満月の今日、
月好きな中島みゆきさんに感謝を込め、なぜ夜会にハマってしまったかについて好き放題に書いてみたいと思います。
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「夜会」はコンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない「言葉の実験劇場」をコンセプトに、なんと、脚本、作詞、作曲、歌、主演の一人五役をみゆきさんがつとめる。
しかも、歌は、夜会のためのオリジナルだという。
私が、夜会を観たい!と
切に思うきっかけとなったのは、NHKのSONGS
「中島みゆき~夜会への招待~」(2015/11/7放映)であった。
橋の下のアルカディアっていうのは、前世の話とかあるのね。ちょっと怪しげだけど、面白そう!
わ~、天岩戸開きの話もあるんだ。
泣かないでアマテラス、全部聴いてみたいな〜。
などなど、そそられる要素満載であった。
そして、時を移さず、
vol.18「橋の下のアルカディア」DVDを購入!
初めて見たときは、歌の力で見事に泣かされてしまったが、物語の意味がよく分からない。
夜会だけになかなか厄介なのである(笑)
その後、劇場版を見て、再びDVD付属のブックレットの登場人物の名前などを見るうちに、複層的に仕込まれた意図が浮かび上がってきた。
こっ、これは、すごい!
様々な意図(目的)があるのだろうが、あえて一言でいうなら、集団の犠牲になった魂の救済の物語ということだろうか。
以前ブログ↓に書いたので
興味のある方はどうぞ
橋の下のアルカディア観劇記(3)
さらに、古事記が好きな私は、
「泣かないでアマテラス」が聞きたくて
アルバム「10WINGS」を、
引き続き、夜会「金環蝕」を購入した。
「金環蝕」の最後は、
天文学者に扮したみゆきさんが、白衣を脱ぎすて、脚に付けた鈴を奏でながら、地を這うように「泣かないでアマテラス」を歌い始める。そして、徐々に姿勢を起こし最後は天に向かう。
地の底に抑えられていたなにかを引っ張り上げ、解き放っているように見えた。
このとき、長い間、慰められることなく地の底の悲しみに縛られていた何者かが救われたと感じた。
その後、ファン歴30年超の友人から夜会のビデオを借りた。
見るたびにすごい!!のビックリマークが増えていくばかり。感想を一つ一つ丁寧に書いたら本が何冊もできてしまいそうである。
「24時着0時発」「24時着00時発」を見ていたとき、ふと思った。
これって「能」に似ている?
ほんものの「能」は一度しか見たことがないから、ことさら詳しいわけではないが、以前三島由紀夫の近代能楽集「葵上」「卒塔婆小町」を美輪さんの舞台で見たときのこと
能の手法というのは、異次元、異人が出現して、あの世とこの世が交錯したり、時間軸が、現在から過去へ飛んだり、戻ったりするのだと聞いた。
あとでこれは「夢幻能」とよばれる手法と知った。
「24時着0(0)時発」も、主人公の影(異人)が登場するし、あの世とこの世の間のようなミラージュ(幻、異次元)に迷い込む。
最後は、時間軸を戻して、この世に帰って来るのだが、世界は変わっていた。
愛する人を助けることはできたが、その関係はなきものとなってしまった。
ちょっとほろっと来るのだが、最後、みゆきさんのサーモンダンスが心を洗ってくれる。
思わず一緒に踊ってしまったアホな私はおいといて、みゆきさんは「能」と同じ手法を使っているのかもしれない。
次に見た夜会 vol.5
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、古今和歌集の小野小町の和歌がそのままタイトルになっていて、
待っても待っても待ち人が現れず、悲しみと失意のうちに去っていく女女女…が登場する。
まず気になったのが、
最初に現れた和服姿のみゆきさん扮する待つ女だが、足袋だけで、草履をはいていない。
舞台は斜めになって雨が降っている。
足が濡れて、みゆきさん、気持ち悪くないのだろうか、と思った。
そうしたら、次も、その次も、次も靴を履いていないのだ。
もしや…と思い、往年のファンのみなさまに尋ねてみたところ、これは雨月物語「浅茅や宿」をモチーフにしているとのこと。
そういえばNHK SONGSでもそんなことを言っていたと今更ながら思い出し、読んだこともない雨月物語について調べてみた。
そう!やはりこれは幽霊!
幽霊は足がないから靴はいらないのだ。
さらに、情報ソースを覚えていないので、ほとんど都市伝説だが、地べたにべたっと座ると、地面に浮遊している霊につかれる。靴をピカピカに磨くと運気が上がるというのは、そういう悪いものを寄せ付けないようにしているから、なのだそうだ。
みゆきさんは、(靴で跳ね返すことなく)思いを残して成仏できていない霊を自分の身に憑りつかせて、声に出せなかった思いを歌ってあげて鎮魂しているのだろうか?
迫真の演技なのは、乗り移ってしまっているからにちがいない。
だとしたら、なんて人!
すごすぎる‼︎
後でこれも鎮魂を目的とする夢幻能の手法と同じだと知った。
(↑夢幻能については、長くなるので、いずれまた。)
第二幕では、
時間泥棒に扮したみゆきさんが、逢うと逢わないの間の時間を盗んで、思いが重すぎて浮かばれない霊を救済していく?!
たぶん!?
時間泥棒のみゆきさんは、
なぜか名古屋弁を使っている。
深読みのし過ぎかもしれないが、複層的に意図を仕込むみゆきさんのことだから、待つことを、終わり(尾張)にするという意味もあるのかもしれない。
※追伸 名古屋城鯱鉾の鱗を盗んだ大泥棒に掛けているとの説もあるそうだ。鱗の一枚一枚が時間であるという。みゆきさんは複層的に意味を仕込むので、そのような意図もあるのかもしれない。
この舞台は、斜めになっていて水が流れている。
水を盆に注いで月を写すシーンもある。
神社仏閣では最初にお手水で清めるし、灯篭流し、流しびな、流れる水には浄化の作用がある。
だからコスパ度外視で
あえて本物の水を流しているのか?
盆の水に映った月をつかもうと、かき回すシーンは何とも官能的なのだが、つかめないことを実演することで、あなたたちのこだわりには実体がないんだよ~。
仏教的に言えば色即是空、
早く執着を離しなさいよ~と、諭しているのかもしれない。
さて、以前、出版の企画書作成の際に、本を、誰に読んでもらいたいか、読んでどうなってもらいたいのか、
ターゲットと目的を明確にするように指導された。
これはかなり大切なことで、そうしないと読者に刺さらないのだ。
「夜会」のターゲットが誰かを考えてみた。
例えば、VOL.18なら、
集団に捨てられて犠牲になった魂、
VOL.5は待ち続けたが
思いがかなわなかった魂、
2/2なら自分を許せない魂…
目的はおそらくその救済!
だから終わりは魂的ハッピーエンドである。
夜会がわかりにくいといわれるのは、メッセージが魂に向けられているからなのかもしれない。
救われていない魂(生きている死んでいるかに拘わらず)、この世にとどまっている魂魄には、おそらくわかりやすく、強烈なメッセージが伝わっているのだろう。
それをはっきり感じたのは、「今晩屋」を観た時のこと。
「弘誓(ぐぜい)」という言葉が出てくるのだが、〝ぐぜい〟なんて音(おと)で言われても聴衆にはわからないだろう。
しかし、魂は知っている。
なぜなら、私たちの多くがその決意をもって生まれてきているはずだから。
だから、よくわからなくてもいいのだ。
何かが魂に届いている。
潜在意識が勝手に理解している。
とにかく、こんなことを、
エンターテイメントのようにやってのけるとは、…
すごすぎて、もう言葉がでない。
よく、しゃべってる時のやたら明るいみゆきさんと歌っているときのやたら暗いみゆきさんギャップが理解できない、どっちが本当のみゆきさんなのか、との話を聞くが、
これだけ、救われない魂に寄り添っていたら、普通の人なら、陰(闇)の世界に落ちて、二度と戻ってこられないだろう。
底抜けに明るい面があるからこそ、暗闇から我々を引っ張り上げることができるのだと思う。
往年のファンの方々は、
おそらく前生でなにかしらご縁があったのだろうが、
私ときたら、昨年までそのすごさに気づかなかったから、ご縁はなかったのかな σ(^_^;)
ようやく出会えた(笑)
中島みゆきという人に出会えたこと、
そのすごさに気づかせてくれた全ての存在に、
今日は、心から感謝したい。
ありがとうございます。
追伸
ここで書いたことは、あくまで私のいま気持ちです。時と共に変わるかもしれません。もちろん、ほかの方の意見や感想を否定するものでもありません。
よく言われることですが、みゆきさんの創り出すものを見て、何を感じるかは見る人それぞれで、大切なのはそれぞれの気づきだと考えています。なので、正しいか正しくないかを決めるのは意味はなく、それぞれの考えや感想がそれぞれ尊いと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。