2月6日小澤征爾さんが天に召され、以前とあるHPに掲載いただいた「私の音楽履歴書」に征爾さんのことを少し書いていたことを思い起こしました。

現在サイトは見られなくなってしまったので、記録としてこちらに掲載いたします。音楽を愛し育てた故人を偲びつつ

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♪♪ 愛犬の歌から「22才の別れ」 ♪♪
~ 家にはピアノがあったのに

 子供の頃当時の田舎には珍しく家にはピアノがあった。母が小学校の教諭で、副免許が音楽だったからだ。幼少の私にもピアノを習わせようと試み、親戚のピアノ教室に通わせたが、私は態度が悪かった上に、レッスンを抜け出して外で遊んでいたらしい。結局手に負えず、クビとなった。

 こんな有様だったから、学校に上がってからも音楽は週1~2回学校の授業でやる程度、特に思い入れもなく、TVのアイドル歌手に憧れることもなかった。ただ、犬、猫はじめ動物はたいてい好きだったので、愛犬ロンのエサを要望する歌を即興で自作して歌っていたりはした。

 

~ 初めて買ったLPレコードは井上陽水

 それでも、小学校6年の終わり、ちょっと背伸びして大人ぶってみたいお年頃で、井上陽水のレコードを田舎町にたった一件だけあったレコード店で買い求めた。選んだのは「GOOD PAGES」、これが初めて自分のお金で買ったレコードとなった。白いジャケットがまぶしかった。「傘がない」など暗喩的な詩の深い意味は多分よくわからず聴いていたが、「人生が二度あれば」で揚水が最後に嗚咽するところに子供ながらもジーンときて繰り返し聞いていた。

 まもなく入学した中学は田舎にしては自由闊達な校風で、昼休みの校内放送は、小椋佳やビートルズ、井上陽水もかかっていた。ある日、放送係だった私は、3年生の先輩と一緒に、まだ若い数学の深澤先生(男性)が持ってきてくれた小椋佳のLPを昼休みにかけていた。

 すると、音楽の愛子先生が、放送室に乗り込んできた。ここは学校だからクラッシック音楽をかけるべきと注意された。が、先輩と私は、適当に遣り過ごし、結局言う事を聞かなかった。

 更に、私の1年C組は、吉田拓郎やかぐや姫好き男子がいて、クラス全員の多数決の結果、「22才の別れ」を毎日帰りの会で歌うことになった。今にして思えば、22才に程遠い中坊が声を揃えて歌うような曲ではなく、かなりマヌケていたと思うのだが、当時はみなそれがカッコイイと思っていたのだからお笑いである。この若気の至りを、担任の美術の日向先生(男性)は、静観してくれた。

 さて、このままこの中学にいれば私もフォークや洋楽に普通にハマっていたことだろう。しかし、家の事情で私は中2の4月この中学にはいなかった。転校したのだ。かつては転校生に憧れたこともあったが、それは転校する前だったからと思い知らされた。

 転校先の中学校では昼に小椋佳は鳴らなかった。校風も違う。転校生なのだから当たり前だが、友人も知人もいない。小学校時代はずっと23人一クラスで、中学も小学校時代の友達と一緒だったから、新たにゼロから友人を作る経験をしたことがなかった。休み時間に話題になるのは、ベイシティローラーズやビューティペアなど当時TVで流行していたものばかりで、これも私にはどうにも馴染まなかった。

 

♪♪ 卒業式にモーツァルトの40番 ♪♪

~ 小フーガト短調との出会い

 転校先2年A組の担任は音楽の中沢先生だった。転校してすぐの授業で、バッハの小フーガト短調をかけてくれた。哀愁を帯びたメロディーが、後に先にと追いかけ合う。聞いてすぐに「なんだこれ、いいじゃん!」と思った。

 ほどなくして赤字ローカル身延線で甲府の新生堂まで出かけ、この曲が入っているレコードを探した。他の曲や演奏者などさっぱり知らなかったから、ジャケットと値段で選んだ。

 家に帰って心躍らせながら33回転に針を乗せた、最初の曲は、トッカータとフーガニ短調。のっけからクライマックス、悲劇のどん底のような曲調だったが、転校間もない当時の私の心情にマッチしたのだろう。これも好きになった。更に、パッサカリアとフーガ ハ短調も、出口のない闇を一人彷徨い歩くかのような曲だったが、ほどなくして好きになった。

 その後、授業で聞いたモーツアルトの40番も好きになり、またレコードを買いに行った。余談だが、この中沢先生は卒業式に、蛍の光などではなく、この40番で送ってくれた。第2、第3楽章などは別れの場に相応しい。いい選曲だった。

 

 

 そんなこんなで、音楽を聴くことが好きになり、いい曲を聴くと心が慰められるということを知った。小5の時、父が旧ソ連から買ってきたきり放っておいたレコードも、引っ張り出してみた。小学校の時はわけがわからなかったが、ロシア語と並んで英語の解説があり、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、マゼール指揮、パリ響、ピアノはリヒテルだった。これも聴き込むうちに好きになった。

 

 クラッシック音楽というのは不思議なもので、最初はつまらないと思う曲も、繰り返し聞いているうちに、たいてい好きになっていく。これが、時に試され、残った古典というものの力なのだろう。

 

つづく