♪♪ 聴く音楽から演奏する音楽へ ♪♪

~ バロックからロマン派まで

 暗い曲から始まったバッハだったが、フランス組曲第5番のような明朗でノリのよい曲、G線上のアリアのようなしっとり系、睡眠障害のゴールドベルクのための曲、無伴奏チェロ組曲などなど、一人の人間がこんなに幅の広い曲を幾つもつくれることに驚嘆した。

 そして、ヴィヴァルディの四季、調和の霊感、ヘンデルの水上の音楽、コレルリのクリスマス協奏曲など、バロック系から始まって、好きな曲がどんどん増えていった。ベートーヴェンのピアノソナタ月光第三楽章やテンペスト、熱情も、激情が怒涛のように押し寄せて来るし、チャイコフスキー6番悲愴のメロディーが半音階ずつ上がってくるところは、喉元に音を突き付けられ締めあげられるようでゾクゾクきた。シンセサイザーのはしりのころは、冨田勲のドビュッシーを聞いて、空間を縦横無尽に動く音に心躍ったものである。

 

~ マンドリンクラブ 人生初の挫折体験

 こうして音楽を〝聴く〟ことは好きになったが、もともと音楽の授業は好きではなかったし、譜面も読めない。曲名に、嬰ハ短調とか、変ロ長調とかあっても、何のことやら分からない。聞いている曲が何拍子かも気にしない。

 要するにただ感性で聴いているだけで、音楽の理論的なことは小学生以下である。なのに先輩が試験の過去問を教えてくれる、経験がなくても大丈夫との口車にのせられて、よせばいいのに大学でマンドリンクラブに入ってしまった。

 新入部員の中で一番ヘタなのは私だった。先輩からはもっと練習するように言われ、自分なりにがんばってみるのだが、なかなか上達しなかった。

それまで、勉強やスポーツでこんな徒労感や屈辱を味わったことがなく、世の中にはいくらやってもダメなこともあることを知った。すぐにでも辞めてしまいたかったが、入部時に名入りのマンドリンを8万円で購入した手前、もったいない星人の私は結局、部活を辞めることができなかった。今にして思えば、8万よりも、時間を惜しむべきであった。

 さて、マンドリンの弦は上からG-D-A-Eで、バイオリンと構成が同じで、ビオラやチェロと同じ構成のもの、フルートパートなどもあって、モーツアルトの魔笛やロッシーニのウイリアムテル序曲などオケ用の曲、ヴィヴァルディの調和の霊感や、パッヘルベルのカノンなどの弦楽器用の曲もやった。

 自分はうまく弾けなくとも皆で弾くとアラを隠せるし、合奏した曲を〝聴く〟のは好きだった。定期演奏会のアンコール用に練習したカバレリア・ルスティカーナ間奏曲など、それまで知らなかった名曲とも出逢うことができた。

 

♪♪ 聴く楽しみから歌う楽しみに ♪♪

~ 音楽への冒瀆と思うこと

 曲が好きになると、好きゆえに許せなくなることもあった。

 メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は、いきなり胸にキュンキュンくる名曲だが、なんと痔の薬のCMに使われてしまった。その後これを聴くたびに「痛いの恐い、痛いの恐い」というセリフがどうしても聞こえてしまう。世界遺産の建物に悪戯書きするのと一緒で、曲のイメージが台無しにされてしまった。

 同じ理由から、既存の曲に詩をつけて歌にするのもあまり好きではない。いくら良い詩であっても聴く人それぞれ自由にあっていいはずのイメージが限定されてしまうと思うからだ。ある時、前述したカバレリア・ルスティカーナ間奏曲に、なにやら詞をつけて歌っているのがラジオから聞こえてきた。やめて!二度と聴きたくない。絶対売れないでくれと念じた。念が通じたのか否かはわからないが、それを二度と聞くことはなかった。

 

~ 初めてのカラオケ

 大学とマンドリンを無事卒業し、就職のため上京した頃、巷はバブルに浮かれていた。私が就職したのは食品の検査機関で、バブルの恩恵を直接受けることはなかったが、それでも先輩や同僚が時々カラオケに誘ってくれた。だがしかし、私が歌えるのは百恵ちゃんの「いい日旅立ち」と「プレイバックパート2」くらいのものだったろうか(笑)。

当時のカラオケ店はボックスではなく、見ず知らずのお客さんの前で歌うタイプがほとんどで、歌をリクエストして、順番が来るとやおらマイクスタンドのある場所に向かう。緊張したが、これが意外に面白かった。大勢のお客さんが順番待ちをしているので、歌える曲はせいぜい2~3曲だったが、歌を知らない私にはちょうど良かった。カラオケに行くたびにいろんな流行歌を聴くようになり、自分ももっと歌えるようになりたいと思った。

 当時のトレンドは明菜と聖子だったが、キーが合うという理由で中森明菜のベスト版を購入し、一通り歌えるようにした。「Desire」を歌うと、踊って~!とのリクエストが入ることがあったが、TVを見ていなかったので、応えようもない(笑)。それ以後しばらく、熱心にTVの歌謡番組を見るようになった。

さて、クラッシック好きとはいえ、ずっと器楽オンリーで、オペラなどの声楽曲には興味がないというか、むしろ嫌いだった。我が家には小澤征爾指揮ベルリオーズ「ロミオとジュリエット」のレコードがあったが、オペラ部分は飛ばして聴いていた。(今思うと失礼極まりないことをしたと反省しきりである。)それゆえカラオケとの出会いは私にとって画期的なことだったのかもしれない。

 

 ちなみに、征爾さんとは遠縁で、小澤一家と一緒に満州に渡り、子守をしていた山梨の叔母の所に時々お忍びで来ていた。母や叔母が作った田舎料理を好んで食べたり、世界的な指揮者なのに偉そうなところが全くなく、とても気さく人柄だった。

 山の上ホテルでの小澤さくらさん(征爾さんのお母さん)の米寿を祝う会に叔母のお供で参加したときは、息子&孫によるお(祖)母様に捧げる歌が即興で作られ披露された。私はといえば、すごい!みんな楽譜見て歌えるんだ、と低レベルな感動とともにそれを見ていた(笑)。説明がありません
小澤さくらさんの米寿を祝う会の一コマ 即興曲を歌う健ちゃんと、コーラス征爾さん

つづく