2016年10月24日
日本のエーゲ海と称される牛窓は、正直、その印象だけが独り歩きしていて、白い
建物や、明るい海辺の町、そしてオリーブ以外には何にも出てこなかったのだけど、
今回、その印象は一新された・・・。
何かもっと重厚で、歴史があって、西洋よりはアジア寄りのにおいがして・・・。
帰りの電車のなかで、たまたま同席のオジサマが、もう何十年もこの祭りに通って
いる、という方で、昭和24年の祭りの写真を見せてくださった。その頃から既に仮装
していたようで、脈々と続く伝統があることは素晴らしいと、再び感激。
以前、上司に案内してもらった広島の大崎下島同様、ここは『風待ち潮待ち』で賑わ
った場所だそう。太閤さんの朝鮮征伐の後始末として、家康さんは何度も朝鮮から
使節団を呼び寄せた。15回の来日のうち、この地へは9回宿泊したんだと・・・。
小さな町ながらもよい2日間だった。あちこちで気さくに声かけして色々教えてくだ
さるので、始めてきたのに、身内がいる地元に戻ってきたみたいな感覚。
昔、海外からのお客さんを受け入れた、そのおもてなしの心も、今に受け継がれて
牛窓海遊文化館(旧牛窓警察署本館)
今は、朝鮮通信使の資料などが見れる。
御茶屋井戸
牛窓は大きな川がないため、昔から水に苦労していた町らしい・・・。朝鮮通信使を迎え
るために岡山藩が作ったものだそう。それだけ丁重にお迎えしていたことを思うと、今の
アジア諸国との関係がにわかに構築されたものでないことがよくわかる。
江戸時代に、池田藩(備前)の貿易港として栄えた牛窓の街並み(シオマチ唐琴
通り)をぶらぶら歩くだけでも楽しい。