現代版 姥捨て山 | さなじゅんオフィス

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介護施設と表現すれば 至極当たり前になった
沢山のお年寄りの収容所だ
自分の親を施設に入れるのに 抵抗感がない子供はいない


「自分の親」だからだ
産んで育ててくれて人生の方向性を授けてくれた
お金や愛情があれば 同居して親孝行する思い出の時間が持てそうな生活領域


私の場合は親の認知症
どんなに周囲が努力しても 治らない病だった
泣きながら私の後を追う母の姿に 何度ゴメンと口走った事だろう


認知症の症状は周りを確実に不幸にしていく
義務や責任感という優しさを継続するには 心が折れていく
しかも、全国の介護施設の料金は 年金額を全額搾取する料金になっている


普通の人は、自分たちの生活環境を守るため 天に許しを請い入所させることになる
認知症がなければ私も 施設に入れると言う鬼の選択肢は存在しなかった
母の場合は入所させたことで認知症を早めた上に あの男性社会福祉士の地獄の言葉を


聞くこともなかった
帰りたい帰りたいと泣く母に向かって「お前は捨てられたんじゃー!」と言い放つ
私が部屋に来ていたことを知らなかったのだろう


普通ならこの社会福祉士を 窓から叩き出したであろう場面に
私は我慢するしかなかった
福岡県の二日市にある施設だった


ここはもともと会社の寮で造られて その後に介護施設になったところ
毎日毎日 私は仕事の帰りに通ったのだが 母の顔を見るのが辛かった
結局 人工透析もやっていたので 病院が経営する施設に転院した


病院側は車椅子生活を強制するあまり そのうち立つのが弱弱しくなって
ベッドから転んで 大けがをする羽目になった
大きな病院に入院したり またこの病院に戻ったりしての母の老後だった


私は当時、銀行員だったが毎日18キロ先の山間部にある病院へ行って
一緒に同居してやれない事を 心で詫びた
毎日の夜に 母の腕に巻かれた心拍数を測る機械を見るのが 辛かった


そういう母はもういない
時代は動き 私はある老人施設を訪問した
男女比では 女性の方が圧倒的に長生きしているようだ


施設にお見舞いに行くたびに気づくのだが 全ての老人が一人ぽっちだ
私を見ると自分の息子が来たのじゃないかと 全員の視点が集まるのだ
中には あんた〇〇クンじゃろ! 大きくなったねえ~と言うおばあちゃんもいた


もちろん見も知らないおばあちゃんだ
自分の大好きな人を見つけたような目つきで 私を追う
私の子供が来たんじゃないかと 期待をしている目だ


何と悲しい人生なんだろうと思うのだが これが現実でもある
親不孝者が親子の絆を切り取って 年金泥棒に走っている気さえする
福祉充実国家だと言っても 親を捨てていることは事実


施設で働く若い人が増えた
高齢者でありながら元気だからと 自分より年齢の若い入所者の介護に当たっている
その光景に 私は複雑になる


親孝行は親が生きているうちにするモノ
親が亡くなって初めて知る親の恩なんて たわ事だ
両親を思いやってこその 1人前


こんな気持ちがタブーとさえ言われる時代
1人で勝手に生まれて来たと言い 自分さえよければいい時代観が主流になって
金儲けした道楽息子は 幸せだと言えようか