が超えて新しい記憶が入っても直ぐに出てしまいます。認知症の方が『昔の事は良く覚えている』と言われるのはそういう事です。だから何度も聞いた話を繰り返しても今初めて聞いた様な顔をして決して「もう何度も同じ話して‼️」と言わないであげて下さいね


この話を友人にすると

「あーなるほどなぁ。確かに私も最近の事は直ぐに忘れるわ」

と笑っていたが…


そういうちょこっとした知識が頭の片隅に有ると無いとでは相手に対する態度も若干変わってくるかも知れない

それでも要介護者に接する身内も精神的ダメージもあるから疲れてくる

すると頭の片隅にあってもつい爆発する事もあるだろう



割り切って使える施設や、お金が許す範囲で他人の手を借りるのも誰も責める事は無い



本当は【他人事】では無く、直ぐ側にある危機なのだ

だけど常は他の事に忙しくて其処まで考える余裕は無い

しかしいつ危機が急接近してくるかわからない


ちょっとだけでも余裕の有る時に勉強しておく事も此れからの高齢化社会に向けて必要かも知れない





断捨離ブーム(?)ではあるけれど


最近思うのは〖人付き合いも断捨離しなければならない〗


冷たい様に聞こえるか?

はたまた「え⁉️一体何様?」に聞こえるか…………



しかし《物》は未だ良い

自分で思い切れば不要な物は捨てられる


人はそうは行かない





もともと友人は少ない方

それが仕事を始める時に

【必要なのは人脈】とセミナーで散々聞いて、自分なりに納得したし、年齢的にも悠長な事は言っていられなかったしで、ある人のアドバイスでFacebookを始めた



本当はあまりやりたくなかった

しかしダンナが珍しく主張したので一緒に商売をするからには何も知りません、では行かないだろうと


そして始めたらトコトンやる‼️

しょーもない事でも投稿して《お友達》とゆうのが増えて行った


しかし《お友達》はただの名称であって実際の友達ではない


もちろん縁が繋がった中には個人的に親しくお付き合い出来る本当の友人もたくさんいる


しかし自分が仕事に活用しようと思った様に《友達リクエスト》が来た中にはそれが目的の人も多く、いわゆる【ネズミ講】的な物に誘って来たり、ある種宗教まがいの物を売りつけて来たりの人もいる



私が言う人間関係の断捨離は、そういう人達と縁を切る、との意味



別にスルーしたら良いじゃん、かも知れないけどFacebookに付随しているサービスmessengerを連絡手段にしているからには簡単に切る訳にも行かず悶々としていた



何年か利用している内に『とりあえずフォローだけは外す』を覚えた

友達から削除するのでは無く相手の投稿が流れて来ない様にする


それで少なくともサイトを開いた時のストレスは減った

暫く様子を見ていて、申し訳ないがこの先もこの人と縁が続く事は無いだろう(或いは必要性を感じない)と判断したら削除する



数だけで言うなら何百、何千単位でいる《お友達》

話した事も直接会った事も無い人もたくさんいる

未だにサイドビジネス目的でリクエストを送ってくる人もいる

出会い系と勘違いしているような人もいる

↑ちょっと面白かったのが、 プロフィール画像が若いイケメンの男性で色恋話みたいなのをしてきた人が居た(プロフィール画像なんてのは本当とは限らない)

私の中の悪魔👿な部分が出て来て暫くはmessengerのやり取りに付き合った

しかし少しボロが出たな、と感じた段階で

「本当は何が目的?」

と送信したらそれから一切何も言って来なくなった




八方美人よろしく誰にも彼にも良い顔していたら生きて行けない

都合の良い人〗でいるのは真っ平ゴメン


ただでさえ残り人生が少なくなって来ているんだからニヤリ