話を良く聞いていても実感が湧かない事も多い

自分がその立場に立った時に受け入れられるか、どうか?




朝方三十年来の友人から電話

「ちょっと相談に乗って欲しいんやけど…」


実母の介護問題らしい

身体の方は未だそれ程では無いが認知症が急激に進んだとか



「まさか自分がそういう事(介護)になるとは」



同年代だからお母様もウチとそんなに変わらない年齢だと思う

一昨年、お父様が亡くなり

「私もそんな(親を見送る)歳になったわ…」

と言っていたが、子供の立場だと親を見送るのはある程度覚悟は出来ている



しかしお母様は伴侶を亡くした事と、自分ももうそう遠くない未来に逝くのだろうという恐怖など

精神的ダメージは大きかっただろう



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友人の話だけでなく、周りでいろいろと聞こえてくる話では、やはり身内は気安さからもあって認知症の症状とは言えどもついつい怒ってしまう様だ


例えば自分自身で買い物に行ける場合、それは運動にもなるから良い事だけど同じ物を大量に或いは家に未だ有るのに買い込んでしまう事もある



それを

「もう‼️何で買ってきたん?」

と叱っても症状が改善する訳じゃないし、場合によっては親子関係にヒビが入りかねない



相談された事に対して、冷たい言い方をしたら【私は他人だから「そんなに言ったらアカンよ」】と言える

実際に今日もそう言った



各自治体で行っている『認知症サポーター養成講座』を、実父が亡くなって少し落ち着いた頃に受けた

その時の講師の説明で凄く良く解って納得した話がある


頭の中に《記憶の壺》があると思って下さい。その壺の中に物心着いてからドンドン記憶が溜まって行きます。しかし壺の大きさは変わりません。人生が長くなると壺は許容量が超えて新しい記憶が入っても直ぐに出てしまいます。認知症の方が『昔の事は良く覚えている』と言われるのはそういう事です。だから何度も聞いた話を繰り返しても今初めて聞いた様な顔をして決して「もう何度も同じ話して‼️」と言わないであげて下さいね


この話を友人にすると

「あーなるほどなぁ。確かに私も最近の事は直ぐに忘れるわ」

と笑っていたが…


そういうちょこっとした知識が頭の片隅に有ると無いとでは相手に対する態度も若干変わってくるかも知れない

それでも要介護者に接する身内も精神的ダメージもあるから疲れてくる

すると頭の片隅にあってもつい爆発する事もあるだろう



割り切って使える施設や、お金が許す範囲で他人の手を借りるのも誰も責める事は無い



本当は【他人事】では無く、直ぐ側にある危機なのだ

だけど常は他の事に忙しくて其処まで考える余裕は無い

しかしいつ危機が急接近してくるかわからない


ちょっとだけでも余裕の有る時に勉強しておく事も此れからの高齢化社会に向けて必要かも知れない